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「アンタ、冒険家を引退する気はある?」
「…………は?」
朱音がなにを口にしたか、晴輝は一瞬で理解出来なかった。
冒険家を、引退?
……俺が?
朱音の提案の意味を理解すると、じわじわ晴輝の頭に血が上っていく。
「巫山戯るな。それはいつもの冗談なのか? 俺が冒険家を引退するわけないだろ!」
「冗談じゃないわよ」
「じゃあなんでいきなりそんな話が出てくるんだ?」
「アンタのその症状を聞いたからよ」
朱音の瞳が、みるみる鋭くなっていく。
どうやら彼女は冗談や酔狂で、晴輝に引退を勧めているわけではないようだ。
しかし、いくら真剣な提案だからとはいえ、一考する余地もない。
晴輝はこの春、冒険家になったばかりなのだ。
念願の冒険家になって、まだ三ヶ月と少ししか経っていない。
レベルは着々とあがり、スキルもかなり育ってきている。
晴輝は情報のない車庫のダンジョンを手探りで探索しながら、中層にも進出した。
冒険家として、脂がのってきたところである。
道はまっすぐ続いている。
どこまでも続く道が、晴輝の目にはっきりと見えている。
そこで辞めるなど、考えられるはずがなかった。
「絶対に、辞める気はない」
「人間じゃなくなるとしても?」
「……は?」
朱音の低い声に、晴輝はまるで冷水を浴びせられた気分になった。
頭に上った血が熱を失い下降していく。
「どういうことだ?」
「ごく一部しか知らない情報だけど、レベルアップの弊害よ。急速にレベルアップを繰り返すと、普通の生物が魔物になる」
「……」
朱音の言葉に、晴輝も火蓮もは顔を引きつらせた。
ただでさえ人間離れした身体能力が得られる冒険家は、一般人に忌避され易い状況である。
冒険家嫌いな一般人の中には、冒険家が犯罪者予備軍だと思っているものもいるほどだ。
第一次スタンピードから5年。
冒険家が完全に受け入れられる世の中には、残念ながらまだなっていない。
レベルアップで魔物になるかもしれない。
その噂が少しでも外部に漏れれば、冒険家が危うい立場に立たされることが、晴輝には容易に想像出来た。
だからこそ、この情報はごく一部しか知らないのだ。
晴輝らの表情になにを思ったか。朱音がため息を吐き出しながら、椅子に深く座り直した。
「ダンジョンに現れる魔物を倒すと、普通の動物を倒すのとは違って、体が強くなっていく実感が得られるでしょう? それくらい、ダンジョンの魔物には体を増強する力がある。これが何なのかはまだ判ってないけれど、生命エネルギィみたいなものだと考えられてるわね。
魔物を倒すと、事実として体が強化される。じゃあ魔物を沢山倒していっぱい体が強化されたらどうなるか。動物実験だと、体そのものが変化してしまったって結果がある。普通の動物が、魔物になったのよ。つまり――」
朱音が一度言葉を句切り、眉間に皺を寄せた。
「アンタの体の変化は、その動物と同じ現象である可能性が非常に高いわ。魔物を倒して得たエネルギィが肉体に取り込まれないまま蓄積されていくせいで、肉体そのものが変化してしまう。体が痛むのは、そのせいよ」
「…………俺は、魔物になるのか?」
カラカラになった喉から、晴輝は言葉をひねり出した。
酷くうわずって、みすぼらしい声だった。
「その可能性があるわ。だからアタシはいま、アンタに引退を勧めてる。魔物化を回避する一番の方法は、これ以上、魔物のエネルギィを体に取り込まないことだから」
「……他に、俺と同じような症状が出た冒険家は?」
「いるにはいるけど、少数よ。多分だけど症状が出るのはエネルギィの蓄積速度が、肉体への吸収速度を上回った時だけだから」
アンタみたいに、急速にレベルアップする人が罹りやすいのよと、朱音が肩をすくめた。
「どうして、空星さんだけ……」
「空気だけじゃないかもしれないわよ?」
「じゃあ、私もなるかもしれないってことですか」
「空気がなったんだから、可能性はあるわね」
「……そう、ですか」
火蓮と朱音が言葉を交わす。
その横で、晴輝は二人の会話を呆然として聞いていた。
晴輝と火蓮はチームを組んでダンジョンを攻略している。
ほとんど似たようなレベリングをしているが、いまのところ症状が出ているのは晴輝だけだ。
くそっ!
