4.5-2
何が、違うんだろう。
夜、布団の上で天井を見つめながら、それだけがいつまでも頭のなかをぐるぐる回ってる。
何かが違う。何が違う? 赤井さんの言った言葉。何かが引っかかった。赤井さん。赤井さんは……
「……たかが、ファン」
そう。そう言った。その言葉が、違うって思った。
くらまくんは、たかがなんかじゃない。ただのファンじゃない。
くらまくんがいなくなって、代わりにファンが百人できても、千人できても、一万人できても、それでも私は、きっと悲しいと思う。
くらまくんは私にとって、ただのファンなんかじゃない。ぜったいに。
……じゃあ、なんなんだろう。
『……ル子。ベル子。聞こえてる? ベル子』
くらまくんは、私にとって、なんなんだろう。
友達? うん、友達。でも、友達だからファンよりも大事? なんか、違う。友達も大事だけど、ファンも大事で、でもくらまくんは、もっと大事で……
「ベル子」
「…………っ!」
とつぜん、耳元で声がして、私は飛び上がった。
見ると、いつの間にか部屋のなかにお母さんがいた。ちっとも気づかなかった。
「おか、お母さん? なに?」
「はぁ、困った子ね。ご飯に呼んでるのに、返事もしないんだから。寝てたの?」
「う、ううん。起きてた。その……ちょっと、考え事、してて」
「そう……」
お母さんが、ベッドに腰掛ける。私も起き上がって、お母さんの隣に並んだ。
「なにを考えてたのか、聞いてもいい?」
部屋の電気は点いていなくて、お母さんの顔は、よく見えない。
でも、きっと、いつもの優しい顔をしてるんだろうなあって思った。
「…………うん」
私は、話した。
ベースが弾けなくなったこと。自分からくらまくんを遠ざけたこと。今日のバンド練習のときのこと。
そして、私の……
「私の、私にとってのくらまくんって、いったい何なんだろうって、思って、それで……」
お母さんは、最後まで口を挟まずに聞いてくれた。
お母さんの、こういうところが好きだ。うまく話せない私の話を、急かさないで、ちゃんと聞いてくれる。どんなに時間がかかっても、ちゃんと付き合ってくれる。
「お母さんには、わかる? 私にとってのくらまくんが、なんなのか」
「そうね。分かる……かもしれないわ」
「わかるの?」
お母さんが、ゆっくりと頷いた。
私は、期待してお母さんを見た。けれどお母さんは、今度は首を横に振った。
「分かるけど、でも、これを教えても、意味のないことだと思うの。ただ、感情に名前をつけるだけ。その感情は、ベル子の中にはもうちゃんとあるから」
「でも……私は、赤井さんに伝えないといけないの。そのために、私は、知りたくて……」
「ベル子が本当に伝えないといけない相手は、赤井さんじゃないわ。くらまくんよ」
くらまくん。
その名前を聞いただけで、どうしてだろう、胸が熱くなる。
遠ざければ遠ざけるほど、私のなかのくらまくんが、大きくなる。
「難しく考える必要は、ないわ。ベル子の心のなかにあるその想いを、そのままくらまくんに伝えればいいの。それで、大丈夫だから」
「……ほんとうに?」
「ええ、本当よ。大丈夫。ベル子と、それにくらまくんなら、きっと」
そう言ってお母さんは、私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。
暖かくて、ちょっと気恥ずかしくて……でもそれだけで、私はすごく安心できた。大丈夫なんだって、そう思えた。
「さ、ご飯が冷めちゃうわ。行きましょう」
「……うん」
私とお母さんは、部屋を出た。
リビングへ行って、ご飯を食べて、お風呂に入って、部屋に戻って、お布団に入って……
その間もずっと、私の頭のなかにはくらまくんがいた。
明日、くらまくんと話す。
何を話すのかは、よくわからない。なんで話すのかも、よくわからない。
でも、話したらきっとうまくいく。そう思った。
それに……明日、くらまくんと話せる。そう、思うだけで。
なんだかとっても、明日が楽しみだった。
文化祭 12日前
「倉間マダオ!」
お昼休みが始まってすぐ。
まだ先生が教卓から降りてもいないタイミングで、その声は聞こえた。
「ちょっと、顔を貸しなさい」
後ろから聞こえる、それは間違いなく、赤井さんの声だった。
それに間違いなく、怒ってた。
後ろがすごく気になって、でも、怖くて振り向けなかった。くらまくんと話す準備はできてたけど、赤井さんと話す準備は、まだできてなかったから。
本当は、お昼休みになったらすぐに、くらまくんと話をしようって思ってた。
本当の本当は、朝、すぐに話したかった。でも、くらまくんが来るのはいつもぎりぎりだから。
