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希望の国

 

 夢を見る。

 幻を見る。

 聞こえるはずのない罵声が、悲鳴が、懇願が聞こえる。

 それは記憶だ。

 確かに目の前で起こった──自らが起こした、現実の、記憶。

 目を閉じていても、耳を塞いでいても、それらは絶え間なく心を蝕む。


 だから、消えてしまいたかった。

 逃げてしまいたかった。

 存在そのものを打ち消して、見ることも、聞くことも、触れることも、感じることも、何もかもを放り出してしまいたかった。


 それが無責任であるということは知っている。

 では、責任を取るというのは、どういうことなのだろう。

 悔いればいいのだろうか。

 嘆けばいいのだろうか。

 許しを請えばいいのだろうか。


 許されたいなどと愚かな願いを抱いたことはない。

 ただ、消えたい。


 しかし、その願いすら、叶うことはない。

 

 

「着いたわ」

 アエルが目を開けるのと同時に、馬車が止まった。エイラ=ミリシアのかすかに緊張を帯びた声が聞こえる。

 港町ベイスから、一般の馬車に乗って五日。アエル、リスト、エイラの三人は、ブラン大陸西に位置するアウレーに、ようやくたどり着いた。

 丸五日間、三人はほとんど口を聞かなかった。アエルは無表情のまま黙っており、何かいいたげな素振りは見せるものの、リストも口を開くことはなかった。そうなると、エイラが軽々しく話し出すこともできない。結局、非常に重苦しい空気のまま、五日間が過ぎた。

 馬車が滑り込んだのは、円柱型の建物の内部だった。半径五十メートルほどの巨大なその建物は、町の外に向けて大きく口を開けており、その上部には『ステーション』と書かれている。

 外観は三階建てほどに思われたが、入ってみると、それは異様に天井の高い空間を造り上げていた。大小様々な道が放射状に延び、その一部分に馬車が待機している。大半は、馬車の三倍はあろうという巨大な箱が、道の出発点を陣取っていた。馬車のように、車を引く馬がいるというわけでもない。箱の下には、道に沿って三本の長い板が張り付けられている。この箱こそが、ベイス行きの馬車で乗り合わせた男性が語っていた、トレインという乗り物だった。馬などの動物に頼るのではなく、ジュリスによって車を動かすのだ。

 エイラは後ろを気にしながら先頭を歩いたが、アエルもリストも、無言でちゃんとついてきていた。逃げるつもりはないらしい。いくつかの乗り場を通り越し、球面状の壁にそってぐるりと反対側に回る。『5』というプレートがぶら下がったトレインの前で立ち止まった。

「本部へ」

 エイラは、トレインの入り口前に立っていた青い帽子の男に、身分証らしい白いカードを提示した。どうぞ、と男が道を空ける。階段を登り、三人はトレインに乗り込んだ。

 乗ってしまえば、大きな馬車、という印象だった。特に内装に凝っているという様子もない。馬車のそれと同じような木製のベンチが並び、側面には等間隔に窓がついている。

 そのまま数分が過ぎただろうか。やがて、トレインは音もなく動き出した。馬車のような揺れは皆無で、アエルにしてみれば、まるでメランタワーで乗った昇降装置が水平に動いているような感覚だった。前に進んでいるという体感はほとんどないのに、景色が後ろへ動いていくのが、不気味ですらある。

 窓から見える建物は、どれも背が高く、四角く無機質で、同じ都会でもメランとはずいぶんと印象が異なった。木や花の類すら整然と並び、手つかずの自然そのものは皆無のようにも思われた。

「おもしろくない町」

 ぽつりと、アエルはつぶやいていた。十七年前までは、もう少し、暖かみのある町だったはずだ。アウレーはいまや、アエルの嫌う『ジュリス』そのもののような町となっていた。便利ではあるのだろうが、それだけに危うく思えてならない。

 そのうちに、トレインは音もなく止まった。

 青い帽子の男が、外側から扉を開ける。

 外へ出ると、十人ほどの男たちが待ちかまえていた。胸に赤色のバッヂをつけた彼らは、直立不動の体勢で敬礼し、こちらを向いていた。

 その向こう側から、ゆっくりとした足取りで、一人の男が現れた。

「お会いできて光栄です、ヴァストークの歌姫」

 彼は、リストとエイラの存在には気づいてすらいないかのように、彼らには少しも注意を払わず、アエルの目の前まで歩を進めた。目の下に皺を刻み、柔和な笑みを湛えて、手を差し出す。

