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カペ谷ベル子のベース  作者: 泉野 戒
間奏 私とベースとくらまくんのこと
13/18

4.5-2

何が、違うんだろう。


夜、布団の上で天井を見つめながら、それだけがいつまでも頭のなかをぐるぐる回ってる。


何かが違う。何が違う? 赤井さんの言った言葉。何かが引っかかった。赤井さん。赤井さんは……


「……たかが、ファン」


そう。そう言った。その言葉が、違うって思った。


くらまくんは、たかがなんかじゃない。ただのファンじゃない。


くらまくんがいなくなって、代わりにファンが百人できても、千人できても、一万人できても、それでも私は、きっと悲しいと思う。


くらまくんは私にとって、ただのファンなんかじゃない。ぜったいに。


……じゃあ、なんなんだろう。


『……ル子。ベル子。聞こえてる? ベル子』


くらまくんは、私にとって、なんなんだろう。


友達? うん、友達。でも、友達だからファンよりも大事? なんか、違う。友達も大事だけど、ファンも大事で、でもくらまくんは、もっと大事で……


「ベル子」


「…………っ!」


とつぜん、耳元で声がして、私は飛び上がった。


見ると、いつの間にか部屋のなかにお母さんがいた。ちっとも気づかなかった。


「おか、お母さん? なに?」


「はぁ、困った子ね。ご飯に呼んでるのに、返事もしないんだから。寝てたの?」


「う、ううん。起きてた。その……ちょっと、考え事、してて」


「そう……」


お母さんが、ベッドに腰掛ける。私も起き上がって、お母さんの隣に並んだ。


「なにを考えてたのか、聞いてもいい?」


部屋の電気は点いていなくて、お母さんの顔は、よく見えない。


でも、きっと、いつもの優しい顔をしてるんだろうなあって思った。


「…………うん」


私は、話した。


ベースが弾けなくなったこと。自分からくらまくんを遠ざけたこと。今日のバンド練習のときのこと。


そして、私の……


「私の、私にとってのくらまくんって、いったい何なんだろうって、思って、それで……」


お母さんは、最後まで口を挟まずに聞いてくれた。


お母さんの、こういうところが好きだ。うまく話せない私の話を、急かさないで、ちゃんと聞いてくれる。どんなに時間がかかっても、ちゃんと付き合ってくれる。


「お母さんには、わかる? 私にとってのくらまくんが、なんなのか」


「そうね。分かる……かもしれないわ」


「わかるの?」


お母さんが、ゆっくりと頷いた。


私は、期待してお母さんを見た。けれどお母さんは、今度は首を横に振った。


「分かるけど、でも、これを教えても、意味のないことだと思うの。ただ、感情に名前をつけるだけ。その感情は、ベル子の中にはもうちゃんとあるから」


「でも……私は、赤井さんに伝えないといけないの。そのために、私は、知りたくて……」


「ベル子が本当に伝えないといけない相手は、赤井さんじゃないわ。くらまくんよ」


くらまくん。


その名前を聞いただけで、どうしてだろう、胸が熱くなる。


遠ざければ遠ざけるほど、私のなかのくらまくんが、大きくなる。


「難しく考える必要は、ないわ。ベル子の心のなかにあるその想いを、そのままくらまくんに伝えればいいの。それで、大丈夫だから」


「……ほんとうに?」


「ええ、本当よ。大丈夫。ベル子と、それにくらまくんなら、きっと」


そう言ってお母さんは、私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。


暖かくて、ちょっと気恥ずかしくて……でもそれだけで、私はすごく安心できた。大丈夫なんだって、そう思えた。


「さ、ご飯が冷めちゃうわ。行きましょう」


「……うん」


私とお母さんは、部屋を出た。


リビングへ行って、ご飯を食べて、お風呂に入って、部屋に戻って、お布団に入って……


その間もずっと、私の頭のなかにはくらまくんがいた。


明日、くらまくんと話す。


何を話すのかは、よくわからない。なんで話すのかも、よくわからない。


でも、話したらきっとうまくいく。そう思った。


それに……明日、くらまくんと話せる。そう、思うだけで。


なんだかとっても、明日が楽しみだった。




文化祭 12日前




「倉間マダオ!」


お昼休みが始まってすぐ。


まだ先生が教卓から降りてもいないタイミングで、その声は聞こえた。


「ちょっと、顔を貸しなさい」


後ろから聞こえる、それは間違いなく、赤井さんの声だった。


それに間違いなく、怒ってた。


後ろがすごく気になって、でも、怖くて振り向けなかった。くらまくんと話す準備はできてたけど、赤井さんと話す準備は、まだできてなかったから。


本当は、お昼休みになったらすぐに、くらまくんと話をしようって思ってた。


本当の本当は、朝、すぐに話したかった。でも、くらまくんが来るのはいつもぎりぎりだから。


朝の時間や、10分の休憩時間だと、私の思ってることが伝えられない気がしたから、お昼休みまで我慢した。


なのに……


「ちょ、待てって。行く、行くから……離して、くれ……」


後ろから、くらまくんと赤井さんの声が聞こえる。


「話なら人のいないところでふたりっきりでするわ。ほら、ちゃきちゃき歩くの」


2人の声が、離れていく。


最後にドアが閉まる音が聞こえて、それきり声は聞こえなくなった。


私は、立ち上がった。


(追いかけないと……)


