神居古潭の魔物を殲滅しよう! 3
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カムイ岩の麓に到達した晴輝はまず、鞄の中をのぞき込んだ。
鞄の中では、死んだ魚の目をしたチェプが泡を吹いていた。
エラが動いてない。
死んだか?
一応、晴輝はチェプの頬をペチペチ叩く。
すると魂が体に戻ったかのように、「はっ!」とチェプが呼吸を再開した。
「あ、あなたはわたくしを殺すつもりですの!?」
晴輝の新たな移動方法は、チェプにとって少々過激だったようだ。
丸く大きな目が血走っている。
もちろん晴輝には、いまのところチェプを殺すつもりはない。
単に、脳裡に浮かんだ移動法を試してみたかっただけだ。
晴輝の移動法は、ステレオタイプな忍者のそれだ。
壁蹴りの要領で幹を蹴り、次の幹に飛び移る。
ダンジョンでレベルアップし、スキルを上昇させた晴輝にとって、幹から幹に飛び移ることはそう難しい行為ではなかった。
移動方法よりも、進行方向の制御の方が難しかった。
跳躍した角度によって、次に進めるルートが限られてしまうのだ。
(このあたりは要改善だな)
「……うぅ、酷い目に遭いましたわ」
ブツブツと文句を口にするチェプを無視して、晴輝は上を見上げる。
カムイ岩は頂上まで切り立った崖で、歩いて登れるルートはない。
なのでフリークライミングで進むしかない。
手をかけて、岩を確かめる。
大丈夫そうだと確信したら、次の足場へ。
岩の形状を分析し、手で確かめ、データを積み重ねる。
十メートル登る頃には、足場に出来る場所が見極められるようになった。
そこから、晴輝は迷わずスイスイ進んで行く。
「はわわわ……」
下を見てしまったのか。
チェプが小刻みに鞄の中で震えている。
だが晴輝は一切気にしない。
気にする余裕が無かった。
ロッククライミングは晴輝にとって初めての経験である。
現在上手く登れているのは、晴輝が己の身体能力でごり押ししているから。
気を抜けば、途端にミスして真っ逆さまだ。
チェプのノイズに惑わされず集中力を維持したまま、晴輝はカムイ岩を登り切った。
「…………うわぁあ」
カムイ岩の頂上に立った晴輝は、目の前の光景に感嘆の息を漏らした。
山と川、空の青が渾然一体となった大自然。
神居古潭の光景に、晴輝は胸を震わせる。
「凄い。綺麗だ」
「いまさらわたくしを褒めてもなにも出ませんわよ?」
「お前じゃない!」
チェプの声に、晴輝はがくっと肩を落とした。
折角の感動が台無しである。
カムイ岩の頂上に到達したので、晴輝はチェプを鞄から下ろした。
先ほどまでは障るな穢れる犯されると散々晴輝を罵ってきたチェプだったが、カムイ岩に到達したためか、表情に僅かな緊張感が浮かんでいた。
さて。
晴輝は気を引き締める。
ここからなにがあるか……。
胸の高鳴りとは裏腹に、体がしんと静まりかえる。
晴輝の探知範囲に、チェプ以外の魔物の気配はない。
いきなり魔物に襲われるということは、おそらくないだろう。
だが、気を抜くわけにはいかない。
現在神居古潭の周辺には、スタンピードで討伐仕切れなかった魔物が徘徊している。
おまけに、この状況だ。
ここで何が起こるのか?
チェプはなにをするつもりなのか?
緊張する晴輝は、既に予想出来ていた。
神話収集癖がある晴輝が、カムイ岩の頂上でチェプがなにをしようとしているのか、気づかぬはずがない。
故に晴輝は、最も大切な『存在感アップ大作戦』のまっただ中にも拘わらず、わざわざこの場所まで足を運んだのだ。
神居古潭は、悪神ニッネカムイと英雄サマイクルの戦場だ。
そしてカムイ岩は、サマイクルの攻撃の痕跡――サマイクルがニッネカムイを攻撃して、切り立った崖が生まれたと言われている。
その場所に、“神に捧げる一番鮭”が足を運んだということは……。
「――ッ!?」
チェプがカムイ岩の中央に足を運んだとき、晴輝の全身を強烈な悪寒が走った。
なんだ?
