黒い騎士に反撃しよう!
彼女の生存への強い願望が、晴輝の心を激しく揺さぶった。
瞬間、晴輝の思考が爆発的に速度を上げた。
集中力が上限を突破。
全ての力が、現状の打開に注がれる。
すると即座に、晴輝は違和感に気付いた。
――気だ。
カムイ岩全体が、気で被われていた。
山や森は気で被われていない。
にも拘わらず、カムイ岩だけがダンジョンと同じように全体が気で被われていた。
つまりここは――。
確信すると同時に、晴輝は素早く念じた。
――ダンジョンだ!
元からそうだったのか、途中から変質したのか。
いずれにせよ、自然界にはない気が岩全体を被っていたことから、ここがダンジョン内であることは明白だった。
ここがダンジョンなら、スキルボードが取り出せる。
晴輝が確信した通り、スキルボードはタイムラグなく晴輝の手に出現した。
この戦闘を、優位に進めるために。
最悪の状況を回避するために。
晴輝はボードを、力一杯タップする。
スキルポイント:3→0
-敏捷力<+1>→<+2>
├瞬発力5
└器用さ5
筋力や技術は圧倒的に騎士が優位。
しかし、瞬発力に関してのみ晴輝は僅かに騎士と釣り合っていた。
これは晴輝が前もってコッコの羽根輪を強化し、さらに敏捷力ツリーを開放していたおかげだ。
敏捷力をさらに上げて、相手の攻撃を回避出来るようになれば、脱出出来る可能性が生まれる。
しかし、晴輝は既に逃走の一手を自らカムイ岩の崖の下に蹴り落としている。
晴輝は冒険家であり、目の前に魔物がいる。
ならば、やるべきことは一つしかない。
即座にスキルボードを消して短剣を構える。
晴輝の殺気に気づいたか。黒い騎士は僅かに足を止め、中身の見えぬ兜の顔部を晴輝に向けた。
敵意と殺意が空気を尖らせる。
現在騎士は大剣を持っていない。
大剣を拾わせなければ、戦いを優位に進められる。
そう思った矢先、騎士は軽く前に手を翳した。
次の瞬間。
騎士は大剣を手にしていた。
「――ッチィ!」
スキルボードと同じ性質があるのか。
まさか拾わずして、大剣を手に出来るとは想像もしなかった。
しかし戻ってしまったものは仕方がない。
晴輝は意識を、戦闘へと深く潜らせる。
「――レア」
晴輝の合図と共にレアが投擲。
これらはすべて剣に弾かれた。
弾かれる事を見越し、晴輝は加速。
背後に回り込み短剣で一閃。
防御が硬い。
晴輝の攻撃は表面に軽く傷を付けた程度だった。
しかし今度は、慌てない。
晴輝は相手を翻弄することだけに意識を集中させる。
集中し、集約し、収束し、収斂する。
極限まで圧縮した意識を、戦闘その1点にのみ注ぐ。
挙動を観察し、行動を感知し、攻撃を察知する。
反撃を実行、修正、再試行。
スキルボードで強化したおかげで、晴輝の素早さが騎士のそれを僅かに凌駕した。
だが、まだ慣れぬ能力で大きく動いたせいで隙が生まれた。
その隙に、騎士が合わせた。
まさに刹那のタイミングだった。
恐るべき反射、おそるべき技術。
実に嫌らしい。
その攻撃を、
――ガギッ!!
エスタが飛び上がり受け流す。
しかし受け流したエスタは、無傷とはいかなかった。
先ほど生まれた裂傷が、より広がってしまった。
「エスタ。無理をするな!」
「(にゅにゅ!)」
エスタが触覚を横に振って、大丈夫だと晴輝に告げた。
僕を信じて、と。
「……わかった」
仲間が傷付くことへの不安はある。
だが晴輝は軽く顎を引いた。
レアが連続投擲。
そのあいだに晴輝はバックステップ。
体勢を立て直す。
騎士は律儀にレアのジャガイモ石を剣で弾いていた。
(俺の攻撃は体で受けてるのになんで…………まさかッ!)
『神居古潭』最深部で晴輝はジャガイモ石を強化した。
短剣とは違ってそれを体で受けないのは、強化された石のポテンシャルの高さに、騎士が気づいているからか。
(……その可能性は十分考えられる)
晴輝は早速、作戦を組み立てる。
その意識を、レアとエスタと共有した。
「いくぞっ!」
晴輝は声を上げて騎士に迫る。
時雨から教わった予備動作ゼロの移動に、騎士の動きがほんの僅かに遅れた。
晴輝は奥歯を食いしばり、全力で短剣を振り下ろす。
目標は――大剣だ。
――ィィィィイイン!!
