山わさびを実食しよう!
「あのぅ、空星さん?」
「…………」
「空星さん!?」
「はひっ!?」
耳元で大声で名前を呼ばれ、晴輝はビクンと肩を振わせた。
「なんだ火蓮か、ビックリしたあ」
「なんだ、じゃありません。いつまで狩りを続けるつもりですか?」
「そりゃあ、夕方になるまでだろ?」
晴輝はアナログの腕時計を見下ろした。
時計はまだ、4時30分。
朱音のお店が夏期営業を開始したため、5時30分までは狩りが出来るというものだ。
「…………夕方は、とっくの昔に過ぎ去ってます」
「ん? なんだって?」
「夕方は、いまから12時間前に過ぎ去りました!」
「…………はいぃぃ!?」
晴輝は慌てて腕時計をチェックするが、アナログなのでAMなのかPMなのかが判別出来ない。
――言われてみれば。
サアーと血液が頭から落下する。
集中力が途切れた途端に、極度の疲労により体中が悲鳴を上げ始めた。
見計らったようにぐぅ、と胃袋が不満の声を上げる。
「…………すみません」
「本当ですよ」
火蓮がぷくっと頬を膨らませて腕を組んだ。
そんな火蓮に、晴輝は背中を丸めて胡麻をする。
「あの、火蓮さん。暴走していたんだったら、物理的に止めて頂いてもよろしかったんですが」
「そうですね。いつもならそうしたんですけど……」
火蓮がそこで、困ったような笑顔を浮かべた。
「無属性魔法の練習をと考えていたら、私も夢中になってしまってて。気付いたら朱音さんのお店が閉まってる時間だったので、だったら形になるまで狩りを……と思って居たらこんな時間に……」
「な、なるほど……」
どうやら火蓮も、対山わさび戦を止められずにいたようだ。
無論、食欲に負けた晴輝とは全く意味合いは違うが。
(火蓮が時間を忘れて狩りをしているのは、もしかして俺のせい?)
火蓮に良くない影響を与えてしまったのではないだろうか。
そう考え、晴輝は自らの衝動を深く反省したのだった。
火蓮が暴走する晴輝を止められなかったのは、無属性魔法の練度を早急に上げなければいけないと、危機感を抱いたためだった。
山わさびに雷撃は放てない。
なので無属性魔法を使ったのだが、雷撃に比べて威力が低すぎた。
山わさびのように、今後雷撃が通用しない魔物が現われるかもしれない。
そうなったとき、無属性魔法を使ってもダメージを与えられなければただのお荷物だ。
もう二度と、火蓮は晴輝のお荷物にはなりたくはなかった。
(無論現在でもお荷物と言われれば、それまでだが)
火蓮は無属性魔法のダメージ効率を上げるために、晴輝が仮面を光らせておびき寄せる山わさび達を的にして、次から次へと魔法を放っていった。
(なんで仮面が光ると魔物が寄ってくるんでしょうか?)
(……やっぱり呪われているんじゃ?)
数十、数百と魔法を放つうちに、火蓮はなにかコツのようなものを掴み始めた。
それはあやふやで、形がなく、集中力が途切れればあっさり消えてしまうもの。
だから火蓮は、集中力を切らさぬよう、次々と魔法を放った。
余計なことを考える暇もないほどに。
「じゃあ、そろそろ戻るか」
「はい」
晴輝らは踵を返して、森の外に向けて歩き出した。
あれだけ夢中になってはいても、晴輝はゲートまでの方向を見失っていなかった。
というのも、晴輝らはあまり森の奥まで足を踏み入れなかったからだ。
春にはタラの芽、ウド、ワラビ、アイヌネギに、根曲がり竹。
秋にはボリボリ、ヒラタケ、落葉。
様々な山菜を、晴輝は山に採りに出かける。
その時に、山菜が沢山あるからと夢中になって奥に踏み込めば、あっさり道に迷ってしまうし、ヒグマにだって遭遇する。
どれほど狩りに夢中になっても、森に深入りしてはいけない。
それは北海道の山に入る上で、最も大切な心得だった。
当然晴輝も、その心得は持ち合わせている。
お隣の木寅さんに、幼い頃から仕込まれていた。
『森には沢山の生き物が住んどる。儂らの町にヒグマが来たら、みんな大騒ぎだべ? それは、ヒグマだって同じだべさ。人間がヒグマの住処に近寄ったら、ヒグマはビックリして人間を追い返しに来るんだ。
人間は人間の、ヒグマはヒグマの領域ってもんがあって、そこを踏み越えないように、相手を尊重して、寄り添って一緒に生きてく。それが、大切なことだべさ』
昔、木寅さんに仕込まれたことを思い出しながら歩いていると、晴輝の探知範囲に魔物の気配が2つ入り込んだ。
「火蓮、2匹だ」
「はい!」
徹夜での狩りだというのに、晴輝が山わさびに夢中になる前よりも、火蓮の変事は溌剌としていた。
火蓮もずっと狩りをしていたはずだ。
疲れていないはずがないのだが。
晴輝と疲労度が違うのは、やはり年齢が…………いや、あまり深く考えないようにしよう。
頭に浮かんだ数字を必死にかき消し、晴輝は対山わさびに集中する。
木々の向こうから2体の山わさびが姿を現わした。
その片方に、晴輝は素早く斬り掛かる。
相手の棍棒を片方の短剣で押さえつけ、もう片方の短剣で手を切り裂いた。
棍棒を失ったわさびは、晴輝に向かって突っ込んできた。
その体当たりを、ひらりと回避。
回り込んで、晴輝は残った手足と頭部の葉をすべて刈り込んだ。
片方の山わさびを倒し終えた晴輝は、
――ザシュッ!!