赤井さんが何を考えてるのかはよくわからないし、追いかけて私がどうするのかもよくわからない。


けど、でも、そう思った。


廊下の向こうに、ふたりの背中が見えた。でも、すぐに曲がって見えなくなった。


私は、追いかけた。




一度見失って、でもそんなに時間をかけずに、見つけられた。だって、お昼休みにふたりっきりになれる場所なんて、そんなにはないから。


それに、赤井さんの大きな声は、遠くまで聞こえてたから。


「――確かに、プロなんてのはまだ先のことかもしれないわね。でも、たったひとりよ。たったひとりの、しかも気心の知れた相手の前で自分の演奏ができないっての? ――甘えてんじゃないわよ」


階段の上から聞こえる赤井さんの声が、胸に響く。


ここまで追いかけてきて、それでもまだ、私は怖くてたまらなくて、そこから先へ足を踏み出せずにいた。


「私たちは、表現者なの。曲に思いをのせて人へ届けるの。聴く人がいて初めて、私たちの奏でる音は意味を持つのよ。聴いてくれる誰かの前で奏でる音こそが、私たちの本当の音なのよ」


赤井さんの、音楽にかける思いが、痛いほどに伝わってくる。


本当なら、私も赤井さんと同じ思いを持ってるはずなのに……。でも、違って、だから痛くて、苦しい。


「私が本当に困るのは、ここでなあなあにしてしまって、何年経ってもカペ谷ベル子が人前で弾けなくて、そのままいつまでも足を引っ張られ続けることなのよ。


文化祭で失敗するぐらいは構わない。私たちにはまだ先がある。


でも、だからこそ今、ただの友達から逃げてるようじゃあ、この先ずっとやっていけないのよ!」


「――――」


――ただの、友達。


私も、そう思ってた。この間までは。


くらまくんも、そう言った。私のこと、友達だって。


でも、今、赤井さんがそう言うのを聞いた瞬間に、喉の奥でぐるぐるしていた何かが、一気にこみあげてきた。


――ただの、友達。


気がついたら、私は足を前に踏み出していた。


違う。


くらまくんは、くらまくんは――




「ただの友達じゃ、ないわ」




吹き抜けに、声が響いて。


くらまくんが、ゆっくりと振り返った。


くらまくんと、目が合う。何日ぶりだろう。真正面から、くらまくんを見た。


それだけで、胸のなかに、たくさんの想いがあふれて、こみあげて……


くらまくん。くらまくん。くらまくん……




――その感情は、ベル子の中にはもうちゃんとあるから。




――ベル子の心のなかにあるその想いを、そのままくらまくんに伝えればいいの。それで、大丈夫だから。




「――――、」


喉が、つっかえる。


くらまくんを見る。くらまくんが見てる。くらまくんに伝えたいこと。私にとっての、くらまくんは……


「――っ、くらまくん、は、大切な人、で……」


声が、ちゃんと出てるか、わからない。


届いてる? 聞こえてる?


足が震えて、でも、それでも、くらまくんに、伝えないと。伝えたい。


「ずっと一緒に、いたいぐらい、大切で。ずっと、2人で、秘密基地で……


くらまくんに、ベースを褒めてもらえるのが、嬉しくて。で、でもっ、一緒にいるだけでも、嬉しくて……


くらまくんに、嫌われるのが、怖くて。くらまくんの好きなベースが、弾けなくなったら、くらまくんがいなくなっちゃうかもって、怖くて……


くらまくんに、喜んでもらえるようなベースを、弾きたくて。でも、そうするほど、自分が、だめになってく気がして……」


怖くて、たまらなかった。


こんな風に弱音を吐いて、くらまくんが、がっかりしてるんじゃないかって。嫌われるんじゃないかって。


両手が無意識にベースを探して、でも、肩には何もかかっていなかった。私のベースは、教室だ。


行き場をなくした手を、私は身体の前でぎゅっと握りしめた。


「いっそ、ベースのことなんて、忘れて……」


それを口にしたとき、私のなかで、何かが壊れた気がした。


でも、それでもいいと、思った。


「ただ、くらまくんと、ずっと一緒にいたい。くらまくんと一緒に、おしゃべりしたり、お昼ご飯を食べたり、一緒に帰ったり、星を観たり……」


私は、顔を上げた。


「くらまくんと、一緒にいたい」


そして、くらまくんの目を見て、言った。


「私は……」




「くらまくんが、好き」

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