ep,074 闇を払って
「ところで、私はこれから魔導研究所に寄っていくが……。君達も一緒に来たまえ。続きは移動しながら話そう」
「はあ……」
「用事、あるのだろう?」
魔導研究所にはリノンがいる。今のショーマなら、なりふり構わずに彼女にも想いを告げてしまうだろう。
「……怒りますよ」
「ふん。私も我慢している所だ」
グランディスもそのことは報告を受けている。ショーマとの関係もはっきり報告に書かれていたわけでは無いが、察しはつく。
だから、敢えて誘ってやったのだった。先程話した覚悟を早速見せてもらおうというわけだ。
魔導研究所へ向かいながら、グランディスはショーマとメリルにアーシュテンとの交戦についてを語った。
「あいつ、いたんですか……」
「ああ。……とどめは差せなかったがね」
「逃げられたんですか?」
「手応えが無かった。だからこれから念のため『種』の様子に変化が無いかを確かめに行く」
グランディスのその言葉に、ショーマの足が止まる。
「確かめに行くって……。あいつの死と一緒に、植え付けられた人がどうにかなってしまう可能性もあったでしょう。考えてなかったんですか」
「考えたさ。だが被害をこれ以上出さないためにも、あいつを放置出来なかった」
「じゃあ……!」
「これから研究所で確認を行い、もし被害者達の症状が悪化、最悪死亡などしていたら、相応の責任は取るつもりだ」
余りに冷徹な発言に、ショーマはいい加減耐えかねる。
「……責任ってなんだよ!」
「…………」
「死んだらそれまでなんだぞ!」
「わかっているさ」
「この……!」
「待って、落ち着いて。ちゃんと確認してからでも……!」
「……っ」
今にも殴りかからん様相のショーマを、メリルが止めた。
「……急ぐぞ」
グランディスが背を向けて歩き出す。
苦渋に満ちた今の顔は、見せたくなかったから。
※
ショーマははやる気持ちを抑えながらしばらく歩き続け、魔導研究所へ到着する。清潔感はあるがどこか冷たい印象の漂う、内装も外装も真っ白な飾り気の無い建物であった。
ロビーを抜けて受付に顔を見せると、職員に案内されて廊下を進み第一級隔離研究室と書かれた扉をくぐった。そこで全身の検査と消毒を行い、専用の抗菌服を羽織らされ、更に扉をくぐって奥へと進んでいく。
この辺りまで来れば、何となく問題が起きているわけではないと予想がついた。すれ違う職員達に特に慌てた様子などが無いからだ。何か起きていれば、彼らももう少し殺気立っているだろう。
先程荒ぶらせた心が落ち着いていく。その落差もあってか、普段以上に冷静になれた気がしていた。
「おお、これは。どうかなされましたかな」
たどり着いた研究室で待っていた恰幅の良い男性がグランディスに気付いて頭を下げた。
「様子はどうです。何かおかしな所などは?」
「いえ、特にこれと言っては……」
室内には同じく抗菌服を纏った研究員が数名、それと何やらよくわからない薬品や器材、大量の紙資料がそこら中に置かれていた。
見渡していると、部屋の奥にもうひとつ扉があることにも気付く。
「……あの向こうに、いるのかしらね」
メリルがショーマに向けて囁くように言った。
そう。あの向こうにはきっと、『種』を植え付けられた被害者達が……、リノンがいる。
もう別れたのが随分前に感じる。ここまで来ると、色々と抑えていたものが溢れそうになってくる。
いや、もう我慢をする必要は無いのかもしれない。覚悟は決まっているだから。
今なら、何だって出来るような気がしていた。
「行ってきて」
ふとメリルがそう口にした。
「あの人とも、一緒にいたいんでしょう?」
「メリル……」
「ほら」
「うん。……ありがとう」
「魔導エネルギーの送信があると言っていたな。その量や質に、ここ数時間で変化は無かったか」
「ここ数時間で、ですか? いえ、定期観測ではこの通り、そういったものは殆どありませんね」
「……少しずつだが減っているではないか」
