ep,076 穏やかな朝に
研究所を後にしたメリルがドラニクス家の別宅に戻ると、既にそこにはセリアとステアが到着し待ち構えていた。
「あ、お帰りなさい。上がらせてもらってますよ」
「……うん」
呑気に紅茶なんぞ飲んでいたステアがまずメリルの帰宅に気付いて言葉をかけた。メリルはこれから捜しに行こうと思っていた相手が逆に待ち構えていたことに驚いて生返事になってしまう。
リヨールに到着したセリアとステアはまず真っ先にこの別宅へ向かっていた。他に行く当てが思い浮かばなかったからの選択だったが、それで正解だった。
だが到着した時には既にメリルの問題にはカタがついており、ショーマと共に魔導研究所へ移動した後であった。
入れ違いとなってしまったので、その間にメイド達からある程度の事情を聞き出し、今はこうして休憩を兼ねてゆっくりと帰りを待っている所であったのだ。
「あ、あのっ……」
セリアが椅子から立ち上がり、メリルに対し困ったような顔つきで視線を向けた。何を言えば良いのか思い浮かばず、そのまま立ち往生してしまったが。
「……心配と迷惑をかけて、御免なさい」
そんな2人に対しメリルは、心から謝罪の気持ちを表し頭を下げた。
「わ、そ、そんな……。やめてよ……」
うろたえるセリア。
メリルが思い詰めるようなことになったのには自分にも責任の一端があると考えていたので、予想外のこの行為には上手く反応出来なかった。
「……おにいさんは、いないんですか?」
そんな事情はお構いなしに、ステアはショーマのことを聞く。お構いなしと言うよりは、話題逸らしな意味合いもあった。
「うん……。彼はちょっと別の用事でね、でも無事ではあるから。……その間にちゃんと全部、話すね」
顔を上げそう言ったメリルはしっかりと2人に向き合って、これまでのことをゆっくりと話していった。
※
そして翌朝。
魔導研究所の仮眠室に置かれた寝心地の悪いベッドから目覚めたショーマが研究員達の元に向かうと、ちょうど歓声が上がっていた所であった。
……上手くいった、のだろうか。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます。だいぶ良い感じになってきましたぞ」
「そうですか。それは良かった」
どこか和気藹々とした雰囲気すら感じる研究員達。
話を聞けば、マウスに埋め込んだ『種』を無傷で摘出する作業の成功率は現在6割ほど、後遺症が残らない程度の傷が付くくらいならば9割方成功出来ていると言う。
「あなたの支援を貰えれば、少なくともあの3人はすぐにも無傷で助けられるでしょう」
「本当ですか?」
思った以上の調子の良さに、ショーマの眠気もすっ飛んでいく。
「朝食はもう摂られましたかな? 体調を万全にしたらまたお越しください」
「わかりました」
食堂で素早く朝食を食べ終え、人の姿もなかったのでついでに簡単に体操も行ってからショーマは研究室に戻っていく。
「あ」
その途中、廊下で女性の研究員と一緒に歩くリノンとすれ違った。
「お、おはようございます!」
少し緊張しつつ、朝の挨拶を交わす。
「あ……。おはようございます、ショーマさん」
そんな何気ないやりとりが、随分と懐かしく感じられる。
「……先に行ってますね」
「あ……、すみません」
「いえいえ」
気を利かせた研究員が、リノンと別れすたすたと去っていった。廊下にはショーマとリノンだけが残る。
「……あの子達を無事に助けられる目処、たったみたいですね」
「はい。今から行うそうで、俺にも手伝えって」
「そうなんですか……。何だか本当に、ショーマさんには頼ってばかりですね……」
「いえそんな。……それに俺が頑張れるのは、リノンさんや皆がいてくれるからってのもありますし」
「そうですか? ……ふふ」
和やかな空気の中で2人は廊下を進んでいく。すると、
「あ……。おはようございます」
「え、あ、おはようござ……」
リノンがその先にいた少女に挨拶をした。背を向けていた彼女はその声に振り向き挨拶を返そうとして、止まった。
「あ……」
フィオンであった。
ショーマは昨夜メリルとの別れ際にした話を思い出す。
