表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
政略結婚の教え  作者: 松雪
1/12

愛する人

「私は妻になったからといって君を愛することはない」




ああ神父様、政略結婚で生まれた夫婦の間に『愛が育まれる』のはおとぎ話の中だけなのでしょうか。


家族にあるべき慈愛に満ちた夢の生活を・・・なんて高望みはしません。


慎ましやかな『愛』でいいのです。


けれど、愛を持たずに結ばれることになった相手に、たとえわずかであっても《《それ》》を求めること自体間違っているのでしょうか。




私は、間違っているのでしょうか?




「君の仕事は、子を成す。それだけだ」


つまりは、世継ぎを。




仕事だと言われたその言葉をいくら反芻しても答えは出ません。


無機質な瞳で無慈悲に紡がれたその言葉は、私の心に黒いシミを落としました。




『愛』とは、なんなのでしょう。








「サロメ!おいかけっこしよう!」


「いいわよ!んふふ!あたしに勝てる?ほら。こっちよ、ウィル!」


「あ!ずるいぞっ!まて!」




いつから、だったろう。


目の前の人が少年から青年、そして男性に変わっていったのは。


いつ、だっただろう。


私たちの関係が崩壊してしまったのは。




マキアンドルア国王クリスト3世の次女として生を受けた私が、かねてより親交があった隣国ノルコールズド国の第二王子の元へ嫁いだのは今から3か月前のことでした。


けれど私たちの婚姻が決まったのは、それよりもずっとずっと前。私がこの世に生まれて3年後にウィリアム第二王子その人が生を受けた瞬間だったと言います。




物心つかない私たちのそれはつまり、政略的な契りでした。




ノルコールズド国へ嫁ぐ半年前。


何年ぶりに対峙する今は夫となった幼馴染の姿に息をのんだのは、彼の瞳が凍てつくような冷たさを孕んでいたから。別人なのではないか、そう思いました。


私の後ろをちょこちょこと付いてきていた可愛らしい男の子。あの笑顔溢れる輝くような光景は幻だったのだと思わざるを得ないほどに。




「ウィリアム様、お久しぶりです」


「・・・ああ」


名前を呼べば、あからさまに不機嫌な顔になりました。ずきん、と心臓が音を立てたのは気付かないふりをしました。気のせいだろう、そう思いたかったからです。




それから、形式的な言葉を交わす最中もずっと彼は、冷ややかな瞳を私に向けていました。




数年ぶりに会えたことが嬉しくて嬉しくて、私の心臓はうるさくて仕方なかったというのに。


きっと優しい言葉で再会を喜びあい、そして昔話に満開の花が咲かせると思っていたのに。




「サロメをせかいでいちばん幸せなお嫁さんにしてあげるからね!」


「ウィル、うれしいっ・・・約束よ!」




その言葉を信じてずっと、待っていたというのに。


世界で一番、はともかく、その約束を果たせたというのに彼はちっとも嬉しそうではありませんでした。



*********



カチャン


カチャン




いつものように鉄食器が重なり合う音だけが響きます。


楽しいはずのディナーは、唯一夫婦2人の時間は、むなしいほどに静かです。


けれど、3ヶ月。もうそれにも慣れ始めた自分がいました。


だって、虚しいより嬉しい気持ちが勝っていたから。


会話の無い対面するその時間、私は向かいの席で、彼の食器の使い方をちらちらと観察するのが日課になっていました。


そして、ある日ふと思い出したのです。その無駄のない動き、綺麗な食べ方、嫌な音のしない咀嚼。見ほれてしまうほどのそつがないテーブルマナーにほとほと感心するとともに、彼は細長いスプーンやフォークを待つのが苦手だったということを。小さな頃はあんなにテーブル周りをぐちゃぐちゃにしていたのに。と。


それに気づいたとき、私は懐かしさで胸がいっぱいになりました。




ふっと笑みがこぼれます。この時だけが、唯一ウィリアム様を感じられる。私にとっての至福の時。


だから、会話が無くても耐えられた。


あと、もうひとつ嬉しいことがありました。


それは、どんなに自分が速く食べ終わっても彼は私が食べ終わるまで席から立つことはなかったということです。


待たせていると思うと居心地が良くはなかったのですが、これがウィリアム様とともに過ごせる唯一の時間であると思えば私も少しだけ大胆になります。出来る限りゆっくりと咀嚼をして時間稼ぎをするくらいには。




