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泣き虫な鬼の「つゆはらい」

 気がつくと、どこからか笛の音が聞こえてきた。目を開くと、そこはさっきまで座り込んでいた隅田川の土手で、花火を見ていた橋も見える。気がついた場所が家のベッドではなくて、これまでのことが夢じゃないかと期待していたチカはがっくりとした。


 と、足下がひんやりと冷たいことに気がつき、チカはびっくりしてその場から飛び上がる。目を開けたばかりで、薄暗い夜であったから気がつかなかったけれど、チカが寝ていた土手の中腹は、水浸しどころの騒ぎじゃなかった。


 隅田川の水かさが、いつもよりもずっと増えているのだ。夏の少し前の台風の時期に増水してニュースで流れているような水かさだけれど、不思議なことに川の流れは静かで、濁りひとつなかった。


 けれど、何だろう。花火大会はとっくに終わったのに、どこからか祭りみたいな音が聞こえる。耳をすますと、その音は川の上流から聞こえてきていることがわかった。チカは立ち上がって、糸に引かれるように音の鳴る場所へと歩いていった。


 音が発せられているものは、すぐにわかった。やぐらだ。それも、川の上に大きな船を浮かべて、そこに立ったやぐらのてっぺんにある太鼓を打ち鳴らしているのだ。


 チカはその舟の大きさに驚き、目を丸くした。海の近くにある博物館の、その目の前に堂々と浮かぶなんとか丸みたいな大きさだ。こんなものが都会の真ん中の川に浮いていることに、チカはなんだか感動を覚えてしまった。