「はじめまして、希望の国コスモス組織長、ティグレ=ガナドールです」

 アエルは、まだそれほど年老いた様子のない組織長を見上げた。実際に彼はまだ四十九歳だったが、丁寧な口調と柔らかい物腰も手伝ってか、それよりもさらに若く見えた。黒髪には白髪が混じっているものの、それが老いを感じさせるというほどでもない。

 その顔には、かすかに見覚えがあった。だが、向こうもそういっているとおり、初対面なのだろう。知り合いだという記憶はない。

「あたしに用があるのは、おじさん?」

 物怖じもせず問いを投げると、後ろの取り巻きたちに緊張が走る。見た目には穏和な組織長だが、性格もそうというわけではないようだ。

「いかにも、私です。ビジネスの話のために、お越しいただきました。──エイラ=ミリシア」

 ついと視線を移し、エイラを見る。突然矛先が向いたことに驚きを隠せない彼女に、ティグレは柔らかい笑みを向けた。

「ご苦労。良い部下を持って嬉しく思いますよ。しばらくは休暇を取るといいでしょう。下がってよろしい」

「は、はい……」

 ティグレのそれは作り笑いのようには到底思えず、エイラは少々戸惑った。本当に、心から上機嫌なのかもしれない。あの日、エイラを呼び出した彼とは、まるで別人のようだ。

「おねーさん」

 アエルに呼ばれ、エイラはさらに驚く。行動を共にした五日間で、初めて呼びかけられたのだ。

 返事がなくとも、アエルはエイラの隣まで行くと、その左手をつかんだ。無遠慮に袖をめくり、顔を出した金属のブレスレットに触れる。その何気ない動作で、ブレスレットはエイラの手から抜け落ちた。アエルがそれをそのまま放り投げると、地面に落ちるよりも早く、埋め込まれていた茶色のジュリスが砕け散った。

「あなた……」

 エイラは目を見はった。もしかして、と続く言葉を飲み込む。もう用はないとばかりに、アエルが彼女から離れたのだ。

 アエルの動きを、咎める様子もなく見ていたティグレは、実に満足そうに目を細めた。

「それから、リスト=グランデ。本来なら、処分を下すところですが……その働きに免じて、今回は不問としましょう。君がいなければ、こうして歌姫に会うことすらできなかったかもしれない」

 リストが、ティグレを睨みつける。しかし、彼はそんな視線などはまったく意に介さず、アエルを促すように右手で前方を示す。

「どうぞ、こちらへ」

 歩き出す彼の後ろ姿に、無表情のまま、アエルは続いた。思わず追おうとするリストを、取り巻きたちが取り押さえるのが見えたが、そちらへは一瞥をくれただけだった。


 意識的になのだろうか、ティグレはひどくゆるやかに歩を進めていた。他の人間がついてくるということも、だれかとすれ違うということもない。まるでアウレーの町そのものを象徴したかのような、面白みのない無機質な造りの建物に入り、白い廊下の上をただ進んでいく。

 慣れない人間ならば、容易に迷いそうな構造だった。入り組んでいる、ということではなく、どこもかしこも似たような景色なのだ。床や壁に掘られた記号が、唯一道を示しているようだが、それすら、知らない人間にとっては何を表しているのかわからない。

 外はまだ明るく、窓からも光が差し込んできているのに、廊下の壁に等間隔に設置されたジュリスの灯りが、これでもかと施設内を照らしている。恐らく、陽が落ち、夜になっても、変わらずに照らし続けるのだろう。これでは、時間の感覚そのものがおかしくなりそうだ。

 やがて、一際大きな扉の前で、ティグレは立ち止まった。アエルには、その扉に見覚えがあった。白ばかりの施設にあって、この扉だけが黒い。メランタワーで見た、昇降装置の扉とほぼ同じデザインだ。メランタワーと違うのは、隣に階段がないところだろうか。階段を使う、という選択肢はないのかもしれない。

 重い音をたてて、扉が開いた。ティグレが中に入り、微笑んでアエルを促す。ここまで来て拒絶する理由もなく、アエルも続く。

 メランタワーで見たものよりも、よほど小さな銀盤が、壁に埋め込まれていた。ティグレは、右手の中指に輝く宝石を、慣れた仕草で銀盤にかざす。メランのときと同じように、昇降装置は銀色の光に包まれて、物音を立てずに下降を始めた。

