05.涙を零すお嬢さまと後ろむきな護衛
どうやって自分の部屋まで歩いていったのか、アメリアはまったく覚えていない。ただ気付いたらベッドに寝ていて、ひどく喉が渇いていた。
開きっぱなしの窓から夜空が見える。私そんなに寝てたっけ。眠ったという記憶もない。呆れて苦笑が漏れた。
月の位置から見て真夜中過ぎだろうか。そんな時間なら会食も終わってるな――そう思いかけて、イシュメルの言動が頭を掠めた。頭を振る。水を飲んだらもう一眠りしよう。きっとぐっすり寝たら、もっと前向きに考えられるはずだ。
そういや今日剣の稽古してないな。一日でも休むと剣の師である父はそれにすぐに気付くから嫌なのだが、今の調子ではそうも行かないだろう。体が泥のように重い。これでは剣を振るどころか部屋を出るのでさえも一苦労だ。
目で水差しを探し手近なテーブルに見つける。あんなところにおいてたっけ、と不思議に思いながら手を伸ばし、水差しの隣に置いてあるコップにとくとくと注いだ。ぐいっとあおって、美味しいから何でもいいやと考えることを投げる。
ぽすっと背中からベッドに倒れこむ。窓に目を向けると月の明るさが目に痛い。そういえば月をこんなにまじまじと見るのも久しぶりだ。この頃は王子が振り回してくださるおかげで、部屋に帰ってくるなり眠ることしかしていなかった。
それ以前は。
「駄目だなあ……」
考えないようにしていたというのに、今日の貴族の会話が鮮烈に思考を焦がす。いつからか聞かなくなっていたその噂を、何故今さら掘り起こしたりするのだろう。考えないようにと考えている限りそのことを考えているのだという事実に、アメリアは気付いていなかった。
そうだ。そんな噂が最初に流れたのは、確か3年ほど前のこと――
「あなた、王子のなんですの!? どうしてわたくしの邪魔をなさるの!?」
いきなりだった。有力貴族のお嬢さまである少女に突然怒鳴りつけられ、アメリアはただ呆然としていた。
王子から「昼飯は腹が空いていないのでいらない」という自分勝手極まりない言伝を料理番に伝えてくれといわれ、アメリアは城内を歩いていた。それを突然「そこの護衛!」と呼び止められ、何かと思えば。
「失礼ですが私はお嬢さまと面識がございませんが」
「よくもっ……よくもぬけぬけとそんなことが言えるわね! わたくしとイシュメル様の婚約を邪魔しておきながら!」
は? と聞き返しそうになった。この人は何を言っているのか。アメリアは眉を顰めた。
「婚約の、邪魔?」
王子に婚約の話が来ていることは知っていた。その相手がこの少女だということも聞いていた。しかしアメリアはそれを聞いて喜んだのだ。やっと王子も大人しくなるだろう、と。
それが何故そんなこじれたことになっているのか。
「どうしてあなたのような人にわたくしが負けるの!? 容姿だって家柄だって地位だって、わたくしは然るべきものを持っているのに! それに比べてあなたはみすぼらしいただの護衛……っ、それなのに、それなのにっ!」
目から大粒の涙を零しながら泣き叫ぶ少女に、アメリアは言葉を失った。うわああああ、と泣き崩れられ、アメリアはただ呆然とそれを見ているだけだ。
「あ、あの……」
肩に触れようとした手が、ぱしっと叩かれ、拒絶された。
「触らないでっ! あなたなんかに触れられるなんておぞましくて吐き気がするわ!」
涙声で、それでもしっかりとした声音だった。心からそう思っているのだろうとアメリアに理解させるには十分すぎるほど芯の通った声。
「あなたがたぶらかしたんでしょう! じゃないと王子が自らあなたを選ぶはずがないわ! 最低っ最低よっ!」
最低よ、どれだけ汚いの、あなたなんて死んでしまえばいい――……。
少女の罵声を、アメリアはただただ呆然と聞いていた。
自分で書いていて嫌な回だこれ……。
ここまで読んでくださって有難うございました。