祭りは道連れ
太鼓の音で、チカは目を覚ました。
これまでのことがすべて夢だったのではないか、という淡い期待があって、チカはまだ開ききっていない目をこすったけれど、すでに隅田川には不思議な光が溢れていた。
最初に目を覚ましたときのように、がっかりな気持ちはなかった。がっかりするには、チカは不思議なことを体験しすぎていたし、あの鬼はお祭りをやると言っていたのだ。祭りとは楽しいもので、ちょっと日常とは違うものなのだ。
チカは立ち上がると、川のほうへと歩いていく。すでに祭りは人でにぎわっていて、川の上ではさまざまな舟が浮かべられ、色とりどりのちょうちんが華やかに光を放っていた。
川辺に人を見つけ、チカは声をかけた。その人は鬼ではなくて、チカのおじいちゃんのような、ゆっくりとした動きのおじいさんだった。
「おやおや、お嬢さん。君もこの祭りを見に来たのかい?」
「うん」
チカが答えると、おじいさんは渋い顔つきで言った。
「ああ、まだ幼いのに、かわいそうなこっちゃ。せめて、この祭りを楽しんでいくといいよ。こっちに来ても、楽しみはあるってものだ。この祭りは一年に一度だからねえ、その分とびきりなのさ」
おじいさんはかっかっかと笑った。
あの鬼にも、チカはなにやら、かわいそうだというような目を向けられた。いったい、自分のなにがかわいそうなのだろう。まだ子供なのに、という言葉がセットになっていたのが気になるところだったけれど、チカにはよくわからなかった。
「ああ、そうそう、お嬢さんは、お金を持っているかな?」
おじいさんの言葉に、チカはポケットから百円玉を取り出した。すぐに使えるように、ポーチから出していたのだ。けれど、花火大会の露店は全部にぎわっていて、結局使わなかった。
おじいさんはそれを見て、ちょっと困ったように笑った。
「残念なんだが、それじゃないんだよ。この祭りではそれではなくてね……」
おじいさんはそう言いながら、着ていたベストから二つに割った後の割り箸を取り出した。そしてやはりゆっくりとした動作で顔の前に割り箸を掲げる。
すると、割り箸はいきなり燃え上がり、チカは思わず後ずさってしまう。
「ほれ、お食べ」
そして、次の瞬間にはおじいさんの手にわたあめ付きの割り箸が握られていた。チカは呆気にとられて、老人の顔とわたあめを交互に見つめる。
「おじいさん、いま、魔法を使ったの?」
チカが言うと、おじいさんはからからと笑った。
「まあ、魔法といえば魔法だな。遠慮せずに食べればいい」
花火大会では露天が混みすぎていて、わたあめは食べられなかったのだ。おばあちゃんの家の近くでやっている夏祭りではチカは必ずと言っていいほどわたあめを買って食べていたので、あのたこ焼きなる食べ物を見つけるまでは物足りなさを感じていた。
「え、えっと、いただきます」
チカは答えて、おじいさんの手からわたあめを受け取る。淡いピンク色、さくら色って言うんだっけ? ともかくそれはおいしそうだった。チカは夢中になってこのふわふわした球体にかぶりつき、あっというまに平らげてしまった。
「うまかったかい?」
チカは満面の笑みでうなずいた。
「そのようだね、ほれ、口にわたあめがついとるぞ」
指摘されて、チカは必死に口を手の甲で拭う。その仕草が面白かったのか、おじいさんは笑い、ちょっといたずらな笑みを浮かべて口を開いた。
「それがな、この祭りで使うことのできるお金なんだよ。誰が考えたのかはわからないが、なかなか粋だと思うね」
これがお金! チカはびっくりして、握っている割り箸を見つめた。
「わたし、お金を食べちゃったの?」
不安げに言うチカに、おじいさんは安心させるように手を広げ、おどけて見せた。
「いやいや、お嬢さんはそのお金のもっとも賢い使い方をしたんだよ。食べてしまえば、誰にも奪うことはできないからね」
「でも、お金なんでしょう? 食べてしまったら使えない……」
もし、チカが家で百円玉を食べてしまって、おかあさんがそれを見ていたとしたら、チカはこっぴどく叱られてしまうだろう。
「そこは、魔法の出番さ。その割り箸を持って、『食べたい』と念じてみなさい」
こういう体験は「つやはらい」をやったときに覚えがあるので、チカはその通りにしてみる。すると、再び割り箸から炎があがって、あっという間にわたあめがそこにあった。
「すごい……!」
チカが素直に驚くと、おじいさんはパチパチと拍手をした。