 下降だ。アエルは思わず眉根を寄せた。

 階段を登った覚えはない。

「地下施設にご案内いたします。ぜひ、見ていただきたいものがありましてね」

 彼女の疑問を察したのか、ティグレがそう説明を加える。地下施設、とあたりまえのように口にされても、アエルにはどういうものなのか、想像することができない。

 炭坑や井戸や、単純に穴を掘るという意味合いの地下ならわかる。しかし、わざわざジュリスを用いた昇降装置で行くということは、そういったものではないのだろう。

「あたしが偽物だとか考えないの」

 ふと疑問に思い、つぶやく。まさか、とティグレは笑った。

「あなが本物かどうかなど、すぐに確かめることができるというのに? いまここで、あなたの心臓に刃を突き立てることだってできるんですよ。ただそれだけのことで、あなたが本物だという確証を得ることができる」

「…………」

 そのひどく上機嫌な声に答える気にはならず、アエルは不快感を露わにして押し黙る。つまり、そうやって刃を突き立てたとき、偽物であったとしてもかまわないということだ。偽物だった場合は殺してしまうことになるけれど、そんなことは問題ではないということだ。

 希望の国コスモス──ザーパトの近代文明の象徴ともされる存在。その存在を知ったときから、決して好きではなかったが。

「まるで悪の組織だね。おじさんが、その親玉なの?」

「悪?」

 愉快なジョークを聞いたとでもいうように、ティグレは目を細めた。

「それは主観の問題でしょう。私たちは純粋にビジネスをしているんですよ。それに……親玉ではありません。コスモスの最高責任者は、私の父であるカメロス=ガナドールです、まだ。残念なことにね」

「……カメロス?」

 アエルは眉をひそめた。その名には、確かに聞き覚えがあった。

「さあ、到着です」

 しかし、思考はその一言に遮られた。昇降装置の扉が両側に開き、まばゆいばかりの光が差し込んでくる。

「────!」

 外へ足を踏み出して、アエルは絶句した。

 そこはまるで、一つの完成された町だった。

「どういうこと……」

 尋ねるわけでもなく、つぶやく。確かに、地面よりも下へ来たはずだ。しかし、アエルの足の下には、地面があった。土があり、草が茂り、花が咲いていた。見上げると、ずっとずっと高い位置に、青い空──それは天井というにはあまりにも高く広大で、空と形容する他なかった──が広がり、野原の向こう側には家々が並んでいる。アウレーのような整備された町ではなく、どちらかというと山間の村、といったところだろうか。絵に描いたような田園風景が、そこには広がっていた。

 ティグレを問い質そうと、ふり返り──その視界に、空まで伸びる細長い筒が入ってきたことで、アエルは目が覚めたような気分になった。この地下と、空……つまり、地上とを繋ぐ巨大な筒。その中を、確かに、昇降装置で下りてきたのだ。

「驚いたでしょう」

 アエルの反応に満足したのか、その声には存分に誇らしげな響きがあった。

「先の大戦時から、ずっと計画されていたことです。この区画は特別で、遊び心に溢れてはいますが──要するに、地下シェルターです。来るべき次の大戦に備えてね」

「地下シェルター……」

 アエルは呻いた。そんな言葉でくくってしまうには、あまりにも広く、そして馬鹿馬鹿しかった。対峙する二人の間を吹き抜ける風すら、人工的に作られたものなのだ。

 この区画、ということは、目に見える景色にはとどまらないのだろう。いったい、これだけの空間を造り上げるのに、どれだけの費用がかかり、どれだけの人員が働かされたのだろう。考えるだけで目眩がした。

「まだ戦争は始まっていませんので、ここを利用している人間もいません。ただ、ご予約はたくさんいただいております。なんとしても生き残りたい、そのためには金を惜しまない、という方々はたくさんいらっしゃいますのでね」

「……見せたいのは、これ?」

 不機嫌な問いかけに、ティグレは首を左右に振った。再び昇降装置の扉を開け、アエルをいざなう。

「ここは、ことのついでと申しますか……要するに、自慢です。本題は、ここよりもう少し下に」

「まだ下があるの」

 驚きや感嘆を通り越して、アエルはもう呆れてしまった。あまりにもくだらなくて、理解の範疇を超えてしまっている。アエルには、『地下シェルター』の存在そのものも、大自然に溢れたこの造りも、無駄としか思えない。ここにこれだけの力を注ぐぐらいなら、戦争回避に奔走したほうがよほどましというものだ。