もう片方の山わさびの現状に、目を剥いた。
山わさびは既に、満身創痍だった。
そのわさびの頭部を、火蓮の杖の先端から発射された、白く薄い魔法が切り裂いた。
魔法は1発だけでは終わらなかった。
次から次へと、魔法が杖から発射されていく。
山わさびが火蓮の魔法により、どんどん刈り込まれていく。
その光景に、晴輝は言葉を失った。
――なんだこれ?
憶測は可能だ。
火蓮は晴輝の飛ばす気力攻撃のように、無属性魔法を球形から刃型に変化させたのだろう。
それを飛ばすことにより、火蓮は山わさびを遠距離から刈り込んでいるのだ。
しかし、原理は判るが、晴輝は首を傾げる。
ここまで短時間で、新たな魔法を習得出来るものだろうか? と。
晴輝も一夜にして飛ばす気力攻撃が使えるようになった。
だがあくまでそれは使えるというだけで、習得にはほど遠い練度である。
対して火蓮の魔法は、習得して、完全に自分のものにしたと言えるほどの練度である。
以前より、刃型の魔法を使えていたのでは? と思えるほどに。
「…………す、すごいな火蓮」
晴輝はなんとか言葉をひねり出し、スキルボードを取り出した。
空星晴輝(27) 性別:男
スキルポイント:9
評価:隠倣剣王
加護:打倒神〈メジェド〉
-生命力〈-〉
スタミナ4
自然回復2
-筋力〈-〉
筋力5
-気力〈-〉
気力2
気量5
気力操作1→2
脱力耐性MAX
-敏捷力〈+2〉
瞬発力6
器用さ5
-技術〈-〉
-武具習熟
片手剣5
投擲2
軽装5
蹴術2
隠密5
模倣3
-直感〈-〉
探知5
弱点看破 MAX
-特殊
成長加速 MAX
テイム2
加護 MAX
神気 MAX
函館に向かう際のランニング時や、ゴッコ戦、そして今日の戦いと、常に気力を意識したおかげで、気力操作のレベルが1つ上昇していた。
上昇数が少々すくないように思えるが、このところびっちりダンジョンに潜ってレベリングをしていたわけではない。
レベルアップしたスキルの数が少なくても仕方が無い。
レア(0) 性別:女
スキルポイント:5
評価:二丁葉撃帝
加護:地下宝守護神〈プタハ〉
-生命力〈-〉
スタミナ2
自然回復1
-筋力〈-〉
筋力5
-気力〈-〉
気力3
気量1
気力操作0
-敏捷力〈-〉
瞬発力2
器用さ3
-技術〈+3〉
-武具習熟
-投擲5
二丁投擲4
-直感〈-〉
探知1
-特殊
宝物庫2
加護 MAX
擬態3
レアも特に変化はない。
新たに出現した気力ツリーで、気力レベルが高いのはおそらく、彼女が一度不慮の事故(晴輝のせい)で死にかけたからだ。
生死の境を彷徨いながら己の生命を維持し続けたために、気力がこれだけ上昇したのだ。
エスタ(0) 性別:男
スキルポイント:5
評価:硬殻帝
加護:辟邪神(神虫)
-生命力〈-〉
スタミナ2
自然回復2
防疫1
-筋力〈+4〉
筋力3
被損軽減7
-気力〈-〉
気力0
気量0
-気力操作0
変化〈纏衣〉0
-敏捷力〈-〉
瞬発力5
器用さ2
-技術〈-〉
武具習熟
甲殻7
-直感〈-〉
探知1
-特殊
武具破壊4
加護 MAX
『変化〈纏衣〉(体に纏う気量を増やす)』
説明から、『変化〈纏衣〉』は火蓮のブレスレットと同じ防御効果があるものと予測出来る。
気力スキルがすべてゼロなのに、『気力操作』から『変化〈纏衣〉』が派生しているのは種族特性か。
このスキルを伸ばせば、エスタはますます硬くなるはずだ。
黒咲火蓮(18) 性別:女
スキルポイント:10
評価:精霊王槌人
加護:雷鳴神人〈オキクルミ〉
-生命力〈-〉
スタミナ2→3
自然回復1
-筋力〈-〉
筋力1→2
-気力〈-〉
気力1
気量3
気力操作0
-魔力〈+1〉
魔力5
魔術適正5
-魔力操作5