「いやね、さっき食べたばかりだけど、食べられるかい?」
チカは頷く。わたあめはチカの大好物だ。いくらでも食べられる。いつもは、おかあさんに止められてしまうけれど。
「ははは、それはいい。それはそうと、これは老人の独り言だと思って、わたあめでも食べながら聞くといいよ」
チカがきょとんとして首をかしげると、おじいさんは笑って、話を続けた。
「わたあめってのは、機械にかけられるまではただのザラメで、砂糖の固まりさ。それと同じで、お金ってのはそれだけではただの金属や紙の固まりだが、誰かがお金だって言い出すことで、それがお金になるのさ。それと、もう一つ、今はわからんだろうが、おれたちにとっちゃ、他人からの好意や敬意をちゃんと受け取ることは大事なことだ。……老いぼれてしまっては、受け取ることしかできないからね。例え、ザラメの欠片みたいな形式だけの敬意だとしても、だ。それをわたあめにできるかどうかは、おれたちにかかっている。機械にかけなければ、それはザラメのままだからね」
チカが不思議そうな顔をしながらおじいさんをじっとみつめているので、おじいさんは苦笑しながらこう付け加えた。
「まあ、お嬢さんもいつかはわかるよ。それまで、心のすみっこにでも置いておけばいい。別に、気にする必要なんてないさ。ほれ、またわたあめが口についてるぞ?」
チカは二度目の指摘に顔を赤くして、急いで口を手でぬぐった。
「それじゃあ、楽しんできなさい。舟は、百鬼夜行の鬼たちがあっちのほうで用意してくれる」
「おじいさんは?」
「おれは、待ち合わせがあるんでね。ほれ、祭りは楽しむものだよ、行きなさい」
チカはお礼を言って、その場を後にする。おじいさんに言われた船着き場というのは、ここからちょっと上流に行ったところにあるようだ。
チカはおじいさんの話の中で、少しだけ違和感を覚えていた。おじいさんは自分が「受け取ることしかできない」と言った。チカは夏休みにはほとんど必ずおばあちゃんの家に行くけれど、そのときにはおばあちゃんは張り切って料理を作ってくれる。それがとてもおいしくて、チカが毎年楽しみにしているくらいなのだ。
あのおじいさんにも、そんなふうに誰かの楽しみぐらい作れるのではないだろうか? 例えば、チカがおばあちゃんの昔話を聞くのが大好きなように。
そんなことを考えながら歩いていると、船着き場はすぐに見つかった。
船着き場といっても港のようなものではなくて、土手の半ばまで上がった水面に舟を近づけて、土手に横付けするだけのものだった。ちょうど、ひとつだけ小舟が待っていて、チカはおとうさんがタクシーを呼び止めるときのように手を挙げた。
小舟を操っているのは、なんだか悲しそうな雰囲気を感じさせるお面を被った男だった。男はチカに気がつくと、うつむいていた顔をあげて、おーいと手を挙げる。そのとたん、男のお面の雰囲気がなんだか明るくなった気がした。
「お客さん、一人ですかい?」
「はい」
チカが答えると、お面の男は岸に板を渡した。チカが板をつたって小舟に乗り込むと、お面の男は板を取り外してしまおうとし、しかしそこで割り込む声があった。
「あたしも一緒にいいかい?」
見ると、岸には一人女性が立っていて、こちらを見下ろしていた。見たところ、おかあさんよりも若く、おねえさんと呼べばしっくりきそうな人だった。
「あっしはかまいませんが、お客さんは?」
小舟を操る男がこう言ったのを聞いて、チカはおねえさんが自分に問いかけていたことに気がついた。けれど、どう返事をしよう。チカはいま自分を見下ろしているおねえさんのような若い人とあまり話したことがない。
チカが言葉に詰まっていると、おねえさんは表情を柔らかくして口を開いた。
「いや、どうしてもってわけじゃないんだけど、祭りなのに一人ってのはなんだかなって思ってさ」
「あの、わたしもこのお祭りは初めてなんですけど……」
チカが言うと、おねえさんは少しびっくりした表情になって、それから少し複雑な表情を顔にうかべた。
「あ、ああ。そうかい。だったら、初めてのもの同士、仲良くやっていこうじゃないか。ここじゃ、おねえさんもあなたも、お仲間だよ」
そう言っておねえさんが浮かべた笑みはなんだか子供みたいに無邪気なもので、チカは緊張を解いた。
「じゃあ、おねえさんと一緒に祭りをみるの?」
「ああ、そうさ。むしろ、こっちからお願いしたいね。あたしには、連れもいないし」
