転移の罠に立ち向かおう!
晴輝が忽然と姿を消した。
「……え、え? ええ!?」
一体なにが起ったのか、火蓮は理解が追いつかなかった。
(まさか仮面を外した?)
そんな考えが火蓮の頭をよぎったが、晴輝は仮面を外す素振りを見せていない。
それに強敵に出会った時以外、彼がダンジョン内で仮面を外すことはほとんどない。
というのも、仮面を外せば魔物が晴輝を見失い、憎悪が火蓮に向いてしまうから。
戦闘を安定させるために、晴輝は仮面を付けたまま戦っている。
さらに晴輝が存在感を気にしていることも理由としてあげられる。
無闇に存在感皆無な姿を晒しはしない。
では何故、彼は消えてしまったのか?
「……罠だな。クソッ」
火蓮の疑問に答えたのは、ヴァンだった。
ヴァンは憎らしげに顔を歪めながら、晴輝が立っていた場所を睨み付けていた。
「罠、ですか?」
「……ん。レアな罠だ。ヨシもなかなか見つけられなかった」
ヴァンが言ったヨシとは、エアリアルのメンバーで、斥候を務める人物である。
北海道トップチームの一員である斥候でさえなかなか見つけられないのだ。
その罠が、どれほど厄介かが判る。
「……引っかかると、転移する」
「転移ッ!? もしかして、ずっと下の階に飛んだとか――」
「それは、ない。……たぶん、この階のどこかだと、思うが」
「どこに行ったかは判りますか?」
「……」
火蓮の問いに、ヴァンは無言で首を振った。
晴輝がどこに飛ばされたのかはわからない。
だが19階のどこかに居るならば、まだ希望はある。
(空星さんはこの階で安定して戦えてましたし……きっと、大丈夫)
火蓮はブラッディオウルと戦う晴輝の姿を思い返す。
何度記憶を繰り返しても、ブラッディオウルに晴輝が負ける姿は思い浮かばなかった。
晴輝には、一人でモンパレを乗り越えられる継続戦闘能力がある。
さらに遙か格上の魔物を相手にしても隙をうかがいながら、一発逆転を狙い続ける胆力もある。
大丈夫だ。
大丈夫だとは思うが、
「空星さん、どうか、無事でいてください……」
それでも火蓮は祈らずにはいられなかった。
*
ゲート部屋から出た晴輝は、瞬きした瞬間まったく見たことのない部屋の中に佇んでいた。
「…………ん?」
あまりに唐突な風景の変化に、晴輝は幻でも見ているのかと思った。
だが何度瞬きをしても、目をこすっても、晴輝を囲んだ壁は消えてなくならない。
「なんだこれ?」
理解が追いつかなかった。
晴輝はさきほどまで19階――森林ステージにいた。
だが現在、晴輝がいる場所は洞窟のような作りだった。
フロアはかなり広いが、19階のステージほどではない。
床や壁、天井は黒に近い灰色の岩で、その表面の半分ほどが水晶で被われている。
ダンジョンの淡い光が水晶を通って拡散する。
強い光や弱い光が、歩く度にキラキラ輝く。
「もしかして、隠し部屋か?」
一度15階で入ったものとは見た目がまるで違うが、隠し部屋である可能性はある。
とはいえ何故自分が突然隠し部屋に出たのか、晴輝にはさっぱりわからなかった。
「しっかし、綺麗だな……」
地上ではまずお目に出来ない幻想的な光景に、晴輝は言葉を忘れた。
これが自然の洞窟であれば、晴輝は時間を忘れてこの光景を楽しんだだろう。
しかしここはダンジョンだ。
目を奪われても、油断は一切許されない。
おまけに先ほどから、晴輝のうなじがチリチリと魔物の気配を感じ取っていた。
それも普通の魔物じゃない。
かなり強い固体だ。
晴輝は何故自分がここにいるのか、いまだに理解していない。
今後どうすべきか考えたいのはやまやまだったが、それより今は脅威への対処である。
晴輝は武具を素早くチェックして、レアとエスタにも警戒を促した。
晴輝の探知には、洞窟の奥から魔物の気配を感じ取っている。
おそらくそれが、このうなじの嫌な痺れの原因だ。
(…………ヤバイな)
気配の強さは、『車庫のダンジョン』19階までの、どの魔物よりも強い。
もしかすると『神居古潭』で戦った騎士の魔物ほどの戦闘力があるかもしれない。
あるいは、それ以上か……。
(逃げるか?)
