ep,071 もういちど
山小屋。
着替えを終えたセリアが玄関先で見張りをしていたステアの元へやって来る。
「……お、おはよう」
「あ」
ステアとしては正直顔を会わせづらいことこの上なかったが、向こうからこられては仕方ない。とりあえず当たり障りのない話を振ってみる。
「ど、どうも……。調子はどうです?」
「うん。もうだいぶ良くなったよ」
目を泳がせているステアに、セリアは気負わせ過ぎないようにつとめて明るく笑って答えた。
「ま、まぶしー……」
「え?」
「いえなんでも。……まあでも、良かったです。本当に」
「うん。ありがとう」
「お礼を言われる筋合いは無いですよ……」
「そうかな? でもステアちゃんは、ショーマくんを守ってくれたし……」
そう返されて、ステアはまた心を動揺させる。
「ああもう、そういうのはいいですから。……どいつもこいつも」
ショーマともども、どうしてこうなのだろうか。そうひっそりと毒づく。
ぶつぶつ言いながら苦悩するその様子を、セリアは優しい笑みで見つめていた。
「……!」
思わず天を仰いでいたステアは、そこで予想外のものを目にした。
朝の空を駆け抜ける、蒼い翼竜。
その背には、1人の少女と、眠っているように彼女へもたれかかる1人の少年。
「……げ」
メリルが意識の無いショーマをサフィードに乗せ、どこかへと飛び去っていく姿であった。
「ちょっとちょっとー!」
「?」
慌てるステアの視線を追い、セリアもその存在に気付いた。
「あ……」
まさかとは思いながらも、しかしメリルがそういうことをしてしまった理由には、すぐさま思い至ってしまった。
昨夜自分がわがままな真似をしたせいで、彼女を思い悩ませてしまったのだろう。
後悔の念が沸いてくる。やはりもう少しだけでも、考えを回さなければならなかった。
「お、おお、追いかけないと!」
「……うん。私、すぐ荷物まとめてくる!」
「じゃあ私は馬車の準備を……」
ステアは小屋の近くに繋いだ馬を馬車に繋ぎ直し、いつでも出発出来るようにする。
その間もサフィードの姿からは目を離さない。
しかしこちらのことなどお構いなしに、どんどん遠くへと行ってしまう。見えなくなる前に目的地を予測する。
進行方向は南西、学術都市リヨールのある方角だった。
「……逆戻りかー」
仕方無いとは言え、目的地の教都から遠ざかることになると思うとついため息が漏れる。
「お待たせ!」
小屋の中からセリアが荷物を抱えて戻って来る。
「乗ってください!」
「うん!」
セリアが荷台に乗り込んだのを確認して、ステアは鞭を振るった。
リヨールとくれば、ドラニクスの別宅に向かったのだろうか。当たりをつけて、馬車は走り出した。
もうとっくに、蒼い翼竜の姿は見えなくなっていた。
※
そしてリヨール、ドラニクス家の別宅。
メリルの自室には大きめのベランダが備えられている。サフィードが空から降りられるようにするため、後から増築されたものだ。
山道からリヨール市街まではるばる空を飛んできたサフィードは、自然な動きでそこへと降り立った。
メリルと共に室内へ入っていくと、大きなベッドにショーマを移動させる。
そうして横たわったまま、未だ目を覚まさないショーマをメリルは静かに見つめた。
その黒い髪をさらりと撫で、眼鏡を外してやる。
今のメリルは、不思議なくらい穏やかな気持ちだった。
後のことなど何も考えずに、情動の赴くままに行動する。
それがこんなにも気分が良いことだなんて、知らなかった。
欲しいものは、いつだって自分の力で勝ち取ってきた。
間違っているとは思わない。
……そうだ。最初からこうしていれば良かったんだ。
※
眼鏡をしていてわからなかったけど、彼は意外と凛々しい顔つきをしている。
顔には人柄が出ると言う。これまでの経験というよりも、彼自身が内に秘める生来の心の強さがそう感じさせるのだろうか。何となくそんな風に思った。
そうやってじっと顔を近づけて観察している内に、ふと、心の高鳴りを感じた。その気持ちの正体を、短絡的に考えてしまう。
迷ったのは、ほんの一瞬。
メリルは眠るショーマの唇に、自分のそれを重ねた。
そうしたいから、そうした。
柔らかい感触と共に、心地よい充足感が広がっていく。
こんなにも素晴らしいものだったなんて。
