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カペ谷ベル子のベース  作者: 泉野 戒
4曲目 この気持ちに、名前はまだない
10/18

4-2

文化祭 17日前




「ごめんなさい……」


その日、秘密基地へ来て、ベル子は言った。


「くらまくんは、もう、ここには来ないでほしいの」


自分の耳が、信じられなかった。


辺りは静かで、聞こえる音といえば鳥の鳴き声と木のざわめきだけ。だから、聞き間違えるなんてことはないはずだ。


それでも、自分の耳が信じられなかった。


「…………、」


俺は口を開きかけて――しかしその寸前に、ベル子の手が視界に入った。いつもと変わらない無表情を貫き通すベル子の、その手。


その手は、震えていた。


その手を見て、俺は頭の熱が引いていくのを感じた。


「……理由を、聞いてもいいか?」


できる限り穏やかな声で、聞いた。


俺のその言葉に、ベル子は2回、ゆっくりと瞬きをして。


そして、言った。


「私が、ベースをうまくなるため」


「…………」


「…………」


「……俺がいちゃ、ダメなのか?」


ベル子が目を伏せた。


その仕草だけで、ベル子のいたたまれない気持ちが伝わってくる気がした。


違う。俺は別にベル子を責めたいわけじゃない。ただ、聞いておきたいだけなんだ。


もう、誤解したまま離れ離れなんて、嫌なんだ。


ベル子は言った。ぽつぽつと、途切れ途切れに。


「あなたが、いると、


私は、私のベースを弾けなくなる。


あなたが、聴いてると思うと、


私は怖くて、何も……


何も、弾けない」


「弾けないって……」


たまらず、俺は口を挟んでいた。


「何がだよ。何が怖いんだ。俺はベル子を怖がらせることなんて何も……」


「嫌われるのが」


「――――」


「あなたに嫌われるのが、怖い」


思ってたほどすごくなかったって、そんな風に思われるのが、怖い。


今日のベースはいまひとつだって、そんな風に言われるのが、怖い。


「そんなこと……!」


「ないと、思う?」


「…………」


わからない。


俺自身、ベル子のベースのどこに惹かれているのかがわからない。ベル子が波長と言った、それが何なのか、本当にそれのせいなのかさえよくわかってない。


そんな俺に、断言はできない。


また、だ。


また俺は何も言えない。


音楽のことを何も知らない、何もわかってないせいで……


経験と、知識。


その2つの壁が、俺とベル子の間に立ち塞がっていた。




「あなたに嫌われないようにって思うと」


「私は、あなたに聴かせたことのある曲しか弾けなくなる」


「あなたの前でしたことのある弾き方しか、できなくなる」


「でも、それじゃダメ、なの」


「私は、もっと上手くなりたい


「いろんな弾き方をして、失敗もして、それで、上手くなりたい」


「あなたの、前だと」


「私は、失敗できない」


「だから、私は」


「あなたと一緒に、いられない」




……ああ。


ベル子だ。


本当に、ベル子らしい。


ベースのため。そのためなら何でもする。何よりもベースを大切にしていて、上達のためなら何もかもを切り捨てる。


俺は、ベル子に好かれていると思っていた。特別に思われているって、そう思っていた。


だけど、だとしても。


そんなことは、俺を遠ざけない理由にはならない。


俺は、ベースには勝てなかった。そして勝ちたいとも思わなかった。ベル子はこれでいい。こんなベル子だから、俺は好きになったんだ。


ベースを弾いてるベル子が好きだ。


硬くなった指先が好きだ。


全力で打ち込むその熱意に憧れた。


だから、俺は……


「わかった」


俺が言うべき言葉は、これしかなかった。


