異変に対処しよう!
翌日も、その翌日も同じように、晴輝は火蓮と共に狸狩りに興じた。
3階の狸が絶滅しそうだ。
そんな不安を抱いてしまうほどに、晴輝は狸を猛烈に狩る。
レベルアップはそこそこ。
あまり切れない魔剣を使っているので、経験があまり入らないのだ。
だが目的は火蓮のレベリングなのでそれで良い。
ただ、魔剣を購入した頃より若干切れ味が良くなってきているような気がした。
はじめは強く刃を当てても皮一枚しか切れなかったのだが、いまでは当てただけで皮がべろりと切れてしまう。
もしかすると片手剣のレベルが上がったのだろうか?
そう思い確認するも、スキルレベルは1のまま。
「魔剣が成長してるのか?」
その可能性はある。
ただ朱音はなかなか成長しないと言っていたが……。
成長加速が魔剣にも作用している?
……だったらいいな。
3階のボスが湧いていたのでついでに倒して、その日の狩りを終えた。
「狸汁を作ろうと思うんだが、食べていくか?」
「はい、是非!」
そろそろ最初に狩った狸の肉がダメになってしまいそうだったので、晴輝は肉を一気に加工してしまうことにした。
そのひとつが、狸汁だ。
素材は狸の肉とタマネギ、ジャガイモ。
丁度豚汁の狸バージョンだ。
にんじんもこんにゃくも生姜もないが仕方がない。
沸騰した鍋に次々と素材をぶち込み、貴重な味噌をふんだんに投入する。
ダンジョンで大豆と糀の魔物とか出てこないだろうか?
そうすれば味噌を仕込めるんだけどなあ……。
ああ、あと昆布とか鰹も欲しいな。
野菜を収穫出来るため勘違いしそうになるが、ダンジョンはあくまでダンジョンだ。
スーパーでも農園でもない。
晴輝の望み通りの魔物など出てくるはずもない。
出来上がった狸汁を、まず晴輝と火蓮が頂く。
「んー。スバラシイ!」
「……」
晴輝は汁をすすり、具を食らう。
若干出汁が足りないが、それでも具のうま味が溶け出して良い塩梅になっている。
本来狸はじびえ料理の中でもかなりきわどい食べ物らしい。
だがダンジョンの狸はほとんど臭いが気にならない。
雑食だと肉の臭いがきつくなるので、おそらくは食べているものの違いだろう。
ダンジョンの狸がなにを食べているかは知らないが……。
肉もジャガイモもほろほろと解ける。
噛みついた途端に、強烈なうま味が口の中に広がっていく。
あとからタマネギの甘みがじんわりと広がる。
胃が脳が、おかわりを強烈に要求している。
それは火蓮も同じなのだろう。
目に涙を浮かべながら狸汁をすすっている。
……もしかして、ホテルで良いものを食べていないんだろうか?
そう心配してしまうほどに、彼女は必死だった。
器が空になってしょんぼりする。
まるで空っぽの皿を眺めながら、寂しげな顔をして鼻を鳴らすレトリバーのようだ。
そんな彼女に苦笑しつつ、晴輝はおかわりを差し出した。
昔、晴輝が子供だった頃のことだ。
レストランでご飯を食べると、父親に「もっと食うか?」とどんどんご飯を勧められた覚えがある。
あの頃は何故、そんなにもご飯を食べさせたいのか不思議だった。
だがこうして火蓮の姿を見ていると、その理由が判る気がした。
人が食べ物をおいしそうに食べている様子というのは、見ているだけでも幸せになれるものなんだ。
それが自らの子であれば、なおさらだろう。
結局晴輝は10杯ほどおかわりをした。
火蓮は7杯は食べたか。
おなかは苦しいが、もっと食べられそうだと思えるほどおいしかった。
狸汁は寸胴で作ったのでまだ半分は余っている。
残りは木寅さんに持って行くとしよう。
火蓮は1人でも、もう3階で狩りが出来るだろうレベルにまで達している。
なので明日はいよいよ、5階にチャレンジする。
おそらく、より強い魔物が出てくるだろう。
だがいまの2人なら立ち向かえるはずだ。
*
それは、突然のことだった。
予測していなかった。
想定していなかった。
想像していなかった。
身構えてさえいなかった。
晴輝らが5階を目指すと決めたその日。
日本全土のダンジョンで、スタンピードが一斉に発生した。
晴輝が気づいたのは、朝の5時だった。
僅かな微振動に、鋭さを増した感覚器官が反応した。
ぱっと目を覚ますと、辺りには嫌な気配が漂っていた。
体中が汗で濡れて気持ちが悪い。
自宅の寝室だというのに、魔物に囲まれている気分だ。
何が起こったのかは判らない。
だが悪い予感がする。
晴輝は即座に武具を装備して家から飛び出した。
ダンジョンの入り口には変化がない。
……いや、まだ変化がないのか。
微振動はいまもまだ続いている。
ダンジョンの前に来ると、穴の中から音が聞こえた。
微振動に同調するような音だった。
モンパレに遭遇したときの音に、非常に似ていた。
「……まずいな」
少し目を離せば、今にも魔物が飛び出してきそうだと錯覚する。
だが、一人でなにが出来る?