晴輝は舌打ちをして、額に手を当てた。
急速なレベルアップの原因は、間違いない。成長加速だ。
まさか、成長加速にこんな落とし穴があるとは予想だにしていなかった。
「特効薬はないのか?」
「ないわよ。改善薬もね」
「そんな……」
この症状は治らない。
そう言われた気がして、晴輝は目の前が真っ暗になった。
「冒険家用のお薬に万能薬がありますよね? そういうもので、なんとかならないんですか!?」
「ならないわよ。これは病気じゃないから」
「……」
火蓮が胸の前で祈るように手を絡めた。
彼女も晴輝と同じように、まるでこの世の終わりを見たような表情を浮かべている。
「それで、どうするの? アタシは、冒険家を辞めた方が良いと思うけど」
「…………出来れば、冒険家は、続けたい」
だが、このまま続ければいずれ魔物になってしまうかもしれない。
いくら強い存在感が欲しくても、他人に迷惑をかけたくはない。
そもそも、現時点で晴輝はマトモに戦闘が出来なくなってしまっているのだ。
今後、細々と冒険家を続けていくとしても、激痛のせいで戦えないかもしれない。
それを思うと晴輝は、『何があろうと続ける』と言い切ることが出来なかった。
じっと晴輝を見つめていた朱音が、不意に肩から力を抜いた。
「……はぁ。アンタの気持ちはわかった。あんまり勧められないけど、その症状をどうにかする方法はあるわ」
「えっ!?」
「ただ確実に改善出来るわけじゃないから、期待しすぎないでね」
そう言うと、朱音はカウンターの下から地図を取り出した。
ペラペラとページをめくり、旭川のページを広げて指を差す。
「ここに、カムイの湯って温泉がある。そこのお湯はダンジョンから湧き出してるのよ」
「その温泉を飲めば良いのか?」
「……は? え、ちょ――」
「何リットルだ? 何リットル飲めば良い!?」
「ちょっと、お、落ち着きなさいよ!!」
やる気に満ち溢れた晴輝を、朱音が必死の形相で諫める。
「温泉に浸かるだけでいいのよ! ダンジョンから湧き出る温泉に浸かって治ったっていう例があるわ。多少は温泉のお湯を飲むと効果が増すかもしれないけど、がぶがぶ飲む必要はないからね!?」
慌ててまくし立てた朱音の言葉に、晴輝は虚を突かれたように首を傾げた。
「……本当にそれだけで改善されるのか?」
魔物になりかけている。そんなあまりに異常な症状が、温泉に浸かるだけで改善されるなど、にわかには信じがたい話である。
「カムイの湯の話じゃないけど、いくつかの地域でダンジョンから湧き出るお湯に浸かって、改善されたって話は聞いたことがあるわ。
体に吸収されなかったエネルギィがお湯に溶け出すのか、それとも循環を良くして吸収を促すのかは判ってないけど。
これはうちの会社が集めた情報だけど、眉唾の可能性も高いから期待はしすぎないように。なにかあったとき、その責を負うのはアンタなんだからね」
「……ああ、わかった」
たしかに、その通りだ。
晴輝は神妙な面持ちで頷いた。
「ところで、何日くらい温泉に浸かり続ければいいんだ?」
「なんで浸かり続ける前提なのよ!? 出なさいよ? ふやける前に温泉から出なさいよ!?」
カウンターの向こうで朱音がいきり立つ。
何故そこまで大げさな反応をしているのか。
晴輝は首を傾げる。
「空星さんなら、本当にずっと温泉に浸かっていそうですもんね……」
朱音の意を汲んだのだろう。火蓮が苦笑しながら項垂れた。
「何を言ってるんだ二人とも。ずっと浸かれば、早く改善されるじゃないか」
「「……」」
ほらあ。
やっぱり。
そんな声なき声が、朱音と火蓮の冷たい視線に乗って晴輝の耳に届いた。
「火蓮。こいつの手綱はアンタがしっかり握ってなさいよ……」
「はい。任されました……」
面倒を見るとは、失礼な。
今年度で28才の晴輝は、もう誰かに面倒を見られる年齢ではない。
子供のように扱わないでほしいものだ。
晴輝は仏頂面で腕を組んだ。
「温泉に浸かるのは1日1時間程度で十分よ。効果が現れるのは3日から1週間程度だと思うけど。レベルアップで魔物化しそうになった冒険家の母数が少ないから、改善までどれくらい時間がかかるかは判らないんだからね」
「ならずっと浸かり続ければ確実に早く――アダッ!?」
パシーンと晴輝の後頭部で音が鳴る。
いいから人の話を聞きなさい。
威圧の籠もったレアの声に、晴輝はプルプル震えながら素直に頷いた。
「ま、ここ最近ずっとダンジョンに籠もりっぱなしだったでしょ? 折角だから息抜きだと思って、温泉に浸かってゆっくりしてきなさいよ」
「確かにそうだが……」
朱音の言葉は尤もだ。
第二次スタンピードから中層進出。『ちかほ』のモンパレや鹿の稀少種討伐と、晴輝はほとんど間断なく激戦をくぐり抜けてきている。
もっと早く、先を見たい。
誰も経験したことのない景色を、一番初めに、特等席で味わいたい。
抑えきれないほどの衝動はいまも、晴輝の胸の中に渦巻いている。
だがいま焦っても、晴輝は満足に戦えない。命を落とすだけだ。
