さよならの時
森林がうっそうと茂る中、俺は読書に浸っていた。ハンモックに揺られ、時折、マホガニーの素材で作られた机で金髪のセリーヌが文字を書くのを一瞥する。
たどたどしいセリーヌの筆跡は恐らく大したものではない。なにせ、文字を覚えたのはつい一週間前なのだから。
俺は宇宙を旅する時代に生まれ、そこで銀河連邦に惑星一個を消滅させた罪により、第一級犯罪者として永久の禁固刑を言い渡された。しかし、彼らは俺の頭脳を必要としていた。なにせ、一人で惑星の核を爆発させる当時の科学者でもできなかった超理論を俺は一人で行ったのだ。そこで、彼らは俺を死刑にするどころか、表向きは禁固としながらも、あらゆる数学論を俺に研究させた。そして、俺は彼らに永久の不死の体を作ることを提案した。実験体としては俺を提供するようにも発言した。彼らにとってはそれが実現するのは願ったり叶ったりだった。永久の命と、計り知れない頭脳を維持できることにもなるからだ。
実験段階中それは上手くいった。いや上手くなりすぎた。俺は自らの体を被献体としてながらも、自分の計画を練っていた。それはここから脱走する算段だった。あらゆる元素や素材を永久の命のために必要としながらも、俺は旧兵器の爆薬と呼ばれるプラスチック爆弾を凌ぐ爆弾を作っていた。
そして、永久の命がついに完成された時、俺はその計画を実行した。牢獄だったはずの研究施設は爆発により全てが吹き飛んだ。
対して俺は細胞の核が残っている断片から自動修復した。瞬く間に、俺が俺であったころに何の遜色もなく、俺は意識を取り戻す。死に間際だったからなのか、失った瞬間は、無しかなかった。ただ、俺が俺を自覚できる時間がなかっただけだ。
「これが、永久の命か……」
俺は手のひらを開いたり握ったりする。
感慨にふけってみても無駄だった。人が人を超越したとき、俺という人間は、もはや化け物だった。
それよりどこへ行こうか。飢えることもない、乾くこともない体で、俺は俺という存在のありかを探した。
とりあえず外国に渡って偽名を使い、俺は金を集めた。沢山の金は、俺の頭脳と知識を求めている連中には高額で売りさばけた。どうやって、完全犯罪につながる心臓発作を起こさせるか、どうやって、体を強く作り変えるかなど。実にくだらなくて、退屈で、暇つぶしに行っていた。そうやって金は段々と貯まっていった。
そして、俺は次なる自分の探求のために、地下千メートルに独自の研究室に籠ることとした。時折、街には降りるが、それの感覚はまちまちだった。百年に一度、千年に一度、万年に一度。新しい人種は生まれ、または滅んでいった。
気が付けば、この星のおおよその知能レベルは低くなり、かつての動物の楽園となっていた。
俺は一人きりだった。街が滅んだことに後悔はないが、あまりに暇を持て余しすぎていた。周りを見てみると建物は半壊して、植物のツタが絡んでいた。
「さて、いったい何をしようか」
しばらくはうっそうとする植物を眺めた。秒数のときではなく、およそ百年のときをただじっとしていた。考えることなどもう考えつくした。俺にとって必要なものは新たなる刺激だった。そう、気付いた時、俺は新たなる生命を造りだすことを思いついた。完全ではなくていい。俺にとってなにか感情を抱かせるそんな生物が欲しいと俺はそう思った。
俺はさっそく段取りにとりかかった。初めは構想の段階に苦労した。どういう形態で、どういう状態のものを作るのか一番それが大切だった。永久に自家発電を繰り返すモニターに、新たなる生体を映し出した。やはり、俺は美的感覚が人間のままだったらしい。モニターには金髪で、15歳くらいの少女が映し出された。あらゆる観点から見ても、生き物としては完全ではないにしろ、一番しっくりくるのが彼女だった。
知能は俺よりも高くはない。いや、俺以上の知能を持った生物など、俺が作りだせるわけがない。
俺は彼女の名前をセリーヌと命名した。それははるか昔、俺が初恋をした人の名前だった。
そしてこの日、俺は培養液に浸かったセリーヌに、俺の名称を教えた。本名など忘れてしまったが、俺の名はクロードだと。誰にも呼ばれくなった俺という生き物の名を。
「ねぇ、クロード。この字は何って意味なの?」
ハンモックにくつろぎを覚えている俺に、セリーヌは問いかけた。俺はやれやれといった感じでセリーヌの元に歩み寄る。森林の匂いと、太陽の日差しを浴びて、俺は手を組んで真上にかざす。
