ep,058 真実の扉 (2)
明日、つまり明後日の合同葬を前日に控えるその日こそ、魔族の女王フュリエスが父であるブランジア王を殺害しようと目論んでいる日だった。
グローリアはもし本当に王が死するようなことがあったとしても、余計な手間が増えないようにと、計画のことを聞かされてからあらかじめ合同葬をこの日に設定していた。
王の死を前提とした予定を立てておく周到さであるながらも、しかしなお迷いはあった。
本当に魔族の仕業に見せかけて、自ら王を手にかけるのか。
それとも忠義を貫き王を守り通すか。
愚かなことだとはわかっている。しかし、これは不当を正す機会でもある。
仕えるべき王を守り抜くことが正しい正義なのか。
間違った王を討つことこそが正義なのか。
……いや、それ以前に、あの資料が真実だという保証はどこまであるのか。
考える時間は、もう残り少ない。
※
同日。一方では、
「王女様の護衛?」
ショーマ達へと与えられた明日の任務。それは、避難所を視察する王女フェニアスの護衛ということだった。
「護衛といっても親衛騎士隊の後方支援。王女が避難所にいる間、そこの警備兵を増員するから僕達も加わるというだけだ。王女自身の顔を見ることすら無いだろうね」
「ふうん。……そりゃあ、残念だな」
「……そうでもないよ」
ショーマの冗談にレウスは苦笑する。確かにレウスはフェニアスへ想いを寄せていたが、任務にかこつけて近付きたいとか不埒な考えを抱くような分別の無い人間ではない。
「そして明後日には先日の戦闘での死者を弔う合同葬がある。ロウレン将軍の葬儀も一緒に行うそうだ。皆、出席するように」
「葬式か……」
「ああ。……それじゃ、今日はこれで終わり。帰ろうか」
ブロウブ邸に戻った一行は思い思いの時間を過ごす。と言っても自主稽古か、資料探しの続きか、だが。
レウスは今日はショーマらの稽古には付き合わず、長兄グローリアの部屋で資料を探していた。
勝手に入るのは良くないことだが、グローリアも目的は違えど過去の資料を調べていたことは事実だ。何か得られるものもあるに違いない。
心の中で謝罪しつつ、本棚や机の引き出しを勝手に探してみる。過去の仕事で使われたらしい重要そうな資料や、妻であるレイナと結婚前に交わしたと思われる手紙など、別の理由で気になるものも出てきたが今は置いておく。だが中々目当ての物は出てこない。
「……ふう」
ふと、窓際に味気なく置かれた金庫が目に付いた。
本当に重要な、それこそ一族や騎士団の今後に関わる資料や、資産として残している金塊などは、地下にある魔法の封印をかけられた倉庫で厳重に保管されている。
だからあのような普通の金庫には、もっと何かこう、グローリアが個人的に隠しておきたい物が入っているのだろう。そのはずだ。
「…………」
レウスは自分の探し求めている物とは違うかもしれないと感じつつ、自然にその足を金庫へと伸ばしていく。
兄が探していたのは、魔族ではなく勇者に関することだ。
特に、勇者と共に戦った仲間達。ブロウブ家の始まり。
勇者が最も信頼した戦士ブロウブは、後に一介の名家として名を馳せた。
共に戦ったユスティカは、王になったのに。
ブロウブは、ただの騎士だった。
……兄は、そこに疑念を抱いていたのでは無いだろうか。
ブロウブとユスティカは、何が違ったのか、と。
レウスはそっと手を伸ばし、ゆっくりと金庫のダイアルを回す。
番号は……、父の産まれた日と、没した日。
墓標に刻まれている日付ではなく、それより数日前の、ひっそりと息を引き取った日。戦争の只中であり、混乱を抑えるために隠されていた真の命日。
知っているのは兄弟達だけ。物盗りなどには決してわからない数字だ。
がちり、と鈍い音が響く。
「開い、た……」
開いてしまった。
金庫の解錠番号なんて知らなかった。いや、そもそも開ける気すら無かったはずだ。
ここに自分の求めている情報は無い。中を見る必要なんか無い。
そう思っていたのに。
開けてしまった。
……父の亡霊が開けさせたとでも言うのだろうか。
この中にある、真実を知れと。
――兄達にもしものことがあれば、お前が……、
自然と呼吸が苦しくなる。
この中にある物を見てしまえば、自分は……、
知ってはならないことを、知ってしまうのではないか。
そんな不安が急に全身を襲う。
「……そんなわけない」
自分に言い聞かせるように、そっと呟く。
この中にある物はどうせ大した物じゃない。兄がこっそり隠すような物だ。おおかたレイナとの恥ずかしい思い出の品でも隠しているのだろう。そうに決まっている。
……確かめよう。
そうだ、それくらいなら笑って済ませてしまえばいい。兄に対する疑念を抱えたままでは、寝覚めが悪い。
そう誰にともなく言い訳をして、レウスは分厚い扉を開いた。
※
告解
