荒御魂と神力
神にはそれぞれ荒魂と和魂という二つの側面がある。
荒魂とは神の荒々しい側面……すなわち祟りや厄といった悪しき影響を与えるものである。
対して和魂とは神の優しき側面……慈愛や恵みといった良き影響を与えるものである。
この二つの力は同一の神でも時に別ものではないか、と感じる程強い個性として現れる。
よって、古より神々はこれらの力に呑まれぬよう、力を自分とは別の者として変え、自身から排してきた。
しかし、国津神……とりわけ魚や鳥や虫、獣の神はこの荒魂を排さず、自身の中に持ち続けることで他の神々をも超える力を手に入れていた。
それが荒魂の御力……“荒御魂”と呼ばれるもので己の中の荒魂を現出させることで莫大な力を得ることが出来る。
けれども、荒魂に呑まれる者も居る為、国津神の中でさえ荒御魂は“邪なる闇の力”と恐れられ、それを自在に扱える者は尊敬と畏怖の念を抱かれていた。
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「なっ……!?」
「どうした? 終わるんじゃ無かったのか?」
誰もが勝負は着いた……そう思ったが、なぜかツチグモの放った八つの剣はコウに当たってはいるものの、彼を斬る事は出来なかった。
「なぜだ! なぜ、身を斬る事が出来ない!?」
首筋やわき腹などに当たっている剣を見て狼狽えるツチグモ。
そんな彼を見るコウの眼は……知らずの内に海のような蒼い眼へと変わっている。
「ま、まさか……!」
「ようやく気付いたか? ……荒御魂を自在に使えるのはテメェだけじゃねぇんだよ」
少し怒気を孕み、口調も荒々しくなったコウの言葉を聞き、ツチグモは気付く。
コウの身体全体に魚の鱗のようなものがあることに……更に腕や背には鰭が生え、その鱗の上は水に濡れたかのようになっている。
「くっ……!」
魚鱗により仕損じたツチグモは剣を離し、後ろへ下がるかのように飛び上がった。
しかし、その瞬間……何か白い物がツチグモの足を絡め取り、その場から逃がすまいと動きを縫い付ける。
「これは…!」
ツチグモの足を地に縫いつけた白い物はこともあろうに彼自身の放った神力の糸であった。
その上、コウの動きを封じていた白い糸の塊はいつの間にか無くなっている。
「俺の神力……まだテメェには見せて無かったな。俺の神力はあらゆるものを紡ぐ“紡技”だ」
「……紡ぐ?」
「あぁ。どんなものも導き、目的の場まで到達させる……俺の神力はそんな力だ」
(そうか……その神力で私の糸を導き、紡いだのか!)
立場が逆となったコウは改めて太刀を握り直し、自身の身体に付いていた水気を刀身に纏わせた。
「させるか!」
そんな状態を見た周囲の国津神はそれぞれ剣を取ろうとする……が、それより早くコウが制するように手を広げる。
「……っ!」
「遅い」
そう発した一言と共にコウはその場で右、左と一回ずつ回る。
すると、彼の周囲に身に付けていた魚鱗が雪のように舞い、鱗は周囲に居る国津神達に向かって吹雪の如く飛んでいった。
「ぎゃあ!?」
「なんだこれは!?」
流石にツチグモの剣を防ぐ程の固さがあった為か、鱗は国津神達を次々と切り裂き、彼らは矢に当たったように倒れていく。
そんな中、ツチグモは持っていた剣を操り、鱗を瞬く間に打ち落とすが、それが仇となりコウの接近を許してしまった。
「なっ……!?」
「俺がテメェの代わりに……終わらせてやるよ」
コウは太刀に手を添え、一撫でする。
太刀はその手の動きに呼応するように、刀身に鱗を纏い始めた。
そして、鱗が太刀を覆い尽くしたのを確認すると、コウはツチグモの前で太刀を構えた。
「…ここまでだ」
呟くように言ったコウはツチグモを正面から斬り伏せる。
ツチグモは咄嗟に八本の剣で防ごうとしたが、コウの放った一閃は鋭い八重の垣根をいとも簡単に壊し、その先に居るツチグモに血の雨を降らせた。
「ば、ばか……な……」
最初の頃の余裕とは違い、半ば絶句したまま倒れるツチグモ。
その際、彼が作り上げた神力の糸はみるみる消えていった。
コウはそれを見届けると、太刀を腰に戻した。
彼の身体にあった魚鱗は潮が引くように収まっていき、眼も今まで通りの黒い眼へ戻っていく。
荒御魂を再び己の中へ閉じ込めた為であった。
「……世話掛けたな」
そんな一戦を終えた彼にある者が声を掛ける。
コウがその方を見ると、洞窟の入り口にミズチが立っていた。
「…………悪いな、同志に手を掛けて……」
「いや、仕方無いさ。先に仕掛けたのはツチグモ達なんだから……けど、鱗に当たって倒れた者は良いとして、コウの一撃を受けたツチグモは……死んではいないが、しばらく休ませた方が良さそうだ」
「……どこから見ていた?」
「お前が荒御魂を解放した所から……しかし、随分と強くなって帰ってきたんだな。神力も前に会った時より比べものにならない」
「そんな事はない」
「いや、ある。神力はその神が持つ個の力……故に、鍛練だけでなく様々な経験によって培われる……実りある旅だったようだな」
「まぁ、そこは認める」
「…と、話しはこの辺りにして……早く中に入ってくれ。中でスイが待っている」
「あぁ。だが、ツチグモ達はどうする?」
「案ずるな。もう使いの奴を出した。じきに来るだろう……」
「そうか……なら、良い」
コウはミズチに言われるがまま、洞窟の中へと入る。
だが、この後……コウは自らの運命が大きく変わることになろうとは、この時には露ほども感じていなかった。