「俺はもう、ここには来ない」




*  *




家に帰ると、ちょうど姉が2階から降りてきたところだった。


「あれ? 今日は早いね。秘密基地には行かなかったの?」


「ああ、ちょっとな」


「ふーん、また喧嘩したの?」


誰と、とは言わなかった。言う必要もなかった。


「いや、そういうんじゃない。今日はベル子のほうに用事があるみたいでさ」


「ふーん」


姉が、俺の顔をじっと見つめてくる。


俺はそれに気づかないフリをして、姉とすれ違いつつ2階へ上がる。


「マダオ、ちょっと寂しい?」


すれ違いざま、姉がからかうような口調で聞いてきた。


「そう見えるか?」


「うん、見える。なんなら、お姉ちゃんが優しく慰めてあげよっか?」


「…………」


「な、なーんちゃって……」


顔赤くするぐらいなら、言わなきゃいいのに。


にしても、寂しそう、か。どうやら上手く隠せてるらしいな。


「いや、いいよ。間に合ってる」


「そ、そう? まあ、もともと冗談だったんだけど……」


「それより、はやいとこ晩飯を頼むよ。スグ姉の手料理が食べたい気分なんだ」


「~~っ! わ、わかった! お姉ちゃん張り切って作るからね! お部屋で待っててね!」


残像が見えそうな勢いで、姉は階段を駆け下りていった。


それを見送るともなしに見送ると、俺は今度こそ2階へ――自分の部屋へと向かった。




部屋に入ると、灯りもつけず、俺はベッドの上へと身を投げ出した。


しばらく目を閉じて、目を開ける。首を横に向けて月明かりに照らされたカレンダーを見やると、今日はベル子と仲直りして4日目だった。


まさか、こんなにも早く、また秘密基地へ行けなくなる日が来るとは思わなかった。


前は、何だかんだ言ってもただの喧嘩だった。すれ違いがもとでお互いに機嫌を損ねただけで、だからきちんと話し合いさえすればそれで解決した。


だけど、今回は違う。


俺とベル子は、しっかり話し合った上で決めた。俺の存在がベル子の……ベル子のベースの邪魔になるからと、俺は自分の意志で身を引いたんだ。


この判断は、間違ってない。俺はベル子のベースを応援する。そのためなら何だって我慢する。


例えそれで、ベル子と会えなくなったって……


「…………」


布団に、拳を叩きつけた。


心は晴れそうになかった。




文化祭 16日前




明けて木曜日。平日の今日、当然俺は学校へ行った。そしてこれも当然のことだが、ベル子も学校へ来ていた。


ベル子の席は俺の斜め前。自然と視界へ入ってくる。昨日のことを思うと、ベル子のことを気にしないのは無理な話だった。


ベル子は、秘密基地へ来ないでほしいとしか言ってない。さらにその理由は、ベースの練習をするためだ。つまり学校の教室で話しかけてはいけないということにはならない。


だったら話しかけるのかと言えば、そういうことにはならなかった。話しかける理由がないからだ。


だって、そうだろう? 真っ昼間の学校の教室で、特に理由もなく女子に話しかけるなんて、そんなことできるわけがない。俺がベル子と付き合ってるっていうんならまた違ってくるだろうが、残念ながらそうじゃない。


………………残念ながら?


自分の思考に疑問が走る。残念なのか、俺は。俺はいったいベル子とどうなりたいんだ。


ベル子のことは、好きだと思う。だけどその好きはどういう好きなのか。恋愛感情なのか。仮にそうだとして気の迷いじゃないと言えるのか。珍しく女の子と仲良くなれたから舞い上がってるだけって可能性もないとは言い切れない。


ベル子は、どうなんだろう。


たぶん、好かれてると思う。だけどそれは、俺がベル子のベースを好きだからっていうのが大きいだろう。それに何より、ベル子が誰かと付き合うってのが想像できない。俺とだってそうだ。ベースが恋人を地で行くのがベル子なんだから。


