海神の一族
海の中へと入ったヤタとセキレイは普段では見られない水の中の神秘的な世界に心を奪われていた。
海中では大小様々な魚達が元気よく泳ぎ回り、岩場の隙間からは海藻が優雅にその身をくねらせ踊っている。更に海の上から射し込む太陽の光は水の中全体を照らし出し、所々に浮き立つ泡が幻想的な世界をより際立たせていた。
そんな景色に彼らが見惚れる中、もう見慣れているであろうコウとシオツチは互いに言葉を交わす。
「魅入っているな」
「ほっほっほ。まぁ、この世界を知っているのは我々のような水の中に住まう者だけですからな。時にコウ殿、もうすぐ我が主であるワタツミ様が住まう海宮が見えてきますぞ」
「ん? もうか?」
コウがシオツチの指す方へ目を移すとそこには巨大な宮殿がそびえ立っていた。
外観だけでも立派なものということが伺える……シオツチは潮の流れを操り、船をその門前に停めるとただ一柱、船から降りる。
「ここで暫しお待ち下さい」
そして、彼らにそう告げると自らは先に門の向こうへと行ってしまった。
「コウ様、海神の宮というのはこれほど美しいのですね」
「いや、俺もこれほど立派なのは初めて見た。流石は天津神から降った神、ということか……」
コウも魚になって極稀にだが、その海の海神の住む場所を見掛ける時がある。その多くは琉球のような御殿がほとんどである為、このような宮殿というものはほとんど見たことが無い。
因みに宮殿よりも規模が大きいものは神殿といい、コウは一度だけなら見たことがあった。
「中つ国の陸にはこれほど立派なものは無いでしょう」
「確かに……中つ国じゃ神同士の争いが絶えないからな。こんな立派なものを建てたらすぐに狙われる。中つ国に宮殿が建てられれば平和になった証だろうな」
中つ国の陸でも建てられないことは無い。だが、建てたところですぐに襲撃されるし、戦う場所としてはあまり適していない。その為、国津神の多くは粗末な家や洞窟などを住処とし動いている。戦乱がある程度収束しない限り、当分は無理だろう。
コウ達がそんな話しを宮殿を眺めながらしていると、先に入っていったシオツチが戻ってきた。
「ワタツミ様からお許しが出ました。どうぞ、中へ」
シオツチに促され、一行は船から降りて海宮の中へと向かう。
重々しい門が開かれ、その先に目を向けるとそこには鮮やかな色をした珊瑚の岩礁や五色の玉が実った枝など更に美しい庭園が広がっていた。
「珍しい実を付けた枝だな」
「蓬莱の玉の枝でございます。この海宮は別名、蓬莱宮とも呼ばれていてあの枝はここと別の地にある蓬莱山という山にしか生えていない珍しい物であります」
シオツチに導かれ、中に入るとそこでは魚達がしきりに「コウ様! コウ様!」と喜びの声を上げ、出迎えていた。
どうやら、シオツチの言った通りコウは魚達に慕われているらしい。
その神とはいえ、慕う者達はほとんどが一部の者達のみということが多い。
それなのにコウに関しては多くの種の違う魚達が彼を慕っているのである。
ヤタとセキレイは改めてコウの徳の大きさを知ったが、本人はなぜか困っていた。
「俺はこういうのは苦手なんだがな……」
「良いじゃないですか。それだけ皆がコウ様を信頼しているのですから……」
観衆の声が響く中、一行が海宮の前に差し掛かるとそこには二柱の可愛らしい幼い女神が出迎えていた。
一柱は五色の玉の髪飾り、もう一柱は貝殻の髪飾りをしている。
「お待ちしておりました」
「ようこそ、蓬莱宮へ」
「あぁ、わざわざありがとう……シオツチ、この子達は?」
「この方々はワタツミ様の娘様でございます。蓬莱の玉の髪飾りをした方が姉様の豊玉姫様、貝殻の髪飾りをしているのが妹様の玉依姫様です」
シオツチがそう紹介すると二柱の姫神は揃って丁寧なお辞儀を行った。
身なりから礼儀まできちんとしている。
「コウ様とその御一行様方ですね。どうぞ、中へ」
「父上がお待ちです」
トヨタマヒメとタマヨリビメに促されるまま、コウ達は宮殿内の回廊へと足を踏み入れる。
回廊にはこれといった飾りは何もなく、綺麗な壁がひたすらに続いていた。
そのせいか、彼らはいつの間にかワタツミの居る謁見の間の前まで来ていた。
「おっ? もう着いたのか……」
「えぇ、こちらへどうぞ」
シオツチはそう言うと厳かに謁見の間の扉を開けた。
そこには大きな広間があり、一番奥の玉座にはシオツチよりも豊かな白い髭を蓄えた恰幅の良い男神が座っている。
コウはその神から言い知れぬ程の神気を感じ取った。
「ワタツミ様。魚の神のコウ、そしてその従神のヤタ、セキレイをお連れしました」
「うむ。ご苦労だったシオツチよ」
(やはり……この男がワタツミ……)
コウが思った通りの男神、シオツチは頭を垂れるシオツチへそう言うと自ら立ち上がり、コウ達に向かって手を差し伸ばした。
「よく来てくれたな、魚の神のコウ。そしてその従神達よ。わたしは海神豊玉彦、他の者は大綿津見と呼んでいるが、好きに呼んでくれて構わない。さて、立ち話もなんだから座ってくれ。今日はそなたらの為に宴を用意しているからな」
ワタツミはそう言うと「はっはっは!」と豪快に笑い、コウ達に座るよう促した。




