依頼完遂の報告を行おう!
マァトは小汚い男を見下ろしていた。
彼の体にはマァトの羽根がいくつも纏わり付いている。
彼が床に倒れ込んだのは、この羽根が原因だ。
羽根は罪に合わせて重くなる。
人としての領分を超えなければ白いまま。
領分を超えると黒く変色していく。
黒くなった羽根は罪人を捕縛せんと重みを増す。
最悪、羽根の重さによって罪人は圧壊する。
自ら犯した罪が、自らを押し潰すのだ。
これがマァトの特殊スキル【天秤】の能力だ。
吉岡の体にまとわりついた羽根の色は灰色。漆黒ではない。
つまり彼はそこまで人理を外れた人物ではなかったのだ。
彼は真剣に函館を思って働いていた。
予算が降りない自衛団をなんとかして運営し、誇りに賭けて函館市民を守ろうとしていた。
函館を思う気持ちの方向が、他とは少し違っていただけ。
方向性は違ったが、自衛団員や市議会議員と同質の思いを、彼は抱いていた。
それが悪に寄ったのは、思いが行きすぎたから。
彼の思いが行き過ぎてしまったのは――羽根が反応するほどの行動に出てしまったのは、偏に彼の背中を押す者の存在があったから。
「…………ぴゅる」
吉岡の耳からヌルっと這い出てきたモノを見たマァトは目を細めた。
出てきたのは黒。
漆黒の蛇。
それがズルッ、ズルッと吉岡の耳から這い出てきた。
黒い頭にある、2つの真紫色の瞳をマァトに向ける。
弱い人間ならば心臓を握られ、呼吸困難に陥るだろう。蛇の瞳にはそれほど激しい憎悪が滾っていた。
酷い悪臭だ。
マァトは鼻を覆うように、自らの羽を前に翳した。
その蛇は悪意の権化。
本来受肉するはずのない概念だ。
それが何故こんな所に?
吉岡の体から悪意の権化が完全に這い出すと、吉岡の体を押し潰さんとしていた羽根から色が抜け落ちた。
今ではほんの少しの陰りを残すのみ。
もう彼の腕力でも十分這い上がれるほどの重みしかない。
やはり羽根は吉岡ではなく、吉岡に巣くった悪意の権化に反応していたようだ。
マァトは手を伸ばし羽根を飛ばす。
しかし蛇は素早く羽根を回避。
的を絞らせぬよう壁に天井にと移動を繰り返し、マァトの背後に回り込んだ。
「――ぴぇっ!」
マァトの口から焦りの声が漏れた。
慌てて振り返るが、蛇は既に扉の隙間に体をねじ込んでいた。
既に体の半分が部屋を出ている。
マァトは即座に蛇の後を追おうとした。
「ぴっ!?」
しかし、マァトでは隙間から出られない。
扉も開けられない。人間の手に合うサイズで作られたドアノブは、小さなマァトでは握れない。
試しにノブの上に留まるが、ノブはちっとも動いてくれない。
まずい、まずい。
扉の前でパタパタと慌てたマァトがくるくる回る。
その間に、漆黒の蛇は扉の向こうへと消えていった。
このままでは、悪意が蔓延してしまう。
――その前に、なんとかしないと。
「ピチチ!!」
僅かに開いた窓からマァトは慌てて飛び出して、大空へと羽ばたいていった。
*
本部を出てしばらくすると、マァトが空を舞って戻ってきた。
肩に留まったマァトはすぐに晴輝の羽根輪に潜り込んだ。
親鳥に包まれている感覚なのか。
晴輝の羽根輪は、すっかりマァトの寝床代わりになってしまった。
晴輝らはその足で武具販売店に赴き、カゲミツが店員に討伐に至るまでの経緯を説明した。
待っている間、晴輝は函館の武具販売店の品揃えをチェックする。
品数は札幌と同等か。
しかし、品質がやや初心者よりである。
高級な武具もあるにはあるが見世武具だ。
5階までしかないダンジョンでは、強い武器は売れないのだ。
それでもミドルクラスまでの武具は取りそろえられていた。
短剣はエントリーのみ。少々寂しいが、人気が無いのだから仕方がない。
