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カペ谷ベル子のベース  作者: 泉野 戒
1曲目 ぶっちゃけギターとベースって見分けがつかない
1/18

1-1

「私のプリンーーっっ⁉」


1階からそんな姉の叫びが聞こえてきた時、俺のまったりとした休日は終わりを告げた。


ドタドタと階段を駆け上がる音。危険を察知した俺は手早くイヤホンを外し、手の中の小説を閉じた。


「マダオ! 私のプリン食べたでしょ!」


ドアを開けるとともにがなり立ててくる姉。それに慌てることもなく、俺はしれっと言い返す。


「食べてないけど?」


「嘘っ! この開け方をするのはウチではマダオしかいないんだよ!」


そう言って姉が見せつけてきたのは、プリンの空容器だった。ゴミ箱に捨てたの、拾ってきたのか。汚い。


「チッ、わかったよ。ほら、代わりにチョコやるから」


「ダメー! プリン! 私は今プリンの気分なのーっ!」


「じゃあまた今度買ってきてやるって。それでいいだろ?」


「ダメ! 今! 今食べたいの! 今がタイムイズベストなのー!」


「……めんどくせーヤツ」


「なにをー⁉」


これはどうやら、相手にしてたら終わらないパターンらしい。見切りをつけた俺は、掴みかかってくる姉を適当にいなしながらもう一度小説を手にとった。


「こ、コラー! 自分の世界に入るなー! プリン! プリンを買ってきなさい!」


「…………」


「まーだーおー‼」


「…………」


断固、無視。


もちろんこの状況、悪いのは俺だろう。それは認める。だけど今ようやくヒロインと再会したところなんだ。このタイミングで買い物とか、有り得ない。


「くぅ……わかったよ。そこまでするなら、お姉ちゃんにだって考えがあるんだからねっ!」


小物っぽい捨て台詞を吐きながら、姉は部屋から出ていった。


やれやれこれで小説に集中できると安堵しつつ、イヤホンを付け直す。しかし付け終わる前に、姉が帰ってきた。


その手には、どこか見覚えのある紙切れ。


それを小学生のように掲げ、姉は朗読を始める。


「『拝啓、スグミ姉ちゃん。僕は姉ちゃんが大好きです。将来は姉ちゃんと結婚して……』」


「どうか私にプリンを買いに行かせてくださいお姉さま」




*  *




「いらっしゃいまぁせ〜」


「はぁ……」


だるい。憂鬱だ。


なんでプリン1個のために、わざわざコンビニなんかにこなきゃいけないんだ。いや、俺が悪いんだけど。でもまさか、姉がまだアレを持ってたとは……


またひとつ弱みを握られたことに辟易しつつ、商品棚を確認する。姉はプリンにはうるさくて、決まった銘柄のしか食べない。その名も『にるげそプリン』。名前からしてなんだかまずそうだ(食べたけど)


「えーっと、にるげそ、にるげそ……あ、あった」


ちょうど残り1個だ。残ってて良かったと胸を撫で下ろしながら、俺は手を伸ばして……


「あ」


ちょうど同じタイミングで右側から伸びてきた手が、俺の手と重なった。


岩のように固い指先。どこのガテン系のおっさんだと内心バクバクしながら相手の顔を窺うと……


「あ、あれ? お前……」


「…………」


そこに居たのは、ガテン系でも、ましてやおっさんでもない、小柄な女の子だった。


しかも知らない相手じゃない。クラスメイトだ。喋ったことはほとんどないけど。名前はえーっと……カぺなんとかベル子だった気がする。ベル子でいっか。


「よ、ようベル子。休みの日に会うなんて奇遇だなあ。この辺に住んでるのか?」


こくん、と頷くベル子。


「そ、そうか。知らなかったなあ。実は俺ん家も近くなんだよ。はっはっはっは……」


じーっと、俺の顔を見るベル子。


「こ、このコンビニよく来るのか? 俺は普段は来ないんだけどさ……」


「手」


俺の顔を見つめたまま。


ベル子は必要最小限に口を開いて、言った。


「どけてくれない?」


「…………!」


戦慄が走る。


コイツ、直球で来やがった。有耶無耶の内に掠め取ってやろうと思ってたのに!


