ep,089 向き合う罪
夜。
星空を見上げながらショーマはひとり思考を巡らしていた。
今夜はオードランの家に泊めてもらうことになったのだが、あんな話を聞かされてはすぐに眠る事なんて出来るわけもなかった。
当時、ブランジア王国とイーグリス王国の戦況は正に一進一退だったという。
危ういバランスがいつ崩れるとも知れぬ中、ブランジア王国騎士団は形勢を優位に傾けるべくイーグリス王国王族の暗殺を画策した。王位を継げる者がいなくなれば国政は立ち行かなくなり混乱が発生し、その隙に戦況を優位に進められるとの考えだった。
その作戦の一環で、オードランはイーグリス王国王女ウェインナリアを襲撃した。
しかし彼は命を奪うべきその相手を一目見たその瞬間、心を奪われてしまった。
彼女を殺したくないと思った。
だがそれはオードランが王国の騎士である以上、命令に、国家に背く事を意味する。
ウェインナリアを一時捕縛してから仲間にも相談してみたが、当然強く反対された。
もはや残された道は二つに一つ。ウェインナリアを殺すか、仲間を殺すか。それだけだった。
そしてオードランは、選んだ。
「はあ……」
溜め息を吐く。
好きになった人の為。と言われてしまったらショーマには何も言い返せなかった。
例えばもし自分が、メリルを守るためレウスを殺せ。などと言われていたらどうするだろうか。
選べるとは思えない。例えどちらかを選んだとしても、きっと一生後悔し続けることになるだろう。
もし選んだとして、後悔しながらずっと生き続けるのは……どれほどの苦痛なのだろうか。
「どうしたの?」
「うぉっ」
不意に背後から声がした。メリルだ。
「ああ……お爺さんの話を聞いて、色々考えちゃってさ」
「自分ならどうしただろうか……って?」
「うん」
ショーマはもしもの想像とは言え、ほんの少しでもメリルを手にかけてしまう可能性を考えてしまった後ろめたさから、つい視線を逸らしてしまう。
「ちなみに私は……良くないことだと思ってるわ」
「……!」
「あまりに身勝手で、多大な迷惑となる行為だもの。……正直、今からこの村のことを騎士団に報告することだって考えているわ。少しだけ、だけれどね」
ショーマはその言葉を嫌だと思いつつ、しかし仕方無いことだとも頭では理解する。身内であろうと罪は罪だ。それを隠すような真似に協力することは良くない。
「でもまあそんなこと、あまりする必要の無いことなんでしょうけど」
「……え?」
「忘れた? 貴方をこの村から連れ出してくれたのが、誰だったか」
「あ」
思い出す。オードランがショーマの騎士学校入学のために協力を求めたのは、現在騎士団長を務めているグローリアだ。
騎士団の長が、裏切り者のオードランに協力している。つまり、罪を暴き裁くはずの機関が罪の隠蔽に加担しているということ。
そんな機関に真実を報告したところで、何がどうなるというのだろうか。
「で、でも、ヴォルガム将軍とかに教えれば……あの人なら動いてくれるんじゃないか?」
「そうね。そんな風に手段を探せば確かに、オードラン元将軍の行いを白日の下に晒すことは出来るでしょう。正式な刑罰を与えざるを得ない状況に持ち込むことも出来ると思う。でもね、そこまでする必要が無いことは同じよ」
「?」
「だって何より……オードラン元将軍自身が、腹を決めているみたいだし。……貴方を送り出した、その瞬間から」
「!」
そう。何よりも大事なことは、ショーマの危険な力をどうにかするために騎士学校へ送り出したのが他ならぬオードランだということ。
ショーマが騎士への道を進めば、いずれオードランの過去に辿り着くことは間違いない。
そうなれば後はショーマが騎士としての責務を全うし、オードランの隠れ潜むこの村のことを報告するだけ。それでオードランの平穏な日々は終わる。
仲間の命を奪ってまで得た、この日々が。