魔剣とワーウルフの短剣が、ほぼ同時に大剣に接触。
晴輝と騎士の中央で、金色の火花が瞬いた。
接触していたのはコンマ1秒ほど。
力で劣る晴輝はあっさり、後方に突き飛ばされた。
しかし、戦闘中にコンマ1秒あれば、3度は攻撃出来る。
晴輝が稼いだ僅かな時間に、レアが全力で投擲した。
――ダダダッ!!
レアが投擲したジャガイモ石が全弾、騎士の仮面に直撃した。
直撃した仮面が、少しずつへこんでいく。
投擲の直撃により、騎士のバランスが崩れた。
体が大きく後ろに傾ぐ。
騎士は素早く片足を後ろに下げた。
転倒により生じる大きな隙を避けたかったのか。
騎士は、ギリギリで転倒を堪えた。
だが、
「これはお返しですッ!」
騎士の背後。
そこには、額から血を流しながらも、杖を振りかぶった火蓮がいた。
*
己の体に大剣が直撃したとき、火蓮は自らの身に何が起こったのかまるで理解が出来なかった。
攻撃を受けたことさえ分からなかった。
前衛として戦える身体能力のない火蓮では、騎士の攻撃が目に留まらぬのも無理はない。
自らが攻撃されたのだと気付いたのは、火蓮の意識が戻ったときだった。
彼女の体を、激しい痛みが苛んだ。
「う……ぐ……」
痛い。痛くて泣きそうだ。
指先を動かすだけで、全身が悲鳴を上げる。
少しも動きたくない。
己の人生で初めて負う大きな怪我に、火蓮の闘争心は完全に挫けていた。
そんな火蓮の耳に、鉄を打つ甲高い音が届いた。
(空星さん……)
火蓮はすぐに気が付いた。
あの悪魔のような騎士と、晴輝が戦っていることに。
気付いた途端に、火蓮は闘争心を持ち直す。
――こんなところで寝ていたら。すべてを彼に任せてしまったら。またダメな自分に戻ってしまう!
火蓮は奥歯を食いしばり、悲鳴を上げる体を必死に動かした。
上体を起こすと、額からポタポタと血液がしたたり落ちた。
酷い頭痛を荒い呼吸で誤魔化しながら、火蓮は手元にあった杖をたぐり寄せた。
地面には火蓮が接触した痕跡がくっきりと残っていた。
その痕跡は火蓮の元から10mほど先まで続いている。
一体騎士の攻撃がどれほど凄まじかったか。火蓮はその痕跡で理解した。
それほどの攻撃を受けても意識を完全に刈り取られるまでに至らなかったのは、火蓮の防具と、腕輪があったからだ。
勇者マサツグから頂いたカプセルから出現した、謎の腕輪。
これを通して力を送ることで、火蓮の体に膜が被った。
この膜が、火蓮の防御力を数段階引き上げた。
腕輪は己の気力を消費することで防御力を底上げする、魔法使い専用の魔防具だったのだ。
火蓮は杖を支えに立ち上がる。
同時に杖に気力を込めるのも忘れない。
己の状況を整理し、理解する毎に、火蓮の内面では激情が燃え上がっていった。
ツリーを強化してもらったのにダメージを与えられなかった、力無い自分に。
一人戦う晴輝を放置して、一瞬でも心が挫けてしまった情けない自分に。
そしてなにより、目の前の理不尽な力の権化に対して。
火蓮はとにかく1発、全力で殴りつけて発散しないと気が済みそうになかった。
それはただの逆恨み。逆ギレである。
しかしその感情こそが、火蓮を猛烈に突き動かした。
感情とは裏腹に、火蓮は冷静に戦況を分析していた。
これが朱音対ルッツなら、朱音がルッツに呑まれる流れだ。
このダメな流れを、火蓮が断ち切らなければいけない。
断ち切るためには、先ほどのような一撃では意味がない。
己の最大魔法を以てしても、騎士をコンマ1秒止めることさえ出来なかったのだ。
騎士に、魔法は通じない。
――はたして、そうだろうか?
火蓮は自問自答を行う。
あれほど巨大だったダンジョン主の巨木が相手でも、火蓮の雷撃は通用した。
肉体があれば、確実にダメージは入るのだ。
騎士に魔法が通じないなら、通じない理由――魔法耐性を底上げしているなにかがあるはずだ。
(騎士が装備している鎧が原因?)