変化〈雷〉4
変化〈風刃〉0 NEW
-敏捷力〈-〉
瞬発力1
器用さ3
-技術〈-〉
-武具習熟
鈍器2
軽装2
-直感〈-〉
探知1
-特殊
運2
加護 MAX
誰よりもスキルを成長させた火蓮のツリーに、晴輝は怖れ戦いた。
スタミナと筋力は、耐久マラソン効果だろう。
晴輝が最も驚いたのは、新たなスキルの出現である。
(まさか短時間で、新たなスキルを出現させるとは……)
あるいは以前より、見えないところで練習していたのかもしれない。
だが晴輝は、新たなスキルの出現に嫉妬を禁じ得なかった。
(クソッ。なんて羨ましいんだ!!)
16階で狩りを始めてから晴輝は(記憶にははっきりと残っていないが)己の練度を高めるために戦い続けた。
攻撃、防御、回避。
それぞれの動きを確認し、いまだにズレている体感覚を矯正していった。
さらに、山わさびの特殊攻撃を回避出来るよう、動きを研究した。
いまでは山わさびの催涙攻撃を晴輝が食らうことはない。
24時間かからずに、初見の魔物に完璧に対応出来るようになった。
1日の成果としては、この上ないものだと晴輝は考えていた。
だが、火蓮は晴輝のさらに上を行った。
彼女は山わさびを近づけず、得意の雷撃を封印して、新たな力を身につけていたのだ!
この状況に、晴輝が嫉妬を抑えられぬはずがなかった。
「ぐぬぬ……」
火蓮の成長を喜ぶ気持ちもあるが、それ以上に、悔しかった。
晴輝は口をへの字に曲げながらも、無言でゲートを目指す。
地上に戻ると、既に山の向こう側から太陽が昇り始めていた。
今日も猛暑日になるだろう、地面を濡らす朝霧がしっとりとした冷たさを肌に伝える。
「火蓮。こんな時間まで付き合わせて済まなかった」
「いえ。おかげで私も、良いスキルが手に入りましたから」
「ぐ……。じ、時間も時間だし、今日は休みにしようか」
「はい」
「火蓮、今日の夕方は暇か? 今日取れた山わさびを料理する予定だが――」
「勿論暇です!」
火蓮がキラキラと目を輝かせる。
山わさびの味に、相当期待しているのだろう。
彼女の勢いに、晴輝は僅かに気圧された。
「そ、そうか。それじゃあ、休養を取った後で」
「はい、また夕方に!」
太陽が出てから眠るのはかなり不健康だが、徹夜明けなので仕方がない。
晴輝は火蓮と別れ、家に向かう。
うとうとと船を漕ぐエスタと、太陽の光に反応を示すレアを家において、晴輝は再びダンジョンに向かった。
仕事をしていた頃の晴輝ならば、このままベッドにダイブして眠りについていただろう。
だが冒険家となった晴輝は、ベッドで眠る気には一切なれなかった。
(悔しい……)
晴輝は、悔しかった。
経験は同じでも、火蓮の方が目に見えて成長していたことが……。
このまま、彼女に溝を開けられるわけにはいかない。
それはチームメンバーとしてではなく、人生の先輩としてでもない。
ただ一人の、冒険家として。
火蓮の急成長は、晴輝のやる気の導火線に、盛大に火を付けたのだった。
*
炊飯器にセットした米がふっくら炊き上がる頃、晴輝の家に顔色が良くなった火蓮が訪れた。
「お邪魔します。良い香りですねー」
炊きたての米の香りに、火蓮がほわわと笑顔を浮かべた。
テーブルに座った火蓮の元に、晴輝はそれぞれ料理を盛り付けた皿を運び込んだ。
一皿目は、肉料理。
コッコ肉の照り焼き風だ。
照り焼きに欠かせない醤油は、函館にあった醸造所から仕入れてきた。
和食に必須の醤油で、晴輝にとって念願の調味料である。
だからといってバカスカ使っては1ヶ月もせぬうちに無くなってしまうだろう。
節約しながら使用しなければいけないが、今日は特別である。
二皿目は小皿に盛り付けた、すりおろした山わさび。
顔を近づけると一気にむせてしまうほど、刺激的な香りが漂ってくる。
