悪という存在
「わしらは今日をもってお暇させていただきます」
カールとファリアは、目の前に立つ老人の言葉とその後ろに並ぶ老若男女の視線に困惑し、立ち尽くした。
視線には、明らかな怒りと憎悪が、老人の声にはあからさまな侮蔑が宿っていた。
ルーネ伯爵スヴェラスと令嬢ユーリアは、およそ1年前に処刑された。
裏で行っていた数々の悪事が暴かれた為だが、その発端はユーリアが学園でファリアを苛め、命を奪いかけたことだった。
伯爵家に相応しい広大な領地がありながら、それに見合わない千人足らずの領民。
定期的に伯爵家に人材を略奪、もしくはふとしたことで処刑されている為と言われていた。
清廉で知られ、エリート官僚の道を行っていた別の伯爵令息の実家が一家皆殺しに会い悪事が流出した。
同じような立場である伯爵家の台頭が許せず、暗殺した上に罪を押し付けたと言われている。
数年に一度、数十人の子供達が領地に引き取られている。
奴隷となる最低労働力を買い集め、虐待していると言われていた。
少ない領民に関わらず、伯爵家としての体裁を保つだけの収入がある。
重税と過酷労働を貸して、搾り取っているのだとまことしやかにささやかれていた。
これらの悪事の実態を知る者がほとんどいないにも関わらず、また、ユーリアがファリアを苛めた現場と実態を知る者がいないにも関わらず、これらは事実として学園内に定着していった。
閉鎖空間である学園で、王が介入した時には他の生徒達を巻き込み、ユーリアとルーネ伯爵家への制裁を望む声と処刑論が声高に叫ばれていた。それは瞬く間に王都中に広がり、住民と多くの貴族の要請により処刑が実行された。
そのことに涙するファリアに、生徒達はなんて優しいんだと感極まり、男爵令嬢でありながらカールの婚約者となることを認めた。
王都周辺では美談として称えられているカールとファリアは、王の命令によってルーネ伯爵家の元領地に領主としてやって来た。
「私は、隣国の辺境にある小さな漁村の生まれです。村は焼かれ、十数人の子供と共にさらわれて奴隷にされたり娼館に売られたりしました。私は数人の女の子と一緒に違法娼館に売られましたが、お館様に助けていただきました。同郷の子達の行方も捜して下さって…」
言葉が続かなくなったのは40代後半の女性だ。
「親族に親を殺されて奴隷同然に扱われて虐待されて、親族共の性処理道具にされていた。男も女も関係なく、な。そいつらを殺してくれて、救ってくれた。引き取られた先で、お嬢様は汚らわしいオレに笑いかけてくださった。…お前達は、絶対にしてくれないだろうな」
片目を傷でふさがれた30代の男が吐き捨てるように呟いてカールとファリアを睨みつける。
「間引きの為に山に捨てられて、狼に食われかけたところをお館様と部下の人達に助けられました。片足が不自由だったから捨てられた僕に、衣食住を与えて教育を受けさせてくださいました。お嬢様は弟のように可愛がって、お館様は我が子のように慈しんでくださって……僕にとって、命より大切な恩人でした」
カールとファリアよりもいくつか年下の杖をついた少年が、涙をこらえて二人を見据える。
「わしは代々ルーネ家に仕えて来た。時に名を変え、爵位が移って、変わっていきながら国に忠義を尽くしてきたこの家に」
軽蔑と嘲笑を込めた老人は、カールとファリアの反応を待たずに言葉を重ねる。
「領民が少ないのは、その方が秘密を守りやすいから。裏で人身売買を行いここからも子供を連れ去っていった伯爵家を潰したのは当然の報い。不法に連れ去られ、もしくは陥れられた子供達を救出・救済していたからこそ、定期的に何十人もの子供達がやってくる。収入源は王からの報酬と領内の鉱山からとれる宝石や鉱物。―――ルーネ伯爵家は、代々国の闇を担う存在。王の依頼によって動くことも多い。お館様もお嬢様も、王家の依頼と国の利益の為に自らの全てを犠牲に生きて来た。そう―――文字通り、己が全てと引き換えて国の混乱を正した」
憎悪と殺意に満ち満ちた数十の瞳が二人を貫いた。
「きれいごとだけで国は立ち行かぬ。そんなこともわからない、愚かで浅慮な青臭いガキども。己が理想でやっていけると本気で思うのなら、やってみるが良い。穢れ切った悪逆たるルーネ伯爵家に忠誠を誓うわしらの力など、不要であろうよ」
