黒い騎士に対応しよう!
既に魔物から距離を開けた火蓮が注意を促す。
先ほどまではなにもなかったカムイ岩の地面に、うっすらと魔方陣が現れていた。
気で描かれた魔法陣だ。
その図柄は、10階のステージで浮かび上がったものと全く同じだった。
「チェプ逃げろ!」
晴輝の叫びに、しかしチェプは一切反応しない。
眼球運動さえない。
気絶?
しかし何故……。
理由は定かではないが、助けないとチェプの命が危険である。
晴輝は慎重に足を動かした。
そのとき――。
先ほどまで動きのなかった騎士が、突如動き出した。
「――ッ!」
晴輝は即座にその場からバックステップ。
刹那。
晴輝が立っていた場所を、漆黒の大剣が通過した。
先ほどまではただ隙なく立っていた騎士に、いまでは明確な殺意が宿っている。
その殺意に、晴輝は僅かに気圧された。
隙の無さ。殺意の強さ。素早い剣筋。
どれをとっても、晴輝の上を行っている。
「は……はは……!」
……滅茶苦茶だ。
攻撃のあまりの鋭さに、晴輝は思わず笑ってしまった。
おまけに相手は全身が鎧。
筋肉の僅かな挙動を見抜き対処する晴輝にとって、鎧に被われた騎士は相性が最悪の相手だった。
顔はフルフェイスの兜に隠されている。視線で狙いを読み取ることさえできない。
だがそういう相手と戦うのは初めてではない。
暗黒巨木との戦闘で、晴輝は筋肉や骨の動きに囚われずに巨木の動きを推測している。
その戦闘経験を、無駄にしてはいけない。
晴輝は弱気を振り払い己を鼓舞した。
騎士は晴輝に次々と攻撃を仕掛けてきた。
晴輝は、ギリギリで騎士の攻撃を捌いていく。
たった1撃で体勢が崩されるほどの攻撃を、何度も受け止める。
危険な角度の攻撃にはすかさずレアも反応。
ジャガイモ石で大剣の軌道をねじ曲げる。
(――ん?)
その時、騎士の憎悪が動いた。
攻撃は依然として晴輝に向けられている。
しかし角度が僅かに変化している。
――レアか!
晴輝は騎士の攻撃が丁度、レアの命を絶つ角度だということに気付いた。
内心慌てた晴輝だったが、攻撃を捌くあいだにだんだんと冷静さを取り戻していく。
騎士の攻撃が僅かに軽くなった。
込められた殺意は同じ。違いは、角度だ。
(……なるほど)
攻撃の角度が僅かに変わったことで、晴輝は騎士の攻撃をギリギリ受け流せるようになったのだと晴輝は理解した。
暗黒騎士とチェプ。
そして、まだ違和感の解明が出来ないこのカムイ岩。
考えたいこと、尋ねたいことは山ほどあった。
だが考える余裕はない。尋ねられる相手も居ない。
晴輝は僅かでも戦闘から思考を逸らすことが出来ない。
出来ないことずくめだ。
だがやらなければその時点で終わり。
騎士の大剣に、一瞬で切り刻まれてしまう。
だから集中しろ。
集中するんだ!
集中し、集約し、想像し、想定する。
相手の一挙手一投足を頭に刻み込み、動きを想像する。
僅かなクセも見逃さない。
イメージをデータ化し、統合し、予測の精度を上げる。
相手の攻撃を、予備動作を、
あらゆる狙いを見極めろ!
この危機な状況から、なんとしてでも脱するんだ!!
思考が加速。
じりじりと、晴輝の脳が熱を帯びる。
受けて、避けて、サイドステップ。
回り込んで、バックアタック。
刹那、加撃。
――硬ッ!
魔剣で切りつけた感触に、晴輝は思わず顔をしかめた。
いままで感じたことのない手応えだった。
(鎧は鉄なんだから当然か)
浮かんだ言葉に晴輝は苦笑。
すぐに表情を引き締める。
晴輝の攻撃と同時に、レアが投擲を合わせた。
二本のノズルから放たれる無数のジャガイモ石。
回避するのも困難なそれを、なんと騎士は剣で払い落としてしまった。
こいつに、ダメージを与えられるのか?
