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政略結婚の教え  作者: 松雪
5/12

役目

8/29 再投稿

「ねぇサロメお姉様、ウィリアム様は本当にお優しいのですね!こんなに素敵な方が旦那様だなんて、お姉様が羨ましいですわ」


うっとりと(なまめ)かしく紡がれた私の決意を踏みにじるその台詞は、いとも簡単に私の奥底に身を隠していた核を抉り、修復できないほどにズタズタにしていきました。



脳天に強い衝撃を落とされたような感覚を覚えくらりと頭が回り、こみ上げる溜飲を必死で抑え込む。


三十分ほどで元気な姿を見せたリリー様の隣には私の夫が柔らかな笑みを湛え彼女をエスコートしている。


ずっと、付き添っていたのでしょう。


それだけでも、私を落ち込ませるには充分なのに。



・・・ウィリアム様が私に優しくしてくれたことなど、ただでさえ会話のない夕食以外で彼と会う機会が無かったのだからあるはずがありません。

そして、そのことは彼女が知る由もないことです。


だから無邪気にシミを落としていく。


『サロメ様には悪いけど、リリー様には勝てないもの』


『君の仕事は、子を成す。それだけだ』



・・・その言葉は呪詛のように、私の心に記憶に絡まり、どこまでも纏わりついていました。


*****


会場に戻ってきたリリー様がきょろきょろと顔を動かして、遠くから私を見つけた瞬間大きく手を上げます。サロメお姉様!そんな高らかな声が聞こえそうな表情で。


私は軽く会釈をしてさっと視線を逸らしましたが、リリー様が何かを言いそれに頷いた彼が視界の端に見えたかと思うと、2人――リリー様とウィリアム様は迷うことなくこちらに向かって歩いて来たのです。


――なんで?来ないで。


2人が近づいてくる。近づくたびに、目の前の光景は鮮明になり残酷に私に語りかけます。


私の夫の腕に手を添えて、クイっと歯を見せず穏やかに口角を上げて。グレイのアーモンド型の濡れた双眸がウィリアム様をちらちらと見つめると、彼はそれに応えるように微笑みを落とす。


私はリリー様の魅せる表情に思わず手に汗を握りました。


どうして――?

そんな笑顔、いったいどこで覚えて来たの。


私が考えすぎているのかもしれない。過剰になって気にしすぎているだけなのかもしれない。

でもその天使のような笑顔はまるで、彼は自分のものだと主張するような深い深い微笑みに見えました。


私の居場所は、無いのだと。

そう痛感させられる。


――逃げたい。


咄嗟にそう思ったけれど、こちらをちらっと一瞥した夫の双眸に射抜かれ、足が竦んで言うことを聞いてはくれません。


『君の仕事は――』

・・・私の願いは、たった1つだけなのに。


呪いの言葉のように頭の中で響き渡るそれを咀嚼すればするだけ惨めになるとわかっています。

でも、まだ希望を捨てきれない私は―――


そして、いよいよ私の目の前で足を止めた彼女のその潤沢な(あか)がこう紡いだのです。


『ウィリアム様は、本当に優しいお方』だと。


惨めなだけ。


私はそれに、どう答えれば良かったというのか。

ええ、そうでしょう。と――実はあんなことやこんなこともねと理想の空論を叩きつけて、にこりと微笑めば良かったのか。

私のことを愛していない、夫の前で。

自分から処刑台に上がれ、と。

私はそこまで出来ていません。有りもしないことを嬉々として語るなんてしたくありませんでした。

それが、彼のいう【仕事】の一部なのだとしても

それだけは、したくない――


けれど

全て私が悪いのでしょう。


心は要らないとそう思った私が。


神父様、

これは当たり前の報いなのでしょうか?

だどすれば、いつまでこの報いは続くのでしょうか。


婚姻を結べば、彼の側にいられる。

それは私の誤算でした。

だって彼との距離はむしろ遠くなり、そして二度と私には笑いかけてはくれないのだから。


演技でも、嘘でも笑ってくれさえすれば救われたのに。


もう、耐えられない。

ぜんぶ、消えてなくなればいい。

暗い暗い海の底にいるみたい。





「サロメお姉様・・?」


「――――ウィルは私の夫です・・」



その心に気付いた時にはもう遅い。

まるで、自分のものとは思えない声に私の鼓動は音を立てて走り出します。

恐らく、聞こえなかったのでしょう。なんでしょうか?お姉様と聞き返されます。

何も言わない私に、きょとんと小首を傾げてこちらを見つめるグレイの瞳、小さな(あか)がおそるおそる開きました。


「おねえさま・・?」


もう


やめてよ。


「・・・ごめんなさい」


雀の泣くような声でやっと絞り出し、けれど確かに届くように。

溢れ出そうになる涙を堪えて、目の前、黒目を縁取る彼女の横をすり抜けようとしました。



どろどろな感情が渦巻く前に、もうこんな場所から逃げ出したかったのです。


その時でした。


「―――待て。なぜ君がこの場を去るんだ?」


すらりとした脚が視界に入り、凛とした声が空間に切り込みを入れる。


だけど、なぜ。


笑っているのですか。

どうして―――

このような場で失態を犯したのに、ウィリアム様はなぜかとても優しい目をしていました。

少々混乱する私に向けて、形のいい唇が紡ぎます。


「私の許可無しに、どこかへ行ってしまうのは許さないよ」


―――確かに

それは、妻のあるべき姿です。

花嫁修行で嫌という程、叩き込まれたじゃありませんか。


凛とした強い女性になると、決めたのに。

醜い嫉妬心を押さえられず、挙げ句の果てに恥も知らず涙を溜めて逃げ出そうとした。


打って変わり、ウィリアム様はとても紳士だ。

取り乱すこともなく、落ち着いている。

具合が悪いご令嬢を介抱し、周りに気を配る。目を向けられないくらい真っ直ぐだ。


それなのに―――

きっと私は、落ちるところまで落ちてしまった。

けれど、もう。

それでいいのかもしれません。


いっそのこと、私を軽蔑なさって。


「皆様、申し訳ありません。妻の体調がすぐれませんので、少し休ませるとします」


さあ―――と、差し出された暖かな手をとった瞬間、私の凍りついた身体はじんわりと熱を帯びました。


いつぶりに、触れただろう。


静かな観衆の中を、私の手を引く王子の背中はとても大きく見えました。




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