そして同じようにフィオンもショーマの顔を見て、メリルとの会話を思い出していた。
フィオンは昨日メリルに、半ば誘導尋問のような形でショーマへの好意を白状させられてしまっていた。
それからは研究所内でショーマと顔を会わせないようにこそこそと見つからないようにしていたのだが、昨夜はともかく今朝はそうもいかなかった。
その会話をメリルがショーマにばらしていることはまだ知らなかったので、しばらく顔を合わせなければやり過ごせると思っていたのだ。
どっちにしろ駄目だったが。
「……おはよう、フィオン」
「は、ははっ、ははははい!」
いつになく挙動不審なフィオンにショーマは苦笑する。理由は大体察しが付いていたが。
「ショーマさん。フィオンさんにお話があるんじゃないですか?」
「え?」
突然横からリノンが笑顔でそんなことを言ってきた。
確かに昨夜、リノンに皆一緒でうんぬんという話はした。だがフィオン個人がどうこうということまでは言ってなかったはずだ。ショーマは変に焦ってしまう。
「え? え? あ、ああのあの……」
顔を赤くしておろおろしているフィオンに対し、リノンの方はにこにことした懐かしさを感じる笑顔でおり、落ち着いたものであった。
「う、うん。まあ、うん。そう。……フィオン、ちょっと良いかな」
よく考えてみれば、どうせいつかは皆で一緒になるつもりならリノンに聞かれたって困ることではないことのはずだ。つまらない恥は捨てようと思い、半ば勢いに飲まれつつショーマはフィオンと向かい合った。
「あ、あう、あわ……、わ、わたし……」
「えー、うん。……フィオン。俺は、大切な皆とはずっと一緒にいたいって思ったんだ。いようと、決めたんだ。……だから、フィオンにも俺とずっと一緒にいてほしい」
「……!?」
「……駄目かな」
帽子と前髪に隠れがちなその瞳をしっかりと見据え、口にする。
対するフィオンは赤くなっていた顔に、汗まで浮かんでくる。
「あ、あの……、そ、あ、ふわ……!」
「……?」
目まで回し始めた。
流石にちょっと心配になり手を伸ばそうとする。
「…………!!」
しかしフィオンは突然ものすごい勢いで背を向けると、声にならない絶叫を上げ一目散に廊下の向こうへ走り去っていってしまうのだった。
「あ……」
取り残されたショーマは今更になってフィオンの性格ならば、もうちょっと時間をかけてゆっくりと落ち着いた雰囲気で話してあげるべきだった、と思い至った。
こんな人の目がどこにあるかわからないような場所ですべきではなかったのだ。実際、すぐそばにはリノンもいた。
「……ごめんなさい。何だか私がせっついちゃったみたいで。良くなかったですよね」
そのリノン自身も、まずかったなと反省を口にした。呆気にとられていたショーマはそれで気を取り直す。
「あ、いやそんな……。俺が悪いんですよ。ちゃんと相手のことを考えてあげられなかったんですから」
「……後でちゃんと謝りましょうね。ショーマさんも、私も」
「そうですね」
互いに苦笑いしながら、2人は再び歩き始めた。
追いかけてもまた同じことになるだろうし、フィオンのことは今はそっとしておくことにする。
「……そう言えばショーマさんは、『好き』とは言わないんですね」
「え」
ふとリノンが口を開いた。
「私にも言ってくれませんでしたよ?」
「あー、いや、それは……。言った方が良かったですか?」
突然のことに、ショーマは少しずつ顔が熱くなっていく。改めてそういうことを聞かれると、余計に気恥ずかしくなる。
「それは……、聞きたいですよ。たぶん、女の子なら誰だって」
「はあ……。いや、俺としては、その、ずっと一緒にいるってことはつまり、男女の関係ってのも含まれてるわけで、好きでもないならそもそもそんなこと言わないしわざわざ改めて好きですとか言う必要も無い、かなあ、とかそんな感じのあれでして……」
「…………」
段々とつい早口になりながら言い訳するショーマ。リノンはそれを笑顔のまま黙って聞いていた。
「あ……。いや……」
「……なんですか?」
「…………好きです。リノンさんのことが」
