勇者マサツグと戦おう!
体から僅かに気力が漏れ、
一気に溢れる。
次の瞬間、
「――っく!!」
すぐ目の前に、マサツグが居た。
晴輝は慌てて防御。
接触寸前のところで、晴輝はマサツグの攻撃を短剣で防いだ。
力では勝てない。
押さえ込まれる力に対抗せず退避を選ぶ。
しかし、退避を上回る速度で押される。
逃げられない。
力を抜いて、回転。
枝が悍ましい音と共に晴輝の横を通過した。
即座にバックステップ。
しかし、
「カハッ!!」
間を開けようとした晴輝の腹部に、マサツグの蹴りが直撃した。
どれほどの力が籠められていたのか。
晴輝は5メートルほど吹き飛び、地面を転がった。
追撃を怖れて、即座に体を起こした。
「はぁ……はぁ……」
幸い、マサツグは晴輝に追撃を仕掛けなかった。
いや、追撃するまでもない。
晴輝の負け。勝負ありだ。
「もう1回?」
「……お願いします!」
晴輝は頭を下げ、再び短剣を構えた。
マサツグの攻撃は、時雨のものとは違って認識出来るものだった。
だが、時雨よりも圧倒的に早い。
技術ではなく身体能力を生かした動きである。
かといって、力任せに戦っているわけでもない。
晴輝が体を回転させて身を引いた時の蹴りは、まるで間隙を縫うような攻撃だった。
(まだまだ!)
晴輝は気合を入れ直し、今度は自らが攻めていく。
しかし、当たらない。
マサツグは晴輝の攻撃を見切ったように、短剣の間合いの外を維持している。
無理に踏み込むと手痛い反撃を食らう。
かといって間合いの外にいても、相手の攻撃は届く。
「……くぅ」
晴輝から攻た戦いが、あっという間にマサツグに攻め返された。
瞬間。
木の枝が霞んだ。
視界が反転。
背中に衝撃。
晴輝は、仰向けに倒れ込んでいた。
足がじんわりと痺れている。
どうやら、木の枝に足を払われたらしい。
「どうする?」
「もう一回お願いします!」
そこから晴輝は、我武者羅に戦った。
遠い、と晴輝は思った。
マサツグまでの距離が、遠すぎる。
マサツグは明らかに手加減しているのに、その手加減でさえ軽くあしらわれてしまう。
(時雨の時は、ここまで距離は感じなかったのに!)
晴輝は臍を噛む。
しかし、あの頃の晴輝はもっともっと、弱かった。
だから時雨が晴輝に合せて、手加減してくれたに過ぎない。
それが判っているからこそ、晴輝はなおさら悔しかった。
手加減されていても、それに気づけない自分が、悔しかった。
手加減していた時雨をイメージして、そのイメージに近づいたと、だから強くなったと、思い上がっていた自分が、情けなかった。
「うおおおおおお!!」
晴輝は雄叫びを上げて、マサツグに斬り掛かる。
何度もあしらわれ、何度も地面を転がりながら……。
体の痛みも、心の焦りも、集中力に追いやられ、
次第に無音の領域に足を踏み入れる。
あらゆる意識が戦闘に集約され、
あらゆる動きを意識が読み取っていく。
晴輝はただ、その反応にのみ、突き動かされた。
マサツグは6割まで力をセーブしつつ、仮面の男と戦っていた。
実力の6割とはいえ、マサツグは『新宿駅』50階より下を行く冒険家だ。
下層に出てない冒険家が相手ならば、たとえ実力の6割といえど過剰すぎる。
事実、仮面の男はマサツグに一切対処出来ていない。
普通の冒険家ならば、早々に心が砕かれるレベルの、一方的な戦いだ。
だがマサツグは、これくらいが丁度良いと考えていた。
強さに貪欲な冒険家は、ダンジョン攻略において重要な戦力である。
彼がもし『強さに貪欲な冒険家』であれば、“マサツグが強ければ強いほど”チーム・ブレイバーに加入したくなる。
己を高めるならば、最高のチームに所属するのが一番なのだから。
それでもし、彼が力に惹かれなければそれまで。
攻略に全力を注ぐブレイバーに、強さに惹かれぬ人材はいらない。
マサツグがそこまでするのは、決してブレイバーの強さを維持するためではない。
マサツグやブレイバーのことを『自分の地位を守るのに必死だ』と蔑む冒険家もなかにはいる。
『そこまでして最強を維持したいのか?』とも。
だが、マサツグがそうしているのは、日本からダンジョンを消し去るためである。
決して最強の肩書きを守るためでも、勇者としてもてはやされるためでもなかった。
短剣を用いる仮面の男を、マサツグは一切寄せ付けなかった。
戦闘は、マサツグが意図したように進んだ。
しかし、途中から風向きが奇妙に変化した。
「……ん?」
マサツグの攻撃を、仮面の男が回避した。
その動きに、マサツグは眉根を寄せた。
仮面の男は、先ほどまでマサツグの攻撃に反応さえ出来ていなかった。
それを短剣で防ぐでもなく、いきなり回避してみせたのだ。
(たまたまか?)