オードランはもうとっくに罪を隠すことをやめ、ショーマのために自分の平穏を捨てる覚悟を決めていたのだ。
「……っ」
ショーマはそのことに今更気付き、感情の高ぶるまま駆け出した。
向かう先は当然、オードランの元だ。
「……お爺さん」
「……どうした」
オードランは居間で椅子に腰かけ、ただじっと座って待っていた。
ショーマにはその姿がまるで、死刑宣告を待つ囚人かのように見えてしまった。
「どうして、俺を送り出したんだよ」
問い質す。
「お前の為だ」
返って来たその答えには、思いやりを、優しさを感じる。しかし、納得は出来なかった。
「……本当にそれだけ?」
「…………」
「答えてくれよ!!」
そしてつい怒鳴ってしまう。
するとオードランは、岩のように硬い表情を仄かに悲壮なものへと変えた。
「お前と暮らしている内に……いつまでも逃げ続けてはいけない。そう思ったんだ」
「……っ!」
「お前の真っ直ぐな眼差しを見て、そう思わされた。お前が騎士になって、お前に捕まえてもらうなら……それも良いと」
そうして発せられたその言葉はとても残酷で、しかし真っ直ぐだった。
だからこそショーマには、それは辛く苦しい言葉だった。
「お前は正しい心を持っている。人を思いやり、自らを律し、正義を全うできる……強く、正しい心を。だから、お前のような者にこそ……私の罪を罰して欲しかった」
「そんなこと……!」
「…………」
「っ、……俺は嫌だよ。……させないでくれよ、そんなこと……」
王国の守り手たる騎士こそがまず法を厳格に守らなければいけない、ということはショーマも教わってきたし、騎士学校を抜けた今でもそれはその通りだと思っている。
けれど……嫌なものは嫌だ。どんな大義があろうと、恩人を売るような真似はしたくなかった。
「俺はそんな、立派な人間じゃないよ……」
思わず涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、ショーマは呻くようにそう答えるのだった。
その姿を見て、オードランも気付く。自分がショーマに恩義を感じているように、ショーマもまた自分に恩義を感じていてくれたのだと。
一緒に居た時間は長くは無い。それでもその胸に生まれた温もりは確かなものだったのだ。
「……そうだな、すまなかった。……そんなことも気付いてやれないから私は……仲間を裏切っても平気でいられるような男なんだな」
※
話を終え、ショーマは寝室のベッドに横たわっていた。かつてこの家で暮らしていた頃に使っていたものと同じベッドで。
あの頃は今のような状況をまるで想像していなかった。出来るわけが無いが。
ショーマは眼鏡を枕元に置いて両腕で目元を隠しており、部屋の外から様子を覗きこんでいるメリル達にはその表情が見えない。
「……私が行くわ」
意を決してメリルが発言する。それを聞いたセリアとステアは黙って頷き、自分達にあてがわれた客間へと戻っていった。
「……座るわよ」
「うん」
メリルは一応確認してベッドに腰掛ける。ショーマが眠っているわけでは無いことはわかっていたので、返事が来ても驚きはしない。
「……騎士って、何なんだろうな」
「……そうね」
ショーマが独り言のように呟いた。
それはショーマにとって、これまであまり深く考えないでいたものだ。
最初からそうだった。騎士学校に入ると言ってもそれは魔法の勉強をする為であり、自分が騎士になりたかったわけでは無い。
騎士になることを志す仲間に出会い、既に騎士となった人達に出会い、そして共に戦い、少しは身近な存在に思えるようにはなったけれど、それでもやはり心のどこかではずっと、自分とは縁遠いもののように感じていた。
何しろショーマは、この世界の人間ではないのだから。
そうやって、自分に言い訳していた。
けれどそんなのは間違いだと、思いきり見せつけられたような気分だった。