そして結局、その無言の重圧に負けてショーマは愛の告白の定型句を言わされてしまうのだった。
「はい。……私もショーマさんのこと、大好きですよ」
リノンもまた、笑顔でその言葉を返してくる。
何気ない風に見えたが、彼女もまた頬がうっすらと赤く染まっていた。
「……なんか、照れくさいですね」
「そうですね。……でも、そういうのが良いんだと思いますよ」
「そういう、もんですか」
「ふふ。そういうものですよ」
※
そして『種』の摘出作業が開始されることになった。
人間相手では成功例も失敗例も無いので、念のため性別や年齢を考慮してジョズという中年男性から行われた。次に中年女性のグリニス、最後にリノンが仲良くしていた幼い少女、マリエの順番と決まった。
除去作業は今回のために試作された、特殊な波長の魔力を照射することで『種』と肉体の繋がりを分断する、特別なナイフが使用された。既存の道具を改造した物だが、今後制式採用されれば1から再設計されるだろう。試作ゆえ出力に若干不安定な所があったが、そこはショーマが力を貸して逐一調整していった。
結果は無事成功。3人共が完全に『種』との接続を解除されるに至った。ついでに検査を行った所、リノンも同様の状態になっていたことが確認された。ショーマの独断行動に不備はなかったということだ。
これでもう『種』による精神誘導は無くなったと認められ、研究所暮らしは終了となる。ただ後遺症が無いとも限らないため定期的に研究所と病院で定期検診をする必要はあったのだが。
それでも、家族や愛する人のそばに戻ることは出来る。それだけでも十分以上に幸せであった。
この成功には少なからずグランディスがアーシュテンに大きな負傷を与えたことも関係していたのだが、それを知る者は特にいなかった。
「……もうお姉ちゃんとは、いっしょにいられないの?」
「そんなことないよ。これからは好きな時にいつでも会いに来れば良いんだから。……それに私と会えなくても、お友達がマリエちゃんのこと待ってるでしょう?」
「……うん」
リノンが寂しそうな顔をしたマリエを抱き締める。
ショーマが後で話を聞くと、マリエは両親がおらず孤児院で暮らしていたという。リノンのことは姉や母親のようにも慕っていたそうで、研究所を後にすることで離ればなれになってしまうのを悲しんでいた。リノンは孤児院で暮らす同年代の仲間達を引き合いに出して、何とか説得出来たそうだ。
「これからリノンさんは、どうします?」
何だかんだで色々な諸手続きが必要だったり、時間的な問題があったりで、マリエ達が自分達の暮らす家がある王都パラドラへ帰ることが出来るのは明日になるとのことだった。
しかしリノンは王都においてはブロウブ邸で雇われていたにすぎず、今はその時から状況も色々変わっている。それに彼女の実家はこのリヨールの街にある。ブロウブ家に話をつけてこの街に残るという選択肢もあった。レウスが独断で決めた特殊な雇用だったので退職願もすんなり受け入れられるだろう。当人も家を出てしまったことだし。
それかもしくは、ショーマ達の旅に同行するかという選択もある。
「俺達は色々あって、今は王都のブロウブ邸を離れて旅をしてるんです。……まあ、始めたばっかりなんですけど」
「ええ、フィオンさんからある程度は聞きました」
「そうですか。それじゃ……」
「いえ。私は、待っていようと思います。御一緒しても、迷惑をかけることが多そうですし」
「そうですか? ……取り敢えず、メリルの別宅に戻ってから皆で相談してみましょう」
「……はい、わかりました。……あ、でもその前に」
「はい?」
「フィオンも少し、来てもらえるか? ちゃんと話をしておきたいし」
「……はい」
研究所を後にする前に、フィオンを捕まえておく。相変わらず目は泳いでいたが、受け入れてはくれるのだった。
「それじゃあ……」
「行きましょうか」
研究所の玄関先に向かうと、研究員達が送別にやって来てくれていた。あれこれ忙しい1日だったせいか、くたびれた顔をしている。
「まあなんです。色々ありましたが、ご無事で良かった。我々じゃあ大したことは出来なかったようなものですが……。いや本当に良かった」
