お肉の味で癒してあげよう!
翌日。
晴輝はミノタウロスの肉を木寅さんにお裾分けし、残ったものを朱音の店にすべて卸した。
肉の値段はかなり安かったが、欲を張って腐らせては、頂いた命に失礼である。
肉はこれからも好きなときに、好きな分だけ手に入れられる。
すべて売り払っても問題はない。
さらにこれは、朱音からの依頼でもあった。
美味しい食材を独り占めにしていると、地元住民の目が厳しくなっていく。
『あいつばっかり良い思いをしやがって!』
『ずるい!』
『あんなに良い思いが出来てるのは、悪いことをしてるからに違いない!』
もちろん、晴輝は一切悪いことなどしていない。だが、回りはそうは思ってくれないものである。
無用な軋轢を防ぐために、朱音が肉を買い取り、奉仕価格で町に卸す。
これは冒険家業が地元の理解を得るために、必要な『依頼』であった。
売買を終えると、火蓮を伴い18階に向かう。
ミノタウロスを倒しながら、晴輝は動きの確認を行った。
マサツグの動きは、やはり難しかった。
だが晴輝は慌てない。
晴輝はいまでも時雨の動きを完璧にマスター出来ていないのだ。
同格、あるいはそれ以上のマサツグの動きを、時雨より早く習得出来るはずがない。
じっくり、焦らず、間違えず。
時間をかけて正確に模倣していけば良い。
晴輝らはマッピングをしながら、じっくり18階の探索を続けた。
1週間が経過した頃、晴輝らは18階のボスの居場所にたどり着いた。
*
男は、ブレイバーのリーダー・マサツグより指示され、仮面の監視を行っていた。
仮面はマサツグと練習試合を行った人物だ。
マサツグが北海道の田舎くんだりまで出向き、自ら練習試合を申し入れるなど希有な出来事である。
それだけで、マサツグが仮面をどれほど重要視しているかが伺い知れる。
マサツグと戦った仮面を見て、男は首を傾げた。
マサツグが特別な対応をするほどの者だろうか? と。
しかしその評価は、すぐに変わった。
戦っているあいだに、仮面の練度が急激に上昇していったのだ。
その速度に、男は息を飲んだ。
(これほどまで、人は成長するものだろうか?)
(あれは本当に――)
人間か?
まるで砂漠に水を注ぐように、仮面はマサツグの戦闘をみるみる吸収していった。
練習試合が終了する頃には、仮面への評価は180度変化し。
(――ナッ!?)
仮面がその本体であろう仮面を外した瞬間に、評価が常識の天井を吹き飛ばした。
(消えただとッ!!)
そんなこともあって、男は現在、仮面の家を監視していた。
もしあの男がその力を、ダンジョン攻略以外に用いるような人物であれば、人類のために命を賭して止めなければいけない。
それが『ブレイバー』に与えられた使命……。
仮面があの隠密力を生かして戦えば、まさに、命がけの戦闘になるに違いない。
マサツグが出張ってくるまで、男の力のみで留められるかどうか。
そのような未来が来ないことを、男は切に願ってやまなかった。
「……しかし、仮面男が出てこないな」
マサツグとの練習試合が終わってから、男はずっと仮面の家の前に張り付いていた。
男には仮面ほどではないにせよ、開眼能力である隠密スキルがあった。
彼の隠密を見抜けるのは、本気になったマサツグだけである。
その力を用いて、誰にも見つからぬよう、男は仮面を監視していた。
だが、家に入って以来、仮面は姿を現わしていない。
彼のチームメンバーには動きはある。
彼の家の前で、一菱の店員も混じってバーベキューを始めていた。
他人の家の前で一体なにをやっているのか。
仮面に怒られないのだろうか?