 そこまで考えて、少し、引っかかるものがあった。ザーパトとヴァストークの間では、それこそ伝説の時代から戦争がくり返されてきたとはいえ、もし、戦争が起こらなかったとしたら、どうしたのだろう。莫大な労力を費やしたであろうこの地下シェルターが、必要になる日が来る保証はないというのに。

「さあ」

 促されるままに、装置に足を踏み入れる。今度は少しの下降で、すぐに止まった。

 扉の向こうの光景に、アエルは幾分安堵した。それは、アエルの思う『地下』そのものだった。

 むき出しの岩肌、低い天井。ジュリスの灯りで照らされてはいるものの、掘った状態のまま、あまり手が加えられた様子もない。天井には灰色のパイプが張り巡らされている。この上にあの自然が広がっているのかと考えると奇妙ではあったが、視界に入る景色だけを見ている分には、それほど違和感はなかった。

 そこは決して広大な空間ではなく、蟻の巣のように、あちらこちらへ掘られた洞窟のようだった。湿度が高く、肌寒い。ティグレが歩き出し、アエルもあとを追う。

「ご存じかと思いますが、ジュリスというのはコスモスが開発したものでしてね。大戦の際にはだれにでも扱える武器として活躍しました」

 歩きながら、ティグレがとうとうと語り始める。もちろんそれぐらいは知っていたので、アエルは特に言葉を返さない。

「ジュリスには、大小様々なものがあります。素材もいまでは様々ですが、開発のきっかけとなったのは、魔法力を封じ込めることのできる鉱石、メ・トルタニウムの発見でした。これが採れるのは、アウレーよりも少し北に位置する鉱山でしてね。そこでメ・トルタニウムが発見されたからこそ、コスモスの本部はこのアウレーにあるんですよ。要するに、ジュリスの開発がコスモス発足に先立つわけです」

 ぼんやりと聞いてはいたが、アエルにはどうでもいい話だ。鉱石の名など聞かされたところで、それこそ興味もなければおもしろくもない。

「いまでも、強力な魔法力を封じ込める際には、純度の高いメ・トルタニウムのジュリスが使われます。この制作過程はコスモスのトップシークレットですので、いまだにこの地下で、細々と行われているのです。そして、これが──」

 いくつかの角を曲がったところで、ティグレは立ち止まった。唐突に、扉が待ちかまえていたのだ。それだけが無機質な白い材質でできており、洞窟の中にあって唯一浮いていた。ティグレは、右手中指の宝石を、扉の中央にかざす。もったいぶるように扉を開けて、前方を示した。

「──これが、まだ魔法力の封じ込まれる前の、まっさらなジュリスです」

 その部屋の中には、直径五センチほどの球体が溢れかえっていた。ティグレの自室よりも大きな規模の室内に、所狭しと並ぶ木製の棚の数々。それらすべてに、球体が整然と並べられている。

 ジュリスにしては、大きい方だろう。まだ力が込められていないというそれは、どれも透明で、触れても向こう側に突き抜けるのではないかと錯覚させるほどだ。

「これ、一個いくらするの」

 どうでもいいことだったが、思わずそんな問いがこぼれる。ティグレは興味深そうに眉を上げ、少しの間思案した。

「まっさらなジュリスに値をつけたことはありませんが……メ・トルタニウム自体が貴重なものですから、これ一つで三〇〇クリスはするでしょうね。とはいえ、需要があれば値はもっと跳ね上がる。歌姫、あなたの歌が込められるのなら、値などつけられないほどになるでしょう」

「…………?」

 あまりにもさらりといわれた言葉の内容を、アエルは頭の中でくり返した。

 あなたの歌が込められるのなら──目の前の男は、確かにそういったのだ。

 とたんに、アエルの表情が険しくなる。ティグレは白々しいほどに柔和に微笑んだ。

「いったでしょう、ビジネスの話があると。報酬は、いくらでも。あなたはただ、歌ってくれればいい。人を殺せといっているのではありません、それは罪だ。私たちは、あなたのいうような悪の組織ではない。ただ、この透明な宝石の前で、歌って欲しいといっているのですよ」

 アエルは身体が震え出すのを感じた。それは静かな怒りだった。ティグレの言葉一つ一つに、吐き気がするようだった。

「──あたしが殺さなくても……」

 普段よりもずっと低い声になる。アエルはできるだけ感情を押し殺し、凪いだ声で続けた。

「……これを使っただれかが、人を殺すってことでしょう。あたしは、歌わない。戦争に協力なんて、絶対にしない」

「でもあなたが歌うことで、救われる命があるかもしれない」

 ひどく優しい声で、ティグレは囁いた。

「考えてご覧なさい。ヴァストークの兵が一般家庭を襲ったときに、そこにこのジュリスがあれば、それだけで家族の命は救われるのです。これは素晴らしいことですよ。あなたには、命を救う力があるのですから」