「それは友達だ」
「友達ってなに?」
セリーヌは体をほぐしている俺に、まん丸の瞳で問い返す。
「……」
俺はしばらく無言になる。そういえば俺に友達という感覚は、当の昔にすり切れていた。俺が友と呼んでいた連中はどうなったのか。俺が犯罪者となったときにはもうすでにいなくなってしまった気がしたが、もう忘れた。
「親しい生き物同士ということかな」
自分でも疑問符をつけたくなるような気分だったが、とりあえずそう答えた。
「じゃあ、セリーヌとクロードは友達なの?」
「たぶん違う」
俺がそう答えたとき、セリーヌの瞳から涙がこぼれる。
「どうして……セリーヌとクロードは仲が悪いの?」
「そういう訳じゃないけど、ちょっと意味合いが違う」
セリーヌはさらに泣きじゃくる。鼻水もたらして、綺麗な顔立ちが台無しになっていた。
俺はセリーヌの頭を柔らかに撫でてやる。
「たぶん、もっと他の意味合いがあるんだよ、きっと。俺はセリーヌのこと好きだよ」
「本当? クロードは私のこと嫌いじゃないの?」
「うん。嫌いじゃないよ」
セリーヌの笑顔が花咲いた。と思ったら、俺にしがみつく。結構重い。別に俺は永久不死の体を手に入れたが、パワーリフティングの選手のような体を手にしたわけではない。すぐに仰向けになって地面に倒れこんだ。自身の体の強化も行おうかと、一瞬悩んだ瞬間だった。
しかし、セリーヌの感情も豊かになってきて、もはや俺一人で面倒を見るのは限界が見えてきていた。俺が失ってきた感情は、孤独という原料で無色透明になってきていた。セリーヌと接するようになって、確か、そうだったはずという、ただの生き字引きな感覚だ。これなら文明が存在していたときの辞書を読み返していればいい。
そういえば昔の心理学の実験で、乳幼児50人以上を対象に、言葉も愛情も与えなければどうなるかという実験があった。もちろん食事も住む場所を与えたが、結局、成人に達するまでおおよそが亡くなったらしい。体の免疫能力の低下や、狂気に彩られ、彼らはあくなき探求心の被害者となった。
セリーヌも同じようにならないとは限らない。俺の生み出した作品が……いや、違う。どこか俺の中で胸がうずくものがあった。
なんだろうこの感覚は。ずっと忘れていた、
ーーそうだ、これは不安だ。
どうして忘れてしまっていたのだろう。そうか。俺はセリーヌがいなくなることに恐怖を覚えていたのか。たったの一週間たらずの付き合いなのに、セリーヌは俺に、密度の濃い感覚を甦らせた。そして。
セリーヌが涙をこすり、白い歯をみせて笑ったとき、俺の心は暖かなスープでも啜っているような気がした。なんて、暖かいんだろう。セリーヌのために何かがしたい。セリーヌが喜ぶことをしたい。セリーヌのために。
草木が茂るなか、大きな揺れがあった。そいつは体長が三メートルもあり、触手が三本もあり、脚は五本、ベースは甲殻類の進化系だと思われた。事実そいつは陸上では必要としない、エラ呼吸の可能な痕跡痕を残していた。俺が勝手にオボラと名称した生物だ。
「クロード!」
俺はセリーヌの前に立つ。オボラは鋭い鋏が二本あって、そのうちの一本を左から繰り出し、俺の腕の一本を持っていった。肉繊維がずたずたに引き裂かれ、宙を舞い、血流が舞い踊る。だが、俺もみすみすオボラの攻撃を受けたわけではない。
懐から取り出した小型のプラズマ照射銃から、大気を焼き焦がし、独特のオゾン臭がしたとき、オボラの胴体は50センチの穴が空いていた。そして大きな音をだして、オボラは倒れこんだ。
「クロード腕が!」
セリーヌの目が驚愕に開かれる。切断された腕をみて、セリーヌの声は震えていた。
「大丈夫だ。これくらいならなにも問題はない」
瞬時に俺の腕は細胞が再構築される。血管、骨、神経線維、筋肉があるがままの状態に戻る。俺はたいして驚きもせず、新しく生え変わった腕を見つめる。
「ほらな」
それでもセリーヌは心配そうに眉を曲げて、俺の服の裾をつかむ。
「クロードはそれでいいかもしれないけど私は嫌なの。クロードが傷つくのが怖いの。もし、私が一人ぼっちになったらどうするの?」
俺はセリーヌを守ったつもりだった。しかし、セリーヌが言った言葉に困窮した。俺たちはお互いに俺たちを欲している。もうどちらかが欠けてはいけないような気がした。
俺はセリーヌを抱きしめる。この感情はなんだろうか。