「こちらこそ、お世話になりました。命も、命より大切なものも守ってもらえました。……本当に、ありがとうございました。このお礼はきっといつか、必ず」
荷物を手に深々と頭を下げるリノン。研究員達と共に、一緒にいた少女マリエも手を振っていた。
「マリエちゃんにも、お手紙書くからね」
「……うん。絶対だよ?」
「もちろん。……ジョズさん、グリニスさんも。どうかお元気で」
「ええ。あなたには随分と勇気付けられました。本当にありがとう」
「また王都に来ることがあったら、食事でも一緒にしましょうね」
「はい。……きっと」
同じように『種』を体に埋め込まれ、その苦しみを共有した4人が言葉を交わす。ショーマは自分の知らない所で、彼女達も戦っていたことを実感する。
「それじゃあ、またいつか」
※
時間はもう昼をだいぶ過ぎていた。ショーマはリノンとフィオンを伴い魔導研究所を後にする。
少し進むと路地の向こうから、メリルと共にセリアとステアの3人がちょうどやって来た。駆け寄って声をかけ合う。
「迎えに来たんだけど、ちょっと遅かったみたいね。ごめんなさい。……上手く、行った?」
「ああ。研究員さん達が頑張ったから、皆無事だったよ」
「お陰様で……」
リノンが深々と頭を下げる。そしてショーマもメリルのそばに立つ2人へ向かい合った。
「心配かけてごめん、セリア。……ステアも。本当なら先に2人のこと迎えに行くべきだったよな」
「ショーマくん……」
「私は別に心配とかそういうのはしてなかったですけど」
「……そうかい」
安堵するセリアと、生意気なことを言うステア。特に変わりないようであった。
「それでさ、まずはリノンさんを、お父さんに会わせてあげたくて」
「ああ、そうね。……そうしましょうか」
先程リノンがショーマに頼んだのがこれであった。
リノンの案内で、市街の高級商店街にある小さな一軒の店に到着する。
「ここで働かせてもらっているそうです」
店内に入ってみたが姿は無く、店員に事情を聞くと奥の工房にいるとのことで、案内してもらえることになった。
「私達は待ってるから、ショーマくんはついていってあげなよ」
「ん、ああ……」
と、セリアが言った。メリル達は商品として陳列された金属製の装飾品類を眺めている。
ショーマは彼女らと別れ、リノンと2人で店員に連れられ奥へと入っていく。
「カターマさん。お客さんですよ」
「はい?」
やって来た工房の奥で机に向かい作業をしていた男性が、店員に声をかけられ顔を上げた。リノンの父親である。
「おお……!」
娘の存在に気付き、感極まった声を上げながらよろよろと立ち上がる。
「お父さん……」
直接の再会は、リノンがショーマ達と王都に向かって以来のことである。研究所でもろくに面会は出来ず、手紙のやり取りもあまり出来なかった。
そういう面もあり、2人は久し振りの再会を心から喜ぶことが出来たのだった。
お互いのことを報告しあっている様子を、ショーマは少し離れて見ていた。せっかくの機会を邪魔するのもどうかと思い、工房を出ていこうとする。
「あ、ショーマさん……」
しかし丁度良く呼び止められてしまった。
「……はい」
「お父さんに、ちゃんとご紹介させてください」
「……そ、そうですね」
「ああ、ショーマさん。あなたが娘を助けてくれたと聞きました。本当に、あなたには以前も助けていただいて……」
「そんな、恐縮です」
リノンの父親は、以前リヨールが魔族の襲撃に遭った時にもショーマに助けられたことがあった。
「いやあしかし、あなた程の人にもらってもらえるなんて、娘は幸福者です」
「はは……、……え?」
「話しちゃいました」
「あ、そうなんですか……」
既に大体の事情について話がついてしまっていることに、ショーマは少しばかり驚く。
「面倒ばかりかけてしまう娘ですが、何卒、大事にしてやってください。」
「あ……、はい。それは……、もちろん」
ここまでぐいぐい押されるように喜ばれてしまうと、逆にこちらの方が気圧されてしまう。
かくしてリノンとの関係は、拍子抜けするほどすんなりと親公認になってしまうのだった。