ep,059 その別れを無にしないため
ブランジア王城、玉座の間の現状。それは、凄惨の一語に尽きた。
警護についていたレーデル・ハイン大隊長以下、16名の騎士達の内8名。丁度半数が魔人アーシュテンの放った『種』により正気を失ったのだ。
そして互いに信頼し合う仲間達だった彼らは、互いに剣を向けあうこととなった。
まず最初に音も無く『種』を『発芽』させた1人が、突如隣にいた騎士の首をはねた。
王の御前でありながらの凶行に動揺が走る中、更にもう1人が同様に『発芽』し、また1人の首を斬り裂いて鮮血を噴き上げさせた。
いち早く異常に対し動いたレーデルは、その2人を即座に蹴り倒すと同時に剣を奪ってそれ以上の凶行を防いだ。
一体どういうつもりなのか。単なる乱心とはとても思えず、まずは真意を質すつもりだった。
しかし叩き伏せた騎士の鎧の下から、肌を突き破って這い出てきた不気味な『根』を見て、この凶行の真実に思い至る。
魔族の仕業だ、と。
いつの間にこんな物を仕込まれたのか。それを考える暇も無くレーデルは声を張り上げる。
「王をお守りしろ!」
その言葉に、他の騎士達もすぐに理解した。
仲間の姿をした彼らは、敵なのだと。
※
しかし理解し決意を固める間もなく、更に6人が次々と『発芽』をしていった。
計8人が正気を失うこととなり、最初に斬られた2人を引いた残り6人の味方に向けて剣を振るい始める。
「くっ……!」
6対8。王を守るという枷を嵌めたまま、かつての味方に剣を向けろというのはあまりに苦しい状況だった。
だが弱音を吐くことは出来ない。幸か不幸か、身体中を『根』が這い続けている彼らの顔は醜く歪み、段々とかつての面影が消え始めていった。嫌な話だが、これなら心の抵抗は大分無くなってくる。
レーデル本人にはいざという時に対する心の備えはあったが、他の者がどうかまでは知れないのだ。
「……一応聞いておくが。お前達、正気では無いな」
レーデルの問いかけに対する8人は、目線こそ虚ろでありながらも剣を構える身のこなしにそれは無い。正気を失っても、骨身に染み込んだ日々の鍛練は残ったままのようだ。
だからこそ聞いてみたのだが、案の定返事は無い。
「レーデル殿……」
「もはや斬るしかあるまい。お前達、気をしっかり持てよ。……陛下、決して我々から離れぬよう」
「う、うむ……」
レーデルは動揺する騎士達に檄を飛ばすと、王を庇うように立つ。そして剣を握る手にきつく力を込めた。
正気を取り戻せるものなら取り戻してやりたい。だが、それはきっと不可能だろう。その方法も思い付きもしないし、何よりも彼らは命を取らないように手加減して戦える相手ではない。
念のため未だ『発芽』を起こしていない他の5人にも警戒をしながら、レーデルは一歩を踏み出して剣を振り下ろした。
※
結果として、現在玉座の間にて命を保っていたのはレーデルと王の2人だけとなってしまった。
4人を斬り伏せた辺りで、正気を保っていた内の3人が更に『発芽』をし、3対7となった。せっかく減らした敵が増えたこと、こちら側の数が減ったこと、何よりここまで無事だった仲間が敵になったという事実はかなり心を砕きかけたが、しかしレーデル達はその7人全てを斬り伏せることが叶った。
だがレーデル以外に正気だった2人も、1人は戦闘中に集団で襲いかかられて対処しきれずに絶命。もう1人も辛うじて最後までは生き残ったが、傷からの出血多量により結局絶命。
そしてレーデルもまた、腹部をいくつもの剣で貫かれ危険な状況であった。
「ぐっ……、う……!」
レーデルは痛みと出血で遠くなる意識をなんとか保ちながら、腹に突き刺さった剣を引き抜いて素早く治癒魔法をかけていく。
「……ああ、よ、よく、やってくれたレーデルよ。……傷は、平気なのか」
目の前で繰り広げられた惨劇に気が遠くなるのを耐え、王はこの状況を乗り越えたレーデルに賛辞と心配の言葉をかける。
「ええ……。お心遣い、感謝いたします」
レーデル達が奮闘した甲斐あって、王に負傷らしい負傷は無かった。
それは目の前に倒れる仲間だった者達へ贈る、せめてもの手向けと言えるだろう。
「し、しかし……これだけの騒ぎ、何故誰も駆けつけなんだ……。は、そうだ。外だ。外へ出て、すぐに医療班を呼んでくる。……そ、そこで待っておれ!」
「……申し訳、ありませぬ」
この王は戦場に立ったことが無かった。こうして人間が血を撒き散らして死ぬ様を見たことも殆ど無かった。惨状を前にして、気を保ち続けることだって大変だっただろう。