どうして、もっと早くにしておかなかったのだろう。
※
「お、お嬢様……!?」
部屋の扉を叩きながら、メリルを呼ぶ声が響いた。
屋敷のメイド達である。わざわざ正門からではなく、空を飛んで自室に直接帰宅するというのはかなり珍しいことだった。しかもそのまま部屋から出てくる様子もなかったので、何かあったのかとに心配されてしまったのだ。
しかしそんな彼女達の純粋な気持ちを、今のメリルは邪魔されたようにしか思えなかった。
魔力を練り上げて扉を睨み付ける。それだけで障壁を発生させる。
「おじょ……、きゃあ!」
障壁に弾かれたのか、メイドの悲鳴と転倒する音が聞こえた。
怪我をさせるつもりまではない。ただ近付けさせたくなかっただけだ。
念のために、部屋中の窓にも障壁を張っておく。特にベランダからは人が入りやすい。そこは少し強めにしておく。
これでもう、大丈夫だ。
「う……」
騒がしくなってきたせいか、ショーマがゆっくりと目を覚ました。
体を起き上がらせ、不思議そうに周囲を見渡す。
「あれ……、ここどこ……」
状況がわかってないらしく、どこかのんびりとした口調で言った。
メリルのことには気付いているようなので、あまり危機感を感じてはいないようだが。
「……?」
しかしすぐにも、そのメリルの様子が少しおかしいことに気付く。
混乱する意識を落ち着かせ、ここに来る前に起こったことを思い出そうとする。
「ああ、そうだ……」
※
メリルに大事な話をしようとした。セリアや皆と共に、自分とずっと一緒にいてほしいという話を。
そうしたらメリルも同じように、大事な話があると言っていた。
けれどここでは駄目だと言われて、それで……。
気付いたら見知らぬこの部屋にいた。
「……私の部屋、だよ」
メリルが口を開く。先程のここはどこか。という問いかけに対する返事だったが、ショーマは頭の中を読まれたのかと錯覚しかける。
「……話って、なんだよ」
力ずくで気絶させ無理矢理連れてきたこの場所で、何を話すというのだろうか。
メリルの様子がどこかおかしいこともあって、体を緊張させる。
何か、嫌な予感がした。
「……私と、ずっと一緒にいてほしいの」
その思わぬ言葉に、一瞬息を詰まらせる。
それは昨夜自分がセリアに告げたものと、これからメリルに告げようとした言葉と、同じだった。
しかし、同じだけれど、何かが決定的に違う。
嬉しい言葉のはずなのに、どこかそこには空虚なものが感じられた。
彼女の細く長い綺麗な指が、肩に添えられる。
その指に痛いくらい力が込められて、続く言葉が紡がれた。
「この場所で」
障壁で閉じられた、この場所。
つまりは、そういうことだ。
不思議なくらいすんなりと理解出来てしまった。
メリルは誰かと一緒になんて考えずに、自分だけで独占したいと思っているのだ。
そのために、この部屋へ押し込めようとしている。
……けど、それは。
おかしいことだ。
そんなまるで、愛玩動物を檻の中に閉じ込めるようなこと。
……メリルは、そんなことをするような人じゃない。
「……何言ってるんだよ。……お前らしくもない」
冗談めかしくそう言ってやる。そう、悪い冗談なのかもしれない。だから、こちらも冗談で返す。
しかしそんな甘い考えは、一瞬で切り伏せられた。
「私らしいって、何?」
「……!」
メリルは恐ろしいほどに冷たい声で言う。
「私は……、貴方の思ってるような人間じゃないの」
気高くて、華麗で、力強くて、立派な意志を持っている。
けれどそんなものは、ただ着飾ったものでしかない。
本当は、欲張りで、嫉妬深くて、負けず嫌いで、独善的。
そんな声が、聞こえた気がした。
「ずっとこうしたかった。……貴方を、私だけのものにしたかった」
「メリル……」
肩を押さえていた手を離し、それを少し上に動かしていく。
「これが、本当の私」
「……あ、ぐ」
ぎゅっと、首を掴まれた。
「違う……」
「……違わないよ」
「違う……!」
体重をかけられ、ベッドに押し倒される。
そこから全身の体重を乗せられて、首が締め上げられていく。
「私、だけの……」
呼吸が妨げられ、意識が飛びそうになる。
報い、なんだろうか。
今までいい加減な態度を取り続けて、知らず知らずの内に苦しませていた。
彼女をこうさせてしまったのは、全て、自分の……。
