ep,091 イーグリス残党軍
ショーマ達の前に現れた地元民らしき男二人。それに加えて既にその場から離れていた男一人の計三人は、実は旧イーグリス王国騎士団の残党兵達であった。
彼らはこのダグラス城塞付近に潜伏して戦力の回復に努めると共に、ブランジア王国への反撃の機会を虎視眈々と窺っていたのであった。
「何だあれ……」
「馬車が……」
「空を飛んでいる……?」
彼らはこの日いくつか所有するアジトの内、城塞から離れた場所にある隠しアジトの点検を行っていたところであった。ショーマ達の姿を発見してしまったのは本当にただの偶然である。
だが偶然を活かしてこそ戦局は優位に動いていくものだ。特に戦力に余裕の無い残党軍にとっては利用出来るものは何だって利用したい所なのである。
空飛ぶ馬車。手に入れることが出来ればきっと何かの役に立つだろう。とは言え、強引に略奪するのは彼らにとっても本意では無い。
「オーネ、お前はお嬢にこのことを伝えてくるんだ」
「合点です」
「ウート、お前は俺と一緒に地元民の振りをしてあいつらに接触する。郊外の畑が魔物に荒らされていないか確認してきた帰り、という体で行くぞ」
「了解だ、リッツ」
オーネと呼ばれた男がどこかへと走って行き、リッツとウートはそれらしく振舞いながらショーマ達の元へと歩み寄って行くのだった。
「……お嬢!」
オーネは隠しアジトへの道を行く途中、彼らのリーダー格である少女と合流した。少女はアジトに居るはずだったが。
「ひょっとしてお嬢も、あの空飛ぶ馬車を見て?」
「ああ、呼びに来てくれたか。なら一緒に行こう。……あっちの、大岩の上だ」
頭まですっぽりとローブを被りその身を隠す少女は、オーネと共に周辺を一望できる大岩の上へと向かった。ショーマ達に気取られないよう、慎重に様子を窺う。
少女は懐からガゼット社印のクロスボウを取り出して、拡大鏡付きの照準器を覗き込んだ。矢が狙う先は、黒髪の男。
実際にそれを撃つか撃たないかは……状況次第だが。
少女の名はヘレナーディ・マルガンド。
以前教都ブランシェイルにてショーマとすれ違ったこともあった人物だが、この時はお互いそんなことには気付いていなかった。
※
「どうかしましたか?」
一方でショーマも当然彼らの正体など知っているわけがないので特に危機感を抱くこともなく、どうやり過ごしたものかと考えながら適当に愛想笑いを返す。
「あんた達今……空から降りてこなかったかい?」
「良い服着てる様だし、もしかして王都の方から来たのか? 都会にはこういうのがあるのかね」
「はぁ……」
一方でメリルとステアは周囲に強く警戒を払っていた。メリルは現れた男二人に、ステアは遠方から覗き見ている気配に。
「……貴方がたは地元の方でいらっしゃいますか?」
探りを入れるためメリルがリッツ達に話しかけた。
「あぁ、そうだよ」
「お察しの通り我々は王都からやって来た魔法技師です。実はこの新型魔法馬車の試験運用を行っていた所でして……あ、わたくし、メリル・ドラニクスと言います」
「ドラニクス……?」
「ご存知でいらっしゃいますか?」
「あ、い、いや……聞いたこと、あるような無いような」
「そうですか」
メリルはこの辺りにイーグリス騎士団の残党が多く潜んでいるという話を知っていたので、一つかまをかけてみたのだ。
ドラニクスの名前は彼らにとって忌むべきものであるという。何故なら、イーグリス騎士団の英雄的存在だったディルナレッド・マルガンドの捕縛、処刑を行ったのがメリルの兄、グランディスだからということらしい。
何かしらの反応を見せるかと思って敢えて名前を出してみたが、はっきり断定出来るほどの反応まではされなかった。まあこの程度のことで無反応を貫けなければ今日まで潜伏も出来ていないだろうが。
「まだ非公開の技術であるため、貴方がたにも守秘義務を課させていただきたいのですが、よろしいでしょうか? もちろん代価としての金銭なりをご用意させていただきますので」
「……お金、ですか?」
「ええ。……いりませんか、お金? 結構な額を出せますよ」
「……っ」
念のためにとメリルは追撃をかけてみる。
後ろ盾の殆ど無いであろう残党組織にとって資金はいくらあっても困らないもののはずだ。しかし彼らにとっても矜持というものが、誇りというものがあるはずだ。
否、むしろそれくらいしか残されていない。ならばこそ憎きドラニクスを名乗る人間から施しなど受けられるものではないはずだ。
「い、いや……良いですってそんなの。黙ってろと言うなら何も言いふらしたりしませんって。それくらい協力しますさぁ」
そして返答は、拒否だった。疑いは強まる。
「そうはいきません。もしどこかで情報漏洩でもあったなら貴方がたが真っ先に疑われてしまいます。証明書を作っておかないと身の潔白を証明しにくくなりますし、我々としてもそんなことで貴方がたが不当な裁きを受けるのは大変忍びないですから」
「む、むぅ……」
そしてリッツ達は断りにくい状況を作られ、不自然なたじろぎを見せてしまうのだった。
(馬鹿が……!)