ちくしょう! だがここで引き下がったら駅前のスーパーまでプリンを買いに行くことになる。それだけは御免だ。


「……いいかベル子。今プリンに置かれた、俺たちの手を見ろ」


何を考えているのかわからない顔で、ベル子は商品棚に目をやった。


商品棚の上には、プリン、俺の手、ベル子の手と、見てくれの悪いタワーが完成していた。


ベル子が顔を戻す。


「なに?」


「なにじゃない。一目でわかる。俺の手が下だ。百人一首なら間違いなく俺の勝ちだ」


「そうね」


こくん、と頷くベル子。


「だからな、ベル子。このプリンは……」


「それじゃあ……」


俺の台詞は、遮られた。


「手、どけてくれる?」


「…………」


話が通じない。姉に似た何かを、俺はベル子から感じた。


試しに、プリンを軽く引っ張ってみた。が、上からベル子の手が、俺の手と一緒に逆の方向へ引っ張る。結果、プリンは微動だにしなかった。


引っ張る。やめる。引っ張る。引っ張ると見せかけて押してすぐに引っ張る。捻りを加えつつ引っ張る。UFOと叫びながら引っ張る。


何をしても、プリンは動かなかった。


「…………」


「…………」


「わかった! ならジャンケンで勝負だ! いいか行くぞ? 最初はグー、じゃーんけん……」


駅前のスーパーは、やはり遠かった。




*  *




ベル子は、一言で言うなら変人だ。


常にどでかいヘッドホンを携帯していて、休み時間の度に音楽を聴いている。昼休み、飯を食いながらでも音楽を聴いている。


いつも一人、ヘッドホンをつけて机の上をじっと見ながら、身体を揺らしたり、空中で手を動かしたり。しかもそれをやたらと真剣な顔でやるもんだから、はっきり言って近寄りがたい。


更に救いようがないことに、ベル子は愛想がない。話しかけても、「うん」とか「そうね」とか生返事ばかり。そもそもヘッドホンを外さないところからして聞く気がないのが丸分かりだ。あまりの素っ気なさに、熱心なクラス委員長として定評のある清水ですら、一週間で話しかけるのを諦めたほどだ。


今やクラスでベル子に話しかける奴はいない。それは俺も例外じゃなくて、いくら休日にプリンを取り合ったとしても、そのことに変わりはなかった。


授業中、斜め前に座るベル子を見て、あの時はよくも俺のプリンをとか、苗字はカペ谷だったのかとか、そんなことを思うだけで。


それ以外、俺の日常は何一つ変わらなかった。




*  *




俺は、逃げていた。


誰からって? そんなの決まってる。ヤツからだ。


「ハァッ、ッ、ハッ、ハッ、くっう……」


息が切れる。横腹が痛い。


だが足を止める訳にはいかない。


奴に捕まったが最後、俺の幸福と呼べるものはすべて失われる。それは紛れもない地獄だ。


「ハァ、ハァ、ハ……、こ、ここまで来れば……」


「ここまで来れば、何なのかね?」


「な……!」


奴は唐突に姿を現した。まるで俺がここで足を止めることを知っていたかのように。資料室のドアを開け、悠々と。


「なぜここにいる⁉」


驚愕を隠しきれない俺に、そいつはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。


「ここ数日で、君の逃走パターンは読めた。今日君がここを通る可能性は86%だ。何も驚くような数字ではないと思わんかね?」


「く、くそっ!」


俺は踵を返し、再び駆け出す。


「ハッハッハ、どこへ行こうと言うのかね?」


奴はあくまでも優雅に、革靴の音を響かせながら追ってくる。


そうやって油断してろ。その油断が命取りだ。その隙を突いて、俺は絶対にこの校舎から抜け出す。奴に捕まる訳には……


奴に捕まって、補習を受ける訳にはいかないんだ!


「諦めたまえ。いい子だから。さあ!」


「く……! 相変わらずキャラ作りすぎだろ中二病先生!」


角を曲がる。


階段を上がると見せかけて、俺は素早く物陰に隠れた。


しばらくして、カツ、カツ、と足音が真横を通り過ぎていくのが聞こえた。


「…………ふう」


どうやら、当座は凌げたようだ。俺は今度こそ息をついた。


だが問題はここからだ。中二病先生のあんな言葉を聞いた後だと、どこに行っても待ち構えられてそうな気がしてならない。


さて、どうしたものか……


と。


「……ん?」


悩む俺の耳に、幽かな音が飛び込んできた。


この音は、ギターか? でも音楽室は別の棟にあるはず……。それにギターとは、なんとなく音の感じが違うような……?


