表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悩みやすい

作者: 竹仲法順

     *

 俺は元来悩みやすい方だ。取り越し苦労が多くて、何かとストレスを溜め込みがちである。今のように夏などになると、疲労でぐったりと疲れてしまう。これは半ば性格なのだった。俺自身、何かあるとすぐに悩んでしまうのだ。そんなときは書斎の窓を開けて日の光を入れる。少し気分が変わるのだった。深呼吸を繰り返して新鮮な酸素を肺に入れる。それで何とかなった。俺もメンタル面での疲労が大きく、街にある掛かり付けの精神科に月一度行き、ドクターやソーシャルワーカーに相談している。安定剤や睡眠導入剤なども処方してもらって、随時服用していた。

 絶えず仕事が入ってくる。現役の小説家で、主に文芸雑誌や週刊誌などに複数の連載を持っていたのだし、この仕事を始めてから四十年近くになる。今がちょうど六十代だから、作家デビューしたのは二十代後半だった。直木賞作家の俺もゆっくりする暇はほとんどない。三十七歳で直木賞を獲り、それから原稿の依頼はひっきりなしに来ていた。俺自身、主に仕事を請け負ってくれている出版社の編集者の岩尾とはずっと懇意にしている。岩尾はずっと俺の原稿を読み続けてきた。今まで出してきた本は八百冊を越えるのだが、半分ほどは岩尾が編集者をしている社から出していた。もちろん商業出版で印税や原稿料などは腐るほど入ってきている。売れているからだ。返って出版社によってはこちらから執筆依頼をお断りすることがある。何せ直木賞作家でも俺ほど多作で、いろんなところからオファーが来ていて、原稿を書き続けている作家など少ないと思う。悩みが深いというのは金銭面で、じゃない。周囲との人間関係だ。ずっとこもって書いているから誤解されているのである。住んでいる街のマンションの住人は俺のことを勘違いしているのだった。「ああ、あの十一階の直木賞作家さんはまた部屋でいろいろとやっておられるのね」と。滅多に外出しない。ほとんど自室で書き物をしながら、一日の仕事が終わると、DVDレコーダーに録り溜めていたテレビドラマや映画などを見るのである。大抵午前零時前には眠り、翌朝の午前七時には自然と目が覚めていた。コーヒー一杯で済ませるか、軽めの朝食を取るかして、パソコンに向かう。長時間の原稿執筆も苦にならなかった。昔、ワープロやパソコンなどが出る前までは原稿用紙にペンで書いていたからだ。今は手書きで原稿を書くことなどない。サイン会などをやるときぐらいしか、字を書くことがなかった。右手はすでにほとんど壊れてしまっているので。

    *

 時折岩尾が電話をくれる。あっちだって忙しいだろうが、編集者は原稿を読むのが主な仕事で、作家と個人的に付き合うこともある。それに岩尾が担当しているのは俺だけじゃない。他に大勢いるのである。俺も原稿を書いては入稿していた。大概四百枚前後の作品が多く、ジャンルは主にミステリーだ。政財界や法曹界などを舞台にした密度の濃い社会派サスペンスを多く手掛けている。俺もずっと作風はそれで来ていた。確かに取材などもする。知り合いに警視庁の刑事がいるので警察の内情や近年の捜査手法などについて、守秘義務に抵触しない程度に教えてもらっていた。ただ、ほとんど変わりはない。警察は単に組織がいろいろと改編されたりしただけで、捜査に関して大きな変化はなかった。俺もそういったことを聞いて思うことがある。デカも所詮は変わらないんだなと。それにその、変わらない昔ながらの刑事たちを描き抜くのが俺の仕事だった。ずっとキーを叩き続けている。取材時に録音したICレコーダーなどに詰まっている情報をパソコンに取り込み、一部を話のネタにしていた。そしてずっと原稿を作り続けるのである。その姿勢にほとんど変化はなかった。今使っているパソコンは六年前の二〇〇六年に買ったもので、OSが古く、スピードも若干遅い。だが新しいものを買う気にはなれなかった。使い慣れたものの方がいいからである。俺も徹底していた。金は使いきれないぐらい溜まっている。怖いぐらいに溜め込んでいた。独り身だし、今更妻帯する気はない。だから岩尾にも言っていた。「私が死んだ後は、残った金で記念館でも立ててください」と。別に後進の育成をするわけじゃなかったのだし……。

 一時期、街にある大学の文芸学部に創作の講義に行っていたことがある。ただ、やはり今の学生は人の話をろくに聞かない。試験の答案にちゃんとしたことを書いていても、それが形式がかった感じのものであるならば、遠慮なしに落とす。そういった意味では大学の学部生も俺の講義はちゃんと真剣に聞いていた。本当に分かっているかどうか質問することもある。そういったことの繰り返しだった。俺もわざと単位を取りにくくすることで、大学の非常勤講師の職が務まっていたのである。

     *

 原稿の執筆が続く。疲れるのは仕方ないが、俺も年齢を重ねているので自分のペースでやっていくつもりでいた。ずっとキーを叩く。パソコンに向かわない日はない。ゲラのやり取りもメールで行っていたのだし、紙に印字するのは製本されるときだ。新刊が出ても書店にはあまり行ってない。岩尾たち編集者からは「よく売れてますよ」と言われるのだが、俺自身、自分の著作が書店に陳列されて、平積みなどされるたびに照れ臭いのである。だから街の書店にはほとんど行かない。ずっと原稿を書きながら、時折ブログを更新したり、自分のツイッターなどで意見なり、主張なりをちょこちょこと書いたりする程度だ。売れているからこそいいのである。増刷も掛かるのだし、どれも大ヒット作とまでは行かなくても、そこそこ部数が出続けていた。俺も岩尾ら編集者たちから言われて、自作が書店に並んだことを知るぐらいずぼらだ。ある意味これも才能かもしれない。現役の職業作家の。

 悩み事はいろいろとあるのだが、基本的に才能を使ってやっていく商売なので、極力気は楽に持っていた。まあ、人間は煩悩の生き物だから、悩みはたくさんあるのだが……。俺もそう思って割り切りながらやっていた。一日でも眠る前に気持ちを整理する。疲れていても必ずするのだ。主にネット上で日記を書き綴ることが俺の気持ちの整理法である。毎日、大概日付が変わる午前零時前に日記をブログなどにアップし、ゆっくりと眠っていた。眠前に、処方されていた睡眠導入剤の服用は欠かせない。眠れてこそ、また次の一日が頑張れる。そう思っているのだった。執筆の依頼が来れば、引き受けるか断るかは自分自身の裁量なのだし、疲れたときは一眠りすることもある。ずっと文筆はやっていて、長い道だからだ。ゆっくりと歩いていくつもりでいた、踏みしめながら。そうすればいつか持っている悩みも残らず氷解してしまうだろうなと思っていたし……。

 そして朝起き出せば、キッチンでホットコーヒーを一杯淹れて飲む。これで一日がスタートする。昔のように無理は利かなくなっているのだが、いいじゃないか。専業作家として十分やっていけているのだから……。何の不足もなかった。単に一つの悩みが消えればまた別のそれが出てくるというだけで……。

                               (了)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