晴輝は探知を広げ、短剣に手をかける。
目視でも探知でも、いまのところ異変はない。
ただただ、どうしようもないほどの悪寒を感じているだけ。
しかしその悪寒が問題だ。
この強い悪寒は、あの車庫のダンジョンに現れた鹿の稀少種と同等だった。
呼吸一つで集中し、
乱れた意識を集約する。
カムイ岩の中央で、祈るように膝を付いたチェプが空を見上げる。
――その時、
空から、闇が飛来した。
それはカムイ岩の中央――チェプの真上から落下した。
落下し、ズンッと地響きを上げ、暴風をまき散らす。
「――ッ!」
眼前で腕を交差させ、晴輝は奥歯を噛みしめる。
空から飛来したのは黒。
真っ黒いナニカ。
その瞳が、晴輝にぎょろっとした目を向けた。
明確な殺意。
強烈な悪意。
ゾクッと晴輝の背筋が粟だった。
巻き上がった土煙が風に押し流される。
すると、現れた黒いナニカの全貌が明らかになった。
黒い鱗で被われた皮膚に、鋭い鉤爪。
人の腿以上はある太い首。
目は丸く、黒目は猫のように細長い。
黒いナニカは、手足が生えた魚の亜人――魚人の魔物だった。
「――っく!」
晴輝が身構えるより早く、魚人が晴輝に鉤爪を繰り出した。
慌てて晴輝が短剣を引き抜く。
鉤爪の接触は、短剣を持ち上げるのと同時だった。
不完全な防御を行ったため、晴輝の姿勢が一気に崩れた。
さらに魚人が鉤爪で追撃。
晴輝は四肢を必死に動かし、全力で退避。
鉤爪がチッと晴輝の上衣をかすめた。
コンマ一秒でも退避が遅れていれば、今頃鉤爪は晴輝の首筋に深々と食い込んでいただろう。
致命的な一撃を回避して、晴輝は即座に体勢を立て直す。
車庫のダンジョン15階で、ワーウルフ相手にも力負けしなくなった晴輝が、不利な体勢だったとはいえあっさり力で押し負けた。
その現状に、晴輝は強い警戒感を抱く。
これは一人では、倒せない魔物かもしれない。
これまで晴輝は、すべての戦闘を一人でくぐり抜けてきたわけではない。
背中にはレアがいて、さらに後ろには火蓮がいた。
鹿の稀少種と戦ったときは、エスタも大活躍だった。
互角以下の相手ならば、ソロでも十分戦える。
だが、これまでの晴輝の戦闘経験からすると、現在現れた敵は自分よりも遥か格上のように感じられる。
冒険がしたい。
自分の実力を、試したい。
けれど冒険しても、死んでしまうのでは……。
凄惨な未来が晴輝の脳裡をかすめる。
全力で逃げて、カゲミツに助けを求めるか?
じり、と晴輝が足をずらした。
その時、黒い魚人のその後ろ。
カムイ岩に生じた割れ目から飛び出した、白く細い足が晴輝の視界に飛び込んだ。
途端に、晴輝は自らの腹をくくった。
ここには冒険家が守る相手はいない。
晴輝がここから逃げ出しても、誰かが死ぬわけではない。
素早く移動してカゲミツに報告すれば、近隣の街に被害が出る前に黒い魚人を包囲して討伐することもできる。
そちらの方が、旭川の地にとってもっとも安全であり、晴輝にとっても最も生存率の高い方法だ。
だが、晴輝はその道を選ばなかった。
自ら選択肢を、高い崖の上から蹴落とした。
晴輝は冒険家だ。
そして目の前に魔物がいる。
であればべきことは一つ。
魔物を倒す。
それだけだ。
晴輝は己の気力を集約し、中央に集中させる。
相手の動作をしっかり瞳に収め、分析を開始。
「――ッシッ!」
鉤爪の攻撃を受け流し、回り込む。
魚人が回転しながら腕を振るう。
その動き、筋繊維の1本1本を頭に焼き付ける。
得られたデータから想定し、想像し、仮定する。
攻撃を実行。
弾かれ修正、再試行。
晴輝の想定の確度がみるみる上昇する。
それと同時に、連続攻撃の速度が増していく。
普通に戦えることが、いまの晴輝にはなによりの幸福だった。
普通に動けることの幸せを、晴輝はじっくり噛みしめ悦んだ。
「は……ははっ!」
どこまでも行ける。
どこまでも走れる。
だからもっと、もっと……!
胸を熱くする感興が、全身で甘く痺れる興奮が、
晴輝の動きを益々加速させていく。
晴輝が速度を上げると、徐々に魚人の反応が遅れだした。
晴輝の速度が、魚人のそれを上回ったのだ。
このまま、押せる!