「この程度は誤差と判断しますね。少しの変動はいつもあることです。まあ今後数時間計測してなお下がり続けるとしたら話は別ですが……。ひょっとして何かあったのですか?」
「うむ、実はな……。……おい、何してる!」
「え、ああ!? ちょっと困りますよ!」
研究員と話していたグランディスが、ショーマの行動に気がつき声を上げる。
ショーマは、部屋の奥に続く扉のノブに手をかけていた所だった。
鍵がかかっていたが、今のショーマにそんなものは意味がない。あっさりと解錠され、厚みのある金属製の扉がゆっくりと開かれていく。
「……あ……」
リノンは、そこにいた。
他にも3人。幼い少女が1人、中年の男性と女性が1人ずつ。計4人がその部屋にはいた。
「ショーマ、さん……?」
部屋の中で彼女は、その少女に本を読み聞かせていたようだ。
開かれた扉の向こうに立っていたショーマに気付いて、声を震わせる。
「久し振り。リノンさん」
「…………あ、」
じっとショーマのことを見つめるリノンに、少女が不思議そうな顔をした。そしてリノンはその彼女のことを忘れてしまったかのように、力無くふらりと立ち上がる。
「……っ、……」
言葉を発しようとして、しかし何も言えない。思いは溢れてくるのに、言葉にならない。
ずっと寂しかった。会いたかった。けれどそれが自分の本当の気持ちじゃないかと思うと、怖くて堪らなかった。
今こうして目の前にやってきてくれたことは嬉しい。けれどその気持ちも、自分の気持ちではないかもしれないことが怖い。
言葉が出せなかったのは、そのせいだった。
「……!」
そんなリノンの体を、ショーマは強く抱き締めた。
彼女の頭を胸の辺りに押し付けるような形になる。
「ごめんなさい。約束は、破ります」
「……え?」
「あなたのことは今ここで、俺が救います」
抱き締めた腕に力を込めると同時、強く念じる。
彼女の体を蝕む邪悪な魔力を、打ち払おうとする。
グランディスのことは信用している。だがいざとなれば、彼女達を切り捨てなければならなくなった時にためらったりしないだろう。そういう覚悟を持った人物だ。他の騎士団もそうだろう。
ならば多少の危険を覚悟してでも、この場で解決してしまった方が良いかもしれない。
それに、どうせ駄目になってしまうなら、
いっそ自分の手でそうしてしまいたかった。
メリルを魔族化から元に戻した時のことは、殆ど無意識にやっていた。今度はそれを、その時のことを思い出しながら意識的に行う。同じ様にやって出来るかはわからないが、不思議と出来る確信があった。
リノンの心を取り戻す。
その一心で、ショーマは自分の中に眠る魔導エネルギーを目覚めさせていった。
抱き締め触れ合うことで、リノンの魔導エネルギーを直に感じ取れる。あまり力強いものではない。穏やかで暖かいものであった。
そんな中やがて、黒くうごめくものを感じ取った。これが彼女の心を歪ませている。
これを体から切り離せば良い。だが肉体や精神に何らかの傷害を与えないように行うのは、少し難しそうだった。
それでも、放っておくよりずっと良い。
「ショーマ、さん……?」
「少しだけ、我慢してて」
「……はい。私は……、大丈夫だから」
リノン自身も、自分の体にショーマの魔導エネルギーが流れてくるのを感じているようだった。そこから思いが伝わり、今からしようとしていることも何となく理解してくれたらしい。
ならばと覚悟を決めて、少しだけ彼女にも痛みを与えてしまうことを承知で、強く念じていく。
※
その感覚はまるで、暗い海の底へ潜っていくようであった。
ショーマはその中を進んでいき、やがて見えてきた暗く輝くものに手を伸ばす。
暗いのに、輝いている。それは不気味な存在感を放っていた。
――――!
そこから叫び声のようなものが聞こえてきた。
触れられることを嫌がっているのだろう。
自分からひどい目にあわせておいて、自分が逆の立場になることは嫌がると言うのか。
そんなふざけた言い分、通るわけが無い。
力を込めて伸ばした手が、それに触れる。
――――ッ!!