「でも──」

 でも、そうすれば、そのヴァストークの兵士が死ぬのだ──この男にそんなことをいっても無駄なように思われて、アエルは口をつぐんだ。兵器を使う限り、救われる命もあれば、消える命もある。あたりまえのことだ。それに、協力しろといっているのだ。

 沈黙をためらいととったのか、ティグレは笑みを浮かべたまま、なだめるような声で続けた。

「ゆっくりと考えてください。あなたにとっては、地上は煩わしいことも多いでしょう。上の地下シェルターをお貸しします。結論を急ぐつもりはありません。戦争開始に間に合えばいい」

 アエルは、ティグレを見上げた。自覚している以上に、混乱し始めていた。歌えといわれるとは思わなかった。また戦争が起こるとは、またあの日々が始まるとは、どうしても思いたくないのだ。

「戦争開始に……間に合えばいい?」

 最後の言葉の意味がつかめずに、そのまま問いかける。急ぐつもりはないといいながら、間に合わせろということか。

「間に合わないということは、決してありません。ご安心を」

 ティグレは微笑んだが、やはりその意味はわからなかった。


   *


 リストは部屋のベッドに横たわり、白いだけの天井を見上げていた。

 強大な力の痕跡がベイスにあるということを突き止めてから、数十日間──ベイスに行き、アエル=イーリスの家族に会い、それから各地を捜し回った。彼女を苦しめるために捜していたのではない。願わくば、幸せに暮らしていてくれれば、と思っていた。しかし、見つけた少女は、あの日と少しも変わらない、冷めた目をしていた。幸せになることを、笑うことすらを頑なに拒否する、あの瞳。

 結局、自分は何をしたのだろう──リストは悔いる気持ちで、目を閉じた。

 会いたいという気持ちだけで、捜した。そうして、見つけてしまった。その結果がこれだ。

「捜さなければ、彼女が捕まることもなかった」

 声は、自分の口からではなく、すぐ上から聞こえた。

「捜さなければ、彼女が巻き込まれることもなかった。コスモスに利用されようとすることもなかった。もしかしたら──人知れず、幸せに暮らしていたかもしれなかった」

 リストの心の内を代弁するかのように、淡々と告げたのは、エイラだった。リストが横たわるベッドに腰を下ろし、彼を見下ろす。

「……ってとこかしら?」

「いつの間に入ってきたの」

 呆れたようにいって、身を起こす。エイラは肩をすくめた。

「ノックして、入るわよって声をかけて、たったいま。いいわね、ツヴァイともなれば、こんな立派な個室で。わたしたちドライなんて、みんな相部屋よ」

 リストは困ったように苦笑した。リストのコスモスでの階級は、上から二つ目のツヴァイだ。ツヴァイの仕事といえば研究を主としており、研究室を兼ねて全員に個室があてがわれている。

「あなた、もともと覇気がないんだから、落ち込むのやめてちょうだい。ただでさえカビくさい部屋なのに、主が帰ってきたとたんに人の住むところじゃなくなるなんてお笑いぐさだわ」

 気の強そうな目をそっと細めて、辛辣な言葉を投げる。リストには、それを跳ね返す気力も、いい返す余力もなかった。言葉の勢いに押されたように、もう一度ベッドに倒れ込む。

「情けない」

 エイラの声が追い打ちをかけるが、いわれるまでもなく、情けないことなど承知していた。

 彼女のいうとおりなのだ。

 自分の行いが、すべてを引き起こした。

「一応フォローしてあげるけど──」

 エイラは身をかがめ、リストの顔の数センチ手前まで顔を近づける。

「どうせ見つかってたわよ。組織長の執着っぷりったらなかったもの。あなたがやらなくてもだれかがやってた。それに──放っておいても、あの子は幸せに暮らしているような子じゃない。あんな目をした子を、わたしは知らない」