そう、確信した矢先に、魚人が退避。
そのまま追撃を繰り出そうとした晴輝のうなじが、ビリっと痺れた。
前に出た足で急ブレーキ。
即座に横に離脱。
その晴輝の眼前を、
「GYAAA!!」
魚人の口から飛び出した、透明の塊が通り過ぎた。
その攻撃に、晴輝は見覚えがあった。
――魔法だ。
黒い魚人が魔法を使うとは、晴輝は予想だにしていなかった。
もしうなじが発した警告に従わず飛び出していれば、確実に魔法の直撃を食らっていた。
晴輝のこめかみを脂汗が流れ落ちる。
魚人が放ったのは、火蓮が放っていた白い圧縮魔法と似たタイプのものだ。
圧縮率は、火蓮の全力と同じ程度。
もし当たっていれば……。
「――ッ」
威力を想像した晴輝が、僅かに怯えた。
その怯みに気づいたか、魚人がニッと口を斜めにした。
それは決して覆ることのない、遥か高みから見下ろす者の笑み。
実に腹立たしい。
しかし、だからこそ腕が鳴る。
晴輝も仮面の奥で、嗤った。
相手はただただ、蹂躙するためだけに力を振るう魔物だ。
ならば、“強者”に対する敬意は不要。
生き残るため、勝ち残るため、狡く汚く戦おうではないか。
晴輝は仮面に手をかけ、外した。
途端に魚人の目が滑った。
晴輝は空気に紛れ込み、全力で跳躍。
息を潜めて接近。
魚人の背後に回り込み、光の筋を一閃する。
弱点看破。
晴輝の一撃が、光に触れる。
その前に、
――ィィイイイン!!
魚人の鉤爪が際どいところで晴輝の短剣を防いだ。
しかし、晴輝の全力攻撃を、生半可な体勢で受け止めた代償は大きい。
魚人の体勢が大きく崩れた。
その隙に、もう片方の短剣で一閃。
「……ッチィ!」
しかしその攻撃も回避された。
魚人は崩れた体勢をうまく利用し、地面を転がるようにして致命的な一撃を避けた。
なりふり構わぬ回避である。
通常の魔物ならば避けることさえ出来ない一撃。
それを二つも避けられた晴輝は、しかし落胆することなく、嗤った。
いいね。
素晴らしい!!
おそらく相手は、晴輝の殺気を感じ取り、己の直感のみで正確に回避したのだ。
そのセンスの高さに、戦闘中だというにも拘わらず晴輝は素直に感心した。
いまの反応をモノに出来れば、今後不意打ちを食らっても回避出来る可能性が高まるに違いない。
おまけに相手は、仮面を外した晴輝にもしっかり気づけているではないかッ!!
「素晴らしい……」
晴輝は、笑った。
笑いながら、隠密による弱点看破攻撃を繰り出し続けた。
晴輝の攻撃を受ける黒い魚人は、いささか困惑していた。
一体何故このような状況になったのか? と。
この世に降り立ったときは、魚人は全能感に満ちあふれていた。
自分はここから見渡す世界を、すべて支配出来るだろうと……。
目の前に居た仮面の男だって、軽くひねり潰せる。
そう、思っていた。
実際、魔法を放った直後までは、魚人は圧倒的に優勢だった。
身体能力は相手が高いが、こちらには魔法という切り札があるのだ。
決して相手に負けるはずがない。
そう思っていた魚人はいま、完全に気圧されていた。
気圧された原因は、彼の雰囲気だ。
謎の仮面を外した時から、彼を取り巻く空気が180度変化した。
薄い気配から感じる、圧倒的な『無』。
全ての暴力を、暴虐を、飲み込み消し去る壮絶な空虚。
何もないからこそ、全てを受け入れ支配する――神々の気配。
あまりに、格が違う。
その凶悪な雰囲気に、魚人は怖れ戦いた。
何故、何故、何故……。
相手の攻撃をギリギリで凌ぎながら、魚人は困惑に囚われていた。
何故人間がこれほどの気配を身に纏えるのか。
何故自分は始めから相手の実力に気づけなかったのか。
何故自分はこのような化け物と戦う羽目になってしまったのか!!
怖れと怯えが渦巻いて、死への恐怖が加速する。
通常ならば心が折れるほどのプレッシャの中、しかし魚人は目を血走らせて立ち向かった。
魚人はプレッシャに打ち勝ったわけではない。
プレッシャに呑まれたため、生物の最も強い衝動――生存本能が発露したにすぎない。
感じられない気配。
見えない角度から迫る攻撃。
この死神は、確実に自分の命を刈り取りに来ている。
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!!
追い詰められたネズミのように、魚人は目に見えぬ死神に立ち向かう。
ただ生き延びるためだけに……。
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編「みんな、黒スト好きですね……苦笑」
萩「黒ストには夢とロマンが詰まっておりますゆえ!」
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これもすべて、ご予約していただいた読者様のおかげでございます! 本当にありがとうございます!!!