そう考えてみると、やっぱりベル子と付き合うとかはあり得ないし、なくていい。秘密基地でのんびり好き勝手に過ごしつつ、時たま喋るくらいがちょうどいい。


まあ、その秘密基地行きを禁止されたわけだが。


「…………」


机に突っ伏して頭を抱える。


結局、授業中ずっとベル子のことを考えていた。


俺はベル子とどうなりたいんだろう、と。




*  *




俺はもともと、ベル子のベースを聴くために秘密基地へ行ってたはずだ。


だから今、俺がもやもやしたものを抱えてるとしたら、それはベースを聴けないことが原因のはずだ。


はず、なんだが……


「……これじゃ、ない」


夜、自分の部屋で俺は、うめき声に似たものをこぼしつつイヤホンを外した。


停止ボタンを押すのも煩わしくて、そのまま布団の上へ身を投げた。


今日は、普段は聴かないバンド曲に挑戦してみた。でもやっぱり違う。いい曲だとは思うんだが、ベル子のを聴いてたときみたいな高揚感がない。


これが波長ってやつなんだろうか。もっと試してみたら、中には好きになれるのもあるんだろうか。


「今頃ベル子は、一人で練習してんのかな……」


そのはずだ。そうじゃないと俺の立場がない。


一人で練習というと、ついつい初めてベル子のベースを聴いたときのことを思い出す。理科室でのことだ。


あの、真摯な眼差し。圧倒的な気迫。ベースが全てと言わんばかりのひたむきさ。


ベル子のベースはあれから何度か聴いたけど、あのときほど圧倒されたことはなかった。あれは初めてだったからそう感じたんだって、ずっとそう思ってたけど……


ベル子は言った。俺がいると自分のベースを弾けないと。それでも俺は感動したし、好きだった。だから気にしてなんかいなかった。


だけど、ベル子は違ったんだ。本当のベル子はあんなものじゃないってことをベル子自身は知っていて、だからベル子は、俺の前で弾くベースに満足していなかった。


そうやって考えていくと、自分は本当に邪魔しかしてなかったんだということに気づかされる。


空気が読めなさすぎて情けない。ベル子のファン第1号だとか、ベル子のことは俺だけが認めてるだとか。よく今までベル子は我慢してくれてたもんだ。


過去の自分は、もうどうしようもない。だけど未来は違う。


これから先、俺は何があってもベル子の邪魔はしない。ベル子のファンを名乗るなら、それが当然の義務だと思う。何より、俺がそうしたいと思っている。


俺は、決意を新たにして……


だけど、ベル子のことが頭から離れないのだけは、どうしようもなかった。




文化祭 15日前




俺がどうしてもベル子のことが気になるように、ベル子も少しは俺のことを気にしてくれてないか、なんて。そんなくだらない期待を俺はしていた。


授業中、俺のほうを振り向いてくれたり、休み時間、ベル子のほうから話しかけてくれたり……そんなことを妄想してる、情けない自分がいた。


実際には、ベル子は一度だって俺のほうを振り向いたりはしなかった。それどころか、目が合うこともなかった。


喧嘩したわけじゃないんだから、こんな心配は杞憂なんだが……ここまで目が合わないとなると、もしかしたら避けられてるんじゃないかって、そんな風にも思えてくる。ベース云々は口実で、本当は俺を遠ざけるためにあんなことを言ったんじゃないかって……


わかってる。そんなことはない。ベル子はそんなやつじゃない。そんな器用さがない。良くも悪くも直接的な物言いしかできないやつなんだ、ベル子は。


こんな風に疑心暗鬼になる原因は、きっと自分に自信がないからだ。


俺はベル子の何でもない。ベル子を繋ぎ止められるものを何一つ持っていない。そのことに気づいてしまったから、余計にベル子の真意が気になる。


違う。真意も何もない。ベル子が言った通りだ。ベースのため。それ以上もそれ以下もない。その言葉を疑ってどうするんだ。信じるんだ、ベル子の言葉を。


ベル子の、言葉を……




――くらまくんは、もう、ここには来ないでほしいの。




――私は、あなたと一緒にいられない。




「…………」


……そうだ、ベル子は、


いつまで、とは、言わなかった。


いつまで、俺を遠ざけていたいのか。いつまで、ベースの練習に集中したいのか。


俺は勝手に、それは少しの間のことだと思い込んでたけど……


もしも、卒業までずっとこのままだとしたら?


このまま、ベル子とろくに話すこともできず疎遠になってしまうのだとしたら?


そうだとしても、俺はベル子のためにって我慢できるのか?


身の毛がよだつ。これは、恐怖だ。ベル子の邪魔をしない。その決意がどれだけ重いものなのか。それを今更に思い知って、俺は恐怖を感じた。


嫌だ。このままずっとなんてのは。いくらベル子のためでも、そこまで自分を殺し切れない。


それならいっそ、ベル子に嫌われてでも、俺は……




「ベル子……」


昼休み、俺は席を立った。


ベル子の背中に声をかける。しかし振り向かない。前と同じだ。ヘッドホンをしてるベル子に、声は届かない。


ベル子を振り向かせる方法。それは肩を叩くこと。ただ、それだけだ。


俺は、手を伸ばして……


「…………、……」




数分後、俺は自分の席で項垂れていた。


結局、声はかけられなかった。いや、かけずに済んだというべきか。


本当に、俺はいったい何をしようとしてたんだろう。


いつまでなのかと、ベル子に聞く。聞いて、もしずっとだって答えが返ってきたら、俺はどうしていた?


話が違うって、ごねるのか。怒って、また喧嘩して……いや、もっと酷いのは、ベル子を思い直させてしまった場合だ。


俺の言葉で、せっかくやる気になってるベル子が考えを改めてしまったら、どうする?


そのとき俺は後悔しないのか? また前みたく、笑ってベル子と話せるのか?


そんなわけ、ない。


結局、ここでベル子と話をしたところで、俺のすることは変わらない。俺が何もしないことは変わらない。俺の気持ちがほんの少し楽になるか、苦しくなるか。それだけだ。


そんな俺の気持ちのためだけに、ベル子に余計な気苦労をかけたくない。


顔を上げる。斜め前の席に座る、ベル子に変わった様子は見られない。いつものようにヘッドホンをつけて、音楽を聴いている。俺の葛藤なんて、想像すらしていないんだろう。


それで、良かった。


ベル子がヘッドホンをつけていてくれて良かったと、今、心の底から思った。

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