「……心優しいフォローをどうも」

「情けない。意気地なし。へタレ。ウジ虫。ゴミ。くず」

 その一つ一つを、感情を込めない冷たい目で告げられて、リストはほとんど泣きそうになった。

「ウジ虫まではともかく……」

 どうにか反論を試みる。エイラは立ち上がり、小難しそうな本の並んだ棚に人差し指で触れると、数センチそのまま撫でる。指についた灰色のほこりを、ふっと吹いた。

「あんたなんてこれよ、これ」

「……うん、かえって吹っ切れそうだよ、エイラ」

 虚勢ではなく、本当にそう思った。へたに慰められても、余計落ち込んでいただろう。そこまで計算しての行いなのかどうかはわからないが。

「まだいって欲しければ、いくらでもいえるわよ」

「いや、もういい」

 デスクの椅子を引き寄せ、エイラはそこに腰を下ろす。沈黙を挟んで、大きな息を吐き出した。

「わたしね、ヴァストークの歌姫なんて、どうでもいいって思ってたの。だって、歴史に名を残す犯罪人でしょ。あなたが彼女に執着する理由もわからなかったし、見つけたからって飛び出していくのも本当に理解不能だった。ヴァストークの歌姫について真剣に考えたこともなければ、彼女がなぜたくさんの人を殺したかなんて、そんなの考えようともしなかったわ」

 淡々と語り出したエイラを、リストは見上げた。彼女はどこか辛そうだった。何かに後悔しているようにも見える。

「会って、わかったわ」

 ぽつり、とつぶやいた。リストにいっているというよりは、独り言のようだった。

「あれは、犯罪者の目じゃない。殺したくて殺した人間の目じゃない。何十年も生きて、まだ、あんな目をしているのね」

 そのまま、彼女は黙ってしまった。リストは目を閉じて、遠い昔に一度だけ出会った、記憶の中の歌姫に思いを馳せる。

 いまにも壊れそうな目をしていた。それから年月が過ぎても、何一つ、変わってはいないのだ。

「……彼女が」

 思い出したように、エイラは言葉を紡いだ。

「彼女がどうして、おとなしくこの町に来たのか、わかる?」

 問われても、リストには答えることができなかった。そもそも、メランタワーのときも、彼女は逃げる素振りを見せなかったのだ。

 しかし、いわれてみれば奇妙であるような気もした。コスモスという組織には嫌悪感を抱いていたはずだ。それは怒りに近い感情だった。怒っているからこそ来る気になったということなのだろうか。

「彼女、たぶん、助けてくれたのよ。わたしや、あなたのことを」

「……助けた?」

 聞き返す。見上げると、エイラはいまにも泣きそうな目をしていた。

「ここについてすぐ、わたしの腕につけられたブレスレットを、あの子、壊してくれたわ。情報が筒抜けなら、自分が逃げた場合、わたしが罰を受けるんだと思ったんじゃないかしら。情けないのは、わたしなのよ。いわれるままにベイスに行って、あの子を連れてきてしまった」

 表情を隠すようにして、エイラは両手で顔を覆う。ああ、とリストは呻いた。

 そうなのかもしれない。それは、彼女の、ひどくわかりづらい優しさだったのかもしれない。

「……助けましょう」

 次に発せられた声は、もういつものエイラの声だった。意を決したように、リストの目を見つめる。

「不老不死とか、忘れられないとか……そんなものから助けられるとは思っていないわ。それでも、わたしとあなたには、あの子をここに連れてきてしまった責任がある。そうでしょう? 少なくとも、ここから解放しなければ」

 その言葉に違和感を感じて、リストはまばたきを忘れた。

 何かが、引っかかった。責任がある──それは、たしかにそのとおりだ。しかし、気になったのはそこではない。

「……どうしたの」

 急に神妙な顔つきになったリストを、エイラが訝しげに見下ろす。リストはベッドの上で身体を起こして、エイラに右の手のひらを突き出した。ちょっと黙ってて、とでもいうかのように。

 ベッドから足を出し、脱ぎ捨ててあった革靴に足を入れる。腕を組んで、ひどく緩慢な足取りで、室内を歩き始めた。

 こういうときの彼に話しかけても無駄だ。エイラはおとなしく、待つことにする。

 唐突に、リストは立ち止まった。虚空を見つめて、口の中でつぶやく。

「不老不死……」

 老いることもなければ、死ぬこともないということだ。それに『忘れ()』を加えた三つの『不』こそが、罪を悔い、死を望んだ歌姫に与えられた裁きだったはずだ。

 そのことについて、深く考えたことはなかった。そういうものなのだと思っていたからだ。事実、ヴァストークの歌姫はまだ生きている。忘れられずに、苦しんでいる。

 それならば、なぜ──

「──もしかしたら」

 その可能性に、気づいてしまった。気づいてしまったら、それはもう、真実であるとしか思えなくなっていた。







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