彼女らを、15階まで引っ張ろう!
依頼を終えて、晴輝はK町に帰還した。
1週間と2日ぶりのK町は、夏の日差しと暑さと雨とで草木が乱暴に生長していた。
以前より緑も深い。
自宅の敷地に車を止めて、晴輝は荷物を家に運び込む。
その後、プレハブの様子を覗いた晴輝は、
「…………死んでるな」
プレハブの中には2人の死体。
――死体のように表情のない火蓮と朱音の姿があった。
以前にも同じ光景を見たような……。
晴輝はこめかみを指で強くおしつつ、プレハブの扉を開いた。
「戻ったぞ」
「「…………」」
晴輝の声に、火蓮と朱音が瞳だけを動かした。
だめだ。
暑さで脳が溶けている。
さすがに熱中症になったらマズイので、晴輝は急いで窓を全開にする。
「それで今度はなにがあったんだ?」
「……アハーッハハァーン!」
尋ねると、過去の記憶がぶり返したのだろう。朱音がガクガク震えながら声を上げて泣き出した。
「まさか、まだルッツに手こずっているのか?」
「いえ……。あ、空星さんお久しぶりです。お帰りなさい」
「うん、ただいま。で、どうしたんだ?」
「それが……」
息を吹き返した火蓮がぽつぽつと理由を語り出した。
彼女たちはルッツの恐怖を乗り越え、11階に到達した。
これまでのワーウルフとの戦闘で、火蓮はかなりレベルがあがっていたらしい。
チャチャが相手ではまったく訓練にならなかった。
そのため狩り場を15階に定めた。
その道中。
彼女らは14階のヌメヌメウナギで躓いた。
いや、より正確には朱音のみが躓いた。
「アハーッハハァーン!」
朱音の泣き声が、現実を拒絶する。
『物理が通じないんだもん、どうしようもないじゃない!』
そんな声が聞こえてくる。
確かに晴輝が持つ切れ味の良い短剣でも、ヌメヌメに阻まれて威力が大きく減衰した。
打撃系武器の朱音では、まず太刀打ち出来ない。相性が最悪である。
「それで14階で立ち往生か」
「はい。……すみません」
火蓮が謝罪したのは、きっと自分を情けないと感じたからだ。
火蓮の雷撃はヌメヌメウナギとの相性が良い。
それで通過出来なかったのは、自分の力がないからだと。
しかし、後衛一人で進むとなるとかなり苦しい戦いが強いられる。
というのも、弓にしても魔法にしても、攻撃までの溜めが前衛に比べて長いからだ。
1発あたりの攻撃力は高いが回転率が低い。
複数の魔物が現れれば、あっさり接近を赦し撤退を余儀なくされる。
前衛がしっかり魔物を固定しなければ、よほどのアドバンテージがない限り後衛だけでダンジョンを進むのは難しい。
火蓮はチャチャを相手に一人で善戦出来る力を得た。
ならば決して、火蓮の力が不足しているわけではない。
「悪いのは朱音だな」
「あああ、アタシは悪くないわよ! 動きを封じるヌメヌメがいけないんだから!!」
「……お、おう」
朱音の語気に晴輝は思わずたじろいだ。
ヌメヌメは、放出したウナギでさえ身動きが取れなくなるほど粘性が高い。
それに物理の朱音が封殺されても仕方が無い。
しかし朱音の瞳は、負け犬のそれとは裏腹な光を宿していた。
(やはりわざと躓いてるのか)
これも朱音にとって、火蓮を育成する手段なのだ。
晴輝には火蓮の、なにを育成させたいのかがさっぱり見えてこないが……。
コンマ1秒。
(俺は手伝ってもいいのか?)
晴輝の視線に、朱音はほんの僅かに顎を引いた。
「仕方ない。14階の突破は俺も手伝おう」
「ですけど……」
晴輝の提案に火蓮が下唇を噛んだ。
迷惑をかけることを心苦しく思っているのだろう。
だが、晴輝は横に首を振る。
「気にするな。別に14階を突破するのは火蓮のためだけじゃない」
中札内ダンジョンで中層に降りたが、エスタに加護が付かなかった。
なので晴輝はエスタの加護を発現させるために、元々車庫のダンジョンで1階から中層に向かうつもりでいた。
エスタが強くなればなるほど、家の守りが万全になる。
加護を付けないという選択肢はない。
家を守るのに、エスタをそこまでガチガチにする意味はない。
だが最強は男の浪漫である。
たとえ窃盗がないド田舎の一軒家であろうと、家に戦車が欲しくなるものなのだ。
「朱音は15階に行けた方がいいんだろ?」
「もちろんよ。アタシは火蓮を育てなきゃいけないんだから!」
「育てる奴が足手まといになってるんじゃないか?」
「ぐしゅ……」
晴輝が突っ込むと朱音が目をうるうるさせた。
たとえ高い志があろうとも、みすぼらしさは変わらない。
しかしこれ以上突っ込むのは死体蹴り。
可哀想なので、そっとしておこう。
*
エスタを連れて、晴輝は3日がかりで9階を突破した。
今回はエスタのレベリングも兼ねている。
レアにはなるべく手を出さないように指示をした。
そのせいか、中札内に比べて狩り速度がガクンと低下した。
理由は手数の少なさ。
それと、エスタの特性だ。
エスタは非常に硬い甲殻に守られている。
晴輝の腹から飛び出して魔物に体当たりしても、一切ダメージを負わないほど、エスタは硬い。
また硬い甲殻が恐ろしい速度でぶつかるので、攻撃力も高い。
しかし、相手の命ではなく武具を破壊する魔物だからか、エスタは攻撃のセンスがからっきしだった。
それがスキルボードの『攻撃系スキルなし』に表れている。
攻撃力は十分なのに、魔物を絶命させるまでに時間がかかる。
飛び出して、晴輝の腹に戻り、また飛び出してを繰り返す。
時々攻撃が外れると、地面でバウンドして目を回す。
エスタにはあまり攻撃をさせない方が良いんじゃ?