神父様もきっと、これくらいは許してくださるでしょうか。


愛が無くとも。この時間だけは、誰にも邪魔されないこの空間だけは。


少しの間、愛しい人を拘束することを・・・。




最後背を向ける彼に「お休みなさい」と声をかけて私の幸せなひと時は終わります。




結婚式の当日に


「君の仕事は、子を成す。それだけだ」と言ったにも関わらず、ウィリアム様が私の部屋に訪れることは一回だってありませんでした。


彼と2人きりで会うことができるのは、ディナーの時間だけなのです。


だから私はその一時を大切に、大切に、していました。




けれどささやかな幸せは、結局。空事にすぎなかったのです。




**********




ある日の昼下がり、城内を散歩がてら歩いていると「ウィリアム様」という単語が耳を掠り、私は思わず身を潜めました。


身を隠した場所がちょうど空き部屋になっている部屋で良かった。


僅かに開いた扉の隙間から聞き耳を立てます。


鼓膜を震わせたのは、残酷すぎる調べでした。




「いまウィリアム様のお部屋あたりに近づいてはダメよ。リリー様がいらっしゃってるの」


「まあ、先週もいらしてなかった?」


「ええ、白昼堂々と見上げたものだわ」


そして侍女たちは、一層声を潜めて言いました。


「サロメ様がお可哀そう」


「ほんとよね、妻であるのにあんなにも放っておかれるなら早くお国に帰して差し上げればよいのに」


「この国はマキアンドルアに頭が上がらないのよ。けれど、サロメ様がこの様な扱いを受けていると知られるよりは良いだろうに、ね?」


「ええ、サロメ様には悪いけど、リリー様には勝てないもの」




頭が真っ白になりました。


無意識に部屋を飛び出し、私は薔薇園と称される庭で、声を押し殺して涙を流していました。


私の心とは反対に情熱的に開花する目の前の薔薇を見つめます。


そういえば、眠り姫は紡ぎ車の錘が指に刺さり死をさまよう中、王子様のキスで目を覚ますのよね・・。


徐に私はバラの花ではなく、その棘に指を持っていきました。ちくりとした痛みが走り、小さな赤が溢れます。


―いっそのこと眠りにつきたい―


そうすれば、一筋の涙が零れました。


行き場を無くした指先の血のように、想いが一斉に溢れだします。




何がいけなかったの?


私が、いけなかったの?


どうして、私を迎えたの?


これは何かの罰なの?


ねぇ、ウィル


教えて。


胸が締め付けられます。苦しくて、苦しくて。もういっそのこと、消えてしまいたいと思うほどです。




気にくわないなら、いっそのこと罵って。


何もされないこんな毎日よりはずっといいから。




「こんなところで、何をしているの?」




不意に聞き覚えのある優しい声が降りました。


でも、それは望んだ声ではありません。


少し落胆して、呼吸を整えます。


だってこんな時でも、心はウィルを焦がれているのだと思い知らされる。


声に振り向くと、その人物は驚いたように目を丸くしました。




「泣いているの?サロメ」


「レ、ナード様」




彼を視界にとらえた瞬間、私は両手で顔を覆いました。


見せられなかった。優しい声をかけてくれたもう一人の幼馴染にこんな顔は。


小さな頃3人で遊んだ楽しい記憶がよみがえって、ウィルのことが頭に浮かんで、見ていられなかったという方が正しいかもしれません。




「サロメ・・・っ」




するとすぐさまレナード様は私を優しく抱きました。


母親が泣いている子供をあやす様に。


温かな温度は、私の心を溶かしていく。


思い出の中で、いつも彼は私をあやしてくれていました。






「馬鹿な弟のせいで、ごめんね」


レナード様が呟くように言います。私は首を振りました。


「・・そんな!ウィリアム様は関係ありません」


「いいんだよ、サロメ。辛いのなら。泣いて良いんだ」




その温かな言葉に、一瞬時が止まります。


頭で理解する前に私は脇目も振らず泣きじゃくりました。


大きくて温かい掌が髪に触れます。ゴツゴツとしているのに、とても柔らかく感じるのはなぜだろう。何度も何度も往復する温かさに心は落ち着きを取り戻していきました。そして、レナード様は言ったのです。




「ねぇウィリアムなんか辞めて、僕と結婚しようか?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