逃亡の選択肢が頭をよぎるが、どこに向かえば逃げられるかがわからない。
あるいはこれは、逃亡出来ないタイプの“イベント”なのか……。
15階の隠し部屋みたいに、どこか気力の薄い壁があるかもしれない。
そう思い、晴輝は見える範囲でフロアの壁を目でなぞる。
だが、
「……クソッ!」
水晶を通って乱反射する光が邪魔で、壁を被う気力の多寡を捉えることが困難だった。
この部屋が全体的にクリスタルで被われているのは、逃げ道を隠すためか。
まったく、用意周到なことだ。
ダンジョンの悪意に、晴輝は大きく舌打ちをした。
対策に手をこまねいているあいだに、強い気配は既に晴輝が目視出来る場所まで近づいてきていた。
「……岩?」
強い気配は、大きな岩から感じられた。
なにかの間違いかと思ったが、違う。
岩が動き、晴輝に近づいてきていた。
それも二足歩行で、だ。
ズン、ズン――と音が響く。
「ゴーレムか!」
初めて見るタイプの魔物に、晴輝は目を輝かせる。
だがそれも一瞬。
晴輝はすぐに表情を引き締め、武器を抜いた。
強い気配。初めて見る手合い。
油断出来る要素など、どこにもない。
晴輝はじっと、体表を水晶に被われたゴーレムの動きを観察する。
せめて接触前に少しでも多く、ゴーレムの動作を記憶しておきたかった。
1歩、2歩。
ゆっくり歩いていたゴーレムがほんの僅かに腰を屈めた。
次の瞬間。
ゴーレムが跳躍。
「――なっ!?」
ゴーレムが恐るべき速度で晴輝に接近する。
まるでカタパルトで射出されたかのような速度だ。
驚きながらも、実戦経験で身についた動きは無意識に、晴輝の体を防御態勢へと導いた。
晴輝の視線の先。
ゴーレムが右腕を動かした。
瞬間、
衝撃。
視界が、回る。
ゴーレムの攻撃が、晴輝の短剣に接触した。
防御の態勢を取ったが、膨大な質量を持つゴーレムの攻撃に耐えられずはずもなく、晴輝は盛大に吹き飛ばされた。
空中でバランスを取り、着地。
足を滑らせ、勢いを殺す。
ゴーレムの攻撃を受け止めた2本の腕が、ビリビリと痺れる。
骨や筋肉に問題はないが、すぐに通常通りの攻撃は出来そうにない。
「なんて馬鹿力だ!」
たった1発で腕が痺れるなど、晴輝にとって初めての経験である。
時雨もマサツグも、力任せな攻撃は仕掛けてこなかった。
それは晴輝にとって、初めての経験。
故に、反応が遅れた。
「――ガハッ!!」
晴輝はゴーレムの体当たりを、モロに食らってしまった。
空中で2回転し、落下。
ゴロゴロと地面を転がり停止。
晴輝は痛みを堪えて即座に体を起こす。
追撃は――来ない。
コーレムは様子を窺うように、じっとその場に佇み晴輝に顔を向けている。
「……様子見、か」
晴輝は乾いて笑った。
いまのタイミングで、追撃しようと思えば出来たはずだ。
なのにしなかった。
……いや、やる必要もないのだ。
ゴーレムはわざわざ決定的な隙を突かずとも、ねじ伏せられるのだから。
いまの攻撃で、晴輝は体のあちこちが鈍く痛んでいる。
防御力の高いエスタはさして変化はないが、レアは悲惨だ。葉の所々が切れ、枝が折れている部分もある。
晴輝の視線に、レアが「なんてことないわよ」と葉を揺らした。
だが、その揺れは酷く弱々しかった。
「…………」
晴輝は逡巡した。
だが意を決してエスタを引き離し地面へ。
その上に、レアが入ったままの鞄を固定する。
「(……?)」
「……ごめん。エスタ、なるべくこの場から離れて」
「(――ッ!?)」
晴輝の意図に気付いたのだろう、頭を傾げていたレアが葉を跳ね上げ、晴輝の手をペンペン叩きだした。
私は大丈夫、まだ出来る!