さして疑問に思わず、再びマサツグは仮面の男を攻撃する。
だが、
(――なっ!?)
これも回避された。
2度躱したということは、偶然である可能性は低い。
マサツグは警戒感を高めていく。
(……これか)
先ほどよりも強い攻撃を行い、仮面を殴り飛ばす。
立ち上がった仮面を、フェイントを用いて切り崩し、隙を作って蹴り飛ばす。
しかし、躱された。
(――チィ!!)
内心舌打ちをして、切り返し。
やや強引に、力任せに枝を振る。
マサツグは短剣を押し込み、仮面を突き飛ばした。
次の試合も、その次の試合も、マサツグが勝利していく。
マサツグの勝利に、一切の揺らぎはなかった。
しかし、20度目の試合が行われる頃、はたとマサツグは気がついた。
(一体何度目からだ?)
ゾクリ、マサツグの背筋が震えた。
(どの辺りから、僕は全力で戦っていた!?)
既にマサツグは、仮面の男と全力で対峙していた。
全力で対峙せねば、一瞬でも試合の主導権が握られるほどにまで迫られていた。
(時雨が言ってたのはこれかっ!!)
仮面との練習試合を、マサツグは時雨から聞いていた。
曰く、どこまでも付いてくる……と。
時雨は常に言葉足らずで、説明させても要領を得ないため、マサツグは話半分に聞いていた。
だが、実際に戦ってわかる。
仮面の男は確実に、戦っているあいだに急成長していると。
どこまでも付いてくる。
確かに、時雨の言葉に偽りはなかった。
6割の力で振った攻撃は、もう仮面の男には通用しない。
逆に、同じ角度、同じ速度で模倣されてしまう。
(……欲しい)
蹴りも同じだ。
仮面が攻撃に蹴りを混ぜた。
それはマサツグが用いたものと同じ。
死角を用いた蹴りだった。
油断していたマサツグは、直撃するところをギリギリ小盾でガードした。
6割の力では対応される。
だから8割になり、9割になり、ついに全力で対峙しなければならなくなった。
ペースを上げても、仮面はマサツグに食いついてきた。
初めのうちは回避さえ出来なかった攻撃を、いまでは完璧に回避している。
その動きはマサツグに、時雨を連想させた。
ほぼノーモーションで仮面が接近。
これも、時雨だ。
彼はマサツグの懐に入り込み、体を捻って水平切りを行った。
体のすべての筋肉を連動させた、素早く力強い一撃である。
この攻撃に、マサツグは昔一度だけ戦ったことのある、カゲミツの姿が浮かんだ。
マサツグは慌てずバックステップ。
しかし、
「――む!?」
直感が反応。
マサツグは左腕を挙げる。
直後、衝撃。
小盾が仮面の蹴りを防いだ。
短剣を振った勢いを使っての回し蹴り。
本来隙になるはずの瞬間を、攻撃に変化させる技術は、マサツグの動きだ。
マサツグによって追い詰められた仮面が、みるみる業に血肉を宿していく。
血肉が仮面を補完し、隙を埋め、速度を上げて、牙を剥く。
「は……ははは!」
思わず、マサツグは笑ってしまった。
仮面はマサツグの予想を遙かに上回る実力を秘めていた。
まさかこれほどの逸材だったとは、マサツグは考えもしなかった。
(この男が、ますます欲しくなった!)
