ep,072 紅蓮の竜操術師
陽炎のようにゆらめく赤い魔力が形作る結界の中で、グランディスは魔人アーシュテンと相対する。
妹の様子がおかしいと聞いて思わず王都から飛んできてしまったが、随分と思わぬ拾い物をしたものであった。
「話を、聞かせてもらおうか」
現状確認されている3人の魔人の内、グランディスが最も重要視すべきであると考えているのがこのアーシュテンであった。
実際に交戦しての経験もあるが、この魔人が操る『種』なる物質が厄介きわまりないものであった。早急に元から潰さなければならない。
だがその前に、いくつか聞いておかなければならないことがあった。
「……話、だと?」
しわだらけの渇いた肌と白髪にまみれた老人のようなその姿は、朽ちかけの枯れ木を想像させる。そんな人ならざる魔人に向けて言葉を投げかける。
「うちの総団長殿と違ってな、私は話の出来る相手とは話をするつもりだ」
「こちらにその気が無いとしたら?」
「斬るだけだ。……しかしお前も、時間は欲しいと思うのだがな」
グランディスはどこか余裕すら感じる視線を向けた。
これはある種の取引だ。情報を引き出させることでアーシュテンには時間を与え、この結界から脱出するための策を練らせてやる。
必要な情報を引き出すことに成功し、なおかつここから逃がさなければグランディスの勝ち。情報を得ても逃げられてしまえば、引き分けといった所。
そのどちらもが達成出来なければ負けだが、結界内に閉じ込めた時点でそれはほぼ無いと言って良かった。……そもそも最初から、勝利以外で終わらせる気は毛頭無い。
グランディスは問い掛けを始める。
「まず1つ。……メリルがあんなことになったのは貴様の仕業か」
指を1つ立てながら、いきなり鎌をかけにいった。
先程のメリルの狂気に何か、彼女自身の精神的な問題以外に要因があるかどうかは、この時点のグランディスにはまだわかっていない。
魔族の仕業でないのならば、悲しいことだが妹に対する心象を改めるだけで終わる。しかし関わっているならば、断じて許しがたいことである。それと共に、他の者にも同様のことが起きないよう対策を講じなければならなくなる。
あくまで妹を愛する兄の怒りという風を装い、その重要性を隠す。そうすればつまらないことだと、あっさり口を割るかもしれない。
グランディスはそう考え、……そしてその通りになった。
「ふん……。私はただきっかけを与えたに過ぎんさ。堕ちていったのはそれだけ、お前の妹が穢らわしい欲望を抱えていただけのこと」
グランディスを挑発するように、アーシュテンは調子良く答える。
……やはり、理由はあった。
それでも少なからずはメリル自身に薄暗い感情があったことまでは否定出来なかった。
だが、十分だ。
これでこの魔人を許してやる理由は無くなったのだから。
怒りは募るが、冷静に問い掛けを続ける。
「では2つ目だ。……お前を殺せばあの『種』は消えるのか?」
「ふん……。さあ、どうだろうな」
これに関しては最初から期待していなかった。消えると答えられたらその通りにしてやるだけ。消えないと答えられれば、申し訳無い限りだが犠牲者のことは諦め、アーシュテンを殺す。どちらを答えても命は無いのだ。
となればアーシュテンとしては、答えをぼかすしかない。そして実際にそう答えた。
念のために聞いてみたが、向こうも流石にそこまで馬鹿ではなかったようだ。
「3つ目。……お前達魔族の目的とは、なんだ」
そしてこれが、ある意味最も気になることである。
魔族は人間達に宣戦布告を行った。しかし人間達の行う戦争というのは本来、外交手段の1つでしかない。武力侵攻を行うことで対象の国家から何かを得ることが目的だ。
それは土地なり資源なり人材なり、はたまた名誉なり誇りなりと様々である。少なくとも先のブランジア王国とイーグリス王国間の戦争はそうだった。
だが魔族は人間に対し何を求めているのか、それがわからなかった。
「ふん……。その程度のことも思い至らんのか。……傲慢の極みだな」
「傲慢、だと?」
グランディスの問い掛けに、アーシュテンは吐いて捨てるような口調で答える。
「今この大地で生きていることを当たり前だと感じ、その下で虐げられてきた生命のことなど考えてもいない」
「…………」
「そんな貴様らがこの大地を支配しているなど……!」
大地に生命が根付いてから、常に1つのルールがあった。
弱肉強食。
