35話 涎の攻防
部屋に戻るとロブがガルトとアニーを起こしていた。マヤはアニーに抱きつかれているからあっちに任せておこう。俺はターニャを起こすか。
「おい、ターニャ起きろ」
「ん……っん……」
ターニャの肩を揺すって声をかけるが艶めかしい声をあげて寝返りを打つだけだった。
「変な声出すなよ。早く起きろっての」
「ぁん――へ?」
軽く頭を叩くと軽く嬌声が聴こえた気がしたが気のせいだろう。とにかく目を覚ましたようだ。寝ぼけているようだが。
「パームが朝食を作ってくれている。もうすぐできるみたいだから客間に行くぞ」
ターニャの返事はない。眠たげな眼で頭がまだ起きていないことを知らせてくる。寝起きのボサボサの頭を軽く掻いている。普段とは違うターニャのだらしない一面が垣間見えた。
「えーっと」
そう呟いたターニャの焦点が俺に定まる。みるみる目が見開いていき、漸く事態を認識し始めたようだ。
ターニャは顔を背けて大きく深呼吸する。
「ちょ、ちょっと顔洗ってくる」
「あぁ、わかった。先に客間に行ってるぞ」
こちらの返事を聞き終える前にターニャは立ち上がると、早足に部屋を出ていった。
顔を洗うと言っていたが場所はわかるのだろうか。まぁ俺はわからないからどうしようもない。
ロブはガルトとアニーとマヤを起こし終えたかなと思いそちらを見ると、ロブとガルトとアニーに変な目で見られた。マヤはまだ寝ている。
「何だよ」
「「「何でもない」」」
見事にハモる三人の声は言葉とは裏腹に何でもなくはない言い方だった。何だって言うんだ。ただターニャを起こしただけだろうに。変な声を出していたのは俺のせいじゃないだろ。……俺のせいじゃないよな? ロブたちにそんなことを聞いたらまた変な目で見られるんだろうことは想像つく。だからこの件に関しては深入りしない。
「何でもないならさっさとマヤを起こすぞ」
そう言えばマヤには涎の仕返しをしないといけなかった。どうやって起こしてやろうか。持ち上げて落とすか、水でもぶっかけてやるか。
俺が起こすための案を考えていると、アニーがマヤを起こそうと手を伸ばしていた。俺がそれを止めるよりも早く、寝ているマヤが伸ばされた手に噛みついた。
「いっ……」
一瞬痛そうな声を上げたアニーだったが、その顔はすぐに嬉しそうな顔になり、もう片方の手でマヤの頭を撫でた。本人が満足なら別にいいが、俺が噛まれないでよかった。
だがマヤはまだ起きていない。今マヤを持ち上げたらアニーごと持ち上げてしまう。それは流石にどうかと思うので、マヤの顔にウォータボールでもぶつけてやろう。
サイコロで十センチくらいの小さなウォータボールを飛ばすと、見事にマヤの顔面に命中した。
マヤは飛び跳ねるように起きるとケホケホとむせている。
「うー、なんだよもう」
水によって服が若干濡れ、鼻や口から水が垂れているマヤの顔はある意味見るに堪えない姿だった。
ロブとガルトはマヤに背を向けて股間を抑えている。ロリコンの二人には刺激が強すぎたか。
「絶対巡っちでしょ!」
「そうだがお前が先に変なことしたんだろうが」
「何もしてないよ!」
「しただろうが! 人の腹を涎まみれにしやがって!」
首を傾げてなぜかピンと来ていないマヤ。何とぼけてやがるんだ。
「お前が夜中に俺の服を捲って腹を涎まみれにしたんだろうが!」
「ま、待って。確かに夜中に巡っちの腹筋を触りにいったけど舐めたような記憶はないよ?」
「だが現に俺の腹は涎まみれだったぞ。ロブの服で拭いたがな」
「なんか起きたら服が濡れてると思ったら、これマヤちゃんの涎かよ……。つーかてめぇ、何俺の服で拭いてんだよ」
「喜ぶと思ったんだがな」
「いや、それは……」
嫌なら嫌とはっきり言えばいいものをなぜそこで言いよどむ。それじゃあ実際は喜んでいたと言っているようなものじゃないか。
人に涎を付けた張本人のマヤが引いている。
「俺に涎つけた奴がなに引いてんだよ」
「いやだって、私はいいけど他の人はちょっと……」
アニーはマヤに噛みつかれていた手じっと見つめていたが、それを聞いた瞬間ガルトに擦りつけて涎を拭いた。
マヤの反応もどうかと思うがアニーの反応もどうかと思う。
「アニーやめてよ、汚いじゃないか」
ここぞとばかりにガルトが常識的な反応をすると、マヤがぷくっと頬を膨らませて怒った。
「私の涎は汚くないもん」
「え? あ、そうだね、汚くないよ」
「汚くない、汚くない」
いやきたねーよ! と、ツッコミたいけど面倒くさい。こいつらのやりとりは本当に面倒くさい。ツッコミを入れて終わればいいがそうはないらないだろう。
「もういいから、さっさと客間に行くぞ。朝食だ」
ここは無視して先に行くのが吉だな。
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