罪と罰
「非礼な妻を断罪しよう」
きっと本気で怒らせてしまった、そう自覚した時にはもう遅い。
まるで死の宣告みたいに、その言葉は私の心を蝕んでいきます。
土砂降りの空に稲妻が走る。
殿下の怒りを表すかのように。
一体何が彼の逆鱗に触れたのか分からないまま、私にとっては気まずい時間が容赦なく流れていく。
―離婚の要求は認めないよ―
どうして離婚を認めてくれないのか。
私のことを疎んじているくせに。
リリー様を愛しているくせに。
私が邪魔で仕方ないくせに。
私を妻として扱ったことなど一度もないくせに・・。
無くなると分かった瞬間に突如執着心が湧く、みたいなよくある話でも無さそうです。
その端正な顔をひたすら見つめても答えは分かりません。
ただ一つ、私の願いは―――
もう、別の誰かを愛するあなたの姿は見たくない。その手が、リリー様にすこし触れただけであんなに取り乱してしまった。王族に嫁ぐ身として、私は自覚が足りなかった。妻、失格です。
だからどうか私を解放して欲しい。それだけです。
こんなこと今のウィリアム様にはとても口に出きないけれど。
「申し訳ありません、殿下」
だから、その場しのぎの謝罪を口にしました。罪悪感と恐怖でわずかに声が震えます。氷のような視線が突き刺さり、心臓が動きを加速します。
きっと殿下は私の醜い気持ちに気づいている。
すべて、見透かされている。
はやくここから逃げ出したい。いま殿下の傍に居たくない。
ふっとウィリアム様が声を漏らします。
「私がこわい?」
「・・いいえ」
「きみは嘘をつくとき左耳に髪をかけ直す」
「・・・っ」
「小さなころから何も変わらないね」
一瞬、嫌な間がさします。
その形のいい唇の動きが、まるでスローモーションのように見えました。
「二度と馬鹿げたことを考えられないようにしてあげるよ」
殿下が告げた次の瞬間、貪るようなキスを落とされ、私の声にならない声が上がります。
まるで生気を吸い取られているかような激しい口づけ。
殿下から流れてきた微かなアルコールの香りが、鼻腔をくすぐる。
自分が自分じゃなくなるような感覚。
待って欲しい、こんなの知らないっ。
いやだ、誰か―――助けて。
ようやく解放されても自力では立っていられなくて、力なく殿下にもたれかかったまま必死で酸素を求める姿はさぞ滑稽なのだろう。
この人は、本当に私が知ってる殿下なの?
―――心が痛い。
愛のないキスがこれほど虚しくて辛いなんて知らなかった。
「・・はあっ・・はあっ」
「明日から君の部屋は離れの塔に移動させよう」
淡々と告げられ、サロメの表情が絶望に染まった。
胃の腑が浮き上がってくる厭な感覚に目の前が一瞬くらむ。
当初から夫からは見放され、心を許せる人などほとんどいないここでの生活だった。だから、なんら大差ないのかもしれない。でも、あんな薄暗くて冷たい塔に?せめて気心知れた侍女のアンナを連れていけるならまだしも・・・希望は薄い。私は殿下をそこまで怒らせてしまった・・?
・・殿下が幸せになる提案をしたというのに。
殿下の考えが、気持ちが分からない。
「申し開きはないね?」
審判のようだ、と思った。
「・・・ありません。ですが、あのっ・・ひとつだけお聞きしたいことがあります。発言の許可をいただけませんでしょうか」
「許可する」
「殿下を、怒らせてしまった一番の理由を・・教えていただけないでしょうか?」
その時、殿下が一瞬目を細めたのを私は見逃さなかった。
「一番の理由か。さあ・・・なんだろうね?」
そう答えを濁してふっと表情を緩めた殿下の顔がなぜかとても悲しげに見えて、胸がちくりと痛みます。
「明日は早い。部屋まで送ろう」
冷たい視線が落とされる。だけど、前を歩き始めた殿下の背中はやっぱり昔のように暖かいままで、またじわりと目が熱くなったのを私は必死で押し込めました。