「川の太鼓を見るのは初めてかあ?」


 不意に、後ろから声がしたので、チカは悲鳴をあげて飛び上がってしまう。


「ああ、ごめんなあ。まだ盆の時期じゃないから、どうして人がいるのか不思議に思ってなあ」


 今年のお盆はたしか、八月の十三日からだ。家にあるカレンダーにしるしをつけるのはおかあさんに指示を受けてペンを操るチカの仕事だから、よく覚えていた。


「すごいだろう。明日からお盆休みだから、リハーサルと前準備をやっているんだあ。よき商売相手に満足してもらわないと、おれたちのメンツが丸つぶれだからなあ」


 チカは誰かも知らない男の言葉に、首をかしげた。今日は七月二十七日。花火大会当日のはず。疑問に思って振り返り、見えたその男の姿に悲鳴をあげた。


 頭から生えた二本の角。ぎょろりとした目と、とがった鼻。その男の声の主は、国語の教科書に乗っている鬼そのものだった。


 チカの怯える姿を見て、鬼は陽気に笑った。


「はっはっは、なかなか新鮮は反応だなあ。お客様はみんな慣れてしまっているからなあ。百鬼夜行の一員としては、光栄だあ」


 そう言って鬼はがおーと牙をむき出したので、チカはついに泣き出してしまった。そのとたん、鬼は急におろおろしはじめる。


「おおお、脅かすつもりはなかったんだよお、いや脅かしてたけど……悪かった、おれが悪かったよお」


 しかしチカは泣きやまない。鬼は途方にくれて、チカに背を向けて座り込んでしまった。その様子に気がついて、チカは不思議に思ってその背中をじっと見つめた。


 そして不意に、橋から落ちたときに耳元でささやかれた言葉の一つを思い出した。


――それまであなたは、こっちの夏祭りにでも行けばいい。


 これが、あの声のいう夏祭りなのだろうか。だとしたら、この鬼は祭りをやるお仕事をしているのだろうか。


「あ、あの……」


 チカはおっかなびっくりと鬼の背中に声をかける。


「放っておいてくれよう……」


 しかし返ってくる声は、なんだかしょんぼりとした声。どうやらひどく落ち込んでいるようだ。


「ご、ごめんなさい……?」


 こういうときは、謝ったほうがいいのだろうか。チカにはよくわからなかったけれど、それを聞いた鬼はなんだか納得したようだった。


「そうだよなあ、鬼なんだから、こんなことでへこんでいちゃあいけねえよなあ」


 鬼は涙を拭くようなそぶりを見せてから、こっちに振り返った。相変わらず恐ろしいその顔に、チカはまた泣きそうになったけれど、どうにか我慢した。


「それにしても嬢ちゃん。嬢ちゃんには、おれが見えるんだなあ。ということは、嬢ちゃんもお客様かあ。しかしい、まだお盆じゃないし、ということは……ああ、むごいこっちゃ……むごいこっちゃ……」


 そう言って、鬼は哀れむように眉をゆがめた。


「あの、もしかしてこれって、夏祭りなの?」


 チカはとにかく、今疑問に思っていることを口に出してみた。すると、鬼はやけに自信たっぷりに答える。


「ああそうさ。こりゃあおれたち百鬼夜行自慢の、お盆祭りだぞお。おれたちゃいつもは戌の日に仕事なんだがあ、お盆だけは休日を返上してえ、この祭りをやるのさあ。といってもお、今日は戌の日だがなあ」


 ただでさえ恐ろしい鬼の顔が、さらに恐ろしげに歪む。どうやら笑っているみたいだった。


「食べるものが売っているお店はあるの?」


「どうだかなあ、なすときゅうりぐらいなら売っているかもしれんがあ、食べ物は望み薄だなあ。後はわたあめぐらいだが、あれは食べ物じゃないからなあ」


 どうやら、チカの知っている夏祭りとはちょっと違うようだ。


 ここにいても、いいかな。


 少しずつそう思えてきた。たぶん、わたしには帰る場所がないのだから、夏祭りぐらい……お盆祭りっていうんだっけ? を見るぐらいはいいだろう。きっと、寂しくはない。それに、この鬼もなんだかとってもおにいさんみたいだ。


「どうだあ、嬢ちゃん。ここで会ったのも何かの縁だあ。いっしょに百鬼夜行と練り歩いてみねえか。といってもお、船に乗ってだがなあ」


 チカはうなずいた。


「そうかあ、なら、乗ってけえ」


 鬼がやぐらへと手をふると、しばらくして一隻の小舟がやってきて、橋として板をわたした。船に乗っていたのは、灰色のコートを身にまとって、フードで顔を隠した誰かだ。コートを着た誰から手まねきしたので、鬼とチカは板をつたって小舟に乗り込む。


「そのお嬢さんは?」


 コートを着た誰かが鬼に聞くと、鬼はチカに聞こえない声の大きさで耳打ちした。それを聞いてコートの誰かが「むごいことだ……」と言ったけれど、チカにはそれがどういう意味なのかわからなかった。


 やがて小舟が岸から離れ、大きなやぐらのある船へと近づいていく。やぐらの船の近くにはチカの乗る小舟の他にもたくさんの小舟がついていた。やっぱり、隅田川が花火大会のときと比べて、水かさが増してさらに大きな川になっている。隊列を組んだたくさんの船を見ると、それがよくわかった。