晴輝はミドルクラスの防具が取りそろえられている棚を巡る。
そろそろ防具の更新をしておきたかった。
鎧は作って貰う予定はあるが、手足防具を購入する予定はない。
このままだと鎧ばかり強くなってしまう。
だが鎧ばかりが強くても、他が弱いとバランスが悪い。
現在晴輝はワーウルフを楽に倒せるレベルになっている。
手足の装備はエントリークラスの“一”。
ミドルクラスの“壱”に交換しても良い時期である。
手防具は武器の扱いに直結する。
この防具の質が高いと、素手で握っているような感触に、高い防御力、そして高いグリップ力が得られるようになる。
特にグリップ力――摩擦は握力を向上させる。
握力が上がると攻撃力も上がる。
目には見えないが、手防具は攻撃面で重要な防具なのだ。
足防具は敏捷に直結する。
質が高くなると防御力もそうだが、急制動時のロスが低減し、より効率的に地面に力が伝わるようになる。
(どんな防具にしようかなあ)
晴輝は真っ赤なものや真っ青なものなど、人の目を引きつけるような発色の装備から優先的にチェックしていく。
「あ、あのっ……く、空気様」
背後から声が聞こえ、晴輝は棚から視線を上げた。
声をかけたのは、この店の店員だ。
依頼完了の説明は終わったようで、カゲミツが他のメンバーと一緒になって店内を物色していた。
「えっと、なにか?」
「あ、はい。あの、なにかお探しですか?」
店員がおどおどしながら晴輝に尋ねた。
何故そこまで怯えているのだろう? 晴輝は首を傾げた。
「まあ、そうですね。手足防具を探してます」
「そ、それでしたら――」
(おっ?)
なにかオススメの防具があるのだろうか。
店員の提案を予測して期待を膨らませた晴輝はしかし、
「すみません!」
謝られてしまった。
「へ? なんで謝るんですか?」
「どうか、どうか夕月さんのお店でご購入してください! じゃないと私、夕月先輩に……」
ガクガク、と彼女が体を震わせる。
なるほど。
晴輝は何故彼女が怯えているのかが、判った気がした。
そして北海道トップチームのエアリアルを差し置いて、真っ先に晴輝に話しかけてきた理由も、おそらくそのせいだろう。
彼女は朱音に脅されているのだ。
朱音のことだ。『アタシの客を奪ったら全力でブッ潰ス!!』とかなんとか言ったに違いない。
函館の武具販売店で購入して、朱音を困らせてやろうか? それも面白そうだ。
しかし朱音がここの店員に迷惑をかけかねない。
朱音暴走のとばっちりを食らわせるのはさすがに忍びないので、晴輝は仕方なく店員の提案を受け入れた。
「で、ではっ! 早速夕月先輩に一報を入れますね!!」
「え、いやそれは――」
怯えが消えてパッと笑顔を咲かせた店員は、晴輝の言葉も聞かずに小走りでカウンターに戻っていった。
「なにも一報を入れなくても……」
晴輝は手足防具が欲しいと考えていたが、購入すると決めていたわけではない。
朱音なら購入したいと思う手足防具を揃えてくれるだろうが、さすがに一報を入れるほど急いでいるわけではないのだ。
それに、朱音のことである。
「晴輝が手足防具を買うってよ」などと一報を入れたら興奮しすぎて夜、眠れなくなるのではないか?
そんな不安が付きまとう。
しかし、興奮して眠れなくなっても、相手は朱音だ。
眠れないことさえ、仕事なら幸福と感じてしまいそうな奴である。
心配する必要はまったくない。
受話器を耳に当てながらほっとため息を吐き出す店員を眺めながら、晴輝は「ま、いっか」と、K町にいる朱音がこれから起こす所業についての思考を放棄するのだった。
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