そして次に俺が成すべき工程もわかってきた。
俺はセリーヌを生み出した方式でつがいとなる生き物を作ることにかかった。同性いや、両生類でも構わなかったのだが、アダムとイブのことが脳裏によぎったからだ。一つ懸念すべきことは同じ遺伝子同士の互換性をいじる必要性があった。例え近親相関が起こり得ても、子供に先天性の異常がないように配慮した生物の組み合わせにしてみた。別に他に、同種の生き物を量産してもよかったが、それだと俺の教育や生活に支障をきたすかもしれないので辞めることにしたのだ。
「クロードこれなに?」
培養液に使った小さな卵子に、セリーヌは首をかしげる。
「セリーヌの友達づくり」
俺はそっけなく答えた。セリーヌのためであるのに、俺としては不愉快だった。
「でも、この子セリーヌと全然違うよ」
「あと七日もすればセリーヌに追いつくよ。待っててごらん」
俺は首を回しながら、培養液につけた子に名前をつけることにした。エリオ。なぜだかそんな名前が浮かんだ。
「この子はエリオっていって、すぐセリーヌの友達になれるよ」
エリオは培養液のなかですくすく育った。そして、セリーヌの顔も日に日に変わっていった。
「あんなに小さかったエリオが、もうこんなに大きくなっているよ」
セリーヌは細い腕で30センチくらいの感覚で間をあける。
「そうだな。一度、試したから、その分、こっちも楽にはなってるかな」
「試した?」
セリーヌが訳がわからない顔をする。そうだった。セリーヌにはどうやって生まれてきたことを教えていないんだっけ。
「そうだ。セリーヌ料理を覚えたんだよ。クロード一緒にご飯を食べよ」
セリーヌは俺の肘を引っ張って、ダイニングキッチンへと連れ出す。この頃のセリーヌは俺が使っていた旧端末の電子機器で情報をどんどんと取り込んでいた。だが、俺は少なくとも何万年以上も食べ物を口にしたことがない。永遠の命がある俺には必要性がなかったからだ。だけども、生物学上の観点からみて栄養素を必要としない生物はいかがわしいので、セリーヌには人間と同じにしておいた。これまでは錠剤と液体栄養素でセリーヌに添加していたが、今日初めて作ったらしい。
「セリーヌ、俺は大丈夫だから」
「だっていつも一人きりで食べるの寂しいんだもん」
確かにセリーヌと一緒に食事をしたことはない。しかし、あとあとコミュニーケーション能力に不備を残されると困るので俺は付き合うことにした。
食器の上にどでかい肉の塊と根野菜の炒めもの。少なくとも俺が目にしたことがない材料に違いない。しかもところどころ焦げているし、火の通りは悪いことだろう。
「は~い、クロード。あ~んして」
どこで、その作法を覚えた……。
セリーヌがナイフで切りだした肉の塊を、フォークでぶっ刺して、俺の口元に運んでくる。はっきり言って嫌だった。何の肉かも分からない物体を口にするなど。しかし、セリーヌの期待に膨らんだ赤ら顔を無下にするのはもっと嫌だった。俺は肉汁滴る塊を咀嚼する。噛みごたえは悪くない。多少、焦げ臭いが食えない範疇ではない。
「どう、美味しい?」
新妻の気分なのか、はてさては、乳児に離乳食を与える母親の気分なのか定かではないが、セリーヌの顔色は暗雲が立ち込めていた。
「悪くないよ」
「良かった。この前のオボラの体を使って作ってみたんだけど」
吐き出したかった。
でも、セリーヌのほっとした顔を見ると、心が焦れて、全部食べきることにした。慣れというのが、生き物の生存には必要だ。セリーヌは自分で食べてみたとき、衝撃を覚えた顔をしていて、額の汗を拭う。
「こっ、今度は上手く作るからね」
「わかった」
それからの俺の日課は獲物を取ることに変わっていった。志願したのは、セリーヌの身のためと、比較的食べやすそうなものを自分で調達する意味合いもあった。それに、俺はあらゆる毒素を無効化しても、セリーヌの体はそうできていない。しっかりと獲物の部位を検査して、俺がセリーヌに手渡す。この慣例はエリオが完成するまで続いた。
セリーヌは培養液で少年に育ったエリオを見つめていた。エリオもまたセリーヌを見つめていた。視覚は良好の証か。俺はカプセルに入ったエリオを解放する。
「初めまして、エリオ。俺の名はクロードだ」
エリオは自分で呼ばれた名前を不思議そうに聞いていた。でも、俺はなんの気兼ねもなく、その対応を受け入れた。セリーヌの時と同じ反応だったからだ。まだまだ言葉がわからないので、苦労することになるだろう。
