ep,075 静かな夜へ
山道を馬車が下っていく。
「どんなに急いでもそれなりに時間はかかっちゃいますし、もうちょっと楽にしてて良いと思いますよ」
手綱を引くステアが、隣に座る固い表情のセリアに告げた。
「……そう、だね」
「あー、まあうまくやるんじゃないですか、あの人なら」
思い詰めているその様子が落ち着かなくて、ステアは慣れないなりに言葉をかけていく。
「うん……。ありがとう、気を使ってくれて」
「い、いやそんなんではないですので」
照れた様子のステアに、ようやくセリアは少し落ち着きを取り戻した。
現在の彼女達は、学術都市リヨールに向けて飛翔していった翼竜サフィードと、その背に乗ったショーマとメリルを追いかけていた所である。
もうそろそろ山道は終わり、街道に出られる頃であった。夕刻前には街の中に到着出来るだろう。
ふとセリアが、首から下げ服の下にしまっておいたお守りを取り出して眺め始めた。
「……それは?」
あまり興味は無かったが、会話を続けるためにステアは聞いてみた。
「お父さんが作ってくれたお守りなの」
「へえ……。効果、あったみたいですね」
「ふふ、そうだね……。そっか、ステアちゃんは貰ってなかったよね」
「え? ああ、そうですね……」
いらないですけど、と言いかけてやめた。しかし、
「お父さんリヨールにいるから、寄ったついでに貰っていこうか」
「えっ」
狙い済ましたようにそんなことを言われてしまうのだった。
※
その頃魔導研究所では、尚もショーマとリノンの体が検査され続けていた。
特に出来ることもなく居心地が悪かったメリルはその研究室を出て、施設の中を何となくぶらついていた。歩いていれば少しは考えもまとまるかもしれない。そういうつもりもあった。
「あ」
しかしそこで顔見知りと再会してしまい、ゆっくり考える暇は無くなってしまうのだった。
「どうも。……戻ってたんですか?」
この研究所に出向していたフィオンだった。
別れてからはおよそ丸1日と少し。メリルにとっては色々あったが、フィオンにとってはそれほどでもなかった。
「何か忘れ物でも……?」
それゆえフィオンにとっては、メリルがここにいる理由に大層な事情があるとはまるで考えもしなかった。
「んんー……、なんて説明したらいいのかしらね……」
※
ショーマの身体検査が一段落したのは、もう夕陽が射し始める頃であった。
(腹減ったな……)
思えば朝から何も食べていなかった。そんなことを考えられる程度には、落ち着くことが出来ていた。
注射を刺されたり苦い薬を飲まされたり軽い電撃を当てられたりと、何を目的としていたのか理解しかねる検査の数々だったが、どうやらそれなりに成果はあったようだ。研究員達の明るい表情からそれがうかがえる。痛め付けるのが面白かっただけとか言われたらぶん殴ってしまいそうだが。
気になるのはリノン以外の被害者達のことだ。いや、リノンも当然気にはなるが、それとはまた別である。
散々研究したのだから、『種』への対策はそれなりに目処がたったと考えて良いのだろうか。時折盗み見ていた限りでは、残りの3人は自分達も『種』を除去してもらえると期待しているように見えた。しかしすぐにそうしてもらえることは無く、こうして何時間も待たされてしまっている。
出来るかわからないものを待たされるのと、出来るとわかっているものを待たされるのでは、重みがまるで違う。彼らにとってこの数時間は、この研究所に連れてこられてから最も長く感じられた時間なのではないだろうか。
そう思い、検査から強引に逃げて彼らを助けてあげようかともしたのだが、流石に真剣な顔付きで止められたのでやめた。1回上手くいったからといって、2回目もそうなる保証はない。
リノンならお互いにお互いのことをそれなりに理解しあっているから、万が一の時にもまあ納得は出来ただろう。しかし名前も知らないような彼らでもそうかと言うとそんなことはないのだ。
2回目だからこそより上手く出来るという自信もあったが、確かにまあ研究員の言う通りでもある。大人しく言うことを聞いておくことにした。……関係無い他人だから、そういう風に思えるのかも知れないが。
(俺って結構な偽善者なのかな……)
考えてみれば教都ブランシェイルへの旅も中断されてしまっている。あそこで色々と調べ事をして魔族との戦いへの足掛かりとし、ひいてはフュリエスを保護するのが目的だったはずだが、すっかり意識の外へ行ってしまっていた。