ダンジョンにはバリケードが組まれている。
魔物が飛び出してきたところで、すぐに甚大な被害が発生することはないだろう。
晴輝は自宅に戻り、電話の受話器を取った。
役場に電話をしたが、繋がらない。
それもそうだ。
まだ朝の5時なのだ。誰も出勤していない。
次に110番、119番と次々にコールするが、繋がらない。
フックアップした途端に「ツーツー」という音がスピーカーから聞こえてくる。
「……発信規制がかかってるのか?」
いやしかし、そんなことがあるだろうか?
嫌な予感が益々増していく。
考えている余裕はない。
晴輝はネットで地元警察の電話番号を検索。
その番号をコールすると、発信音が聞こえてきた。
まだなにもしていないというのに、それだけでほっと安堵の息を漏らしてしまった。
『はいこちらK町警察署です』
「先日家に出来たダンジョンに異変が起こっています。すぐに対応してください」
受話器の向こうで、対応した警察官が息を飲む音が聞こえた。
『わかりました。いますぐ自衛団を向かわせます。ちなみにあなたは――』
「冒険家の空星晴輝です」
『……そうですか。では念のために、緊急事態条項に乗っ取った対応をお願いします』
「了解しました」
受話器を置いて、一度深呼吸をする。
いつかは、来ると思っていた。
だがまさか今日だとは思いもしなかった。
緊急事態条項。
ダンジョンから魔物がスタンピードした場合、冒険家資格を持っている者はこの箇条に乗っ取り、その地の防衛戦に参加しなければいけない。
晴輝は再度受話器を取って、町のホテルをコールする。
『はいこちらK町温泉旅館、ホテル・グランドパラダイスヒルズです』
受付の爽やかな声が受話器から聞こえてきた。
晴輝の気分とは対象的なそれに、ほんの少しだけ思考がクリアになる。
いつ聞いても面白い名前だよな。
ど田舎にある、こぢんまりとした温泉旅館なのに、『大型』の『楽園』って……。
しかも平地にあるのに『丘』。
この名前を信じて泊まりに来た観光客は、建物を見てがっかりするに違いない。
名前に偽りありと。
とげとげしていた気分が、少しだけ癒やされる。
「○○○号室に宿泊している黒咲火蓮に繋いでください」
それはここに宿泊するようになった火蓮から聞いていた。
当然ながら、『私はパラヒルの○○○号室に泊まっているからいつでも来てね』という色仕掛けなどではない。
晴輝は火蓮に『ダンジョンを監視する』と伝えている。
それは万が一があった場合、呼び出してくれという意思表示だ。
「もひもひ……かれんれふ……」
電話口に出た火蓮の滑舌が怪しい。
どうやら寝覚めはあまりよろしくないらしい。
「晴輝だ。どうもスタンピードが起りそうだ。急いで支度をしてこちらに向かってくれ」
「……っ! ろ、ろーかいしましゅた!」
緊張感が声色に宿ったが、それでも滑舌は壊滅的だった。
電話が終わると晴輝は迅速に行動を開始。
パソコンを起動し、長らく使わなかったタブレットを持って家を出た。
ダンジョンの入り口を警戒しながらタブレットで『なろう』を開く。
WI-FI親機になったパソコンに回線は繋がったが、かなりホームページが重い。
おそらく各地の冒険家が一斉にアクセスしているのだろう。
100万人の利用にも堪えうるほどのサーバーを持っている『なろう』が重くなるなんて……。
どうやら事態は相当深刻らしい。
晴輝の予感通り、掲示板は荒れに荒れていた。
様々な情報が瞬く間に書き込みされているため、なかなか状況が掴めない。
だが断片を組み合わせると、全体像が見えてくる。
日本全土のダンジョンで、一斉に異変が起こっている。
ダンジョンから魔物が出てきているのは、まだ一部。