脚をもつらせながら駆け出す王を見て、本当に心優しい方だと、レーデルはそう思う。
今の彼は民を導く力強い王ではなく、1人の怪我人を憂いるただの善人なのだと。
王としては、少々頼りない。だが、だからこそ支えたいと思うのだろう。
遠くなる意識の中で、今更にそんなことを思った。
もうこのまま眠っても良いかもしれない。そう思っていた時。
「どこへ、行かれるのですか?」
声が聞こえた。
深淵より響いてくるような声が。
※
丁度先程まで王が立っていた玉座の前に、1人の少女が立っていた。
「フェニアス……、さま……?」
虚ろな目でレーデルが見たその姿は、王の一人娘であるフェニアスであった。
いや、本当にそうなのであろうか。
喪服を思わせる黒のドレスと白いヴェールを被ったその姿は、王女であるフェニアスと瓜二つでありながら、まるで違う雰囲気を備えていた。
……あれは、誰だ。
まさか自分を迎えに来た、死神だとでも言うのだろうか。
……そんな馬鹿な話があるか。
「フュリエス……!」
その死神の呼び掛けに応えた王が驚きの声を上げる。
……王はあの死神のことを知っているのだろうか。
フュリエス。
レーデルにはその名に聞き覚えがあった。
……はて、誰のことだったろうか。
……ああ、そうだ。
「へいか、おにげ……」
フュリエスの傍らにひざまずいていたアーシュテンは、まだ微かに意識を残し今もゆるやかに治癒魔法を発動し続けるレーデルの腹部を、自身の触手でもって貫いた。
「ぐぶっ……、あ、がっ……」
「……我が『種』の正体に至るのがもう少し早ければ、この惨状は無かっただろうな。ふん、惜しい所までは行っていたようだが……。恨むなら無能な同胞を恨むことだ。人間よ」
「きさ、ま、は……」
レーデルも見習い騎士の1人が遭遇した、人の心を操る魔人のことは聞き知っていた。
人の身体に埋め込まれた魔導的物質。植え付けた魔人自らが『種』と呼ぶそれは、植え付けられた者がその魔人によって少しずつ精神を操られるという、非道極まる物だった。
王都では他にも数人それを植え付けられた者が発見され、現在は学術都市リヨールの研究機関に運ばれ調査を受けていたはずだ。
仲間が乱心したのは、いつの間にか植え付けられていたそれによるものだったと今更に気付く。
確かにもう少し早く研究が進み、詳細が把握出来ていれば、対処法が確立されていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
何もかも、遅かったのだろうか。
否。これから自分達の遺体を解剖調査することで発見される痕跡は、きっと解析されて今後に活かされるはずだ。
この国の学者達は、無能などではないのだから。
勇ましき16名の死は、無駄になどならない。
人の解剖など外法だなんだと揶揄されることもあるが、そんなことはないはずだ。
死してなお仲間の役に立つことが出来る。
それは、本当に素晴らしいことのはずだ。
そう思っていれば、間もなく訪れる死も、怖くなどない。
怖くは、ない。
腹部に突き立った触手によって内蔵をえぐられ、何度か血を吐いては苦しそうに悶えながら、精鋭騎士と評されていたレーデル・ハイン大隊長はゆっくりと絶命した。
※
「…………!」
扉を開き外へ出ようとした王は、背後より出現したフュリエスとアーシュテンに睨み付けられ動けなくなる。
助けを外に求めようにも、扉を開き声を上げようとすれば、レーデルのように自分も貫かれるかもしれない。
「くくっ……。おい、お父様が怖がってしまったではないか」
フュリエスは震える王を見て、酷薄な笑みを浮かべた。
「大変失礼いたしました。私は席を外させていただきますので、後はごゆっくりと」
それに対しアーシュテンはレーデルから触手を引き抜くと、深く頭を垂れて謝罪した。
「ふん。……予定通り、誰も近づけさせるなよ」
「承知してございますとも」
そしてアーシュテンは姿を影に消す。
王はフュリエスと対面しながら、後ろ手で恐る恐る扉を開く。
「……!」
振り返ったそこには、血まみれで倒れる騎士達の遺体が転がっていた。玉座の間での惨状と共に、外でも同じ光景が繰り広げられていたのだろうか。
「さあ、2人きりになれましたね。……お父様?」
「……あ、……っ」
「……以前お話ししましたよね。貴方の愛した者を全て殺すと」
不気味なほどに優しい声で、フュリエスは語り始めた。