音の正体はよくわからないけど、なんとなく耳に馴染む。もっと聴きたい。そんな気持ちにさせられる音だった。自然と足は、音のするほうへと向かっていく。


「ここか……?」


辿り着いたのは理科室だった。でもなんで、こんなところから。


音は更に激しさを増していく。滅茶苦茶に掻き鳴らしてるようにしか聴こえないのに、なんでだろう。音に合わせて、俺の全身の血が沸き上がっていくような感じがした。


我慢なんて、できなかった。


少しでもその音に近づきたくて、俺はゆっくりと、音を立てないように、理科室の扉を開いた。




瞬間。


「――――‼」


音の奔流が、俺を襲った。


全身に鳥肌が立つ。まったく別の世界に入り込んだかのような錯覚。すべてを呑み込むような迫力。


そして、その音の中心。


そこにいたのは、ベル子だった。


だがそれは、俺の知るベル子ではなかった。


小さいギターのようなものを、一心不乱に掻き鳴らす。手が踊り、髪が乱れる。汗が弾け飛ぶ。楽しそうに。それが生き甲斐だと言わんばかりに、ベル子は音を奏でていた。


その、音。


扉が消え、ダイレクトに伝わってくるその音は、胸に迫り突き刺さるような迫力でもって、俺を圧倒した。


押しつぶされそうな感覚。


呼吸さえも忘れてしまいそうなほど、俺はその音に聴き入った。


もう、何も見えない。


今ここに在るのは、俺とベル子と、そしてベル子の奏でる音。


それが全てだった。




やがて、演奏が終わった。


特に感慨に耽るでもなく、ただ腕をだらんと下げるベル子。一つ大きな息を吐くと、そのまま次の演奏に入ろうとする。


そこで俺は、思わず拍手していた。


それ以外に、この感動を表現する方法を知らなかった。お世辞じゃない心からの拍手なんて、初めてしたかもしれない。


「…………?」


ベル子が、こっちを見た。


俺と目が合う。


「…………あ」


しまった。


今の俺は、完全に不審者だ。閉めてた扉を勝手に開けて侵入して。何を言われても言い訳のしようがないほどに、不審者だった。


ベル子が、俺をじっと見つめてくる。その顔は怒っているでも、ましてや怖がっているでもなく、いつも教室で見かけるのと同じ、ベル子の表情だった。


その、何を考えているのかわからない顔が、たまらなく怖い。


「あ、あう……」


落ち着け。落ち着け俺。ここでうろたえたら怪しさ5割増しだ。怪しまれず、無難にこの状況を乗り切る為には……!


「す、すごかった!」


俺はもう一度、拍手した。


「すごい演奏だった! まさかギター一本の演奏でここまで感動させられるとは思わなかった! 本当にすごかったよ! それに驚いた! まさかベル子がこんなにギターが上手かったなんて!」


まるでここにいるのが当たり前みたいに、率直な感想を述べてみた。


どうだ。これで誤魔化せたか……?


「…………」


ベル子は、相変わらずの無表情だった。


無表情なままで、弦をいじったり、天井を眺めたり、ふらふら歩いたり、理科室のガイコツと握手したり。本当に何を考えてるのかわからない。俺の言葉を聞いてたのかすらわからない。


ガイコツの指の数を数え始めたベル子に俺が若干のイラつきを感じ始めた頃、ベル子は急に、その動きを止めた。


そして顔を上げ、俺に向き直った。


「どうして、わたしの名前を知ってるの?」


「え?」


斜め上の質問に、俺は動揺せざるを得なかった。どうしても何も……。


「そりゃあ同じクラスだし、顔と名前ぐらいは。それにこの前の日曜日も、コンビニで会っただろ?」


「…………」


沈黙。


「えーっと……ベル子さん?」


「……ああ」


ベル子が、左の掌の上に右手の拳を置いた。納得したときにそのジェスチャーする人、現実で初めて見た……。


「わたしからまったりにるげそプリンを強奪しようとした」


「ちょっと待てなんでお前が被害者みたいになってるんだ」


強奪された俺のほうが明らかに被害者だろう。


「でも……クラスメイト?」


ベル子が再度、俺の顔をじっと見つめる。その距離の近さに、俺はさっきとは違う意味でドギマギした。


「佐藤くん?」


「お前それ絶対テキトー言ってるだろ」


いくら日本最多の苗字でも当たる可能性は2%未満だからな?


「じゃあ、田中くん?」


「倉間マダオだよ!」


「くらま……そんな人、クラスにいなかった」


「いるよ! 知らなくてもせめて認めろよぉ!」


どうしよう。なんか泣きたくなってきたぞ。俺、そんなに影うすいのかなあ……。


「くらまくんは、どうしてここにいるの?」


ここへ来てようやくその質問か……。なんかこうなると、罪悪感とかなくなってくるな。


「いや、中二病先生から逃げ回ってたら、偶然ギターの音が聴こえてさ。あまりにすごい演奏だったから、ついつい聴き入っちゃって、気がついたらここまで。ごめんな、邪魔しちゃって」


謝ると、またベル子は無言でギターの弦を弄り始めた。


どうやら、許してはくれないらしい。まあ、仕方ないか。


「本当に悪かった。お詫びにまた今度、にるげそプリンでも奢るよ。じゃ、俺はこれで……」


「まって」


立ち去ろうとした俺を、ベル子が呼び止めてきた。


「まって」


なぜ、とは聞けなかった。


ベル子の持つギターが、音を奏で始めたからだ。


奏でているのは、もちろんベル子本人だった。


さっきとは違うメロディー。さっきとは違うリズム。そして何より違うのは、ベル子が俺のほうを向いていることだった。


ベル子の奏でる音が、優しく、俺の身体を包み込む。そう感じるのは、さっきと曲調が変わったから……だけじゃないはずだ。


その音は、ベル子本人の口よりも雄弁に、その思いを物語っていた。


そう、ベル子の思いを。


俺はそれを、何も言わず、何も考えずに、ただ身を委ねるようにして、しばらくの間聴き入っていた。

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