だが異変の内容はいずれも同じ。
何も起こっていないダンジョンでも、今後スタンピードする可能性は極めて高いだろう。
掲示板を閉じて、晴輝は次にWIKIにあるスタンピードの項目をチェックする。
そのページもアクセスが集中しているのだろう。すべて開くまでに相当時間がかかってしまった。
「……うん、やっぱりそうか」
晴輝が確認したのはスタンピードの終了条件だ。
スタンピードは、魔物が外に出てくるタイプのモンスターパレードのようなもの。
終了条件の一つは、モンパレに参加している魔物をすべて駆逐することだ。
それが千になるか万になるかはわからない。
それでも前回のスタンピードの9割は、魔物の全滅という形で終わっているようだ。
もう1つの条件は、スタンピードを促しているボスの排除だ。
こちらは確認件数が少ないため、[要検証]が付けられている。
終了条件はそれだけ。
他に記載はない。
条件の確認を終えるころ、ダンジョンに向かって歩いてくる女性の姿が目にとまった。
「……朱音か?」
「はいはい朱音さんですよ。どうしたのよこんな朝早くから。もう狩り?」
「朝早いのはお互い様だろ。朱音は店の準備か」
「そうよ。ほらアタシって伝説級の実力派店員じゃない?」
知らん。
というか、自分で言うな。
「だから朝早くからこうしてお店に来て、色々仕込んでるのよ」
「そうか。仕込みをするようなものはあるのか?」
「今日はお薬が届いてるはずだから、その確認作業よ」
「なるほど。ナイスタイミングだ!」
今日は、発注していた薬が届く日だったのだ。
実に良いタイミングだ。
「入荷した薬は?」
「うーん。うん、あるわね」
彼女は店の入り口に設置された宅配ボックスの鍵を開け、中から段ボールを取り出した。
「いますぐ薬を全部売ってくれ」
「いいけど……どうしたのよ? 誰か怪我でもした?」
「これからするかもしれない」
晴輝はダンジョンを睨み付けて、言う。
「おそらく、スタンピードが起こる」
「…………じゃ、アタシは家に帰るから」
「ちょっと待て」
晴輝は逃げだそうとした朱音の襟首を素早く掴む。
「アハーッハハアーン! 離して。アタシはなにも知らないんだから離してよぉ!」
「逃げるな泣くな落ち着け……」
ならず者の冒険家をボコボコにするような彼女が、スタンピードに怯えるとは。
トラウマでもあるのだろうか。
「はーなーしーてー! 面倒事は嫌なのよぉ!」
どうやら、面倒くさいから逃げるらしい。
ならば手加減は無用。晴輝はぐいっと引っ張って、彼女の耳に口を近づけた。
「お前の店がどうなっても良いのか?」
「ひっ!? あああ、アンタ! アタシの店になにするつもりなのよ!?」
「なにもしないぞ? ただ、店の目の前に、これからスタンピードするダンジョンがあるとどうなるか……。聡明なお前には、すぐに理解出来るだろ?」
「みみ、店の中には品物がほとんど無いんだから、お店が魔物に壊されたって――」
「お店の再建、売り上げ、修繕費、大出費」
「うっ!」
呟くと彼女はうなり声を上げた。
いくらプレハブとはいえ、再建にはお金がかかる。
当然、再建・修繕費は支店の売り上げ規模から予算が付けられる。
予算が足りなければ当然、ボロボロなまま営業を続けなければいけないだろう。
夏は良いかもしれない。
だが冬は死ぬ。確実に。
晴輝が脅すと、朱音は諦めたように体から力を抜いた。
「……というか、お前も冒険家なんだろ? 逃げ出しても招集がかかるだろ」
「住民票を移してないから、呼び出しに応じなくても大丈夫かなーって」
「……」
こいつ、本当に良い性格してるな。
いつかとんでもないしっぺ返しに合うぞ?
