拾った雛はどう育つ
鳥の子は、生まれて初めて目にした者を親と認識し、慕うのだと言う。
始まりは深い深い森の中、鳥の甲高い囀りに紛れて響き渡っていた、人の子の泣き声。
「ちちさまー! ほら、見てくださいませ」
山間にある邸の、庭園とは名ばかりの殺風景な場に立つ男を、美しい着物を纏った幼女が満面の笑みを浮かべながら振り返った。
「鵙よ。どうした? 何かいいものでもあったかい」
「はい! あかい花がとてもきれいに咲いております」
「……ほお。きれい、か」
長く、艶のあるぬばたまの髪と黒曜石のように輝く丸い瞳。
白銀色の髪と赤い瞳を持つ男とは違う色彩を持つその幼女は、3年前、男が森の中から拾ってきた人間の子だった。
森の中に捨てられていた幼子を、男は我が子として大切に育てている。
きれい。
彼女の言うそれは、どのような感覚のことなのか。妖魔の長である男にとってその感覚は全く分からぬものであったが、血と同じ色をしたその花は男の目にもとても鮮やかに映る。
そうか。これは人間にとっては“きれい”なものなのか。
拾ったとき、すでに赤子よりもほんの少しだけ成長していた幼女は、こうして捨てられる前、人の里で覚えたのであろう男の知らない言葉と感覚を男に教えてくる。
綺麗。美しい。悲しい。寂しい。
男の心にはない、そんなものを。
男は幼女の傍まで歩み寄り、人間の親がするように腕を伸ばして小さな体を抱え上げた。
すると、彼女は喜びの声を上げ、その小さな手を男の頭へと伸ばす。
勝手に、男の髪につけられたのは、彼女が手折った赤い花。
「ちちさま。よくおにあいでございます」
男の腕の上で、嬉しそうに微笑むその姿。
男は幼女の成長ぶりを愛おしく思い、知らず目を細めた。
とても、愛おしい。
それからしばらく経ち、
幼女から少女になった娘が男にこう尋ねてきた。
「ちちさまも、人間がお嫌いですか?」
と。
恐らく邸の者の誰かの話でも立ち聞いたのであろう。
邸の部屋で書き物をしていた男は手を止めて、手招きをし、そんな少女を胡坐をかいた膝の上に乗せた。そして彼女の頭を撫でながらその問いに答えてやる。その手は、とても優しく。
「嫌いだよ。愚かで感情的で浅はかで。私は遠い昔からあの弱さが堪らなく嫌いだ」
そう冷ややかに言い捨てた。
男だけではない。
男をはじめとする妖魔の者にとって、人間など好む者など一人もいない。
高い妖力と知能、そして少しの病や怪我では果てぬ体を持つ妖魔にとって人も鼠も変わらない。
弱くて短命で、そのくせ、繁殖力だけは高く、その数でもって妖魔の地を勝手に侵し、汚していく。
我が物顔でこの地に蔓延る。
退治をするのさえ億劫に思わせるほどに。
だから、男も遠い昔の、この世に生まれた出でたころよりずっと、人間など好かぬのだ。
その時、膝の上の少女の体が明らかに強張ったのが分かった。
少女は後ろを振り返り、ゆっくりと男を見上げる。
「ちちさまは、人間である鵙のこともお嫌いですか?」
少女は呆然と大きな瞳で男をじっと見つめながら、そう問いかけた。
だけれど、少女の瞳は絶望に染まっているわけではなく、そんなはずはない、自分だけは特別だと、別格だという自負すらも垣間見られて。
男はそんな少女の頭を再びくしゃりと撫でながら、
「……鵙は、可愛いよ」
とにこりと口元に笑みを浮かべてみせる。
鵙は安心し、満足そうに頬を染めて頷いた。
とても、とても、愛おしい子よ。
鵙を拾ったときより、男は片時も鵙を離さず手元に置いた。
“なぜ、あのような汚らわしい人間の女子を……”
男の妻をはじめとする、邸の者の鵙へのあたりは強かったが、それでも変わらず男は、普段は見せぬ柔らかな表情で鵙に接し、大切に鵙を護る。
誰一人、鵙には指一本、指先さえも触れさせぬように。
時には、異論を唱える同胞を残虐に打ち捨ててまで。
