黄泉の力
「時はシネリキヨ殿とアマミキヨ殿がここに来られる前まで遡ります。その頃、この琉球は海ばかりが広がっており、島とも呼べぬほどの小さな岩礁が点在する場所でした。ですが、そんな地上とも呼べない場所でも人間達は暮らしていました。海より僅かに上がった岩に小さく粗末な家を作り、魚を採って暮らしていたのです。当時、私は中つ国の本土で自身の神力を鍛錬し、神々ですら見捨てた土地に住まう人間を救うことを自身の務めとして旅をしておりました。その折りに辿り着いたのがそこだったのです」
―――似ている。
キンマムンの話しを聞いたコウはそう思った。
コウも神々が見捨てた厳寒の地に住む人間と共に暮らしたことはある。
その地で生きることは当初、とても辛いものだった。しかし、そこに住む人間達は辛くても皆懸命に生き、とてもたくましかった。
恐らく、コウがこうして堂々としていられるのもその人間達との関わりが大きいからであろう。
だが、コウとキンマムンには決定的な違いがある。
それはきっかけだ。
自身の目的の最中……いわば成り行きで厳しい地に住む人間と関わったコウに対し、キンマムンは初めから人間を救うことを己の務めとして捉えていた。
崇高な意思を持っているか持っていないか……その事に気付いたコウは密かに己がいかに今まで自分本意で動いていたのかを知り、恥じた。
「人間達と共に暮らし、海の水が干いた際に岩礁の周りに少しずつ土を盛っていき、土地を作り始めました。始めは海の波に呑まれる者達が多く、苦心しましたが長い年月と多くの人間達の尊い犧牲によりようやく島と呼べる場所が出来上がりました。私はこう見えて、中つ国では木々の国津神でしたので、助けになればと思い島に多くの木々を生やしました」
「ほぅ……木の国津神でしたか」
シオツチが目を細めて珍しそうに声を漏らす。
中つ国では木や草花の神々は皆、山神である大山津見神とその妻である鹿屋野比売神の子とされている。
ヤマツミとカヤノヒメ……どちらも中つ国では知らない者はいない程の大きな名であった。
「なるほど……この島の木々の親はお前だったのか。実に丈夫で良い木だ」
「ありがとうございます」
実の子を褒められたかのように喜ぶキンマムンを見て、コウも口元に僅かに笑みを浮かべた。
「私の木々達は幾度も訪れる嵐から島の人間達を守りました。そのせいもあってか、やがて島民達は木々を生み出した私を守護神として崇めてくれました。ですが……その平穏も長くは続かなかったのです」
「何があったのですか?」
顔に暗い陰を落とすキンマムンを見たアマミキヨは心配そうに彼女に尋ねる。
コウ達は何も言わずその様子をジッと見つめた。
「……ある日、突如として島民のほとんどが病に倒れました。男だけでなく女や子供も……その原因は私と同じく中つ国から来た蟲の国津神によるものでした。その神は自らの命と引き換えに島民達に病という呪いを掛けたのです」
「一体、なんの為に……?」
シネリキヨがそう疑問を口にする中、国津神であるコウやシオツチ、ヤタ達には心当たりがあった。
「恐らく、島……現在の琉球を乗っ取る為に送られてきたのでしょう。今はある程度平定されてはおりますが、昔の中つ国はどの神がどこを治めるなんて決まっておりませんからな」
「神の存在は命ある者達の信じる心“信仰”によって維持され、その信仰が強ければ強いほど力を増す……その上で心がはっきりしている人間の信仰は最も強い……恐れられるのも崇められるのも元はどちらも信じるということが源となっている。信用を積み重ねるには長く時が掛かるが、恐怖を植え付けるのは容易い……更に信用も削ぐことが出来るからな」
「故に国津神達のほとんどは粗暴です。己の欲のままに生きる……それに比べれば人間の方が随分と温和でしょう」
彼らの言葉を聞いたシネリキヨ達、琉球の神々は驚きながらもコウ達を見つめる。
ミズキやガザミが異常ではない。中つ国本土では寧ろ彼らの言動が普通で人間達や他の者達を先んじる心を持つコウ達が異常なのだ。
その事実を思い知らされたシネリキヨは改めて思う。
―――琉球に彼らが来てくれてよかった、と。
「皆さんの仰る通りです」
途中から黙って会話を聞いていたキンマムンは静かに頷いた。
「島とはいえ、多くの人間が住み始めればそこはもう国です。しかもまだ新しいとなれば狙われるのは当然の理……かの国津神の襲撃により人間達は病に苦しみ、多くの命が失われました。そして、私の力も徐々に弱まっていったのです」
一つの土地に住む人間の加護なら一柱の神でも出来るが、一つの国ともなればそれは困難を極める。