そして、先ほどの雷撃は自分にとって、最大最強の一撃だったのだろうか? とも……。
考えている合間も、晴輝は戦闘を続けている。
早く彼を、助けたい。
焦る思いが気力と成って、杖へと流れ込んでいく。
普段なら制御出来ぬほど、杖には膨大な力が蓄えられている。
しかしツリーをレベルアップさせたおかげもあって、火蓮はギリギリ制御出来ていた。
――この一撃を、確実にするためには。
戦闘で生み出される、大きなチャンスをものにするために。
火蓮はゆっくり、二人の戦場へと近づいていく。
晴輝と騎士の動きを必死に追い続ける。
戦闘を眺めていると、ついにその兆しが現れた。
これまで様子見だった晴輝が、攻勢に出た。
その兆しを見逃すことなく、火蓮は走った。
気力は魔法に変化する。
この性質が、騎士にとって有利に働いているのではないか?
つまり魔法に変換せず、気力をそのままぶつければ――。
そう考えた火蓮は、杖を大きく振りかぶった。
――体に魔法が届かないなら。
――魔法ではなく、気力を直接流し込めば良いだけだ。
晴輝が両手で大剣を押し込んだ。
そこに、レアがジャガイモ石を発射。
頭を打たれたことで、騎士が大きく仰け反った。
その騎士の背後には――火蓮がいた。
火蓮は、これを待っていた。
(――倍返しです!!)
火蓮は杖を、騎士の後頭部めがけてフルスイングした。
杖に込めた気力が暴走気味に炸裂。
火蓮最高威力の魔法杖での一撃が、
騎士の防御を、吹き飛ばした。
――ッパァァァン!!
「うぉ!?」
騎士の兜が、まるで溶けるようにして爆ぜた。
魔杖撃の火力を目にした晴輝は、その衝撃に驚き声を漏らした。
普通の魔物ならば致命的な一撃だった。
しかし騎士にとって、その攻撃は致命傷にはならなかった。
兜の中には、本来あるべき頭部がなかった。
騎士には、肉体が存在しなかったのだ。
通常ならいまの一撃で勝利を確信して手を止めていただろう。
だが晴輝は、攻めの体勢を崩さない。
即座に追撃に移る。
だがそれでも、晴輝より火蓮の方が早かった。
――ッダァァァン!!
直上より飛来した雷撃が、鎧の中を蹂躙した。
自ら放った雷撃の衝撃により、火蓮が後方に飛ばされた。
――いや、衝撃だけではない。
そこまでの強い衝撃波は発生しなかった。
火蓮は衝撃に合わせて、自ら後方に飛んだのだ。
騎士からの反撃を避けるために。
「火蓮、これを!!」
彼女の意図に気付いた晴輝は素早く背後に手を回し、鞄から仮面を取り外して火蓮に投げた。
それは存在感を覆い隠す性質を持つ仮面だ。
火蓮は現在、騎士に最もダメージを与えた。
ヘイトを大量に稼いでいるので、騎士は次に火蓮を狙うだろう。
しかし火蓮は騎士の攻撃を回避出来ない。逃げられない。
それならば、隠密性能のある仮面をかぶって騎士の目を誤魔化すしかない。
そんな晴輝の意図を理解したのだろう。
火蓮は僅かに顔を引きつらせ、しかし意を決したように仮面を顔に押しつけた。
途端に、すぅっと火蓮の気配が希薄になった。
それを見た晴輝から、血の気が引いた。
「……なんて凶悪な性能なんだッ!!」
まさに悪魔の所業である。
もし晴輝が間違って装備しようものなら……。
たったそれだけで、地球上より空星晴輝が消えてしまうかもしれない!!
むしろ近くにあるだけでも晴輝の存在感が危険だ。
徐々に浸食されていくかもしれないと考えるだけで、薄ら寒い気分にさせられる。
「うぅ……」
仮面を受け取った火蓮は、強烈な寒気に体を震わせた。
魔杖撃と雷撃の連続行使によって、体温が急激に低下してしまったのだ。
気力を消費すると、通常は気疲れに似た状態となる。
集中力の持続が困難となり、体の芯が重くなるのだ。
今回体温が低下したのは、大量の気力を短時間で消費したためだろう。
おまけに通常の気力喪失症状もそこに加算されている。
体が鉛のように重い。
これではしばらく戦えない。
火蓮は晴輝に言われた通り、気配を薄くする仮面を必死に顔に当てながら、体の震えを押さえ込むのだった。
その仮面の恐るべき造形を、出来るだけ想像しないようにして……。




