ゴッコ汁を堪能しよう!
道具屋に入った火蓮は、真っ先に『ピヨコ』が置かれた棚に引きよせられた。
『ピヨコ』は中札内ダンジョンに生息する魔物だ。道具屋で販売しているのは、その魔物の剥製である。
お腹はへにょへにょっとした感触で、指で軽く押すと口から空気が排出されて『ピヨッ』と鳴き声を上げる。
その感触と音が可愛らしくて、火蓮はついついピヨコの腹を何度も押し込んでしまう。
『ピヨヨ。ピヨヨヨ!』
火蓮は以前、札幌の道具屋でもピヨコに興味津々だった。
ぬいぐるみを目にしなくなって久しい火蓮は、ピヨコの剥製を目にして心臓を強く鷲づかみされた。
欲しいと思った。
だがあの頃はお金に余裕がなかった。
おまけに大井素の救出作戦のまっただ中でもあった火蓮は、涙を呑んでピヨコを棚に戻したのだった。
現在の火蓮は、あの頃とは違う。
ピヨコを手に入れるだけのマネーがある。
(これでピヨコを購入出来る!!)
火蓮は中でも一番良い個体を選んでレジに直行。
ICカードで支払を済ませ、ピヨコの入った紙袋をホクホク顔で抱きしめながら店を出た。
目尻を下げながら、購入したばかりのピヨコを紙袋から取り出す。
ピヨコのふわふわもふもふが、やっと私のものに!
火蓮はやや鼻息を荒くしながら、腹部を押し込んだ。
『ピヨッ!』
可愛らしい鳴き声が響いた。
その時、
「…………?」
火蓮の周りの空気が変わった。
それはまるでダンジョンで、魔物にヘイトを向けられたときのような空気だった。
何があったのかはわからない。
だが体にたたき込まれた経験が、火蓮の腰を低くした。
「……」
火蓮は辺りを見回すが、不審な影はない。
じっと息を潜めて状況を伺っていると、鋭く尖った空気がかき消えた。
「……え? なんで?」
空気が尖った原因が分からなければ、それが消えた理由も判らない。
火蓮は目を白黒させながらその場に立ち尽くした。
*
「ピヨヨ……」
ヴァンの耳から現われた真っ黒な蛇を、【秤】スキルで叩き潰したマァトは、その口から安堵の息を漏らした。
真っ黒く変色した羽根は、蛇の離脱を許さなかった。
悪に反応した羽根は、蛇を音もなく圧壊させた。
地面に眠る男にはマァトの羽根が付着している。
気絶しているのは、羽根で押しつぶされたからだ。
彼に付着した羽根は、すでに美しい白を取り戻している。
命に別状はない。
このまま寝かせておけば、時期に目が覚めるはずだ。
とはいえ男は、マァトの主である晴輝と知り合いだ。
自衛団団長とは関係が違う。今回の一件で問題があれば、晴輝が悲しむかも知れない。
マァトは念のために、【治療】スキルで男の傷を癒やした。
蛇を逃した時は激しく取り乱したマァトだったが、すぐに次の宿主に目星がついたのは幸いだった。
結果、マァトの想像通り蛇はおびき寄せられた。
蛇はダンジョンで力を得た者の中から、最も精神不安定な者に寄生する。
宿主が強ければ強いほど、『悪意』は驚異となる。
直接的に街を破壊することも出来るし、人間を自滅の道に扇動することも出来る。
暴走した『悪意』を止めるまでに、人類に相当な被害を与えられる。
マァトが宿主候補とした男は、蛇に好まれるほど肉体的に強く、また精神状態が危険だった。
標的としてパーフェクトだったと言ってよい。
だが、厄災の芽は摘みとった。
そして、『本体』を徹底的に叩き潰した。
今後この地に『悪意』が生まれるには、かなりの時間を要することだろう。
「ピッ」
これで、己の失態は挽回出来た。
マァトは安堵し、空を飛んで晴輝の下へと戻っていくのだった。
*
ホテルのフロントで入手した情報を元に、晴輝らは急いで函館朝市へと向かった。
朝市は既に人でごった返していた。
それもそのはず。
函館は一時的にでも食糧の供給が寸断されていた。そんな場所でこれから、自衛団を含む市民団体が食事の無償提供を行おうというのだ。
ご相伴に与ろうと思う市民が多いのも当然だ。
無料配布される食事はもちろん、晴輝らが討伐した稀少種料理だ。
その名も『ゴッコ汁』。
ゴッコは既に解体され、大人五人は楽に入れるだろう巨大な鍋に放り込まれている。
鍋は全部で三つ。その中すべてが、ゴッコ汁だ。
「私、ゴッコ汁って食べたことないんですけど、美味しいんですか?」
「最高に上手いぞ!」
なんと! と晴輝は火蓮の言葉に驚きつつも答えた。
ゴッコ汁は晴輝が食べた魚系汁物の中で、アンコウ汁と同じくらい美味しい汁物だった。
それを食べたことがないなど。なんともったいないことか!
火蓮には、是非ゴッコ汁を堪能させねば!!