……いや、あったからここにいるのか。
「とにかく、先に品物をくれ。スタンピードが起こったら、傷薬はどうしたって必要になる」
「わかったわ。もちろんお金は支払うんでしょうね?」
がめつい、とは思えない。
いくら存立危機事態とはいえ、企業に無償提供を強要する法も権利もない。
立ち上げた端末機にICカードをかざして支払いを済ませる。
1個3000円の軟膏タイプの傷薬が10ケース。〆て30万円の支払いとなった。
これを痛いとは、ちっとも思わない。
支払わなければ、もっと痛い目に遭うかも知れないのだから。
そうしているあいだに、完全防備の火蓮が到着した。
晴輝の話を聞いて慌ててホテルを出てきたのだろう。寝癖が残っている。
「スタンピードって聞きましたけど、まだ魔物は出てきていないんですか?」
「ああ。各地でスタンピードが起こってるが、魔物が出てくる時間はまちまちらしい」
晴輝は『なろう』の掲示板に書かれている情報を火蓮に話して聞かせた。
どこかからサイレンの音が聞こえてきた。
もうそろそろ自衛団がここに到着するだろう。
そうなる前に、晴輝は動く。
「火蓮。自衛団が到着したら事情を説明してここで防衛戦を行ってくれ」
「空星さんはどうするんですか?」
「俺はちょっと、ボスを探してくる」
「だ、ダメです! それはいくらなんでも危険です!」
前に進もうとした晴輝は、火蓮に腕をつかまれ引き留められる。
「大丈夫だ。ブラックラクーンくらいの魔物なら、モンパレであっても対処出来る。それ以上の魔物が現れたら逃げる」
「でも、ここで防衛戦に加わった方が安全じゃないですか!」
「それはそうだが……」
晴輝は顎に手を当てて悩む。
ダンジョンに入ればモンパレに遭遇するだろう。
だがそれでも晴輝は、ダンジョンに入りたかった。
スタンピードが起っているときにダンジョンに入る。
こんなチャンスは、二度と巡ってこないかもしれないのだ!
絶対に面白い経験が出来るっていうのに、それをみすみす逃す手はない。
――などと言うと、間違いなく火蓮は激怒するだろう。
「どんな魔物が出てくるか調べれば、少しは対策が取れる。それに、『なろう』のWIKI情報なんだが、ボスを倒せばスタンピードを抑えられる可能性があるらしい。偵察をして、万が一ボスが居たら倒せないか狙う。そうする方が、延々と魔物を倒し続けるよりも、町を守れると俺は考えている」
「……なら、私も行きます!」
「ダメだ。火蓮は防衛戦に加われ」
「どうして!?」
「足手まといだからだ」
「――ッ!」
火蓮が顔を青くして息を飲む。
彼女がなにか言う前に、晴輝は仮面を外した。
晴輝は意識的に、自らの気配を殺していく。
「俺は影が薄いんだ。俺なら魔物に見つからずに行動できる。逆に火蓮がいると見つかる。……判るだろ?」
軽く移動すると、火蓮は晴輝を見失った。
いつもなら悔しいと思うことなのに、いまは非常に有り難い。
「…………そう、ですね。わかりました」
完全に納得はしていないだろう。
それでも晴輝の空気具合を体感した火蓮は反論せずに頷いた。
「けど、絶対に無茶はしないでください」
「もちろんだ」
先ほど購入した傷薬の大半を渡し、晴輝は鞄を背負ってダンジョンに向かった。
口が裂けても火蓮には告げられない。
スタンピードが起りそうだっていうのに、ウキウキしているだなんて。
自分はきっと、イカレてる。
けれど事実として、楽しいのだから仕方がない。
だって、町が魔物に蹂躙されずに、誰も死なない未来が見えてしまったのだから。
成功率1%なのか、0,1%なのかはわからない。
だが確実に、夢みたいな未来を掴む道筋は晴輝の目の前に伸びていた。
スタンピードが起っても被害を限りなくゼロに抑える。
そんな未来が手に出来たなら、一体どれほど素晴らしいだろう?
考えると止まらない。
楽しくて仕方がない。
居ても立ってもいられない。
冒険せずには、いられない。
「はっ!」
晴輝は笑い声を上げて、一気にダンジョンの中へと駆けだした。