そんなやり取りを遠くから見つめていたヘレナーディは内心で毒づいていた。
(大人しく受け取っておけばいいだろうに……何がイーグリスの誇りだ、下らない!)
英雄の娘として担ぎ上げられたことに、不満はあっても納得はしていた。
父の無念を晴らすためその意思を受け継ぎ戦ってほしいと、必死に頼まれようやく受け入れたのに。
なのに何故、その頼み込んできたあいつらは……あんなつまらない意地を張って自身を危険に晒しているというのだろうか。
(そんないい加減な覚悟で、何が出来るものか……!)
ヘレナーディは照準を合わせる。狙いはドラニクス家の女。父の敵の家の女だ。
直接の実行者ではないが、そんなことはどうでもいい。つまらない温情をかけていられる程余裕のある戦いでは無い。
やるのなら、徹底的にだ。
(半端な覚悟ではいられないことを、身を以って示す必要がある……!)
「お嬢……!」
「!!」
そして制止をかけようとする声を無視し、ヘレナーディは引き金を引いた。
クロスボウとは言うなれば機械式の弓矢である。通常の弓矢とは異なり弦は機械で固定され、引き金を指で引くだけで矢が発射される代物だ。その特性上、様々な利点がある。
例えば筋力に乏しい女性でも扱いやすいとか、目標から発見されにくい、姿勢を低くした体勢でも発射出来ることなどである。
つまり昼間であろうと高い隠密性を持ち、暗殺能力に秀でている。……現在のような状況に最適の武器、というわけだ。
「!」
だがそんな必殺の一矢を、ステアはぎりぎりで感じ取った。高速で飛来する矢が風を切る音を聞き取り、その矢を空中で掴み取って防ごうとする。最悪掴めなくとも体のどこかに刺されば止まるだろうという考えだった。
少し無謀だが、鎧も装着しているしそこまでひどいことにはならないだろうという当てもあった。
しかし、
「あれっ」
ステアが伸ばした腕の手前で、矢を受けた魔力の塊がガラスのように砕け散って霧散した。それこそ割れたガラスの破片のように、極彩色の輝きが散らばり落ちて消えていく。地面にはぽとりと落下した矢だけが残った。
それはショーマが教都ブランシェイルでかけていた防護魔法が危険を感知し、自動発動した結果だった。まさか未だに効果が持続していたとはステアも思っておらず、本人も予想外な形で身を守られてしまったのだ。
これなら同じく魔法をかけられているメリルを庇う必要は無かったなと思いつつ、ステアはすぐさま矢の飛来してきた方角へ意識を向ける。
「ここは任せます」
そして短く言い残し、重い鎧を纏う姿からは想像も出来ない速度で駆け出して行った。
「くッ……!」
わずかに遅れて、リッツ達も戦闘態勢に入った。ショーマ達もほぼ同じタイミングで構えを取る。
リッツ達は突然矢が飛んできたこと、それが奇妙な力によって防がれたこと、そしてステアが狙撃主の元へ向かうのを止め損ねたこと、一度にそれらが思いがけない状況が重なったことで反応を遅らせてしまった。だがとにかく正体を隠している場合では無いということだけははっきり理解した。それくらいを判断出来る実力くらいはあった。
となれば後は力づくで状況を制圧するか、逃げるかの判断だ。
逡巡は一瞬。選んだのは逃走だった。
「うわっ!?」
リッツは懐に忍ばせていた煙玉を地面に叩き付け、辺り一帯に白い煙をまき散らす。相手の視界を奪った隙にどこか遠くへ別々に走り抜けるのだ。仲間との合流場所はこういう時に備えて事前に決めてあるので問題も無い。