マサツグは笑った
笑いながら、仮面を打ち崩していく。
(この男を、なんとしてでもブレイバーに加入させなければ!!)
この男に、マサツグは教えたいことが山ほどある。
知って欲しいことも。
仮面の男と初めて出会ったとき、マサツグは気配の薄さに感心した。
装備を見る限り、初級冒険家なのだが気配の殺し方が妙に上手かった。
それから現在。
彼の気配の殺し方は、ますます上達していて、戦闘時でなければマサツグでさえ見失ってしまいかねないほどであった。
幸い、彼が被っている奇妙な仮面が、チカチカ点滅しているおかげで、マサツグは姿を見失わずに済んでいる。
――ていうか、なんだあの仮面は?
何故光ってるんだ!?
危険な攻撃……ではないのだろう。マサツグの直感は反応していない。
一見しただけでは、仮面の能力について推察することが出来ない。
――ただ。
マサツグは自らの仮説にゾッとした。
この仮面がなくなれば、彼はマサツグの視界から一瞬にして消えてしまうのではないか?
そんな憶測が、マサツグの体を冷たくした。
本体の能力と仮面の関係がどうなっているのかが、マサツグは気になった。
気にはなったが、既に全力で戦うマサツグに、雑念を抱く余裕はなかった。
(この戦いに勝利したら……仮面を脱いでもらおうかな?)
一瞬だけ、そんな考えが頭のどこかに浮かんで消えた。
*
マサツグと空気の戦いは一瞬で決着が付いた。
「……はあ」
その様子を見ていたヴァンの口から、大きなため息が漏れた。
これは当たり前の結果である。
空気が負けたことを残念だと思ってはいない。
それよりもヴァンにとってこの試合が、行き詰まっている状況を改善する一助になるのではないか? そんな淡い期待を抱いていたために、戦闘が一瞬で終わったことでガッカリしてしまった。
「まだ続きますよ?」
「え?」
ヴァンはてっきり、1本勝負だと思っていたが、どうやら違うらしい。
朱音が言う通り、決着がついたばかりなのに、空気は再び武器を構えた。
次も、その次も。空気はマサツグにことごとくはね除けられていく。
空気とマサツグの試合は、戦いにさえなっていなかった。
それもそのはずで、マサツグは日本で最も強い冒険家だ。
対して空気は、名もなき中級冒険家の一人でしかない。
軽くあしらわれても仕方がないほど、両者の実力は大きく離れているのだ。
次から次へと攻撃を受けて、倒れては立ち上がる。
空気は既に泥だらけで、ボロボロだった。
その姿が自らの悩みとダブって見えて、ヴァンは少しずつ苛立ちはじめた。
一体なにをやっているんだ。
これじゃただの虐めじゃないか! と。
(チームメンバーは止めに入らないのか?)
近くで観戦している火蓮と、空気がテイムした魔物達は、じっと戦いを見守っている。
ヴァンの横にいる朱音でさえ、動く気配が一切ない。
(なんで黙って見ていられるんだ!?)
そんな仲間や朱音の様子に、ヴァンは激しく混乱した。
この戦いは既に練習試合の範疇を超えている。
冒険家の上位者が、下の者を暴力でいたぶっているようにしかヴァンには見えなかった。
なのに、何故誰も止めようとしないのか?