弱い者は殺され、強い者がそれを食い、生きる。
爪も牙も持たなかった人間達は、しかし知恵という武器を使うことでその中で頂点に立った。
頂点に立った人間達はやがて、家畜という形で他の生命を食するために生かす形を作った。
あらゆる敵を管理することで、自らの支配を磐石なものにしたのだ。
グランディスはアーシュテンが垣間見せた怒りから推測する。
「では何か、お前達は我々人間に虐げられている動植物達の解放でもしようと?」
そうだとしたらそれは、あまりに下らない理由であった。
弱肉強食のルールに則るならば、知恵という最強の力を持った人間達があらゆる生命を支配し食することは何もおかしなことではない。敗れていった人間以外の生命を特別視する方がよっぽど傲慢だろう。
「否」
だが、アーシュテンの出した答えは違った。それは、
「我々は、貴様達に代わり大地を支配する」
思っていた以上に、単純な理由であった。
「貴様達のような者共が大地を支配するなど、許されざることなのだ……!」
アーシュテンは静かに怒気を強めた。
しかし対するグランディスは、冷めた視線を返す。
そんなに魔族の手で大地を支配したいのか。
他の生物を管理してやりたいのか。
お前が蔑む、人間のように。
「……それこそ、許しがたいことだな」
「そうだろうさ。貴様達人間は自分達の支配体制が揺らぐことを何より恐れているからな……!」
「違う」
「……何が違う?」
グランディスは冷めた視線に力を込め、侮蔑の感情を剥き出しにした。
「我々は決して、今まで犠牲になってきた者達の思いを忘れてなどいないからだ。生きていることを当たり前だと思っている? 虐げられてきた生命のことを考えていない? ……侮るなよ」
確かに全ての人間がそうだというわけではないが、少なくともグランディスを始め、多くの騎士達はそう思っている。
彼らは30年にも及ぶ戦いの中、多くの命を奪い、奪われてきた。その痛みや悲しみに報いるためには、死んでいった彼らの意志を受け継ぎ守り抜くしかない。死を無駄にしてはいけない。
それは人間に限らず動物も同じだ。ただ死ぬにしても、食われて血肉になるのならばそれは、無念であっても無駄な死ではない。同じ弱肉強食の世界に生きるなら、理解していることのはずだ。
そんなこともわかっていない魔族になど、奪われるわけにはいかない。
「我々は多くの犠牲の上に今を生きている。だからこそ今の日々を守らねばならん。それを捨て去るなど、それこそこれまでの全ての生命、過去への冒涜だ。ならばこそ我々は、『強き者』としてあらゆる生命を支配してやるのだ!」
「……ふん。やはり傲慢だな」
「違う。我々にあるのは、……誇りだ!」
「……言葉遊びは人間のお家芸か」
「抜かせ。……話は終わりだ。貴様はここで、始末させてもらうッ!」
グランディスは虚空に手を広げた。
その指に嵌められた指輪の宝石から魔力がほとばしっていき、ひとつの形を形成していく。
竜牙鎌ヴォルカハーケン。グランディスと契約を交わした、紅蓮竜ガルネルティンの牙と鱗を削って造り上げた真紅に輝く巨大な鎌である。
その切れ味や魔導補助能力もさることながら、竜の体の一部で作られたゆえ、竜召喚魔法で鎌だけを呼び出すことも出来るという代物だ。
「来るか。良かろう。私ももはや貴様とは言葉を交わしたくない」
「……覚悟ッ!!」
ヴォルカハーケンを構え、グランディスは真正面から果敢に斬りかかっていく。
「……ふん!」
対するアーシュテンはその場から動かずに両手を振るい、迎撃するように無数の触手を突き伸ばした。
だがそれらは、炎を纏って振るわれたヴォルカハーケンのただ一閃によって全て焼き払われる。
「……脆弱ッ!」
グランディスは勢いを殺すことなく、更なる一歩を踏み出す。ヴォルカハーケンには更に激しい炎が纏われていた。
「……ぬうッ!!」
アーシュテンは間合いに入り込まれる前に、今度は地面から無数の蔓を伸ばし、それらを結んで強靭な盾として斬撃を防ぐ。
水分を多く含み、しなやかで衝撃を受け流しやすいそれらの蔓は、しかし数秒と耐えきれずに断ち斬られようとしていく。
「ちぃッ!」
完全に両断されるその瞬間、アーシュテンは大きく宙に飛び上がった。そして両腕を突き出し、それぞれに術式を展開させていく。
やがてそこから、緑色の2つの光がグランディスに向けて放射された。魔力を熱エネルギーに変換して照射する、絢爛さとは程遠い純粋な暴力を放つ魔法であった。