疑問に思うが、バーベキューが終わるまで、仮面男は姿を現わさなかった。
仮面を監視して1週間。
「……マサツグさんになんて報告しようか」
あれ以来、男はいまだ仮面を見つけられていない。
*
ここ1週間。晴輝は毎朝、男の目の前で反復横跳びを行うのが日課になっていた。
いつか気付かれるだろうと毎日行っているが、いまだに気付かれた様子はない。
毎朝行い、毎朝心が折れている。
心が折れているのに続けているのは、ほとんど意地である。
ここで辞めたら、なにか負けた気がするのだ。
だから気付かれるまで続けてやろう! と思ったのだが、そろそろ男が体力の限界を迎えそうだ。
それもそのはず。
男はかれこれ1週間以上、この場所から動いていないのだ。
髭も伸び放題だし、衣服は黒ずんでしまっている。
それに、極度の疲労が表情に表れていた。
唯一男が気遣っているのは臭いだ。
酷く汚れた風貌なのに、彼からはほとんど臭いがしなかった。
ダンジョン素材で作られた消臭液を振りかけているのだ。
一体なにが彼をそうさせているのか、晴輝にはわからない。
だが男の姿を見ていると、昔印刷会社で働いていた頃の自分の姿とダブって、晴輝は目頭が熱くなる。
「……可哀想に。なにがあるのかは知らないけど、あんまり無理はするなよ」
晴輝はミノタウロスの肉を焼き、食べやすいようにカットして男の横に置いた。
この肉で、多少なりとも男の疲労が癒えることを願って……。
*
突然香ってきた食欲をそそる匂いに、男は訝しげに眉根を寄せた。
この匂いは焼き肉のものである。
「こんな朝っぱらから、一体どこの誰が……。うらやま――けしからん」
男は極端に疲弊していた。
かれこれ1週間以上も監視していたのである。
疲れぬはずがなかった。
だが、マサツグに命じられた手前、なんの成果も上げずに帰ることが出来なかった。
そこに来て、焼き肉の匂いだ。
ここ1週間まともな食事を取っていない男は、匂いに胃袋を激しく刺激された。
食べたいが、どうせ食べられない。
そんな思いが、男をどうしようもなく苛立たせた。
「くそっ! 肉が喰いてぇ!!」
たまらず、男は地面に拳を叩きつけた。
その横に、
「……え?」
いつの間にか、肉が盛り付けられた皿があった。
肉は今し方焼かれたばかりなのだろう。白い湯気を上げていた。
「……一体、いつ」
まったくわからない。
もしかしたら、幻覚なのでは?
そう思い、男は皿に手を伸ばす。
「うおッ!!」
肉に触れた途端に、その熱が手に伝わった。
さして高い温度ではなかったが、男は驚き手を引っ込め、半ば反射的に指先を口にくわえた。
「……ッ!」
その瞬間、男は我を忘れた。
我を忘れて皿に手を伸ばし、作法もへったくれもなく肉を手で口に運んだ。
「……うめぇ……うめぇよぉ」
男は、泣きながら肉を食べた。
それは北海道に配属されてから、初めて口にする牛肉だった。
懐かしい味。
脂の甘みとうま味が口の中に広がる。
わさびや辛子を付けているわけではないのに、鼻の奥がツンとした。
同時に、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「うめぇ……えぐっ……うめぇ……うぐっ」
男はあっという間に、皿に盛り付けられた肉を完食した。
完食してからも男は、しばらく涙を流し続けた。
ドロドロになった頬を涙が通り、幾重もの筋を描いた。
疲弊した心と体に、肉の味は染みすぎた。
涙が止まった男は、すっきりした表情になって立ち上がった。
「……帰ろう」
*
気がつくと、1週間以上同じ場所に居た男の姿が消えていた。
晴輝は男のいた場所に駆け寄り、辺りを見回す。
だが、姿が見当たらない。
どうやら、衰弱して倒れたわけではなさそうだ。
そのことに、晴輝はほっと安堵の息を吐いた。
とはいえ、自らの存在感を見せつける前に、毎日の日課が無くなってしまったのは残念でならない。
もし次、彼がここに戻ってきたらその時こそは――ッ!
そう、晴輝は決意を新たにした。
火蓮が合流して、18階を目指す。
今日はいよいよ、18階のボスに挑む。
ミノタウロスを倒しながら進み、いよいよボスのいる場所までやってきた。
そこは他のステージと同じように、森の開けた場所だった。
開けた場所に、一際黒く、大きな個体が座っていた。
それが、18階のボスだ。
晴輝らは武具の最終チェックを行う。
ここを超えれば19階。
上級冒険家に王手がかかる。
それを考えると、晴輝の気分はいやが上にも高まっていく。
晴輝は一度深呼吸をして、体に気を循環させた。
胸の奥を意識して、集中力を高めていく。
集中力を、集約する。
キィィンと耳鳴りがするほど、晴輝の感覚が研ぎ澄まされていく。
「……行こう」
「はいっ!」
晴輝は短剣を抜いて前へ。
茂みから姿を現わした途端に、ボスが構えた。
自然体なのに、隙がない。
いいね。
実に良い。
これからの激しい戦いを想像すると、背筋がゾクゾクっと震える。
だが晴輝は、ニッと笑みを浮かべた。
簡単に突破出来ては面白くない。
難しいは、面白いのだ。
晴輝は軽く足を踏み出し、一気に加速。
1秒、2秒。
急接近する晴輝に、ボスは反応しない。
3秒経って、やっとボスが反応。
けれど晴輝は、既に短剣を振っていた。
晴輝がボスの体を切り裂くその前に、
――ィィィイン!!