そんな意思の籠もった葉の打擲に、晴輝の心がズキリと痛んだ。
だが、晴輝がレアを背負って戦えば、晴輝が動けなくなる前に、レアが命を落としてしまいかねない。
それだけレアの装甲は弱い。
19階の魔物と対等に戦えるレベルなのに、一度地面を転がっただけで、その枝葉が深く傷ついてしまうほどに。
弱いからこそ、晴輝はレアを守るように前で、敵の攻撃を防いできた。
レアを痛めないように、攻撃をいなしたり、回避したりしてきた。
だが、今回の敵は、晴輝が培ってきた技術は一切通じない。
晴輝の技を、軽く吹き飛ばせるだけの力があった。
共に戦えば間違いなく、晴輝はレアを巻き込んで、殺してしまう。
「……行け」
「(もにゅ?)」
「早く行け!!」
怒鳴りつけると、エスタが慌てて晴輝から離れていった。
その上で、レアがトゲトゲした葉でエスタを叩く。
けれど、レアの抗議はあまりに弱々しくて、エスタに通じなかった。
(……これで良い)
離れていくエスタとレアを見送り、晴輝は内心ほっと息を吐いた。
もし相手が、暗黒騎士と同程度の相手ならば、晴輝は最後までレアを背負ったまま戦った。
だが今回は、相手が悪すぎた。
ゴーレムと晴輝の実力の開きは、暗黒騎士の比ではない。
それが1度の接触で、晴輝は理解出来てしまった。
このまま戦えば、おそらく自分は死ぬ。
そう思ったからこそ、晴輝は心を鬼にしてエスタとレアを送り出した。
レアもエスタも、テイムしたとはいえ晴輝が連れてきた魔物だ。
晴輝が死ぬとき、2人が死なねばならぬ道理はない。
(死ぬのは、自分一人だけで良い)
晴輝はコッコの羽根輪をまさぐり、中からマートを優しく掴んで取り出した。
手を広げ、「さあ行け」と念じるが、マートが飛び立つ様子はない。
「……行け!」
晴輝は感情を殺してマートを放る。
けれどマートはピチチと羽ばたき、コッコの羽根輪の中に戻っていった。
「……っく」
何度マートを放っても、結果は同じだろう。
晴輝ではマートを力尽くで引き離すことが出来ない。
「~~~ッ……はあ。仕方ない」
晴輝はスキルボードでマートのスキルを底上げしている。
被損軽減をかなり上げているので、晴輝ほどダメージは受けないだろう。
自らが死んだ後でも、被損軽減により生きながらえることを、晴輝は切に祈る。
本当なら、晴輝はいますぐここから逃げ出したかった。
逃げて、生き延びたかった。
生き延びて再び火蓮と共に、ダンジョン攻略に励みたかった。
冒険を、続けたかった。
だが、晴輝は『神居古潭』で嫌というほど理解した。
圧倒的な強者からは、決して逃げられないと。
晴輝の前に現われたゴーレムがいかほどの相手か。
その存在が強大すぎて、晴輝には推し量ることが出来なかった。
ただ一つだけ、判ることがある。
どれほど凝視しても、ゴーレムの体に弱点看破の光が灯らない。
つまり晴輝では、どれだけ足掻いてもゴーレムの弱点に手が届かないのだ。
その現実に、晴輝は頭がクラクラする。
しかし、ならば晴輝は命をかけて、殿を務める他ない。
レアとエスタの命を守るために。
それが、冒険家として正しい命の使い方。
『冒険家とは、死ぬこととと見つけたり』
生きるべきときに生きる判断をし、死ぬべきときに迷わず死ぬ判断を下す。
たとえ犬死にになろうとも、誰かを助けるために命を賭けることこそが、正しい冒険家のあり方なのだ。
本当ならばマートも逃がしてあげたかったのだが、
「ピッ!」
マートが羽根の中で、やる気に満ちた声を上げた。
逃げる気はさらさらない様子である。
そうこうしているあいだに、ゴーレムが晴輝との距離を10メートルにまで縮めていた。
あと少し動けば、晴輝はゴーレムの間合いに入る。
「…………」
息を深く吸い込んで、止める。
晴輝は意を決して、ゴーレムの懐に飛び込んだ。
晴輝の動きにゴーレムが即応。
体を回して、拳を振う。
それを屈んでやり過ごし、
晴輝は連続攻撃を繰り出した。
「うおぉぉぉ!!」
斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る斬る。
打つ打つ打つ打つ打つ打つ打つ打つ。
斬って打って蹴って突いて。
ありとあらゆるタイプの攻撃を、ゴーレムの体は受け流した。
晴輝の刃は、ゴーレムの体を1ミリも削れない。
多くの魔物を倒して成長した、魔剣でさえダメだった。
ならばと晴輝は魔剣に気を込める。
全力で込めれば、あの暗黒騎士でさえ切り裂けた攻撃だ。
(これならどうだッ!!)
晴輝がゴーレムの腕に、気力攻撃を繰り出した。
そのとき、