「何と無粋な……!」
華の無い魔法ではあるが、言い方を変えれば純粋な破壊力にのみ特化したものと言える。威力は極めて高い。
しかしグランディスはヴォルカハーケンを胸の前に構え、それらを真正面から受け止める。そしてそれらを残らず消滅させていった。
「!?」
「フッ。何を驚く。……それとも何か、まだここがどういう場所かわかっていないとでも?」
強烈な一撃を難なく受け止めたグランディスに、さしものアーシュテンも驚愕を隠しきれなかった。空中にとどまりながら、すぐさま周囲に注意を払う。
構造こそ魔導研究所が作り出したものを元にしているが、この結界はグランディスを通じて放たれたガルネルティンの魔力によって形成されたものであった。
正確に言えば、ガルネルティンの体の一部だけを召喚したものを結界としているだけだ。彼らは今擬似的にではあるが、竜の体の中で戦っているのだった。
この空間ではガルネルティンの呼吸と共に、流れているマナエネルギーも自然と変容する。そんな状態では魔力を正確に練り上げることは限りなく難しい。
となれば、いかに強力な魔法であっても術式を崩壊させ魔法を無効化するのは難しくない。高位の魔導師であるグランディスともなればなおさらだった。
「万に一つも貴様に勝利は無い。さあ、決着を付けるぞッ!」
「……図に乗るな! 人間がッ!!」
怒りに顔を歪ませたアーシュテンは、周囲の流れなどお構いなしに力づくで禍々しい魔力を練り上げていく。
「むっ!?」
この結界内でそれだけのことを成し遂げられた事実に、グランディスは警戒を強めた。
集まった魔力が不気味に輝いていく。
「ふん、なるほど……。そういうことか」
結界の抵抗に構わず強引に大量の魔力をかき集める作業を行ったことで、アーシュテンもこの空間の正体を理解した。
「いつもいつも貴様らは……。魔を操ることにおいて、我らが劣るなどと思うなッ!」
「!!」
先程よりも数多くの光が集まり、照射されていく。
グランディスは足元に魔力を集め、高く跳躍してこれを回避。しかし光の照射は消えることなくそれを追いかける。
空中では避けようがない。アーシュテンはグランディスの失策に笑みを浮かべた。
だがグランディスも無策で隙を晒すような真似はしない。
背中に魔力が集め、それを大きな竜の翼へと形作る。そして大きくその翼を羽ばたかせることで身をよじり、空中で回避運動をとる。そのまま勢いを殺すことなく、突撃を仕掛けた。
「せえいッ!」
空を駆けたグランディスが、炎を纏ったヴォルカハーケンが振り下ろす。突撃の勢いも乗せた気合いの一閃である。攻撃を外し隙を晒したアーシュテンに防ぐことは出来ないだろう。
しかし、
「……!」
振り下ろされる瞬間、アーシュテンの姿が黒い影に消えた。何もない空を、大鎌が通り過ぎていく。
「……出来たぞ」
真上から声が響く。
グランディスはその姿を確認する前に、とっさに前方へ翼をはためかせた。
地面に無数の触手が突き刺さり、大穴を穿っていく。一瞬でも遅れていれば自分の体にあの穴が空いていただろう。
(読みきられた……?)
空間転移魔法を発動させないための結界であったはずだが、しかしアーシュテンは今しがたそれを行い、攻撃を回避してみせた。
結界の構造を読まれたのか、それとも一度きりの偶然か。
……考える暇は無い。奴はここで殺すと決めた。
ならば、やることはひとつだ。
グランディスは虚空に浮かぶアーシュテンに向き合い、再びヴォルカハーケンを構え直した。
対するアーシュテンは、堪らず笑い声を漏らしていた。
「……ふ、ふふ……」
アーシュテン達の操る空間転移魔法は、文字通り空間を転移する魔法だった。
それはつまり、肉体そのものを直接別の場所に移動させるということである。だがそのような高度な魔法は本来、ブランジア王、ユスティカの一族の血を引く者のみにしか扱えないという。
アーシュテンは魔族の女王に迎えられたフュリエスからその特異なマナエネルギーを解析し、不完全ながら実用化を成功させた。魔を操ることにおいては他種族よりも歴史のある魔族にこそ出来たことだった。
しかしそれより以前、既に人間達も独自に転移魔法を開発していた。竜操術師の扱う竜召喚魔法だ。
人間と竜の魔導エネルギーの流れを繋ぎ、力の共有を行う。そうなった状態で竜の肉体を魔力に変換し、遠く離れた別の空間へ再構成させる。それが竜召喚の仕組みだ。