本来、神にはその得意とする力があり、一つの国を守る為には多くの神々の神力を束ねなければ国としては治められない。
例えるなら、魚の神であるコウは人間達に海や川、池の魚といった豊漁を与えることは出来るが鹿や猪といった獣の狩猟においてはその恵みを与えることは出来ない。
この場合、木々を生やすことが出来たキンマムンは人間達に土地の安寧、木の実や木材を与えることは出来たが、人間の病は治すことが出来なかったのである。
「私は自身の力不足を感じました。何とかしなければ……このままでは人間達が死んでしまう…………そう思った時でした。島の彼方……海の向こうに突如黒い穴が空いたのです」
「……海の上にか?」
「はい」
にわかには信じられない、といった一同に構わずキンマムンはその当時を語る。
「その穴は漁をしていた人間達が見つけたもので、話しを聞いた私は単身その場所へ向かいました。穴はとても大きく、底が見えない程深いものでした。しかし、不思議と海に空いたにも関わらずその穴は海水を吸い込んでいなかったのです」
川の傍でさえ、亀裂が入れば水はそこへ流れ込む。それは当然の理なのだが、その穴は海に空いたにも関わらず海水を飲み込んでいなかったのだという。
コウもそんな話しは聞いたことが無かった。
「更に、不思議なことはありました。その穴は底が見えないにも関わらず何かの呻き声が聞こえてくるのです」
「呻き声?」
「はい。その時私にはその声が私と親しくなって病を患って命を落とした人間達の声に聞こえたのです。それを聞いた途端、ふと私は中つ国にいた頃に聞いたあることを思い出しました。それは“黄泉の穴”についてです」
「黄泉の穴?」
「聞いたことがあります」
国津神であるコウとヤタとセキレイすら疑問を浮かべる中、老神であるシオツチがキンマムンの代わりの言葉を継いだ。
「多くの人間や神々の命が失われた時、極稀にですが黄泉へと通じる穴が近くに空くことがあるのです。儂も未だ見たことはありませんが…………そして、その黄泉の穴にはある言い伝えがあります」
「言い伝え?」
「黄泉の穴に入り、生きて出た者は死者の力を宿す……という言い伝えです。人間の場合は神と同等の霊威、神の場合は自身のものとは別に黄泉にいる神の神力を宿すと言われています。しかし、儂が知る限り、黄泉から生きてこの世に戻ってきた者はイザナギ様しか知りません」
「私も初めて聞いた時はイザナギ様の勇姿を描いた迷信だろう……そう思っていました。ですが、その異様な穴を見た途端にその話しが嘘ではないことを悟りました。……島民達の中では島が出来る前からその穴を何度か見ている者も多く、彼らはそこをニライカナイと呼んでいました」
「つまり……わしらが今まで思っていたニライカナイとは違ったわけか」
「いえ、シネリキヨ殿。あなた方が思っていたニライカナイ……つまり、異なる世界の黄泉である、ということもあながち間違いでは無いのかも知れません。なにせ、私自身意を決して黄泉の穴に飛び込んだ後は先程も話した通り……深い闇の中で幾万の苦痛を身に受け、気付けば何者でもない自分自身に成り下がっていたのですから……」
黄泉の穴へと飛び込んだキンマムンの気持ちをコウは思い浮かべる。
大切な者達が病で倒れ、死にゆく中……救う力の無かった彼女はきっと辛かったに違いない。
それでも何とかしようとした……けれど、出来なかった。
そんな中見つけた闇の穴……例え、迷信でも彼女は縋りたかったのだろう。
「……辛かったな」
自然にそんな言葉が口から出てきた。
それを聞いたキンマムンは一瞬驚くも、すぐに温和な笑みを向けた。
「……ありがとうございます。でもお陰で私は皆さんに出会うことが出来ました。そして、新しい力にも……」
キンマムンはそう言うと突然手を組んで目を閉じた。
すると、彼女の足元の床から突如として無数の立派な木々が生い茂り、瞬く間にキンマムンの周囲に小さな森が出来た。
「なんと!」
それを見たアマミキヨは驚きのあまり口元を手で押さえる。
他の者も唖然とした表情でそれを見た。
木の神だから木を生やすことは当たり前……そう人間達なら思うだろう。
しかし、キンマムンが木を生やしたのは地面ではなく、到底木は生えない筈の床である。
出来ない場所に生み出す……それは無から有を生み出すことと同じ。神でいえばそれこそ彼女の親であるヤマツミと同等の力。
新たに命を生み出し、育てる力。
「これが私が得た力です」
自分の生み出した木に腰掛けながらキンマムンは一同へ優しく微笑んだ。