目の前で困っている人も放ってはおけないが、最初に目指したものを放っておくのも駄目に決まっている。
あちらを立てればこちらが立たず。1人で何でもかんでもは出来ないのだから、どこかで折り合いはつけなければいけない。当たり前のこととは言え、いざ問題に直面すると中々に面倒な心境であった。
「……今日は泊まっていってもらえますか」
検査は続き、外が暗くなってきた頃になるとそんなことまで頼まれてしまった。
「明日の朝までくらい続ければ、目処が立つんですよね」
「……明日の朝になれば、あの3人も確実に助けられるんですか」
「保証は出来ませんが、ほぼ、確実かと」
流石に疲れが出てきたショーマであったが、そういう風に言われてはやる気も沸いてくるのだった。
仕方無い。ひとまずは、彼らを助けることを優先することに決めた。
※
「……という訳なんだけど」
ショーマは休憩をもらい、食事をしながら今日はここに泊まることをメリルにも話した。
「じゃあ私は、別宅に戻ってるから。また明日の朝に来るわね」
「ん、わかった。……それは良いとしてさ」
「なに?」
「セリアとステアのことなんだけど」
「…………」
「どうしてるかな」
ショーマもメリルも、2人が今リヨールに向かっていることは知らなかった。あの山小屋で待っているか、リヨールに向かって追いかけて来ているのか、それとも先に教都へ行ってしまったか、まだわかっていない。
「……私が捜しておくわ」
「そっか、ありがとう」
「……ええ」
サフィードを飛ばせば、あの山小屋までさして時間はかからない。3つの内どれであるにしろ、空からなら確認出来ることだ。戻ってきているなら途中で見つけられるし、留まっているなら山小屋で見つけられる。どちらでも見つけられなければ、教都へ向かっている。
いい加減外は暗くなってきているが、そうしなければいけないだろうとメリルは考える。
「……今晩、一緒にいてあげられなくて、……ごめんな」
どの道筋で捜そうかと考えていたメリルに、突然ショーマがそっと告げた。
「え……。って、……こ、今晩って……!」
その単語を誤解して、メリルは顔を赤くする。
「ん?」
ショーマとしては特に他意は無く、ただずっと一緒にいてくれなどと言ったその日から別々になってしまうことを謝っただけのつもりだった。
「ああいや、そんなつもりで言ったわけじゃないよ」
メリルの様子から勘違いされていることを察して、すぐにまた謝る。
それにまだ好きになってもらってはいないのだから、そういうことをするつもりはそもそも無かった。
珍しく慌てた様子のメリルが面白くて、つい笑みをこぼしてしまう。
「あ……、う……、うん……」
しかしメリルは顔を赤くして俯いてしまっていた。まともに話すことも出来なさそうだ。
落ち着くまで食事を口に入れて間を繋ごうとする。結局今日は朝も昼も食べる機会がなかったので、食は進んだ。研究所に据え置かれた食堂らしく、少々味気無いのが残念だったが。
「……ここに、」
「ん?」
ふと、メリルが俯いたまま口を開いた。
「ここに泊まるってことは、あ、あの人とも一緒に、と、泊まる、って、ことよね……?」
誰かみたいにつっかえながら、そんなことを言ってくる。
あの人、とはまあ、リノンのことだろう。
「そうだろうけど、……ちゃんと別々の部屋にされるよ。まだ検査しなきゃいけないことはたくさんあるみたいだし、さ」
夜中の内に2人で何かして、またおかしなことにならないとは言いきれないのだ。我慢する。流石にそれくらいの節度はあった。
「で、でも……」
「何さ」
「……せ、セリアとはしてたじゃない!」
「ぐ、」
真っ赤な顔を上げて、怒鳴りつけられた。
周囲に人がいなくて幸いであった。いや、食事を調理する人とかはいたかもしれない。厨房の奥にいたので聞いていなかった、という展開を期待する。
「あ、あれは……、そのほら、別の話だろ……」
流石にショーマもそこを突っ込まれては冷静でいられない。顔が熱くなる。
「だ、だだ大体、何よ! か、かか、格好つけておいて、結局の所はただの女ったらしじゃないの!」
「うう……」
勢い余ってひどいことを言ってくるメリル。だが事実なので否定は出来なかった。皆が大切だなんて、聞こえは良いが要するにそういうことなのだ。
「わ、私が偉そうなこと言えるような立場じゃないとは、わかってるけど……、でも……」
「お、落ち着けって……」
「うう……」
なだめるショーマに、メリルは一旦姿勢を正してまた俯きかける。
(私が言える立場じゃないって、お前それ……)