先程よりも大きな声。しかし、何を言っているかは聞き取れない。
ただ、そこに込められた強い憎悪だけは伝わってきた。
けれど、そんなものには負けたりしない。
思い切り力を込めてそれを握り締め、
押し潰す。
※
ぴし、という音が響いた。
リノンの背に埋め込まれた『種』が内側から盛り上がっていき、繋がった肌から引き剥がされようとしていく。
「あ、……ッ!」
肌が裂ける痛みに、小さいけれど苦しそうなリノンの悲鳴が上がる。
「ごめん……。もう少しだけ、我慢して」
ショーマは抱き締める腕に力を込め、耳元で囁きかける。
「は……、い……」
これくらい、痛いだけだ。
心を苦しめられることに比べれば、何ということはない。
もう少し我慢出来れば、解放される。
そうすれば、ようやく……。
この人の元へ帰ることが出来る。
そして『種』は、思いの外呆気なく剥がれ落ちていった。
かつん、と小さな音を立てて石造りの床を転がっていく。
紫色に妖しく輝いていたそれは、もう光を失っていた。
「うっ……、」
「待ってて、傷を塞ぎます」
半ば無理矢理に剥ぎ取ったため、リノンの背には皮を剥いだような傷痕がついてしまった。だがこれくらいなら大したことはない。ショーマは魔力を練り上げ、素早くその傷を癒していく。
「……もう、大丈夫」
「……は、い」
もはや手慣れたものだ。死にかけの人間を救うのに比べれば、なんてことはない。
「……?」
しかし抱き締めたリノンは、顔を胸に埋めたまま動く様子がない。痛みも引いているはずだが、と少し考え、すぐ答えに至る。
「……どう、ですか」
そっと柔らかい髪を撫でながら、問いかける。
「俺のこと、まだ好きでいてくれてますか?」
リノンを救い出した時、自分の感情を取り戻した時、まだ好きでいてくれたらもう1度抱き締める。そういう約束だった。もう抱き締めているので約束も何も無いのだが。
顔を上げてくれないのは、顔を上げた瞬間に自分の気持ちがはっきりしてしまうから、好きだった気持ちが偽物だったとわかってしまうかもしれないから、なのだろう。
「大丈夫です」
「……?」
「もし、俺のこと好きじゃなかったとしても、……もう1回好きになってもらえるよう、頑張りますから」
「…………」
「そうすれば、偽物にはならないから……」
「ショーマ、さん……。わた、し……」
抱き締める腕に込めた力を、少しだけ緩めてあげる。
彼女の顔が、ゆっくりと上を向いていく。
涙を溜めた瞳が、見上げてくる。
「あ……」
そんなリノンに、ショーマは出来うる限りの微笑みで返した。
「俺と、一緒にいてください。リノンさん」
※
その後研究室は随分と慌ただしくなってしまった。『種』が被害者から引き剥がされたことで状況が大きく動くことになったからだ。
引き剥がされた『種』の調査に、リノンの身体検査。そしてそれを行ったショーマ自身についてもあれこれ調べる事態になってしまった。
事が起きてからずっと研究を続けてきた研究員にとっては、これまでが殆ど無駄になってむなしいような、調べごとが増えて楽しいような、まず1人目が助かって安堵したような、複雑な気持ちであった。
「良い機会だ。彼のこと、詳しく調べておいてもらうのが良いだろう」
「はぁ」
そんな様子を眺めていたグランディスが、良い気味だと言わんばかりの調子で隣にいたメリルに告げた。素っ気なく返されたが。
「ところで、彼が口説いたのはあの女性で何人目なのだ?」
「……そういうことを聞いてしまうのですか、お兄様は」
野暮な問いかけをされて、メリルは露骨に不機嫌そうな顔をした。
「兄としては、妹は誰よりも愛されていて欲しいと思うのだよ」
「そうですか。でもこれは私達の問題ですので」
「……冷たいな」
「いい加減大人げないですわよ」
「む……」
どうやら本気で鬱陶しいと思われていることに気付き、グランディスは小さくうなだれる。メリルのことを思ってこそショーマには辛く当たったのだが、流石に不愉快にさせてしまったと自覚する。
「…………」
勝手にへこんでいる兄をよそに、メリルはショーマとリノンの様子を研究室の端で眺めながら、色々と思いを巡らせていた。
もし今後ショーマと将来を共にするとなれば、少なくともあのリノンやセリアとも一緒にいることになる。1人と3人ではどうしたって数が合わない。……色々と、相手をしてもらえない時間もあるだろう。
そうなった時、自分は本当に納得出来るだろうか。
自分の心の中には薄汚い独占欲が渦巻いていた。流石にあの時ほど極端な行動にはもう出ないだろうが、そういう気持ちがさっぱり消え去った訳ではないのだ。
ショーマのことについても、やはり本当に好きなのかどうなのか未だはっきりしない。魔族化から解放された時は『違った』と感じたが、今はよくわからない。
何しろあんなにも真正面から想いを告白されてしまったのだ。それで心を揺らさない程自分は薄情では無いし、実際に今もふわふわとした気持ちというか、体温が上がっている気がする。