晴輝は瞳を凝らす。
弱点看破により、騎士の体にうっすら光が灯る。
光が灯ったので、ダメージは与えられる。
しかし、致命傷に至る太いラインがない。
いずれも表面に傷を付ける程度の光しか、騎士の表面には浮かんでいなかった。
――そんな、どうすれば。
晴輝が困惑した。
その瞬間、
「――なっ!?」
騎士の大剣が晴輝の眼前に迫る。
晴輝が見せた僅かな隙をついた一撃だった。
晴輝は全力で退避。
しかし、間に合わない。
大剣が接触するまでに、重心を変えるだけで精一杯。
晴輝は未来を予測し、死を確信。
己の命を奪う大剣を睨み付ける。
その大剣が、
――ガギッ!!
軌道を変えた。
原因はエスタだ。
エスタが大剣に接触し、空中で大剣の軌道を無理矢理ねじ曲げた。
僅かな変化。
それに、晴輝は合わせた。
――ィィイン!!
騎士の大剣を、魔剣で受け止める。
力の差は、圧倒的。
おまけに体勢も最悪だった。
晴輝は衝撃を受け止めきれず、後方に吹き飛ばされた。
地面に一度接触。
跳ねて飛んで一回転。
晴輝は勢いを殺すため四つん這いになり、両手の短剣を地面に突き刺した。
ガガガ、と激しい音を立てながら短剣が地面を削る。
10メートルほど滑走し、ようやく晴輝は攻撃の勢いを殺し切った。
無事に怪我もなく耐えきった。
だが滑走の衝撃により、手足が痺れてしまった。
騎士の攻撃はまだ、晴輝の頭を揺さぶっている。
あまりに理不尽な力だった。
だが、晴輝はまだ、生きている。
「は……ははっ!」
生と死に揺れる刹那。
全力で生をもぎ取った興奮が、晴輝の体を熱くした。
極限に達した緊張が、全身をビリビリ震わせる。
騎士は以前晴輝が戦ったリザードマンより、明らかに上位の存在だ。
ダンジョンの魔物なら35階から40階相当。
晴輝では近寄ることさえ無謀である。
それでも、晴輝は立ち向かう。
圧倒的脅威を前に、なされるがまま黙って死んで行く趣味はない。
死ぬならば、前を向いたままで……。
それが冒険家という生き物だ。
晴輝は痺れる手足に活を入れて立ち上がる。
なんとか立ち上がるも、既に騎士は攻撃態勢に入っていた。
動け。
――動け!!
晴輝は無言で叫ぶ。
しかし、間に合わない。
間に合わないことが、晴輝には明確に理解出来た。
それでも、叫ぶ。
動け。
動けよこの体!!
晴輝は諦めず動いた。
次の瞬間、
――ッダァァァァン!!
天より飛来したまばゆい光が、暗黒騎士の頭上に落下した。
同時に、轟音。
地面が揺れる。
パラパラと、砕けた細かい岩石が晴輝の仮面に当たり音を立てる。
その音を聞き、晴輝は素早く移動を開始。
現在の光は、火蓮の雷撃だ。
かなりチャージしたのだろう。晴輝が見たことがないほどの大きな雷だった。
ワーウルフ程度なら、消し炭さえ残らない威力を晴輝は感じた。
攻撃は確実に騎士を直撃した。
だが晴輝は気を緩めなかった。
目の前にいる魔物は、1度の雷撃で膝を屈する存在ではない。
下手をすれば、スタンさえしない可能性がある。
そう予測し、晴輝は騎士を回り込む。
その予測が、功を奏した。
晴輝が先ほどまで存在していた場所に、騎士の大剣が深々と突き刺さった。
相手の出方を窺っていたら、真っ二つにされていたに違いない。
「火蓮。逃げるぞ!」
「はい!」
晴輝は叫んだ。
自分達で敵う相手ではない。
立ち向かって命を散らせるなど無謀を通り超して無駄である。
故に、晴輝は逃亡を選択した。
しかし、
「――カフッ!!」
晴輝の視界の端で、火蓮が宙を舞った。
一体なにが!?