ふと、頬に冷たいものが当たった。
涙。
メリルの碧い瞳から溢れた涙が、頬に落ちてきた。
なぜ泣くのか。
このまま殺すことで、大切な人を失ってしまうのが悲しいのか。
セリアと一緒になられてしまったことが泣くほど悔しいから、殺してやりたいのか。
それとも、そんなことを思ってしまう自分の心が嫌だからなのか。
いずれにせよ、決して見過ごせることではなかった。
※
「メリルッ!!」
ベランダ、窓の障壁の向こうから鬼気迫る怒声が響いた。
どこから聞き付けたのか、いつの間にやって来たのか、ドラニクス家の長兄、グランディスがそこにいた。
息を切らせ、髪を乱し、端整な顔立ちを崩して、彼は障壁の向こうから2人の様子を見ていた。
なぜこのようなことになっているのか。推測を重ねる。
行き着いた答えは、とても信じたくないものであった。
それは、清く気高く成長してくれた妹の姿が、幻想でしかなかったということ。
「……ぐっ!」
ならば、兄として責任を取らなければならない。
辛い覚悟を決めるのには慣れていた。
障壁に手をかざし、魔力を練り上げる。自分が知る限りメリルの力でここまでの物が作れるはずはなかった。
だが今は知ったことではない。叩き壊してでもこの先へ向かう必要がある。
「……待って、くれ……!」
「!?」
しかし部屋の中から響いた声が、それを制止した。
「俺が……、何とかするから……!」
首を絞められたままのショーマが、かすれた声を上げている。
「何をッ……!」
そんな状況で何が出来るというのか。それ以上に、何様のつもりなのか。
グランディスはこの非常時にふざけたことを言う男に怒りを向けた。
「俺が止めなきゃ……、いけないんだ……!」
「……ッ!」
グランディスもあの日ドラニクス邸にやって来たショーマのことは当然覚えている。
メリルは彼のことを同志と呼んだ。しかし彼は、メリルをどう思っているかは言えないと答えた。
随分生意気で身の程知らずだと、その時は思った。だが今は、どうだ。
今こそその隠していた遺志を見せるつもりだとでも、そう言うつもりなのだろうか。
……信じて、良いのか。
妹をして同志と言わせた男。
本当に同じ志を持っているのなら、あんなことになってしまったメリルの心を呼び戻せるかもしれない。
けれどあの言葉を口にした時のメリルは、まだ未熟だった。見る目が曇っていたとしてもおかしくはない。彼が想像以上に程度の低い人間であった可能性もあるのだ。
あれからさほど時は経っていない。どれだけ成長したのかなど知れたものではない。信用など、出来るものだろうか。
……さあ、どうする。
冷静に分析すれば、任せることはとても出来ない。
けれど、心の奥底では信用したがっている。
愛する妹が信じたという、あの少年を。
※
「あっ……、う……」
なおもメリルは大粒の涙をこぼし、ショーマの首を締め付けている。
だがその力は苦しみこそ与えるものの、ぎりぎりで意識を奪いさることはない。無意識に手加減をしてしまっているのかもしれない。
まだ、命を奪うことに躊躇している。
こんなに速くグランディスが現れたのは想定外だったのか、メリルも自分の計画が達成困難となっていることを理解していた。
しかし改めて考えれば、計画は始めからあまりにも杜撰だった。
こんな部屋で2人きりの時を長期に渡って過ごし続けることなど、出来るはずがない。子供でもわかることだ。
そんなことにすら思い至らないほど、メリルの心は悪意にさいなまれ、いびつに歪んでしまっていた。
ただ目の前のショーマを奪い取ることしか、考えられなかった。
兄や、家族や、友人達。自分を支えてくれていた人達のことも忘れてしまっていた。
愚かだと自分でもわかっていた。
そんなことになっていても、やはり彼のことが欲しかった。
そんな自分が、たまらなく辛かった。
「俺は……、そんなお前でも、好きでいる……!」
「……!」
ショーマが叫んだ。
メリルの気持ちは、苦しみの中で伝わってきていた。
そこまで自分を求めてくれている。奪われたくないと思ってくれている。
行動はちょっと行きすぎているけれど、その気持ちに嘘はない。
どんな形であっても、それはメリルの気持ちなのだ。
嬉しかった。
それに、メリルは苦しんでいる。こんなことをしてしまう自分が、嫌でたまらないと。