 と、ひときわ大きな太鼓の音が鳴り響いた。


「さあてえ、百鬼夜行名物、パレードの始まりだあ。といってもお、前準備だけどなあ」


 鬼は楽しそうに言って、どこからか先に丸いものがついた棒を取り出した。それからその棒を高く掲げる。


 すると、ぼうっという音とともに棒の先に青い炎が灯った。周りの小舟も、青い光を灯らせ始める。


「そうだあ、嬢ちゃん。これ、やってみるかあ?」


 不意に、鬼がそんなことを言ったので、チカはびっくりして聞き返した。


「いいの?」


「ああ、せっかくのゲストだあ、それにい、お客様に見せるものでもないからなあ」


 そう言って、鬼はチカに火のついた棒を渡してくる。チカが棒を受け取ったとたん、棒の炎が消えた。棒はそこまで重くなくて、木の棒のようだった。


「そいつわあ、いわゆる鬼火ってやつだあ。ふつうの人間にはできねえがあ、いまの嬢ちゃんならできるはずだあ」


 チカは鬼の言葉に、目を輝かせた。それはまるで、魔法のようだ。


「わたしにもできるの?」



 しかし、チカのその反応に鬼はすこしおどおどした。


「ま、まあ、そうだあ。それは嬢ちゃんが『ここにいるぞお』と念じれば明かりが灯る。やってみるといいぃ」


 チカは言われたとおりに、「ここにいるぞ」と念じてみた。不意に、あの自分と同じ顔をした誰かを思い

出す。思い出して、おとうさんとおかあさんに向かって言いたいことを念じた。


 すると、チカの持つ棒に青い炎が灯る。チカはうれしくなって、したり顔で鬼のほうを向いた。


「おお、こいつは見事だあ。ふむう、そろそろ始まるようだあ、しっかり、それを掲げてるんだぞお」


 鬼が言い終えるや否や、またひときわ大きな太鼓の音が響き、たくさんの小舟が一斉に動き出した。太鼓の音にあわせて小舟の位置を変えているようだ。


 と、いきなり鬼が歌い出す。周りからも同じようなリズムの唄が聞こえてくるから、唄もパレードの一環なのだろうか。


――我ら百鬼の魑魅魍魎。歌えや踊れや埋め尽くせ。


――石の橋もいろはにほへと。風の前に崩れされ。


――祇園精舎に集いしは、うゐのおくやま、儚き一夜。


――驕る平家は久しからず。藤原などは死にさらせ。


――仏の顔は三度だけ。息災延命、鷺がついばむ。


 そんなふうに続く唄だけれど、チカにはさっぱり意味がわからなかった。けれど、歌のせいなのか、この青い炎のせいなのか、隅田川には目に見える変化が起こった。


 最初は見間違いかと思うような、ちいさなものだった。隅田川の中から、何かちいさく光るものが出てくるのだ。


 次第にそれらがより集まり、蛍のように頼りない光を放つ。光は小舟が放つ青い光に集まり、チリチリと鈴のような音が聞こえてくる。太鼓はますます高く打ち鳴らされ、鬼たちの歌う唄はさらに大きく、激しくなり、蛍のような光もせわしなく飛び回る。


 と、ひときわ高く、太鼓が打たれる。それを合図にして蛍のような光は渦を巻いて天へと舞い上がり、いくつもの光の柱を打ち立てる。


 と、唐突に太鼓の音が途切れ、鬼たちの唄もなりをひそめた。蛍のような光も、最初からなかったかのように消えた。


「ううむ、今年もすばらしい露払いであったあ」


 鬼が言い、チカは首をかしげる。


「つゆはらいっていうの? これ」


「そうだあ。やってくるお客様を迎えるための、馬車の代わりだあ。これがあれば、きゅうりの馬のないお客様も、確実にここに来ることができるのだあ」


 この鬼はきゅうり、とか、なすとか、関係のなさそうな野菜の名前を言う。きゅうりは嫌いではないけれど、どういう意味なのだろう。


 そういえば、お盆の時期におばあちゃんの家に行くと、きゅうりとなすをお供えするんだっけ。それがどういう意味を持つのか、チカは知らなかった。


「初めて露払いをやったんだあ、きっと疲れているだろう。今夜はここで休むといい。といってもお、寝床も用意できないけどなあ」


 そう言って、鬼は陽気に笑った。コートを着た誰かが小舟を操り、来たときと同じように岸に止めた。チカはお礼を言って小舟から降り、土手へと歩いていった。


 さっきも、この土手で寝たのだ。今はなんだか気だるいし、きっとすぐに眠くなるだろう。そう思って、チカは土手に座り込み、目を閉じた。



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