「うん、一緒にいこう」
チカがそう言って笑うと、おねえさんは優しそうな笑みを浮かべる。
「それじゃあ、鬼さん。大人一人子供一人ってことで、よろしく」
「へい、承りました」
鬼が泊めていた舟におねえさんとチカが乗り込み、いざ、出発進行だ。
「そういえば、お姉さん、あんた、祭りは初めてなんだろう? どうして、あっしが船乗りだってわかったんだい?」
舟を操りながら、お面をかぶった鬼がおねえさんに問いかける。
「どうしてもなにも、川の上で鬼が操る舟に乗っている人があんなにたくさんいるじゃないか。それに、ちょっと向こうで話を聞いたんだよ」
「なーるほど。向こうでも話題になってるのは、あっしとしても鼻が高いでっせ」
水かさの増した隅田川の上には蛍のような光の粒がふわふわと舞い、灯りを絶やさない。それでも屋台の灯りになるには足りないようで、ちょうちんは屋台ごとにたくさんつけられていた。オレンジ色の光を放つそれらは様々な模様に飾られていて、チカは熱心にちょうちんを観察していた。
「なんだ、あなたは、ちょうちんが好きなのかい?」
チカは問いかけに対してうなずく。
「そっか。最近じゃ、ちょうちんなんてなかなかみられないもんね。あたしが子供の頃はよく見たものだけど」
「ううん、わたし、花火大会でちょうちんが飾ってあるの見たよ」
チカがそう返すと、おねえさんは目を丸くして驚いた。
「へえ、そんなあるものなのかい。そうだね、変わっちまったのは、あたしのほうか……」
「子供の好奇心とは、なかなか羨ましいものですねえ。そうやって、親も子供心を知るものではないでしょうか」
お面をかぶった鬼が、しみじみと言うと、おねえさんは意外そうに問うた。
「あんた、子供でもいるのかい?」
「ええ、血は繋がっていませんが、あっしにもそんな時代がありました。能を伝う一員としまして、厳しくしつけたものですが……いやあ。今となっては正しかったのかどうか」
「そうかい。まあでも、厳しくできるだけ、ましなのかもしれないよ。少なくとも、あんたはその子に付きっきりだったわけだ」
おねえさんは薄い笑みを浮かべてそんなことをいいながら、手を宙に出した。
「旦那、タバコはない……おっと、子供の前で吸っちゃだめだね。まったく、あたしもだらしのない……」
「ま、吸う前に止めたのだから、よしとしましょうや」
チカには話の意味が分からなかったけれど、二人の会話はなんだか楽しそうだ。
「おっと、すまないね。置いてけぼりにしてしまったね」
「ううん、でも、タバコって美味しいの?」
以前、ベランダでおとうさんがタバコを吸っているのをおかあさんが見つけて、ひどく叱っていたのを思い出す。叱られても止められないということは、そんなに美味しいのだろうか。
「いや、ひどい味だね。少なくとも、味わうものじゃあない」
「美味しくないのに、食べるの?」
チカが聞くとおねえさんは笑って、宙に向けて煙を吐くしぐさをした。
「タバコは食べ物じゃないからね。……まあ、そんなに若いうちから吸うもんじゃないよ。少なくとも、こいつをなんで吸っちゃいけないのか知るまでは、だめさ」
答えをはぐらかされたような気がしたけれど、これ以上聞いても答えてくれなさそうだ。
「今夜は祭りだよ。さ、あなたはどこに行きたいんだい?」
チカは問われて、少し考え込む。と、船が屋台の近くを通った。見ると、その店先にはたくさんのお面が飾られていて、どうやらお面屋のようだった。
チカがその屋台を見ていることに気が付いて、おねえさんはお面の鬼に目配せする。鬼は気を使って、船をその屋台のそばにつけた。
チカは立ち上がって、少し高い店のカウンターの奥をのぞき込んだ。
「おやおや、お若いお客さんで」
奥にいたのは、まるで大きな鳥のくちばしか何かのように鼻が曲がった、おばあさんだった。チカが興味津津でじっと見つめていると、おねえさんが軽く手でチカを目隠した。
「そのお婆さんの顔はお面じゃないよ」
悪いね、とおねえさんが言い、おばあさんはくっくくと笑う。チカがきょとんとしていると、おねえさんは飾られているお面の一つをとって、チカに差し出した。もう片方の手にはいつのまにかわたあめが握られていて、おばあさんはそれをすこしちぎって食べた。
「毎度あり」
おばあさんがそう言うのを待って、おねえさんはチカにそのお面を渡した。チカも何度か見たことのある、狐のお面だった。