それがしっかりとわかる。
「どうし、て……」
「だってお前は……、泣いてるじゃないか……」
そう。
メリルからはまだ、気高さが失われていない。
自分の行動を恥じるだけの心が残っている。
自分が間違っていると思い、それを正せない自分の弱さに苦しんでいる。
ならば、今こそが支えてあげないといけない時だ。
そのために、
「メリル……。俺と、ずっと、一緒にいてほしい」
同じ言葉を返す。
「俺は、君のことを、支えてあげたい……!」
あの時と、同じ言葉を。
力を込めて。
※
魔に堕ちた魂が、浄化されていく。
歪んでいた想いが、元の形に戻っていく。
そうなってようやく、彼女は自分の本当の気持ちを理解した。
綺麗な心も汚い心も全て晒けだしたことで、自分でも見えていなかったものが、ようやく見えたのだ。
「私……、だめだね……」
「そんなことないさ」
「私は……、貴方が好きだったんじゃないの」
「……うん」
「ただ、貴方が誰かのものになってしまうのが、嫌だっただけ」
「……うん」
「貴方だけじゃない。ジェシカも、リノンさんも、レウスも、セリアも……、私の前からいなくなってしまうのが、嫌だった」
「……うん」
「私の大切なものが無くなっちゃうのが、嫌だったの」
「そっか……」
「ごめんなさい……」
「良いよ」
「……でも」
「そういうわがままなメリルも、俺は大好きなんだ」
「……ショーマ……」
「それに、メリルが俺のこと好きじゃないって言うなら……、今から好きにさせてみせる」
「……え?」
「嫌だって言っても、聞かないから」
「あ……、わ、私……」
「……好きだ。メリル。ずっと一緒にいよう」
「……う」
「…………」
「うん……」
魔を律し制する力。
それこそがショーマの本当の力。
魔族と化したメリルは、その力によって魂をあるべき姿に戻された。
ただ彼らがその真実を知るのは、もう少し先のことである。
今はただ、お互いの気持ちを理解しあえたことだけで一杯だった。
※
ドラニクス邸の庭に植えられた木々に紛れ、それらの一部始終を覗き見ていた者がいた。
魔人アーシュテン。
この魔人こそが地上のあちこちにマナ溜まりを噴出させた張本人であった。数々の動植物や精霊種を魔族化させ、昨日からこの日にかけては新たに竜種と人間種までもを魔族化させることにも成功していた。
ただ竜種はともかく人間種は、仕掛人のアーシュテンですらまさか出来るとは思っていなかったことだ。興味は尽きず、危険を冒してまで対象の近くでの観察を開始してしまった。
魔族はおろか人間よりも上位に位置する竜種を魔族化出来たことは、地上を支配する上で更なる功績が期待出来ることである。しかしそれ以上に何より、憎むべき人間をも魔族化出来たことは、支配権を奪い取った後の大きな『楽しみ』が生まれたということでもある。
『種』による偽りの精神支配ではない、もっと確実な精神支配が行える。かつての同胞が敵となり襲いかかってくることは、人間にとってかなりの苦痛であるらしい。それを自在に操れるとくれば、これほどの楽しみもあるまい。
しかしその初めての成功例は、かの異界人によって魂を浄化され元の人間に戻ってしまった。
不愉快なことこの上ない。特に、どうして魔族化が成功したのかを解明する間もなかったことが手痛い。実際の所は人間種に限らず動植物なども含め、どういう基準で魔族化するのかはアーシュテンにも確実なことはわかっていないのだった。試行回数を増やして強引に成功数を増やしていただけなのだ。
そして非常に珍しいこの状況に、アーシュテンはほんの僅かばかり警戒を怠ってしまっていた。
「……!」
突如、自身の周囲に強力な魔力が展開される。
構造をざっと見るに、恐らくは転移魔法を封じるための結界であった。
「こんなものを……」
確かに、転移のための魔力の練り上げが上手くいかない。何らかの妨害が働いているようである。
「……貴様の仕業と考えて、良いのだろうな」
そして、静かに怒りを蓄えた声が結界内に響き渡る。
鋭い視線を突き刺すように向けるグランディスがそこにいた。
「逃しはしない。……話を、聞かせてもらおうか」
怒気を込めた言葉を叩きつけ、妹の心を歪めさせた下手人の最大の容疑者に向かい合う。
ちょうど彼は今、最高に機嫌が悪い所だった。