「……もう、そんなことはやめなさい……!」
「でも実際にやってみたら、意外と人間って死なないんですね。少々驚きました。……まあ、あの魔人達が弱かっただけかもしれませんけど」
声を絞り出しての父の制止を耳にも止めず、フュリエスはなおも続ける。
「……フュリエスッ!」
「もっとたくさん殺してお父様を悲しませたかったけど……。こちらもそこまで余裕は無さそうなんです。だから……」
「…………っ、」
「今の内に、貴方だけは私の手で殺しておこうと思ったんです」
「…………!」
その言葉に、王は最期の時が来てしまったのだと理解する。
覚悟はしていた。だが、だからと言ってそう簡単に受け入れるつもりはなかった。
民のために、自分は生きなければならないからだ。
それ以上に何より、愛する娘に親殺しなどさせてはならない。
「こんなことはもう、やめるんだ……!」
王は玉座の前、生き別れてしまったもう1人の娘へと向けて、一歩を踏み出す。
……結局全て、自分がいけなかったのだ。
忌むべき双子の呪いなどと言う、不確かなものを恐れた家臣達を押さえきれずに、娘を捨ててしまった自分がいけないのだ。
ロウレンに預けたのも親愛の証などと言って、結局はただの責任逃れでしかなかった。
全ては自分の弱い心のせいで、この娘は歪んでしまった。
「すまなかった、フュリエス……」
だから、だからこそ。父として、この不幸な娘を救ってあげなければいけない。
「私はお前を、愛している……!」
万感の思いを込めて、告げる。
しかし、
「……もう遅いって、言ったでしょう?」
返ってきた言葉は、無情なものだった。
「…………!」
物悲しそうに俯いたフュリエスは、懐から一振りの短刀を取り出した。
その刀身からは目に見えるほどに濃い、蒼黒い魔力が揺らめいていた。あれで斬られれば、傷口ははその魔力によって激しく蝕まれるだろう。非力な少女でも、相手が成人男性だろうと容易く殺害することが出来るはずだ。
……この娘は、本気なのだ。
もはや逃れられない。王はならばせめて、どうか自分の命だけで満足してくれることを願う。そして最後に残る、同じ血を持った姉とだけは和解してほしいと強く願う。
観念してその祈りを天に捧げようとした、その時。
「……そこまでだ」
背後、今度は扉の向こうから声が聞こえた。
ブランジア騎士団総団長、グローリア・ブロウブ。
今となっては数少ない、王が心から信頼出来る騎士であった。
※
「…………」
グローリアは扉を開き間に王を挟みながら、魔族の女王にして存在を抹消されたもう1人のブランジア王女でもある少女、フュリエスと対面を果たした。
「貴様……」
フュリエスの自分を睨み付けるその瞳には、何かと覚えがあった。
深い憎しみ。激しい敵意。策謀を邪魔された怒りと焦り。
戦場では嫌と言うほどよく見てきたものだ。
今更動じることなど、無い。
「何故ここに、とでも言いたげだな。魔族の女王よ」
「…………っ」
そう。本来ならばアーシュテンが玉座の間に向かう騎士達を足止めする手はずになっていた。なのにグローリアはここにいる。
討ちとられたと考えるにしても、まさか王に止めを刺す程度の時間すら稼げなかったと言うのだろうか。
どちらにせよ、フュリエスは下唇を噛むしかない。
空間転移を行えば即座に逃走することは可能だ。だがそうすれば王を殺すことは出来ない。日を改めるにしても、今日のようにアーシュテンの『種』を大量に用意するには時間がかかる。グローリアを何とかするしかないが、それこそ不可能な話だ。
いや、逃げることすら失敗するかもしれない。この猛将を前にしては、転移魔法を発動するまでの僅かな一瞬で命を奪われる可能性だってある。
……ならば、策は。
「グローリア、あの子は……」
「承知しております。陛下」
グローリアは王の言葉を皆まで言わせずに察する。元よりこの場でフュリエスの命を奪うつもりは、最初から無い。
そのフュリエスはじっと、緊張した面持ちでこちらを睨んでいる。
やはりアーシュテンは、フュリエスに黙って今日の情報をグローリアに流したらしい。
そして先程も、接敵した自分を素通りさせてこの玉座の間へと行かせた。今頃は王城の警備兵達を足止めしていることだろう。
室内を見渡す。
護衛の騎士が倒れている。その中には、かつて同じ部隊で命を預けあったレーデルの姿もあった。
「済まなかったな、レーデル……」
誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