関係無いわけが無かったのだ。何しろ今こうして、彼らの暮らすこの世界と同じ世界に生きているのだから。
……騎士とは称号だ。武力と知識、人格を兼ね備えた者に王国から与えられる称号。そういうことに、王国の法で決められている。
だが元を辿ればそれは、三百年前に存在した英雄エイゼンを称えたことに始まる。
人から尊ばれ敬われるような立派な忠義を持った人物に与えられる呼び名だ。
人のため、国のため、正義のために戦う人物……それが騎士だ。
実際にその名で呼ばれるに値するような立派な人物に、ショーマもこれまで出会って来た。
けれど騎士の身分でありながら、そこから少しずれてしまっているような人もいた。
それがオードランやレウスである。
彼らは自分の愛する人のために罪を犯した。人に、国に、正義に背いた。
けれどそれは必ずしも間違っていると言い切れるものだろうか。自分の気持ちを無理矢理押し殺すことは正しいことだろうか。騎士にあるまじき姿だと罵れるものだろうか。
「めんどくさ……」
「……へ?」
不意にそんなぼやきが漏れた。あまりに意外だったので、メリルも変な声を出してしまう。
「みんなもっと仲良くすればいいのに」
「そ、そうね……」
そうなればどれだけ幸せだろうか。誰も悲しまなくて済むのに。
しかし、それが出来れば苦労など無いのだ。
誰だって自分が一番幸せになりたい。それには誰かを蹴落とすことが楽で確実だ。けれどそれでは代わりに誰かが不幸になる。そうならないために人々はお互いに守るべき決まり事を……法を作った。
だが厳格すぎる法は人を縛り付けることもある。
罪を犯せば罰を受ける。その原則があるから人は法を守ろうとする。だからこそ罪はすべからく裁かれる必要があり、例外が許されない。例外を認めてしまえば、誰も法など守らなくなる。
しかしそんな息苦しい生活なんて本当は誰も望んでいないだろう。けれど現実問題として罪を犯す人がいなくなるとも思えない。
何故なら自分を、愛する人を犠牲にしてまで法を守り抜きたいと考える人なんて、どれほどもいないだろうから。
結局の所、みんなが仲良くすれば平和になるなんて考えは、理想ではあるがそれと同時に妄想でしかないのだ。
そんな風に思ってしまうと、溜め息も出るというものであろう。
「間違いを犯した人を……貴方は許せない?」
ふとメリルが問いかけた。
「別にそんなつもりで言ったわけじゃないよ」
「うん……」
「?」
どこか気落ちしている様子のメリルにショーマは腕を下ろしてその表情を覗き見た。
そして一つ、思い当たる節があった。
「あの時のこと、まだ気にしてるのか」
「…………」
メリルが魔族に堕ち、ショーマのことを独り占めしようとした、あの時のことだ。
「でもあれは、何と言うか……メリルが原因ってわけじゃ、無いじゃないか」
「違うわよ。どんな外的要因があろうと、結局貴方を私の都合で縛り付けたかったという想いは、私の内から出て来たものだもの。私の犯した……罪よ」
「だったら何だよ……。お前もお爺さんと一緒に自首するって言うつもりなのか。そんなの俺は……。っ」
そう反論しかけて、ショーマは自分の気持ちに気が付く。
法律は守るべきものと考える一方で、自分の大切な人が法に則って裁かれることは嫌だと考える、身勝手な気持ちに。
「俺は……」
「……嫌?」
「嫌だよ」
「じゃあ……私のこと、守ってくれる?」
「…………」
それはオードランのような隠れ潜む生活を一緒に過ごしてくれるか、ということを意味する問い掛けと同じだった。
だがショーマにはその問いに答えをを返すことは、出来なかった。
「だったらいっそ、違う答えを探してみない?」
「……え?」
沈黙の意味する所をメリルは察し、また違う問い掛けを投げた。
それはショーマにとってはあまりに突飛で、予想外の提案だった。
「貴方が、王様になれば良いのよ」