「煙を晴らすわ! 捕まえて!!」
メリルは煙幕の中、術式を紡ぎ風の魔法を発生させる。激しい突風が吹き荒れ、すぐにも煙は晴れていった。
「くそっ、もうかよ!」
リッツは一瞬で煙幕を無効化され驚きを隠せない。とは言え先に走り出せた以上、ちょっとやそっとで捕まらない自信はあった。
足の速さには覚えがある。いくら相手が上等な魔法使いだろうが、次の魔法が発動する前にその射程範囲外へと逃げ切ってしまえばいいのだ。
「よしきた……行くぞ!」
しかしショーマの魔法は、そんな甘い考えをあっさりと打ち砕いた。
大地に根付いている植物を急成長させその茎を目標に絡みつかせ動きを封じる魔法、その上級種『フィールドバインド』が放たれる。
「……!? ぬおわあああ!!」
広範囲に存在する対象全てに束縛を与える能力を持つこの魔法からは、少し足が速いくらいでは到底逃れられない。リッツとは別方向に逃走したウート共々、地中から伸びた蔓が彼らの体を縛り上げていく。
「……ふう、色々覚えておいて良かった」
騎士学校に居た頃はいくつもの魔法教本に目を通し様々な魔法を習得してきた。最近は独自の魔法を使うようになっていたが、瞬発性が求められる時は能力が明確な既存の魔法が役に立つものである。
その中でも敢えてこの魔法を選んだのは、直近の戦闘相手が頭にちらついたから、というのは少し不愉快だったが。
「あっちは……駄目だったか」
安堵しつつステアの走って行った方向をショーマは見やるが、当のステアが大岩の上で手を×字に交差させこちらを向いているだけだった。狙撃主の確保に失敗した、ということだろう。
「……ねえ、この人達どうするの?」
「縛って騎士団の詰所に突き出しましょう。……それで十分よ」
「そっか」
捕えた男達の処遇を相談するメリルとセリア。彼女達にも危害が及ばなくて良かったとショーマはひとまず安堵するのだった。
※
一行は捕えた二人に束縛魔法と縄での二重拘束を施し直してから馬車の荷台に乗せ、再びダグラス城塞へと進行する。城塞が近いため路面の舗装もしっかりされており、山道に比べて馬車の乗り心地は悪くなかった。
「イーグリス王国の残党軍……?」
道中、ショーマ達はメリルから捕えた男達についての話を聞かされていた。
ショーマにとってそういう存在と遭遇するのは初めての経験だったため、その胸中には複雑な思いが渦巻いていく。知識としては知っていた存在だったが、いざ実際に目の当たりにしてみるとなると、何だか嫌な気分である。
何しろ彼らは、進んでブランジア王国と敵対している存在だからだ。それも魔族ではなく、人間なのに。
戦争という大きなうねりに禍根を残している彼らの気持ちが想像出来ない訳では無い。だから魔族という人類共通の敵がいるのに争っている場合ではないと言うつもりも無い。
ただ、同じ人間だというのに憎み争い合っているというのが嫌なだけだ。
「何でそんなことしちゃうんだよ、あんた達……」
ふとそんな問いかけをしてしまう。
舌を噛み切って自殺でもされたら困るので男達には猿ぐつわを噛ませているため、当然返事も来ない。
「!! ……!」
ただ『お前なんかに何がわかる』とでも言いたそうな、憎々しい感情の込められた視線が返されるだけであった。