孤独を抱える月
コウは無言のままツクヨミに突きつけた矛を頭上高く掲げる。
その顔は不気味なほどに無表情だ。
「くっ……!」
その雰囲気に気圧されながらもツクヨミは自身の神力で身体を僅かに浮かす。
そして、矛が振られたと同時に後方へと飛んだ。
傷は無いにしても胸元を殴られた痛みは大きく、暫くは自身で動くことは出来ない。
その為、ツクヨミは回復するまでの間、コウの攻撃の届かない宙へ逃げようと考えた。
だが―――
「ッ!?」
宙へ浮こうとしたツクヨミの身体は突如、その動きを止める。
見ると、コウがツクヨミへ無数の紡糸を放ち、その身を絡め取っていた。
コウは紡糸を引っ張り、ツクヨミを無理矢理引き寄せる。
「くっ……ならば……!」
引き寄せられる最中、ツクヨミは河原の石という石をあらん限り引き寄せ、コウ目掛けて一斉に放つ。
けれども、コウは持っていた矛を片手で回転させ、飛んでくる石をことごとく打ち落とした。
その間にもツクヨミは引き寄せられていく。
「マズイ……!」
焦り始めたツクヨミは今度は大きめな岩々を浮かし、コウへと放つ。
流石に岩までは打ち落とすことは出来ないだろう……そう思ったツクヨミであったが、その瞬間―――コウの眼に混じっていた紅色が怪しく輝いた。
「うおぉぉぉーッ!!」
ようやく、口を開いたコウは獣になったかのように雄叫びを上げる。
すると、彼の矛を持っていた腕が突如、巨大な蟹の鋏へと変貌した。
「なっ!?」
ツクヨミはあまりの変貌に驚きの声を上げる。
魚鱗を身に纏い、魚の尾を持っていたのに今度はそこに蟹の鋏の腕なのだ。
もう、何がなんだか分からない。
一方のコウは蟹の鋏となった腕を振り回し、その剛腕で飛んできた岩々を砕く。
そうして、ツクヨミはついにコウの眼前へと引きずり出された。
コウは腕を元に戻し、再び矛を高く掲げる。
ツクヨミは逃れられないと思い、キッとコウを睨みつけた。
だが、コウは全く動じず持っていた矛を乱暴に振り下ろした。
ツクヨミの神衣が斜めに斬り裂かれる。
けれども、間合いがあまり近い訳では無かったのか致命傷を受けることは避けられた。
「かはっ! ぐっ……!」
しかし、無事という訳ではない。
深手は無いにしてもツクヨミの身体には赤い血の筋がくっきりと描かれていた。
これで追撃をされたらもう終わりだろう。
だが、なぜかコウは襲い掛かってこなかった。
それどころか、今まで無表情だった彼の表情に僅かだが驚きのようなものがある。
それを見たツクヨミは怪訝な顔でコウの視線を辿り、やがてその正体に気付いて納得した。
「あぁ……これね……」
コウの視線はツクヨミの破れた神衣……その合間から僅かに見える膨らみかけた胸元に注いでいた。
男ではありえない身体つき……それに対する驚きである。
「……そうだよ。ボクはこう見えて女さ。父様や姉様、バカな弟を始め、皆はボクを男だと勘違いしてるけれどね…………まぁ、こんな見た目じゃ仕方ないよね。男だか女だか分からない見た目じゃさ……」
ツクヨミはフッと寂しそうに息を漏らすと天を仰ぎ見る。
そこには威厳溢れる和御魂を解放したツクヨミではなく、コウが初めて会った時のツクヨミがいた。
「……そんな不安定な存在なのに、ついには同じ女である姉様と喧嘩までしちゃって……ははは、滑稽だよね? 唯一、味方になってくれそうな肉親とまで仲違いするなんて……」
「………………そんなことは……ない……」
半ば独り言のように語っていたツクヨミは突然返答が返ってきたことに驚き、コウを見る。
彼は相変わらず無表情であるが、矛を持つ手が震えている。心無しか眼の蒼色も紅色に負けないほどの輝きを放っているように見える。
そして、コウは震える手で矛を僅かに上げると、いきなり自身の膝に勢い良く突き刺した。
ツクヨミがそれを見てなおも驚く内に、コウの身体を纏っていた魚鱗と魚の尾は消え失せ、彼の眼は黒へと戻る。
「はぁ……はぁ……やっと……戻ってこられた。まさかきっかけが……女の身体とは……笑える話しだがな……」
「キミは……アラハバキか?」
「あぁ……」
コウはようやくツクヨミにまともに応えると矛を膝から抜き、その場に座り込む。
ツクヨミも戦う気は無いのか、ジッとコウを見ていた。
「さっきの話し……仲違いなんてよくあることだ。しかも、俺の住んでいた中つ国じゃそれが激しくなって死者まで出ている始末……お前らの方がよっぽど可愛いもんじゃねぇか」
「キミも……したことがあるの?」
「当たり前だ。……というより、今の俺はそれが酷くなって命を狙われる始末……だからここへ来た」
「えっ?」
コウの言葉にツクヨミは疑問の声を上げるが彼はそのことに触れようとはしない。
「……女であることを偽って生きる、か。確かに大変だな。だがな、世の中には大切な名を捨て、今までの自分自身を消して生きる奴だっているんだ。……そう考えると、少しは抱えていたものが軽くならねぇか?」
「…………もしかして、それって……」
ツクヨミが確信に迫るような問いを投げ掛けようとした時、コウは突如その場に倒れてしまった。
今までの疲労が一気に出てきたのだろうか……死んだかのように気を失っている。
ツクヨミはそれを暫く見た後、彼の傍に落ちていた自身の矛を掴む。
けれど、討つ気は無かった。
髪の色を元の黒色へと戻し、そっと呟く。
「…………ありがとう、アラハバキ。キミと戦って、ボクの心は少し軽くなったよ。縁があればまたどこかで……話しの続きをしよう」
そう言うとツクヨミはその場を静かに去って行った。
その後、入れ替わるようにコウを探していたタケミカヅチ達がここで彼を見つけたのはすぐに間もない頃であった。