山わさびをすりおろすのに、晴輝は何度も死ぬ思いをした。
それほど山わさびは鮮度が高く、辛み成分が豊富だった。
窓を全開にして、なるべくおろし器から顔を離して晴輝は、文字通り泣きながらすりおろしたものだ。
「あれ? 空星さん、まだ疲れが残ってます? ちょっと顔色が……」
「大丈夫。キノセイだ」
火蓮の視線から逃れるように、晴輝はスイっと目を泳がせた。
更なる追求に合わぬよう、晴輝は素早く手を合せた。
「それじゃあ――」
頂く命に感謝を捧げて。
晴輝と火蓮が口を開いた。
「「頂きます!」」
火蓮がコッコの照り焼き風に箸を伸ばす。
その前に、
「火蓮。肉の上に山わさびを乗せると良いぞ」
「あ、はい」
山わさびは、本わさびと同じ。
合せて食べると風味が大きく変化する。
特に、醤油との相性が抜群の調味料である。
山わさびを載せた肉に、火蓮がかぶり付いた。
瞬間。
「~~~~~~ッ!!」
火蓮の、声にならない声がリビングに響き渡った。
そんな火蓮を見て、晴輝は「そうだろ、そうだろ」と内心首肯する。
彼女の目に浮かんだ涙は、決して感動のものだけではないはずだ。
「――ふはぁ! か、かなり、ツンと来ますね」
「だろ? けどそれが美味しいんだ」
「はい!」
新鮮な山わさびで、さらにおろしたてということもあって、口に含むとかなりツンとする。
だがその風味が、醤油と肉をより一層引き立てているのだ。
醤油ラーメンに入れる胡椒や、蕎麦に入れる七味のように。
火蓮が感動する様を見て、晴輝も肉を口に運ぶ。
「……うん。んまい!」
ゴッコ汁を食したときに味わってはいたが、やはり醤油味は最高だった。
香ばしい醤油の香に混ざって、山わさびの香りがツンと抜ける。
「っくぅぅぅ!」
「はふ! はふ!」
晴輝は一口ずつ噛みしめながら。
火蓮は目に涙を貯めて、米をかっ込んだ。
この山わさびは、通常のわさびとは違ってクセがない。
他の食材で似ているものは、大根だ。
大根を極限まで辛くすると、山わさびのような味になる。
だから、肉と醤油によく合うのだ。
「火蓮。山わさびは直接米に乗せて食べても美味しいぞ」
「え? これを、ですか?」
火蓮は信じられない、というふうに訝しげに眉根を寄せた。
確かに、『わさび』を考えると、そういう反応も仕方がない。
だがこれは、山わさびなのだ。
それも、採れたての。
「ここに醤油を垂らして、米に乗せて、食べる」
見本に、晴輝が実践した。
口に含むと途端にわさびのツンとする香りが抜けて、目頭が熱くなる。
遅れて醤油の香りが漂い、舌の上にゆっくりと辛みとうま味、それに米の甘みが広がっていく。
「……うまい!!」
やはり、山わさびは至高だ!
久方ぶりの味の連続に、晴輝の目に涙が溜まっていく。
様子を窺っていた火蓮も、晴輝の表情を見て決心したらしい。
米と共に、醤油味の山わさびを口に含んだ。
「~~~~ッ?!」
辛みに驚いたように、火蓮は眦を決した。
だが、目の驚きとは裏腹に口は熱心に動いている。
「お、美味しいです!!」
「だろ?」
そうだろ、そうだろ!
晴輝は心の中で腕を組みながら、満足げに頷いた。
そこからは、無言だった。
無言で、必死に料理を食べ進めた。
五合も炊いた米はあっさり無くなり、コッコ2羽と山わさび2本が胃袋の中に消えていった。
晴輝は至福の吐息を漏らし、火蓮は潤んだ目元を拭う。
ここまで一言も発していなかったが、二人の気持ちは一つだった。
箸を置いた二人は手を合せ、頂いた命に感謝を捧げる。
「「ご馳走様でした!」」
5月30日に、「冒険家になろう!~スキルボードでダンジョン攻略」3巻が発売となります。
皆様、どうぞご購入を宜しくお願いいたします。m(_ _)m