朝の時間や、10分の休憩時間だと、私の思ってることが伝えられない気がしたから、お昼休みまで我慢した。
なのに……
「ちょ、待てって。行く、行くから……離して、くれ……」
後ろから、くらまくんと赤井さんの声が聞こえる。
「話なら人のいないところでふたりっきりでするわ。ほら、ちゃきちゃき歩くの」
2人の声が、離れていく。
最後にドアが閉まる音が聞こえて、それきり声は聞こえなくなった。
私は、立ち上がった。
(追いかけないと……)
赤井さんが何を考えてるのかはよくわからないし、追いかけて私がどうするのかもよくわからない。
けど、でも、そう思った。
廊下の向こうに、ふたりの背中が見えた。でも、すぐに曲がって見えなくなった。
私は、追いかけた。
一度見失って、でもそんなに時間をかけずに、見つけられた。だって、お昼休みにふたりっきりになれる場所なんて、そんなにはないから。
それに、赤井さんの大きな声は、遠くまで聞こえてたから。
「――確かに、プロなんてのはまだ先のことかもしれないわね。でも、たったひとりよ。たったひとりの、しかも気心の知れた相手の前で自分の演奏ができないっての? ――甘えてんじゃないわよ」
階段の上から聞こえる赤井さんの声が、胸に響く。
ここまで追いかけてきて、それでもまだ、私は怖くてたまらなくて、そこから先へ足を踏み出せずにいた。
「私たちは、表現者なの。曲に思いをのせて人へ届けるの。聴く人がいて初めて、私たちの奏でる音は意味を持つのよ。聴いてくれる誰かの前で奏でる音こそが、私たちの本当の音なのよ」
赤井さんの、音楽にかける思いが、痛いほどに伝わってくる。
本当なら、私も赤井さんと同じ思いを持ってるはずなのに……。でも、違って、だから痛くて、苦しい。
「私が本当に困るのは、ここでなあなあにしてしまって、何年経ってもカペ谷ベル子が人前で弾けなくて、そのままいつまでも足を引っ張られ続けることなのよ。
文化祭で失敗するぐらいは構わない。私たちにはまだ先がある。
でも、だからこそ今、ただの友達から逃げてるようじゃあ、この先ずっとやっていけないのよ!」
「――――」
――ただの、友達。
私も、そう思ってた。この間までは。
くらまくんも、そう言った。私のこと、友達だって。
でも、今、赤井さんがそう言うのを聞いた瞬間に、喉の奥でぐるぐるしていた何かが、一気にこみあげてきた。
――ただの、友達。
気がついたら、私は足を前に踏み出していた。
違う。
くらまくんは、くらまくんは――
「ただの友達じゃ、ないわ」
吹き抜けに、声が響いて。
くらまくんが、ゆっくりと振り返った。
くらまくんと、目が合う。何日ぶりだろう。真正面から、くらまくんを見た。
それだけで、胸のなかに、たくさんの想いがあふれて、こみあげて……
くらまくん。くらまくん。くらまくん……
――その感情は、ベル子の中にはもうちゃんとあるから。
――ベル子の心のなかにあるその想いを、そのままくらまくんに伝えればいいの。それで、大丈夫だから。
「――――、」
喉が、つっかえる。
くらまくんを見る。くらまくんが見てる。くらまくんに伝えたいこと。私にとっての、くらまくんは……
「――っ、くらまくん、は、大切な人、で……」
声が、ちゃんと出てるか、わからない。
届いてる? 聞こえてる?
足が震えて、でも、それでも、くらまくんに、伝えないと。伝えたい。
「ずっと一緒に、いたいぐらい、大切で。ずっと、2人で、秘密基地で……
くらまくんに、ベースを褒めてもらえるのが、嬉しくて。で、でもっ、一緒にいるだけでも、嬉しくて……
くらまくんに、嫌われるのが、怖くて。くらまくんの好きなベースが、弾けなくなったら、くらまくんがいなくなっちゃうかもって、怖くて……
くらまくんに、喜んでもらえるようなベースを、弾きたくて。でも、そうするほど、自分が、だめになってく気がして……」
怖くて、たまらなかった。
こんな風に弱音を吐いて、くらまくんが、がっかりしてるんじゃないかって。嫌われるんじゃないかって。
両手が無意識にベースを探して、でも、肩には何もかかっていなかった。私のベースは、教室だ。
行き場をなくした手を、私は身体の前でぎゅっと握りしめた。
「いっそ、ベースのことなんて、忘れて……」
それを口にしたとき、私のなかで、何かが壊れた気がした。
でも、それでもいいと、思った。
「ただ、くらまくんと、ずっと一緒にいたい。くらまくんと一緒に、おしゃべりしたり、お昼ご飯を食べたり、一緒に帰ったり、星を観たり……」
私は、顔を上げた。
「くらまくんと、一緒にいたい」
そして、くらまくんの目を見て、言った。
「私は……」
「くらまくんが、好き」