カールとファリアが言った伯爵家への評をそのまま吐き捨てて、老人は皆を促す。
「領民も官吏も使用人もいなくなったこの場所で、ただ二人で何を成そうとなさるのか、楽しみですなぁ。殿下、婚約者殿」
呆然として座り込んだ二人を置き去りにして、老人達は颯爽とした足取りで館を出て行った。
我に返った二人が慌てて外に出てみれば、町は空っぽになり、全ての住民がどこぞへと消えていた。
彼らの後を追おうとしても、一端帰ろうとしても、乗って来た王家の馬車は返しており、伯爵家が所有していた馬車も馬も老人達が持って行ってしまった。
牛や豚などの家畜はおり、牛車(牛に荷台を引かせた農具の一つ)に乗るなど王族と貴族である二人には不可能だし、なにより牛の制御法を知らない。
途方に暮れた二人を、王の命令で数名の騎士が迎えに来るのは、この日から五日後の事だった。
全てを知っていた王は、カールとファリアを王宮の離宮に住まわせ、近衛騎士に監視させた。
事実上の幽閉扱いとなり、二人はようやく理解した。
自分達がしたことは、正義でも何でもなく王国にとって最大の不利益であり、民を危険にさらしかねなかったのだ、と。
※※※
「本当、バカだな。お前は」
「…兄上」
「言っただろう? ちゃんと見たのか、聞いたのか、そう判断できるほど相手を知っているのか、と」
「ですが…」
「ファリア嬢」
「…はい」
「貴方を苛めていたのは貴方の友人方を含めた、証言者達だ」
「…えっ」
「はめられたのさ、ユーリア嬢は。はめやすかっただろうよ。黒い噂が付きまとうルーネ伯爵家の令嬢なんだから。だが、ちゃんとユーリア嬢を見ることが出来れば、こんなことにはならなかっただろう。はめた彼女達が悪いのは事実だが、人を見る目のなかった節穴なお前達も十分に悪い」
「「………」」
「ユーリア嬢はどんな人だった? 傲慢で人を見下していたか? 我儘で権力をかさに着ていたか? 誰かを傷つけていたか? 人の物を奪ったか? 男に媚を売っていたか?―――カール、お前に対して彼女はどうだった? ファリア嬢、貴方に対して彼女はどうだった?」
「「………」」
「何も言わないのか? それとも言えないのか? ―――彼女は物静かな人だった。読書を好み、努力を惜しまず、それをひけらかさない人だった。付き合いは良くなかったかもしれないが、家の仕事を十分に理解していたが故それを手伝っていた為だった。必要以上に人を近づけないように冷たく振る舞っていたのは家の事情と共に、傷つくことが無いようにする為だった。人を羨むことはあっても、欲することはない謙虚な人だった。仕事でなら異性と平然と接せられるのに、平素では異性を苦手として戸惑うことの多い人だった。―――婚約者であるお前に想い人が現れたのなら、その人が王家に相応しいと思えたならば婚約を解消して認めてあげてほしい、と父上に頭を下げることのできる優しい人だった。男爵家では後見として弱いだろうとせめて王家に嫁ぐ覚悟と心構えを、とファリア嬢に忠告と進言を繰り返す気づかいの人だった。―――結果的に、お前達の不興を買って命を奪われることになっても、恨み言も言わず断頭台に静かに上った人だった」
「「………」」
「お前達は国の財産を、必要な人材を殺した。思い込みと近しい者の言葉を鵜呑みにしたことで。―――お前達を、一生ここから出すことはない。子が産まれないように呪をかける。それが父上の、国の決断だ。お前達二人よりも、ルーネ伯爵家の方が重い、と」
「「………」」
「…残念だ。カール。ファリア嬢。彼女が、評価したお前達に父上達も期待していたんだがな」
領民に逃げ出されたという事実により、ルーネ伯爵家の真実が明らかにされた。
その結果、糾弾されることになった第三王子カールとファリアは生涯幽閉されることなる。
5年後、第一王子リチャードの成婚で国中が湧いた。
相手は、病弱でほとんど認識されていなかった公爵家の末娘。
長らく愛をはぐくんでいた二人の逸話が世に出されたことで、第三王子達の醜聞は完全に忘れられることになる。
白銀の髪と紫の瞳をした儚げな美女である末娘を、温かく迎えた国民も一部の貴族も誰も気付かなかった。
処刑されたルーネ伯爵令嬢ユーリアもまた、銀髪紫瞳であったことに…。