「……あ」
チカはそれを被ろうとしたけれど、なんだか緊張してうまく行かない。おねえさんはそれを見て、笑いをこらえながら手伝ってくれた。
狐のお面がチカの顔の斜め上に収まると、おばあさんはヒヒッと高い笑い声を上げた。
「お嬢さん、相が出てるね。ヒヒッ、そうさ、こちら側の人間じゃあない」
その言葉の意味がわからず、チカはおばあさんをじっと見る。意味はわからなかったけれど、その言葉の響きは、背筋を凍えさせるものだった。おばあさんの顔を見ている、チカの時間が止まる。
さっと、おねえさんがチカの背中を押した。と、思うまもなく、チカはおねえさんの手にうながされて、船に腰を下ろしていた。
「まったく。ありゃ魔女だね。子供を怖がらせるもんじゃないよ」
おねえさんは不機嫌な顔で言って、それからチカを安心させるように、にかっと笑った。
「いたずら好きなお婆さんみたいだったね。びっくりしたろう?」
頷くと、おねえさんはチカの頭をなでた。
「まだ答えを聞いていなかったね。どこに行きたい?」
チカは問われて、もう一度考え込む。それからまもなく、ぱっと手を挙げた。
「金魚すくい!」
「お、定番だね」
花火大会では人が多すぎてできなかったけれど、ここならできるかもしれない。
「それじゃ、鬼さん、頼むよ」
「合点承知でさあ」
お面をかぶった鬼はそう勢い込んで、竿をふるった。ばしゃばしゃと跳ねる水が水面の光と混じって、ビーズに光を当てたみたいにきれいだった。
やがて付いた屋台は、大きないかだに乗った、大きなちょうちんでひときわ明るいものだった。チカとおねえさんはお面の鬼の船を降りて、いかだに乗った。
「いってらっしゃいませ」
鬼の見送りに頷いて、チカとおねえさんは屋台の奥に入る。
「らっしゃい! 生きがいいよ! お嬢さんたちもやってみるかい?」
店主がそんなことを言うものだから、チカは笑ってしまった。せっかく来たのだ、金魚すくいをしないで帰るつもりはない。おねえさんの背丈ほどの大きさのあるプールの中で色とりどりの金魚たちが泳いでいて、チカは取ってみせると意気込んだ。
けれど、肝心の店主の姿がなかった。声はするのだけれど、これではどうやってすくうものと金魚を入れる袋を貰えばいいかわからない。チカはその場で立ち尽くして、きょろきょろするしかなかった。隣のおねえさんも、どうしたものかと首を掻いている。
「おお、悪いね。お嬢さんたち、初めてかい。こうすれば分かるかなっと!」
そんな声がした直後、ばしゃ、という音がして青色の人の輪郭が現れた。チカは驚いて、悲鳴をあげてしまう。おねえさんはそんなチカを後ろから軽く抱いて、安心させてくれる。
「悪いね、おれはまだ人様に見てもらえるほど格が高くなくて、こうでもしなきゃわからないのさ。ま、他にもこんなやつもいるから、分かってやってくれ」
店主は、自分に色水をかけて、チカたちに自分の姿が見えるようにしたのだ。チカはそれに気が付いて、ほっと肩をおろした。
「なるほどね、日本には透明人間はいないってことかい?」
「いい得て妙だな。鬼じゃなきゃ、おれみたいな雑魚は目にも見えないし、何もできないからな」
おねえさんが言うと、青色の店主は体を震わせた。表情はわからなかったけれど、笑っているようだった。
「じゃあさっそくやってくか? わたあめを出してくれ」
チカは頷いて、割り箸を取り出し、わたあめを出す。すぐ後に突然ぼうっとわたあめから炎が出て、わたあめが一回り小さくなった。一瞬のできごとで、驚くよりも先に終わってしまったので、チカは目を丸くすることしかできない。おねえさんが笑って、わたあめを指さすのを見て、チカは我に返ってわたあめを食べ始める。
チカが残ったわたあめを食べ終えると、青い店主はポイを渡してくれた。
金魚すくいのコツは、ポイの紙の部分を使うのではなく、ふちの部分を使うことだと、テレビで見たことがある。目から鱗で一度やってみたかったのだけれど、花火大会の屋台はすごい行列で、どうにもやり切れない気持ちになった。
チカはなるべく金魚がいっぱいいる場所をねらって、そうっとポイを水面に差し込んだ。ゆっくりとポイを動かし、赤色の一匹がポイの枠内に入り込んだのを見て、チカは勢いよくポイを引き上げた。金魚たちはびっくりして、我先にと尾ひれをくねらせる。
ポイを勢いよく引き上げたせいで、紙は破れ、赤色の金魚はプールの中に落っこちてしまった。