晴輝はレアに、そう視線で訴える。
だがレアは『もう少し様子を見てあげましょうよ』という柔らかい葉つきでエスタを眺める。
攻撃技術は一朝一夕には身につかない。
それでも攻撃を続ければ、いつかは技術が身につく。
晴輝はレアの言うとおり、もう少し様子を見守ることにした。
「さて、なんの加護が付いてるのかな」
10階に降り立った晴輝はすぐにスキルボードを取り出した。
守か護か、はたまた火か。
晴輝はエスタについた加護を予想しながら、ボードをスワイプする。
エスタ(0) 性別:男
スキルポイント:2→4
評価:硬殻虫
加護:虫(??)
-特殊
武具破壊3
加護1 NEW
「……まんまだな」
なんの捻りもないストレートな文字に、晴輝は肩を落とした。
ゲジゲジに付く加護が虫とは、神様は狙っているのか?
あるいは虫の神だからこそ、ゲジゲジを加護するのか?
「エスタ。加護にポイントを振るぞ?」
晴輝は念のために確認した。
はぁい! とエスタはビシッと片足を持ち上げた。
エスタ(0) 性別:男
スキルポイント:4→2
評価:硬殻虫
加護:虫(??)→辟邪神(神虫)
-特殊
武具破壊3
加護1→MAX
「む? これまたドマイナーな神が出たな」
神虫は善神を描いた国宝の絵巻『辟邪絵』に描かれている神の1柱である。
ただ、マイナーすぎて文献すらほとんどない。
それは信仰の対象ではなく、想像の産物だからか。
ただ神虫は疫病などを遠ざけると云われている。
益虫であるところのエスタにぴったりである。
「あれ?」
スキルボードを仕舞おうとした晴輝の目が、新たなスキルの出現を捉えた。
-生命力
スタミナ0
自然回復1
防疫0 NEW
「以前竹中老人が持ってたスキルに似てるけど違うな」
『ちかほ』で活動していた竹中老人が持っていたのは免疫だ。
防疫と免疫は少し趣が違うが……さて。
防疫0(状態異常を寄せ付けない)MAX5
防疫の効果から、神虫の加護のおかげで発現したスキルで間違いない。
ただ現状、状態異常を使う魔物は少ない。
全国を見渡しても一握りである。
さらに数少ない状態異常攻撃を使う魔物も、毒がほとんどだ。
毒を使う魔物との戦闘は、解毒薬を所持するだけで事足りると言われている。
晴輝は、これが現時点で有用なスキルには思えなかった。
なにかあったときに振っても遅くはないだろう。
振るかどうか迷ったが、結局晴輝はそのままにしておくことにした。
エスタのレベリングをおこないながら、晴輝は10階から3日かけて14階に到達した。
その間、エスタはルッツに食べられ、チャチャの拳に打ち返された。
いずれも硬い甲殻のおかげでエスタは傷一つ負っていない。
まるで朱音とうり二つだ。
ただ、体は無事だが心はずいぶんと傷付いてしまったようだ。
試しに戦ってみたヌメヌメウナギの粘液にまんまと囚われ、しょぼんとしながら粘液から抜け出すエスタが、晴輝の目に幾分もの悲しげに映った。
その翌日。
ダンジョン改札前には気合いの入った火蓮と、どこか怯えた様子の朱音が集った。
「だ、大丈夫なんでしょうね?」
ヌメヌメを受けて動きが封じられたのがよほどトラウマになっているのだろう。
朱音がびくつきながら晴輝に尋ねた。
「大丈夫だと思うぞ」
1度はクリアした階層だ。
大きな問題がなければクリア出来る。
その晴輝の予想通り、14階は致命的な問題がなくクリアすることができた。
ただし、
「アハーハハァーン!」
小さな問題は頻発した。
朱音は度々ヌメヌメに囚われ、エスタもヌメヌメの餌食になった。
やはり二人は似たもの同士だ。
朱音は泣き叫びながら藻掻き、エスタはヌメヌメに囚われてしょんぼりしている。
二人の違いは、ヌメヌメから抜けられるかどうかか。
朱音がどれほど藻掻こうとも脱出出来ずにいる。
対してエスタは、するりとヌメヌメから脱出する。
ダメな二人を白い目で眺めつつも、晴輝は次々とウナギを葬り去った。
前回晴輝はもっとヌメヌメに苦戦した。
だが、時雨と戦いにより技術の練度が上昇したことで、以前よりもスムーズにウナギを捌くことができた。
さらに火蓮の援護も良かった。
雷撃がことごとくウナギを気絶させていく。
優位に立てる力があるのに、何故火蓮は朱音とのペアで14階を突破出来なかったんだろう?
晴輝は首を捻るが、さっぱりだ。
やはり前衛が魔物を引きつけ続ける状態は大切なんだな。
そう思いつつ、晴輝は泣きながらヌメヌメに囚われた朱音を生暖かい目で見下ろすのだった。
「ちょっと、見てないで早く助けなさいよお! ギャァァア!! ウナギが、いっぱいのウナギがこっち見てるぅ!! 空気さん、助けて空気さぁん! イヤァァァァ!!」