であればここで少し羽を休め、英気を養うのも良いだろう。
「――いや、そうだな。しばらく俺は、カムイの湯に湯治に行ってくる。火蓮は」
「私も行きますよ」
火蓮が晴輝の言葉を遮った。
火蓮は晴輝のように、戦闘中に体に痛みを感じていない。
共にレベリングしてきたが、彼女は晴輝とは違い成長加速を持っていない。
温泉に浸かる必要があるように、晴輝には思えなかった。
しかし、火蓮は首を振る。
「だって空星さんが一人で行くと、溶けるまでお湯に浸かってそうですから。空星さんの無茶は、私が止めます!」
「む……」
火蓮が決意を固めるように、ふんすと拳を握りしめた。
どうやらまったく信用されていないようだ。
しかし、だ。
「俺は男湯に入るが、どうやって止めるんだ?」
「…………ふふ」
火蓮が満面の笑みを浮かべ、コテンと首を傾げた。
まるで、知らない知識に困惑する乙女のような仕草である。
しかし晴輝は火蓮のそれを見て、背筋に悪寒が走った。
彼女の背後からはまるで、どの拷問が良いか選ぶ拷問吏のような毒々しいオーラが立ち上っている。
「かか、火蓮は車庫のダンジョンで自主練してていいぞっ!」
「いいえ。空星さんは私の恩人ですから。空星さんが困ってるのに何もしないなんて選択肢は、私にはありません!」
「しかしだなあ……」
「新しい武具を購入するとき、いつもこっそり私の負担が軽くなるようにしていらっしゃいますよね? いつも空星さんが負担してくれているのですから、今回の湯治にかかる代金は、私が支払いますね!」
決してノーと言わせないプレッシャを受け、晴輝の口の中が干上がっていく。
ここまで恐ろしい火蓮の表情を見たのは、狩りで倒れた時以来か。
必要以上に丁寧な口調が、恐怖をことさら煽ってくる。
「いや、でも――」
「私が支払いますね?」
「ア、ハイ」
喉元に鋭利な刃物を突きつけるような火蓮のプレッシャに、晴輝の抵抗力がバッキリ折れた。
「んじゃ、旭川に行くついでにひと仕事してみない?」
朱音の表情からは既に、先ほどのような深刻な色は綺麗さっぱり消え失せていた。
「どんな仕事だ?」
「この前のスタンピードの後始末の依頼なんだけど」
「後始末……」
「そう。旭川のダンジョンから溢れた上層の魔物が、周辺の森林に潜んでることがわかったの。それを包囲して討伐するのが依頼」
「なるほど」
ダンジョンから魔物が溢れ出す現象を、スタンピードと呼ぶ。
これを壊滅させるには、一軍を指揮するボスを倒すか、全ての魔物を駆逐するしかない。
スタンピードを押さえ込む理想型は、ダンジョンから出てきた魔物を順次倒して封殺すること。
しかし現実はそう上手くはいかない。
ダンジョンから続々と飛び出してくる魔物を、1匹も逃さずに殲滅するなど至難の業である。
防衛戦には魔物討伐に関しては素人の自衛団も参戦するので、なおさらだ。
実際、完璧な形でスタンピードを押さえ込めたダンジョンは、全国でも数えるほどしかない。
車庫のダンジョンは、理想的な形でスタンピードを終結させたダンジョンの一つであるが、上手く行ったのは運が良かったからだ。
もし中層に近い魔物ばかりが現れていたら、スタンピードを押さえ込めなかった。
さておき、旭川のダンジョンは溢れた魔物を殲滅し切れなかったダンジョンの一つである。
依頼が出たということは、旭川方面の自衛団は魔物の殲滅に難航しているようだ。
旭川ダンジョンは神居古潭に入り口がある。
晴輝はまだ1度も足を運んだことはないが、神居古潭がどんな場所にあるかは知っている。
秘境である。
おまけに森川山崖と難所が多数。そんな立地であるため、自衛団だけでは苦しいのだろう。
「ところで朱音。さっき、俺が戦えないって話をしたばかりだと思ったんだが?」
言外に頭大丈夫か? と晴輝は尋ねる。
意味がまっすぐ伝わったのだろう、心外だと言わんばかりに朱音が「ブー」と唇を突き出した。
「依頼のスタート日時は2週間後よ。ダンジョンから溢れた魔物は、中級冒険家にとっては雑魚ばかり。リハビリには丁度良いでしょ?」
どう? アタシっていろいろ考えてるんだから! うへへ。
朱音が大きな胸をバインと張った。
その様子に、何故か火蓮の目が据わった。
温泉に浸かったあと、体の調子を確かめるのには良い相手か。
だが、
「ここまで考えてあげるなんて、アタシってほんと優しすぎ! まさに天使だと思わない? ね?ね!?」
げへへ。
そんな小汚い、ギラギラとした褒めろオーラを出されると、絶対に褒めたくなくなってしまう。
感謝の言葉ではなく、熱い態度を返して差し上げたい。
晴輝はプルプルと震える拳を押さえながら口を開く。
「……はあ。まずは詳細を教えてくれ」
『冒険家になろう!~スキルボードでダンジョン攻略~』の発売日が決定いたしました。
発売日は7月30日。既に一部ネットショップでは予約が開始されております。
書籍化の詳細につきましては、活動報告にアップしておりますのでそちらをご覧下さい。
これからも『冒険家になろう!』をご贔屓に、宜しくお願いいたしますm(_ _)m