鍋の中にはゴッコの他に、近隣で採れた昆布や芋が放り込まれている。
晴輝が息を吸い込むと、鼻孔をかぐわしい香りがくぐり抜けた。
海鮮物と昆布、そして芋の香り。
そして、ふんわりと食欲をくすぐる香りも混ざっている。
これは……。
「味噌……だと……ッ!?」
鍋の中を遠目から覗いた晴輝は、その香りの正体に気付いて眦を決した。
味噌はまさしく日本の心と言って良い調味料だ。
第一次スタンピードが起こってから、発酵調味料は製造ラインの弱体化により、非常に入手しにくくなってしまった。
とはいえ味噌は、醸造所に行けば買えないこともない。
だが需要が高すぎるため、ほとんどの場合売り切れになっている。
それがいま、晴輝の目の前で大量に使用されているではないか!!
「てっきり塩味になると思ってたんだが……まさか味噌が使われるとはッ!」
晴輝は目を輝かせながら、ジュルリとツバを呑み込んだ。
匂いに釣られたのは晴輝だけではない。
火蓮もまた目を爛々とさせて、ゴッコ汁の配布を今か今かと待ちわびていた。
火蓮はゴッコ汁を食べた経験はない。
だが、匂いを嗅げばわかる。
ゴッコ汁は間違いなく、美味しい料理であると……。
ゴッコ汁の配布は予想以上に静かに、つつがなく行われた。
押し合いへし合いなどする市民は誰一人としていなかった。そんなところに時間を使うならば、ゴッコ汁をさっさと食べてまた並べば良いのだ。
また自衛団が列の整理を行ったのも良かった。
常に低姿勢で、市民を威圧せず、話しかけられれば笑顔で答えている。
よほど函館市民に愛されているのだろう。問題が起こらないか見回る彼らに、市民がよく声をかけていた。
自衛団は第二次スタンピードで街を守った。
さらにダンジョン主を倒して街に食糧を提供してもいる。
今回のゴッコ汁だって、素材は自衛団からの無償提供だ。
それほど市民に尽くしている自衛団が、愛されないはずがないのだ。
自衛団の様子を窺いながら、晴輝は配布されたゴッコ汁を手に取って、空いている座席に腰を下ろした。
箸を手に取り、晴輝と火蓮が互いに目を合わせて軽く頷いた。
「「頂きます!!」」
パチン! と割り箸を割って、晴輝はゴッコ汁に口を付けた。
「――ッ!!」
汁を啜ると、口の中いっぱいに海産物の香りが広がった。
濃厚な出汁に、味噌の味が非常に良くマッチしている。
汁に混ざった、ゴッコの卵がプチプチと弾ける食感も素晴らしい。
ゴッコの身は大半がコラーゲンだ。
プリプリとしていて、口の中にいれると途端に解けていく。
ゴッコと一緒に入れられた野菜も、ゴッコ汁のうま味を引き立てている。
「……素晴らしい」
感涙を滲ませながら、晴輝はゴッコ汁を啜っていく。
「うぐ……うぐ……」
火蓮は感涙にむせび泣きながら、必死にゴッコを食している。
彼女の様子を見て、晴輝は内心何度も首を縦に振った。
そうだろう、そうだろう……と。
ゴッコ汁は味に拘る晴輝が認めた、北海道料理のひとつだ。
美味しくないはずがない。
晴輝の食事に興味があるのか、エスタがこちょこちょと触角を動かしている。
試しに晴輝はゴッコを一切れエスタに分け与えた。
口に含んだエスタは、舌に合わなかったのか次を要求することはなかった。
エスタはパリパリの食感が好みなのか、あるいは海鮮系は苦手なのかもしれない。
「じぃー」
晴輝と火蓮の食べっぷりを見て、自分も食べたくなったのだろう。チェプがポケットから顔を出し、物欲しそうな目で見つめている。
その視線に気付いた火蓮が、僅かな逡巡を見せつつもチェプにゴッコを分け与えた。
「はふっはふっ!! コラーゲンが体に浸透していきますわ!! 益々美しくなってしまいますわねどうしましょうー!?」
どうもしないし、どうにもならん。
チェプの様子を見て、晴輝はがくっと肩を落とした。
しかしチェプよ、それで良いのか?
晴輝は疑問の目を向ける。
(お前それ、共食いだぞ?)
晴輝の冷ややかな視線に気付いた様子もなく、チェプはゴッコのコラーゲンに感動しっぱなしであった。
三つの大鍋で作られたゴッコ汁が底を突くのはあっという間だった。
市民全員が一通りゴッコ汁を堪能し尽くした。
鍋は空になってしまったが、空になっても文句を言う者は誰一人としていなかった。
それは無償提供を受けたからではなく、それだけ皆がゴッコ汁で満足出来たということだろう。
晴輝から見える範囲の市民は皆、満足そうは表情を浮かべてお腹を撫でていた。
晴輝と火蓮も、ゴッコ汁を堪能させてもらった。
「「ご馳走様でした」」
頂いた命と、作り手と、自衛団の心意気に感謝を示し、晴輝と火蓮は箸を置いた。
「……美味かった」
タプタプしているお腹を撫でながら、晴輝は至福の吐息を漏らす。
「ところで――」
料理を食べ終えた晴輝は、ようやく現実に目を向けた。
敵愾心は一切ないし、なにより晴輝をじっと見つめてくれている。
見られてる! ひゃっほう!! と心が沸き立つが、さすがにそろそろ触れてやらねば可哀想である。
「…………なにか、ありました?」
そう、晴輝はすぐ傍で膝を突いて待機していた、男たちに問いかけたのだった。
ゴッコ汁は道南のジャスティス!
道南では味付けが味噌。道央だと醤油が多いです。