ボスが晴輝の攻撃を防いだ。
武器を上げるだけの防御。
単純だが、最短であり、最善。
ニヤッ、と晴輝はますます笑顔を深くした。
続けざまに、逆の手にある魔剣を切り払う。
攻撃するは指の先。
仮面を光らせ、指を払う。
しかし、この攻撃もあっさり防がれた。
それでも晴輝は焦らなかった。
晴輝の狙いは、指じゃない。
指にボスの意識を向けることだった。
「――ッシ!」
「ブオォォォ!?」
ボスの声に困惑が混ざった。
それもそのはず。
晴輝がボスの死角から、側頭部を蹴り抜いたから。
仮面の光と攻撃でボスの視線を誘導し、相手の呼吸を読んだ上で、一気に仮面から気力を抜く。
さらに軽く隠密を用いて、晴輝は一気にボスの死角に入り込んだ。
それは、この一週間のあいだに練習を重ねた戦法の一つである。
見えるものに気を囚われすぎていたのだろう。ボスは晴輝の攻撃に反応さえしなかった。
側頭部を蹴り抜かれたボスは、大きく体勢を崩した。
そこに、
――ッタァァン!!
――ダダダダダ!!
火蓮とレアのダブルアタック。
集中砲火を受けて、ボスが地面に膝を突いた。
二人が攻撃を仕掛けているあいだに、晴輝は集中力を高めながらボスの背後へ移動。
ジッとボスの背中を凝視して、弱点看破の光を探す。
ふっと灯った光。
背中を袈裟斬りにするラインに、薄ら光が浮かび上がった。
光の出現と同時に、晴輝は動いた。
魔剣に気を込めながら、弱点看破のラインをなぞる。
「ッシィ!!」
「ブォォォ!!」
――ィィィン!!
辺りに、金属が衝突する甲高い音が響いた。
接触と同時にパチンと火花が飛び散った。
晴輝の攻撃は、大斧の柄に遮られた。
寸前のところで、ボスが防いだのだ。
(殺気に反応したのかな? ……素晴らしい)
今の防衛行動に、晴輝は舌を巻いた。
苛烈な攻撃を受けてもボスは冷静さを保ち、致命的なものを優先して対処した。
なかなか、一筋縄ではいかない相手である。
晴輝は気を引き締め、再びボスに斬り掛かっていった。
弱点看破の光をなぞり、晴輝がボスの首を落としたのは、戦いが始まってから30分が経過した頃だった。
ボスは最後の最後まで、なかなか致命的な隙を見せなかった。
ガードが非常に硬く、無理にこじ開けようとするとボスが反撃に打ってでてくる。
相手の攻撃の波に決して飲まれず、致命的な攻撃のみを避け、反撃の機会を窺い続ける。その戦いぶりは、非常に勉強になるものだった。
ボスが死亡すると、晴輝はレベルアップ酔いを感じた。
それと同時に、ダンジョン内が明滅する。
「……ふぅ。お疲れ様」
「お疲れ様でした。ミノタウロスのボスは、強かったですね」
「うん。体力もそうだけど、心も強かったな」
晴輝がヘイトを稼ぐあいだに、火蓮とレアがボスをボコボコにした。
それでもボスの瞳から闘争心の光は失われなかった。
心を保持し続けることは、並大抵のことではない。
冒険家になる前の晴輝は、肘を角にぶつけただけで意気消沈したものである。
心とは、その程度の痛みであっさり折れる。
攻撃され続けてなお、心を折らずに維持するのは、非常に難しいことなのだ。
明滅が終わると、ボスが地面に沈んでいった場所に2つのアイテムが現われた。