だがそれは、アーシュテンから見れば紛い物でしかなかった。
他者と魔導エネルギーの流れを繋ぐことも、自身の肉体を魔力に変換することも、竜だからこそ出来る特異的な技能だ。結局は人間の力ではない。それにこれでは、人間自身を空間転移させることは出来ない。魔力に変換され肉体を再構成された竜も、本来の力を十全に発揮出来るというわけではない。
そう。所詮、不完全な代物しか人間には扱えないのだ。
だというのに。
目の前の人間は、空間転移を妨げてみせた。
紛い物の魔法しか作れない人間が、しかし本物を邪魔することは出来た。
忌々しい。
だがどうだ。今こうしてこの結界内でも空間転移は成功した。
ちゃちな妨害など、すぐに潰されるのだ。
「無様な……」
上位種は下位種に対し罰を与える権利がある。
そして魔族が人間に劣ることなどあり得ない。
だからその権利を行使して、この人間に罰を与えてやろう。
そう決めた、その時。
「……!?」
赤き閃光が走った。
それは突然で、一瞬のことであった。
アーシュテンの怒りと傲慢は自らの冷静さを失わせ、僅かな隙を作っていた。それをグランディスは逃さなかった。
容赦ない斬撃がアーシュテンの体を両断する。
相手の予測しない攻撃こそが、勝利を引き寄せる。読み合いの基本であった。
「みくびったな、この私を」
「……!」
大気をも歪ませる灼熱を伴った赤光の斬撃。ヴォルカハーケン本来の間合いを大きく逸脱したそれこそ、グランディスとガルネルティンによる協力魔法、『ブレイジングスラッシュ』だった。
斜めに斬り裂かれた体の断面は熱により黒く焦げ付き、再生を防ぐ。
「ぐっ……!」
アーシュテンの顔が歪む。苦痛ではなく、屈辱によって。
「まだ生きているのか」
更なる斬撃が放たれた。今度は横凪ぎに。
更に連撃。グランディスは舞い踊るように巨大なヴォルカハーケンを振り回し、アーシュテンの体を焼き裂いていく。
人並み以上には武術の鍛練を行っているグランディスであったが、それでも軍師の座に就いてからはヴォルカハーケンを振るうことも減っていた。
故に、一撃で確実に急所を潰せるだけの精密さは持っていない。
そしてアーシュテンもまたなまじ強い生命力を持ってしまっていたため、グランディスの斬撃を幾度も食らいながらなお絶命せずにいた。
「おおお……!」
体を断たれる痛みと熱を伴う苦痛。アーシュテンは生きながらにしてそれを受けてしまっていた。
「き……、さま……!」
断たれた体は何らかの魔法によってか、地面に落ちる速度が妙に緩慢であった。
焦げ付いた傷口の下から体を繋ぎ止めるために管が伸びようとしていたが、上手くいかない。
「……なに、苦しませて楽しむ趣味は無いさ」
グランディスはヴォルカハーケンを上段に構える。
「……灰塵と為せ」
巨大な紅蓮と化した刃が振り下ろされる。
今度は両断などしない。体全てを、丸ごと焼き尽くす。
「ぎい、ああああがぐううあああ……ッ!!」
言葉の体を成さない、断末魔とも呪詛ともつかぬ声を上げながら、アーシュテンの体は燃え尽きていく。
炎が消えた時には、灰すらもろくに残っていなかった。
「…………」
グランディスは慎重に周囲を見渡す。
本当に死んだのだろうか。別の魔人、ベゼーグは蘇生能力を持っていた。だがアーシュテンまでもそうなのかはわからない。
少なくとも周囲に魔導エネルギーの気配はもう感じない。とは言え、正直今死んでもらっては困るかもしれない。例の『種』の問題がある。……妹の件もあり勢い余ってやってしまったが。
ただ殺してしまうとあの『種』がどうにもならなくなる、ということは無いと考える。でなければ最後の瞬間、そのことを取引材料に命乞いなりをしてきたであろうからだ。
それにあれだけ人間に憎悪を向けていたのだから、本当に死に瀕したならもっと恨み言なりを残しただろう。
例えば、自分を殺しても『種』は消えない、消す手段も無くなる。お前は愚かなことをしたな。などとか。
そういったものが何も無かったから、やはりまだ生きているのかもしれない。
念のために魔力の流れがあれば感知出来る術式を展開してから、グランディスは結界を解除した。気になることは、アーシュテンだけではないのだ。早々に戻らなければならない。
屋敷の方を見る。するとこちらを見ていたあの男とちょうど目が合った。
そうだ。あちらとも、決着をつけなければならない。