晴輝は即座に身構える。
騎士はまだ、晴輝を攻撃した場所に居る。
だがその手に武器はない。
火蓮を吹き飛ばしたのは、騎士の大剣だった。
騎士はあろうことか、逃亡する火蓮の背中目がけて大剣を投げつけたのだ。
投げつけた大剣が地面に落下し、カランと乾いた音を立てた。
「な……」
1秒だって油断出来ない戦闘中だというのに、晴輝は呆けてしまった。
晴輝はまさか、相手が戦闘中に武器を投げるなど想像もしていなかったから。
遅れて、激しい怒り。
何故その程度の攻撃を予測出来なかったのか? と。
晴輝だって短剣を投げて攻撃するのだ。
武器投擲の可能性は、常に考えておくべきだった。
そして僅かな感動を覚えた。
魔物もそんな戦い方をするのか、と……。
晴輝は地面に倒れた火蓮を素早く観察する。
大剣を受け止めたか、あるいは当たり方が良かったか。
火蓮に切断されたような重傷は見られない。
しかし、火蓮が騎士の攻撃をまともに受けてしまった。
攻撃の衝撃をもろに食らった火蓮は、冗談のように吹き飛び地面を転がった。
火蓮が恐るべき勢いのまま地面を転がったせいで、ワーウルフのローブがボロボロだ。
白に近いローブの随所に血液が付着していた。
それでも火蓮は――生きてる。
生存を確認し、晴輝は荒ぶる感情を理性で抑え込む。
晴輝は相手の動きを未だに掴みきれていない。
その間に致命的な状況まで押し込まれてしまった。
晴輝の攻撃では傷が付けられそうもなく、レアの投擲に至ってはすべて剣で弾かれる。
チームの中で最も硬いエスタは、先ほどの衝突で甲殻が僅かに割れていた。
火蓮の雷撃もダメージを与えられなかった。
チームで一番のダメージソースである火蓮は、投げつけられた剣に吹き飛ばされ気絶した。
文字通り、手も足も出せない。
一方的な蹂躙だ。
(……最悪か)
状況は最悪だった。
晴輝はまさか、階段までたどり着かないと思わなかった。
見通しが、甘すぎた。
そのせいで、火蓮に怪我を負わせてしまった。
(すぐに逃げていれば良かった……)
全ては自分の判断ミスだ。
晴輝は唇を、強く噛みしめる。
晴輝が見つめる中、漆黒の騎士は静かな足取りで近づいてくる。
ゴゥゴゥと、神居古潭を流れる濁流の音が耳に響く。
流れは先ほどよりも、激しさを増している。
晴輝の視線の端に、放心するチェプが映った。
彼女の口は喘ぐように動き、目の端からは涙が溢れ落ちていた。
(彼女の口の形は……)
ゴゥゴゥと、耳の奥で濁流が鳴る。
消えない、止まない、収まらない。
集中力が1秒を永遠に引き延ばす。
思考が加速し、無数のファクタが脳内を駆け巡る。
神居古潭。濁流、亀裂、一番鮭。
下級神の使いに、特殊クエスト。
「ああ、そうか……」
晴輝はようやく、違和感の正体に気がついた。
意識の深層から戻った晴輝は、深く息を吸い込み立ち上がった。
深い意識の底ではいまも思考が回転を続ける。
カムイ岩での戦いはまだ、なにも終わってはいなかったのだ。
これはいわば、派生クエスト。
黒い魚人を討伐した、かのイベントはまだ継続中だったのだ。
神居古潭には悪神がいた。
悪神は川を行き交うアイヌ達を川に沈めた。
その神を討伐するために、サマイクルは立ち上がる。
神居古潭に居るカムイ達とサマイクル、それに悪神に住み処を脅かされた自然霊が手を合わせ、悪神を討伐した。
その神々に感謝を捧げるため、川で取れた一番鮭をアイヌ達は捧げるようになった。
これが神居古潭の伝説。
口伝のためアイヌの集落により子細は違うが、概ねこのようなストーリィだ。
このストーリィが元となったクエストであれば、一番鮭が捧げられるのは救いの神である。
決して悪神を呼び出すための贄ではない。
つまりこの漆黒の騎士を呼び出したのは、チェプではない。
悪神に見立てた騎士は、ダンジョンが呼び寄せた。
ダンジョンイベントが晴輝らを救いの神に見立て、チェプを用いてこの戦闘へと導いたのだ。
かつて悪神とサマイクルが熾烈な戦闘を行った跡の残る、このカムイ岩へと……。
チェプのスキルボードには精霊の特殊スキルがあった。
これが、ダンジョンに生み出された者の証しだとしたら。
精霊がクエストの進行を司るためのスキルなのだとしたら。
そしてクエストの進行時のみ、生存権が与えられていたのだとしたら。
もしかしたら彼女は、もう……。
晴輝はほんの少し、隙間風のような寂しさを感じた。
それ以上に、自らに対して激しい怒りがわき上がる。
動きを止めたチェプの口。
その動きが、言葉に結びついた。
――イキタイ。
生きたい。
まだ生きていたい。
彼女の生存への強い願望が、晴輝の心を激しく揺さぶった。