「あー!」
チカは残念な気持ちを声に出して、そういえば引き上げた時に金魚を入れる入れ物がなかったと、店主を見上げた。店主はにやっとして、チカにその入れ物を差し出す。
「本当はあと二回なんだがな、オマケだ。あと四回やっていいぞ」
チカはぱっと笑みを浮かべて、入れ物を左手に次のチャレンジを始めた。ポイを引き上げる時に、力を入れすぎてはいけない。自分にそう戒めて、次こそはとそうっとポイ水面に差し込んだ。
「ううー!」
けれどぜんぜんだめで、チカは四回のチャンスを使いきってしまった。チカが残念な気持ちをいっぱいにして店主にポイと入れ物を差し出すと、それを横から遮る手が出てきた。
「店主、あたしもやっていいかな」
おねえさんはなんだか頼もしい笑みを浮かべて言った。青い店主は頷くと、おねえさんが差し出したわたあめを少し燃やして、新しいポイを差し出す。
「まあ、大人だからな、三回で頼む」
「わかったよ」
おねえさんはチカに肩をすくめて見せ、ポイを右手に、入れ物を左手にしてプールに向き合う。
チカが思わずつばを飲んで見守るなか、おねえさんは二回目で見事黄色の金魚を引き上げた。
楽しい時間は、すぐに過ぎ去ってしまうように感じる。チカはそれからどうやって屋台のいかだから船に飛び乗って、今、黄色く輝く金魚の入った透明な袋を見つめているのか、よく覚えていなかった。
「どうやら大成功だったようで」
お面の鬼がそう問いかけると、チカは満面の笑みで頷いた。それを見て鬼は顔の向きを少しだけ上に向ける。それだけで、チカには鬼の被っているお面が笑っているように見えた。
「あのね、お姉さんが、取ってくれたんだよ!」
「それはそれは、こりゃあ、MVPってやつですなあ」
鬼がおねえさんにそう茶化すと、おねえさんは鼻で笑って、そっぽを向いた。
「こういうときに活躍できなくて、何が大人さね」
「ほら、お嬢さんも、お礼はいったのい?」
チカはその言葉にはっとして、おねえさんに頭を下げた。
「ああ、もうたくさん聞いたから、いいんだよ。まったく、律儀だね、ガキのころのあたしに見習ってほしいものだよ」
それを聞いて、お面の鬼が朗らかに笑った。
「誰だって可愛い時期があるものでさあ。醜い所はよく覚えていても、そんな時期は覚えていないものかもしれねえってやつで」
「……かもしれないね」
それからおねえさんはチカに向き直って、優しく笑いかけた。
「なあ、あたしは、ちゃんとできたかな?」
チカには、おねえさんの問いの意味があまりわからなかったけれど、運動会で応援団をやっていた友達が同じような言葉を言っていたことを思い出して、その記憶の通りに、頷いた。
おねえさんは、短い間一緒に船に同席して、金魚すくいをしただけなのに、それまでの経験ではチカには全く想像できないような、安らかな笑みを浮かべた。
「そうか……」
言うが先だったか。突然、船が燃え上がった。理科の授業で友達がこぼしたアルコールランプに火がついてしまったときのような、消える、といった感じかもしれない。そういえば、理科の先生が手の甲にアルコールを垂らして、火をつけてもぜんぜん熱く感じない、って言っていたっけ?
そんな突拍子もない連想を浮かべた瞬間には、チカはもう水の中にいた。水が苦手で、水泳の授業がいつも憂鬱で仕方がなかったチカは、その時初めて、水の中から見える景色の美しさを知った。
鏡の中の世界に入ってしまったかのような、鏡面。そこに映る色とりどりの光。それを見て、チカはそれが水面だと知った。その美しさに見とれて、チカはここが水の中であることを忘れた。
夢心地で水面に映る景色を見ていると、少しずつ、チカは現実に引き戻されていった。さっきの女性との会話を思い出して、それからお面の鬼のことを思い返す。
なんだか、おとうさんとおかあさんみたいだったな。そう思って、チカはこのお盆祭りに来たときのことを「思い出した」。
そうだ。どうして忘れていたのだろう。
今、チカのおとうさんとおかあさんはどこにいるのか。あのもう一人のチカは、何をしているのか。それを考えると、こらえることもできず、涙が出た。水の中のはずなのに、不思議と涙は頬を伝い、下に落ちる。
それを不思議に思ったときだったか、チカは視界から水面が消えていることに気がついた。それから、チカは耐えがたい眠気に襲われた。疑問はふわふわとしたまま形にならず、暗闇の中で、チカは目を閉じた。