また少しの間、沈黙が続いてしまう。
今度はショーマも食が進まない沈黙であった。
「……ねえ」
再びの沈黙を破ったのもメリルであった。
「何?」
ショーマは極力自然に返事をする。
「フィオンのことは、どう思ってるの?」
「え」
しかし続く言葉が予想していなかったもので、変な声を出してしまった。
「フィオンのことも、その、……好き、なの?」
メリルはそう、上目使いで聞いてくるのだった。
「それは……、その」
正直、あまり考えたことは無かった。
同じ小隊でずっと頑張ってきて、大切に思ってはいるし、離ればなれになるのは嫌だとも思っている。
しかしメリルやセリア、リノンらに向ける気持ちとは、ちょっと違う気がした。友情以上、恋慕未満とでも言うか。
フィオンが自分に対し好意を持ってくれているのは何となくわかっていた。しかしそれはどちらかと言うと、恩義のような感情だと思っていた。
話し下手だった彼女と交流を持つようになって、少なからずそれの克服に貢献出来た自負はある。何度か戦いの場で助けてあげたこともあった。フィオンからすれば、それらに対する恩義が好意という形で表に出てきていたのではないかと、そう思っていた。
「あの子は貴方のこと……、好きだ、って言ってたわよ」
ショーマの思考を読み取ったようなタイミングで、メリルが言った。
「……本人が?」
「本人が」
先程の考察があっさりと否定されてしまう。まあ判別の難しい似たような感情だし間違うのは仕方ないだろう。ひょっとしたらフィオンの方だって勘違いしているかもしれないし。
「……そっか」
しかし本当に好きだと思っていてくれるなら、とても嬉しいことは嬉しいのだ。
おどおどしている様なんかは小動物みたいで可愛らしいと思うし、怖がりながらも勇気を出して自分の言葉を発してくれる様子などはとても立派に思える。自分の未熟さから他人を思いやれる気持ちを持っている所も美点だろう。
少々至らない点もあるが、それも含めて魅力的な女性だと、はっきり言えた。
「そうか……」
ふう、と少し大きく息を吐く。
「何よ」
「声、かけてみることにするよ」
そして、柔らかくそう口にした。
「……そう」
「嫌か?」
「嫌って言うか……」
メリルは視線を落とす。
実際問題、複数の女性と一緒になるなら、その女性同士の関係も気にしなければいけないことだ。特にメリルは嫌がりそうだと、前々から思っていた。
今更引く気はないが、出来る限り誰もが納得出来る形にしたいとは思っていた。ならば当然メリルの言うことも極力尊重するつもりだ。
「独り占めしたいなんて思っちゃいけないとは、わかってるけど……」
「……うん」
「やっぱり、複雑だよ」
※
屋敷に戻りじっくり考えてみるというメリルを見送る。一緒にいられないのは寂しいが、時間を置くことも大切だとは思う。
セリアにも会いに行きたいが、研究室にも戻らないといけない。
一夫多妻生活はいきなり上手く行っていないような気がしてきたが、今はどうしようもない。自分の頬を叩いて気を引き締め直す。
研究所を行く途中フィオンと会ったら話をしようと思っていたが、特にすれ違うこともなく研究室に着いてしまった。もう帰ってしまったのだろうか。
「ああ、戻りましたか」
「お待たせしました」
研究員達は集まって机の上に置かれた何かを見ていた。
「模造してみたんですよ、あの『種』を」
「はあ?」
どうやら研究員達はリノンから剥がれ落ちた『種』とこれまでの研究結果から、似たような性質を持った物質を作ってしまったらしい。
覗き見てみれば、大きさは元と比べてかなり小さく小石程もない。だが妖しく光るその様子は、確かにあの『種』を思い起こさせる。
「これを実験用マウスに埋め込んで上手く摘出出来るか試します。監修してもらえますかね」
「はい……」
と言われてもどうすれば良いのかわからなかったが。
結果を言えば成功半分、失敗半分と言った所であった。
疑似『種』を植え付けられたマウスへ魔力による思念誘導を行うと、本物と同様にその行動を操ることが出来た。
続いてショーマの指示に従って摘出を試みたが、これが少し失敗し、大きな怪我を負わせてしまった。命を落としはしなかったものの、人間にも同様に行って大丈夫とはとても言えなかった。
それにしてもこの疑似『種』、何だか割とあっさり作ってしまったように思えるが、悪用とかされないだろうかと少し不安になる。
翌朝になれば疑似『種』をもっと多くの数が精製出来そうだと言うので、続きはそれまで待つことになった。