「初めましてエリオ。私はセリーヌだよ」
セリーヌが深々とお辞儀をする。
いやそうでもないか。
ここにいい見本となる生き物がいるのだから。
セリーヌとエリオはすぐに仲が打ち解けた。それは俺が急速に冷えきっていくのを感じながら。
「セリーヌ。あいってどういう意味?」
「愛っていうのはね。えーと何だろう」
二人でお互いに文字の咀嚼を進めていた。俺はところどころ助言をするが、それは定かではない。なにせ当の昔に捨て去った感情だ。バラバラの千ピースのパズルでも組み合わせているような気分だ。
「クロードはどう思う?」
セリーヌが幼子を思いださせる瞳で問いかけてきた。
「お互いの思いやる気分があれば、それは愛と呼べるかもしれない」
「じゃあ、私たち三人はお互い愛し合ってるんだね」
「さあ、どうだろうかね」
自信満々に言っていたセリーヌの顔が崩れ去る。今度は俺も愛してるなどという言葉を使わなかった。ただ無言で一人その場を後にする。
わかっているよ。段々とその言葉の意味を。だからこそはっきり言えないんだ。腹の底から苛立ちを覚えるほどに。
今日もまた二人のための獲物を狩ってきた。その午後の夕暮れの頃、外で二人はいた。俺はなぜか黙っていた。
「ねえ知ってる? 愛し合ってる生き物は唇と唇を合わせたりもするんだよ」
「……そうなの? じゃあ僕たちもしてみる?」
エリオとセリーヌはその行為の意味を知らないだろう。だが、俺はよく知っていた。嫌になるくらい。そうこれが愛なんだ。二人が口づけを交わした時、特別な感情が芽生えていたことも。そして、俺の腹のどす黒いものも。俺の役目はもう終わったんだと。
俺が決意していた日が迫っていたんだと。俺は悟ったんだ。
俺は部屋にこもりながら設計図を作成する。エリオの着想に至った日の同時に、予定していたプランを実行に移すだけだ。時折、二人は部屋を訪ねて食事に誘ってきたが、俺はそれを全て断った。やがて、二人は俺に費やす時間が無くなり、二人だけで過ごす時間が多くなった。何かに没頭するのはいい。余計なことを考えずに済むから。
やがて月日は過ぎて、一年が経っていた。俺は久々に二人の食卓にお邪魔する。それほど、俺と二人の間には溝が広がっていた。二人は驚いていたが、俺の気持ちは晴れやかだった。
「クロード。久しぶりだね。もう一人分、用意するからちょっと待っててね」
セリーヌがエプロンをかけて、慌ただしく料理を作り始める。当初は俺が行っていた狩りが、今ではエリオの仕事となっていた。エリオは他愛もない会話をしてくる。今日はどこどこへ行ったとか、明日はなになにをするつもりだとか。
「そういえば、クロード。部屋でこもりっきりで何をしてたの?」
「それを今日話そうと思ってたんだ」
俺の気持ちはすでに固まっていた。
「明日、俺はこの星の探索をするため、旅にでるよ」
セリーヌとエリオは愕然としていた。でも、俺の判断を鈍らせることはなかった。
「いつ帰ってくるの?」
セリーヌが不安そうな顔をしていた。
「長い長い旅になる」
「そう……でもこの子が生まれるころには帰ってきてね」
セリーヌが膨らんだお腹をさすりながら言う。当時に生み出した少女の体は少し大きくなって、女性らしさがでていた。
「わかってるよ。きっと帰ってくるよ」
俺は微笑みを浮かべてセリーヌに返す。
そして、次の日。
俺はかねてより計画していた宇宙船の離陸を始めた。二人はそれを涙ながらに見送った。二人ともなにも知るよしもないだろう。俺がなにをするのか。
エンジンが最高潮に達したとき成層圏を抜けて俺は宇宙にたどり着いた。
目指すは太陽だった。
そういえば思い出した。エリオという名は俺が初恋の人を射抜いた人間だった。今更ながらに思い出すとは我ながら間が抜けている。
太陽が近づくにつれて、肉の焦げる匂いがする。耐熱処理を施した、宇宙船ですら悲鳴を上げていたのに、俺の体はすぐに修復を開始する。だが、それも間に合わなくなる。俺は完全な消し炭となるだろう。そうなれば俺の体は再生のしようがない。ああ、これが死か。俺はやっと死ねるのか。
二人のことが気がかりではあったが、なんとかやっていけるだろう。大丈夫。きっと俺は二人を生み出すために生かされていたのだろう。
俺は太陽のコロナを一心で見つめ、やがて意識がなくなった。