このような茶番に付き合わせて、殺してしまった。
こうしてその姿を目にすると、あまりにも呆気ない最期だったように思えてくる。
彼ならきっと生き残る。そう思っていたのに、そうはならなかった。
いや、本当に思っていたのだろうか。
元より王を殺すつもりなら、レーデルが生還することは不可能だった。計画通りの死なら、確かに呆気なかったと言っていいだろう。
計画通り。……そう、これは必要な犠牲だったのだ。
ならばその犠牲に、彼の命に報いる方法は、もはや1つしかない。
「フュリエスよ、その剣を寄越せ」
「……!?」
突然の申し出に、フュリエスは眉を潜める。
「……お前を見逃してやると言っているのだ」
「な、何を……!」
グローリアの言葉が理解出来ないのは、むしろ王の方であった。
見逃すだけならまだわかる。
だが、剣を寄越せ、とはどういうことか。
「……ふっ、はは……。なるほど、とんだことを考える騎士団長がいたものだ……!」
一方フュリエスはすぐに理解し、大笑する。
確かに。この剣で殺せば、誰だって魔族の仕業だと思うはずだ。
「お前に選択権は無い」
「……仕方無い、か」
フュリエスはしなやかな手つきで短剣を放る。そして王のすぐ足元、絨毯を貫いてその下の石畳に鋭く突き立った。
「……!」
その拍子に王は恐怖から膝を震わせて、尻餅をついた。
そしてグローリアはその短剣にゆっくりと近付いていき、そっと引き抜く。
フュリエスは油断なくその様子を見ていた。
「グ、グローリア、……なんの、……つもりだ」
手にした短剣を感情のこもらない瞳で眺めるグローリアを、王は底知れない恐怖を感じながら見上げた。
その短剣で、何をどうするつもりなのか。王には問い詰めることが出来なかった。
「……裏切り者は、断罪せねばならない」
低く唸るような声でグローリアは言葉を紡ぐ。
「裏切り、者……?」
「何百年経とうと、その罪から逃げることは出来ない。……お前達は、王になどなってはならなかった」
「何を……、……!! まさかお前、あのことを……!」
「エイゼンはとうに滅び、ガゼットも今は無様に地を這っている。……次はユスティカ、お前だ」
王は理解する。
300年前の真実。建国の勇者をユスティカやブロウブの先祖が裏切ったこと。
グローリアは、今になってそれを断罪しようとしているのだ。
だが、それは……。
「お前は、今更そんなことをしてどうすると言うのだ……! お前自身も滅ぶつもりと言うのか!」
そう。それは自らもまた断罪されるということのはずだ。
だが、返ってきた答えは違った。
「まさか。……私は全ての罪を告白し、そして、許される」
「な……!?」
「今の私がどれだけ民から信頼されているか、知りませぬか?」
「……お前は、まさか、……ずっとそのために名を上げてきたと言うのか!?」
「御安心ください、陛下。……この国は、我らブロウブが守っていきますゆえ」
「……あ、ああ……! 私は……!」
「何も心配なさらず、どうぞお休みください」
この男は、グローリアは、ユスティカではなくブロウブが王になるべきだと、ずっと考えていたのだ。
ただそれを叶えるため、ひたすら勇敢に戦い、人々の心の支えになろうとしてきたのだ。
※
王の動きが止まった時、既にフュリエスの姿が消えていたことにグローリアはようやく気が付いた。
短剣を突き刺す直前までは気配があったはずだが、その後はわからない。どうも、相当気分が高ぶっていたようだ。
もの言わぬ屍となった王の頭から、冠をそっと下ろす。
瞬間、今まで体感したことの無いマナエネルギーが体内に流れ込んでくるのを感じとる。
……王の、マナ。
冠に蓄えられているこれを与えられた者こそが、鳳凰神ブランジアの認めた『王』となる。
王のマナを有する者がいない時に、『資格ある者』が冠に触れることで、それは新たに与えられると言う。
確証は無かったが、グローリアもその『資格ある者』であった。
「ふっ……」
やはりユスティカの血縁と言うだけで王に選ばれるなど、間違っていたのだ。
今自分は、悲願だった王の座を得たのだった。
だが、まだだ。
王のマナなどという形の無い存在は、証明が出来ない。
王が死んだだけでは、王女であるフェニアスが王位を継ぐと誰もが考えるし、そうなるだろう。
だが幸い、王女はたった1人だ。存在しないもう1人を加えても、2人。
始末するのは、容易い。
あの玉座に腰を下ろすのは、それからだ。