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政略結婚の教え  作者: 松雪
2/12

戸惑い

人の気持ちは変わってしまう。

分かっています、神父様。


『だいすきだよ!サロメっ』


結局、幼い頃のおままごとだったのです。片手で歳を表せていた時の契りを真に受けて。

その約束に必死にしがみ付いたばっかりにあっけなく傷ついて、私はそれでも縋るのを止めないのだから、たちが悪いと自分でも思います。


「男の人」になったウィルと対峙したあの日、彼の気持ちがもう既に私に無いことくらい一目で気づいていました。


それを、見ないふりをしたのです。

私はマキアンドルア国がノルコールズド国よりも優勢だと知っていた。

だから彼からこの契りをほどくことはできないと、分かっていた。


身を引くなんて、ありえなかった。

身を引いて他の人にとられるなんて絶対に嫌だった。

私がただ、傍にいたかった。


どんな形でも夫婦になれればそれで良かったのです。


けれど、皮肉なものですね。

感情とはなんて胡乱なものなのでしょう。

だって私は次第に、彼に【愛】を求め、還元されない【愛】に嘆いていたのですから。


「サロメ、聞いている?」


降ってきた少しだけ低い声にはっとします。

訳が分からず、私はやんわりと拘束された腕の中でレナード様を仰ぎ見ました。

えっと・・いま、何と?


ぱちぱちと目を瞬かせていると、レナード様は柔らかな笑みを讃え再度同じ言葉を落としました。


「僕と結婚しようか?」


至極落ち着いた声でした。聞き間違いでは無かったようです。

心臓がどきんと脈を打ちます。

一体、どういうつもりなのでしょうか。

確かにレナード様はいまだ正妻を迎えていないとはいえ、私は彼の弟の妻です。

いくらレナード様であっても、彼の一存で婚姻解約をさせて弟の正妻を娶るという無道な行為は認められないでしょう。

それは彼が一番よく分かっている、はずなのに。

真っ直ぐにこちらを射抜く茶色の瞳に心が乱されます。

冗談ですよね・・。いや・・本気、なの?


レナード様は何も言いません。

どれくらいかは分かりませんが、気づけば涙も引っ込み、しばらくの間私は心ここに非ずでレナード様を見つめていました。


「やあ、ウィル」


ふと顔を上げ私の背後をじっと見据えたレナード様が零した名前に私の全身が硬直しました。

一気に意識が引き戻されます。

急いで、レナード様の腕から身を剥がし私は後ろを振り返りました。


「ウィリ、アム様・・」

私は何日ぶりに言葉にしただろう、夫の名前を噛みしめます。

その呼びかけに応えるようにウィリアム様は私を鋭く一瞥すると、すぐに隣のレナード様に視線を動かしました。


「私の妻に何かご用でしょうか?兄上」


微笑んでいるはずのその表情に背筋が一瞬冷えます。

どうして、ここにウィリアム様がいるのでしょう。彼の部屋は、薔薇園から随分と離れているのに。

心なしか息が上がっているように見えます。

もしや走ってここまできたのでしょうか?

いいえ、確かに彼の部屋の窓からこの薔薇園は見渡せるはずですが、馬鹿げた妄想は止めましょう。

陳腐な自惚れは身を滅ぼす。そして最後にはどうしようもない虚しさが残るだけです。


『サロメ様には悪いけど、リリー様には勝てないもの』

身を以て知ったことではありませんか。


息が切れているのは、きっとリリー嬢がお帰りになってすぐ剣術を学ばれた帰りだからでしょう。最近ではウィリアム様は、暇があれば訓練所に顔を出すと侍女が教えてくれていました。


『いまウィリアム様のお部屋あたりに近づいてはダメよ。リリー様がいらっしゃってるの』

想い人がいるのに、私に対する嫉妬心を抱くなんて。そんなこと絶対にあるはずがないのだから。そもそも、レナード様とのこの行為は挨拶みたいなものだと、彼も分かっているはずです。


「僕の幼馴染に何か用があっては不思議かい?ウィル」

「幼馴染・・・ですか。であれば、そんな距離感で一体何を話されていたのか幼馴染の私にもぜひ教えてくれませんか?」


刺々しさを孕んだ声でした。

幼馴染――ウィリアム様から紡がれるその言葉が私の喉元を締め付けます。

嫌に冷たく響くその音にもう、3人で笑いあっていたあの頃には決して戻れないのだと、言われているようで。


「ウィルには秘密だよ。ね、サロメ?」


それは、してやったとでも言うような、悪戯交じりの楽しそうな口調でした。なぜそのような、彼を煽る言い方をするのか。

いえ・・・それよりも。急に話を振られて、あわあわと狼狽える私にウィリアム様の容赦ない視線が突き刺さります。


どうしましょう・・・。と少ない脳みそをフル回転させます。

この場で、ましてや夫の前で冗談だとしてもレナード様に求婚されたとは言えません。

それは、彼らの立場というものがあるし、何よりそれを言ってウィリアム様の返答を聞くのが、ただただ怖かったのです。


『そうすればいい』

私のことが邪魔で邪魔で仕方ない彼はきっと高揚をひた隠し、無機質にそう告げるでしょう。


その言葉を聞いてしまえば、きっとすべてが終わってしまう。

貴方を放せなくて、ごめんなさい。

私は、ずるい女です。慎ましやかな、なんておこがましく【愛】を求めてごめんなさい。


「あの、昔話を・・」


終わりを見るのが嫌で、怖くて、私は嘘をつきました。


「―――もういい」


呆れたような声音でした。

きっと、ウィリアム様は嘘を見抜いたはずです。


私を射抜く剣呑さに満ちた褐色の双眸が、歪められます。

一瞬、哀しげな青色が差したのは見間違い、でしょうか。

ウィリアム様は一息つくと姿勢を正しました。


「お邪魔をして申し訳ありませんでした。兄上 それでは、失礼します」

丁寧にお辞儀をした彼が顔を上げる瞬間、視線が交わります。


私にはスローモーションのように見えました。

そして、穏やかに口角をあげた形のいい唇が流れるように動いたのです。


「サロメ。夕食あとでね」


胃の中の体温がぐん、と下がり。喉を掴まれたように息が止まります。

呆然とする私に一切目もくれず踵を返したウィリアム様の姿が見えなくなるまで、私はその場で動けずに佇んでいました。


―サロメ―


驚き、戸惑い、身体中の細胞が活動停止を余儀なくされたのも無理はありません。

だって最後に名を、呼ばれたのは。

もう、思い出せないくらいの昔のことで。


記憶の山の中で埋もれてしまっていたのですから。

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