ヴァンにはさっぱり理解出来ない。
ヴァンが混乱しているなか、試合の風向きが若干変化した。
マサツグの攻撃を、空気が始めて回避したのだ。
「来た来た」
「……ん?」
なにが来たのか。ヴァンは首を傾げるが、彼の疑問に朱音は答えない。
朱音はただ、まっすぐ空気の後ろ姿を見つめていた。
まるで真っ暗ななか、空に花火が打ち上がるのを待っているかのような、期待と興奮をその表情に浮かべながら。
ヴァンが試合の変化にはっきりと気がついたのは、朱音の発言からしばらくした後だった。
形勢はなにも変わらない。
だが、試合の速度が明らかに変化した。
それまではヴァンの目で捉えられていたマサツグの攻撃が、もう霞んでも見えなくなっている。
そしてその恐るべき攻撃を、なんと滅多打ちにされていたはずの空気が回避しているではないか!
ただの中級冒険家が勇者マサツグの肉体性能に付いていくなど、決してありえない。
だが、空気はマサツグの攻撃を避けている。
それは業か。あるいは本来の実力か。
ヴァンには既に、判断出来なかった。
判断出来るような次元の戦いでは、もうなかった。
「……っ」
2人の戦いを見ながら、ヴァンは奥歯を強く噛みしめた。
空気が滅多打ちにされている姿を見てヴァンは、
『中級冒険家だから当たり前だ』
『中級冒険家なんだから仕方ない』
そう、思っていた。
だが彼は中級冒険家ながらも、必死にマサツグに食らいついている。
もしかしたらそういう考え方が、ヴァンの成長に大きく影響を及ぼしていたのではないか?
自分はどこかで、
『ランカーじゃないから仕方ない』
『自分はカゲミツさんとは違うから無理なんだ』
と考えて、諦めていたのではないか?
自らの才能を憶測で断定し、本来あるはずのない天井を設けてしまっていたのではないか?
自分に足りなかったのは空気のような――相手がなんであろうと食らいつく必死さか。
「ヴァンさん。あなたは空気をどう思いますか?」
「……弱い」
ヴァンの言葉は、嫉妬や羨望により濁ってなどいなかった。
空気は弱い。それは疑いようのない事実である。
もしヴァンと空気が戦えば十中八九ヴァンが勝つ。
それは身体能力云々ではない。
彼は、圧倒的に戦闘経験が足りていないのだ。
「だが……」
戦闘経験の少なさを補ってあまりあるほど、彼の経験吸収能力は高かった。
数十分の戦闘で得られるものなどたかが知れている。
せいぜい、1度くらいまぐれで攻撃をかわせれば良い方だ。
剣道なら訳も分からず面を打たれ、合気道なら何度も地面に転がされる。
そんな圧倒的格上に技を掛けられ続けただけで、技を食らわないレベルになったのだ。
空気の成長速度は尋常ではない。
そんな空気を、ヴァンは羨ましいと思った。
空気は弱い。
だがその弱さは、経験を積むだけ克服出来る。
対してヴァンは、己の弱さを克服する方法がいまだわかっていない。
どうすれば強くなれるのかがさっぱりわからないから、強くなる道筋が見えている空気が、羨ましくて仕方がなかった。
「空気さんってほんと、凄い速度で成長いきますよね。油断すると、折角頭を悩ませて見繕った武具が、すぐに適性を外れちゃうんですよ。一体アタシがどれほど時間を掛けて武具を選んだか……グギギ」
ヴァンの横で、朱音の化けの皮が僅かに剥がれた。
ギリギリと歯を鳴らす。
彼女も彼女で、空気に対して思うところがあるらしい。
ヴァンにはさっぱり理解出来ないが……。
複雑な感情がヴァンの胸中で渦巻くなか、戦いはマサツグが手にした枝の破損によってあっけなく幕を閉じた。
冒険家になろう!3巻の特典情報。
限定SS『空星晴輝の仮面貸与大作戦!』
特典につきまして、今回は2店舗のみでの取り扱いとなります。
・メロンブックス札幌店
・かの書房