そして、そんな父の態度に応えるように鵙は父を心底慕った。
一心に信頼を寄せた。
「鵙はちちさまさえおられればよいのです」
「そうか」
「はい。ちちさまが鵙の全てなのです」
その言葉に、男は秀麗な容貌に美しい笑みを湛える。
愛おしい。とても愛おしい子、鵙。
そして、少女が年頃になった頃。
「父様、鵙は聞いたのです」
「何をだい?」
「人間にこの妖魔の邑の場所が知れてしまったと。人間たちが父様を討ち取りに来ると」
鵙は、男に不安げな視線を向けた。
男が口元に弧を描いて肯定すると、鵙は唇を噛み締めて視線を床に落とす。
「なりません」
鵙は小さく、けれど確かな意志を持って呟く。
「そのようなことは、なりません。鵙が、許しません」
「大丈夫だ。鵙よ。私は、人間如きにやられはせぬ」
「でも……!!」
「鵙」
顔をあげて反論しようとする鵙のその言葉の続きを、男は名を呼ぶことで封じた。
そして、いつものように、鵙の長い黒髪をさらりと手に取る。
「鵙。鵙はとても美しくなった」
美しい。
それは鵙が口にする、人間の言葉。
そう。鵙は人間の女として、極上に美しく成長した。
妖魔は美醜の価値など気にもしない。男のように見目麗しい者がいる反面、人間たちが、目にした途端に顔を引き攣らせ卒倒するほどの容貌を持つ者もいる。だが、妖魔にとって大事なのは美しさではなく、その強さのみ。
強い者のみが生き残ることが出来、子孫を残せる。強さが全て。
しかし、人間にとっての成長した鵙のこの美しさはいかほどに役立つものであろうか。
「もう、立派な人間の女になったな」
「……父様。鵙は、父様のお役にたちたいのです」
人間の長が、どこからか現れた怪しい美女に誑かされ、他に何も手に付かぬほど夢中になり、そしてまんまと褥でその女に刃物で突かれて殺されたと聞こえてきたのは、その幾月か後のことだった。
とても呆気なく、間抜けな死に様だったのだと。
そして、長を殺めた美女は、気付いた者にその場で切って捨てられてしまったという。
彼女はいったい何者だったのか、分からぬまま。
最期に微笑みながら「お役にたちましたか?」と呼んだ「父様」とは誰のことだったのかさえ、分からぬままに。
くすくすと、邸の庭に立つ男は笑っていた。
「そうか……。生きて戻ってこようものならこちらで処分しようとも思っていたが、手間が省けたな」
「お戯れが過ぎますよ。長。人間どもが急に頭を失って大わらわになっている。今代は出来が良い方だったから余計に」
「出来がいい、ね。まあ、だからこそ余計に楽しい暇つぶしになるのだろう?」
男はこれまでずっと状況を静観していた己が右腕に尋ねた。
“役に立つ”など、何を思い違いをしているのか。
男は言った。人間などが、元から男を害することなど出来るわけがない、と。
そんな男に、右腕である彼はやれやれと首を左右に緩く振った。
彼にとってもまた、これは男のいつもの性質の悪い遊びとしか認識されていないのだという事は見て取れる。
男は彼から視線を外し、ある一点に目を止めた。
そこに咲いていたのは――。
愛おしかったよ。とても。
望んだとおりの反応を返してくる、その様が。
『ちちさまー! ほら、見てくださいませ』
男は足を踏み出し、そちらにあった真っ赤な花に手で触れた。かつて、幼子が“きれい”だと言ったその花を。
結局、“きれい”だとこの花を愛でる感覚など男にはさっぱり理解できなかったけれど……。
だから、男は手折った花に軽く口づけながらこう言うのだ。
「ああ。人間は愚かで、浅はかで、堪らなく嫌いだよ。なあ、鵙?」
鵙。我が暇つぶしのために育てた、雛の名よ。
男:妖魔の長。
情などない。
寿命が長く、人間達で遊んで暇をつぶす悪癖がある。
鵙:捨て子。
父だけが心のよりどころ。
父に認めて欲しかった。