それまで休んでいて良いと言われたショーマだったが、眠るにはまだ少し早い時間だったので、何となくベランダに出て夜空を見上げてぼーっとしていた。
そこへ、
「ショーマさん」
突然声をかけられて振り向く。
リノンだった。
「あ……」
その柔らかい微笑みに、胸の動悸が激しくなっていくのを感じる。
「ちょっとだけなら、話すくらいは構わないって許可を貰えたので……」
「あ、そ、そうなんですか……。それは……、良かった……」
しどろもどろになりながら答える。見れば、リノンの背後にはベランダへ通じる窓を挟んで女性の研究員が立ち、こちらの様子を見ていた。
「その……、まだ安全が確実に保証されたわけでは無いから……」
見張り付きで申し訳ない、とでも言いたげにするリノン。
「いえ。……それでも、嬉しいですよ」
しかしショーマは、話だけでもさせてもらえたことをありがたく思う。
「そう、ですね。……私も、嬉しいです」
隣り合って夜空を眺め始めた2人だったが、しかしどちらも口を開けずにいた。言いたいことがありすぎて、どれから口にしたものかと悩んでいたのだ。
しかしそれでは駄目だと、ショーマは意気込んで言葉を発していく。
「リノンさん」
「……はい」
「俺と一緒にいてほしいって話なんですけど……」
「あ……、それは、その……。私なんかで、よろしければ……」
「いや、えっと。……まだ、続きがありまして」
「……?」
「俺は、皆と一緒が良いんです。メリルも、セリアも」
「…………」
「でもリノンさんは、そういうの嫌だって思うかなと……」
「そんなことないですよ」
「あ、随分さらっと……」
「ええ。……ここにいる間に、色々考えていたんです、私」
「……と言うと?」
「ショーマさんは、とてもたくさんの人のために戦ってくれている。強い正義感を持って、私達のような弱い人のために戦ってくれている。そんな立派な人を好きになる人は、たくさんいるんだろうな、って。……ショーマさんは、私なんかが独占しちゃいけない人なんです」
「それはちょっと、誉めすぎじゃないでしょうかね……」
「そうでしょうか。そんなこと、ないと思いますよ」
自分なんかが独占してはいけない。そんなことは他の誰かにも言われた覚えがある。皆してまあ慎ましいと言うか、卑屈と言うか。
……それとも自分はそういう人が好みのタイプなだけなんだろうか。
「でも、こうも思うんです」
「……はい?」
「ショーマさんだけでなく他の騎士の方々や、ここの研究員の方々だって、形は違うけれど戦っています。
そんな中で私は何も出来ないと思っていたけれど、ここで同じように収容された女の子、マリエちゃんっていう子と接していく内にわかったんです。
不安に押し潰されそうになっているあの子を支える私も、みんなと同じように戦っているって、言えるのかなって」
「……そうですね。とても、立派だと思いますよ」
「戦争は私が産まれた時から起こっていて、今もまた別の戦争が始まってしまったけれど、直接巻き込まれてようやくわかったんです。
……誰もがみんな、守りたいものを一緒になって支え合うことが『戦う』ということなのかな、って」
「…………」
「だから私は、あなたの心の支えになることで、一緒に戦いたいな、って思ったんです。……他の女の子と一緒にでも良いから……、だから」
「リノンさん……」
「私にも、あなたを支えさせてください……」
リノンが身を乗りだし、顔が近付いてくる。
柔らかそうな唇が震えている。
潤んだ瞳が、見つめている。
「あ……、」
あの時は上手くいかなかったけど、今はもう……、そんな心配はない。
肩に手を当てて、引き寄せようとした、
その時、
「はいそこまでー!」
窓の向こうにいた女性の研究員が大きな声を上げてそれを中断させた。
「…………!!」
ショーマもリノンも彼女の存在を完全に失念していたため、不意を突かれて顔が赤くなる。
「ダメですよー」
「聞こえてますよ!」
ヤケクソ気味に返すショーマ。リノンも恥ずかしそうに俯いてしまっていた。
「あ、あの……」
俯いたままリノンが口を開いた。
「……な、なんでしょう?」
「きょ、今日は、もう、あの……、お休みなさい!」
そう言ってろくに目も合わせずに部屋の中へ入っていき、研究員の脇を駆け抜けて、そのまま廊下の向こうへと出ていってしまうのだった。
「……残念でしたね」
「あんたのせいだろ!」
呆然としていたショーマに、女性研究員が肩を叩く。
慰められているようにはとても思えなかった。