立て続けに色々なことが起こってしまい、冷静に自分の気持ちを判断することが出来ずにいた。
「ふぅ……」
つい溜め息を吐いてしまう。
やっぱり勢いに任せてしまおうかと思いかけ、すぐに思い直す。それで失敗したばかりではないか。
……こんなにも自分は、弱かっただろうか。
また1つ、小さく溜め息を吐く。
「メリル」
ふと、グランディスが声をかけてきた。
「……はい?」
「私はそろそろ王都に戻らねばならん。……これを、預けておく」
「?」
そう言って差し出されたのは、宝石が埋め込まれた少し大きめの鍵だった。
「これは……」
「お前の思うように使うと良い。お前を心配する私の気持ちだと思ってくれ。……それと、……怪我などしないようにな」
目を合わせないようにそれだけ言い残すと、グランディスは忙しない様子の研究室からコートを翻し立ち去っていくのだった。
「あっ……」
その背中がどこか寂しそうに見えたのは、気のせいではなかっただろう。
メリルは別れもろくに言えず、ぼんやりと兄を見送った。
※
一方のショーマは、髪の毛を何本か抜かれたり血液を採取された他、聴診器具を肌に当てられたり何やら機械による魔力の波動を当てられたりと、実験動物一歩手前のような扱いを受けていた。メスまでは入れられなくて安堵する。
「ふむむ、これは興味深い……」
などと胡散臭いことを呟きながらそれらと無数の紙束を交互に睨み付けている研究者に、半目を向ける。
「あの……」
「なんですかな」
「いつまで俺は拘束されるんでしょうね」
もっと話をしたかったのに、リノンとも離されてしまった。彼女は彼女でまた色々と検査を受けているようだった。
「被験体に勝手なことをしたんだから責任はとって頂きませんと。大事無かったから良いや、では済まないのですぞ」
「はあ、すいません」
「反省してないですなこの少年」
「そんなことは……、まあ……、あるかも」
「……我々としてはですね、確実かつ安全、そして誰でも可能な手段であの『種』を除去することが出来るようになりたいのです」
先程グランディスと会話していた研究員が今はショーマを診ている。器用にも紙へ何か記しながら器材をいじくり、同時に口も動かしていた。
「私の言いたいことわかります?」
「俺がどうやってあの『種』を取り除けたかを知りたいってことですよね」
「そうです。しかし先程あなたの口から話された内容は抽象的すぎて、正直当てになるとは言いがたい」
「すいません……」
「まああなたの能力が規格外すぎるだけで、責任を感じることではないですよ。……協力して頂けるならどんどんしてもらいたいですが」
「わかってます」
研究員達が調べてわかった限りでは、ショーマは極めて高い魔導エネルギーを持っていること。そしてそれを扱うのが異常に巧みである。ということだった。……そういう風に、判断された。
魔を導く力、魔導エネルギー。つまりは魔力を操るための力。それは姿も形も無いあやふやな存在だ。だがショーマはそれをまるで手足のように扱えるという。しかも殆ど無意識のうちに、だ。それは高等な魔導師にもそうそう出来ることではない。
魔法教本を一瞬で読み解けるのも、望んだように魔法が扱えるのも、そういうことだかららしい。まあ、わかった所で何になる話でもなかったのだが。
ただそれだけの力があれば、先程のように魔力によって効果を発揮する『種』のような存在は無効化することも簡単である。研究員達はその力を、少なくとも『種』に対する技術だけはショーマ以外の誰でも扱えるようにしたかったのだ。
「じゃあもうちょっと精密に調べましょうか。あちらの部屋に」
そう言って一旦部屋を出てから指し示された向かいの部屋の扉には、開放厳禁と書かれたプレートが貼られていた。その下には見るからに不安を煽る、厳重そうな錠前が仕掛けられている。
「まあちょっとくらい痛いのは我慢出来ますよね」
「えっ……」
痛いのは確実なのかと、冷や汗が浮かぶ。
ショーマは部屋の中に逃げ戻り知り合いを探したが、メリルしかいなかった。リノンが別室に向かったのは気付いていたが、グランディスはどこへ行ったのやら。いや、いないならいないで良いのだが。
しかしそのメリルは、ショーマに対し何とも言いがたい表情を向けてくるだけだった。笑顔では無いし、怒っているわけでもない。無表情とも言えないが、何を考えているかはわからなかった。……少なくとも、助け船は出してくれなさそうだ。
「何してるんですか」
「あ、はいすみません……」
まあ今は身を任せておくのが良いのだろう。リノンやメリルのことは、事が済むまでに話す内容を考えておくことにする。
そう考えて、ふと思う。
……そう言えば、セリアとステアはどうしているだろう。
気を失ってからここに来るまでずっとほったらかしだが、大丈夫なのだろうか。