我がブロウブの名を継ぎし子らへ伝える
秘さねばならない
しかし忘れてはならない
後に英雄譚として語られるであろう我らの戦いは
決して英雄の行うそれでは無かったことを
その者は外法によりて異界より現れ
黒き髪と緋の鎧を纏い
自らを鬼と称した
鬼は銀とも紅とも玄とも知れぬ輝きを放つ剣を振るい
魔を斬り裂いた
我らはその強さに心打たれ
共に背を預け戦った
あらゆる魔を斬り伏せたその鬼は
やがてこの地に平和をもたらした
そして鬼はあまねく人々から讃えられた
だが我らは
間近で見ていた我らだけは
その鬼ほど恐ろしいと思えるものは無かった
何者をも寄せ付けず
歩いた先には血だけが残る
魔よりも恐ろしい
その者は
鬼
その剣は正義を求めていた
その鬼は愛を求めていた
されど
我らはその力を恐れ
その鬼を
正義を
愛を
裏切った
そして我らは
彼の鬼を永遠の闇の底に封じる
※
「……これ、は」
金庫の中にはまず縦に長い木片が1枚あった。
300年前は確かにまだ紙の文化は浸透しきっていなかった。王国が出来てからは他国との外交もあって普及したが、何かを文書として残す際に木板を使う習慣はしばらく残っていたと聞く。
劣化の進み具合からして、これはその当時の物と考えていい代物だ。この文書もまた、本物と考えるには十分足り得る。
いや、推測ではなく、何故かこれは真実だという確信があった。
自分もまたブロウブの血を引くから、当主になる可能性があるからわかるものなのだろうか。
しかしこの文書、気になることは多々あるがまだ金庫内には残っているものもある。詳しい検討は後にしてそちらにも目を通すことにする。
……ただ目を背けたかっただけかもしれないが。
こちらは紙の資料だ。とは言え、これも随分古い。
※
発足よりおよそ三十年、騎士団はますます勢力を拡大している。
国王も三代目が戴冠の儀を果たした。
この調子ならばきっとこの国の未来は安泰だろう。
裏切り者の創った騎士団は、裏切り者の王に率いられ、続いていくのだ。
かつて苦楽を共にしたあの3人と同じ様に、私もまた間もなくこの世を去り、その体は神の焔とやらに焼かれて灰になるだろう。
ずっと隠し続けてきた、秘密と共に。
ブロウブもガゼットもユスティカも、約束通り全てを秘めたまま灰となっていった。
だが、本当にそれで良かったのか。
私達のしたことは決して許されるようなことでは無いはずだ。
今、私は最後まで生き残った。
約束を破った所で咎める者はもういない。
だから、この書を遺してしまおうと思う。
この書を見た未来の誰かよ。
私の血を継いだ者か。
それともあの3人の血を継いだ者か。
はたまたまったく何の関係も無い誰かか。
誰でも良い。どうか、知っていて欲しい。
私の、罪を。
私はかつて、勇者と呼ばれた男と共に戦った。
彼の気高き魂に惹かれ、その身を捧げたのだ。
人々はそんな彼と共に、私のことを賞賛してくれた。
それなのに、私は彼を陥れようとした。
その案に仲間も賛同してくれた。
だがあくまで発起人は私だ。
最も彼に忠義を尽くした私こそが、最初に彼を裏切ろうとした。
だからこそ、秘めていてはいけないと思う。
まず我々は彼を誘い出した。そして
※
「ここからは荒れてて読めない、か……」
だが、十分だろう。
金庫に眠っていた真実は、本当に知りたくもなかったことだった。
木板の正体は、これが代々ブロウブ当主に伝えられる、一族の秘密とやらであろう。
内容はつまる所、300年前の勇者はやはり異世界からやってきた存在であり、仲間からも恐れられるほどに凄まじい力を持っていたこと。そしてその果てに仲間達は勇者を裏切り……、永遠の闇の底とやらに封じた。
そして紙の資料に関しては、恐らくエイゼンが死の間際に遺した物だろう。何故こんな所に眠っているかと言えば、エイゼンの家系は既に潰えているため、遺産の一部が友好のあったブロウブ家に振り分けられた、という所だろうか。
こちらの内容は木板のものといくらか重複している。つまり、互いの信憑性を高めることにもなる。
エイゼンを発起人とする、勇者を裏切った4人はその事を胸の内に秘め、墓場まで持っていくつもりだった。という話だろう。そしてこれには、そのエイゼンの後悔がつらつらと綴られている。
自分だけが約束を破ったように書かれているが、結局エイゼンだけでなくブロウブもまたこうして形として残していたようだ。彼らの妙な所での律儀さが窺える。
勇者は魔族との戦いを終えた後に、姿を消した。
それはユスティカの送還魔法によって、元の世界に帰ったからだと思っていた。
だが、きっとそれは違う。
永遠の闇の底。
それは別の世界を意味する言葉では無いだろう。元の世界に帰ったということではない。
具体的な内容はこの表現から推測するしかないが、どう考えたってこれは、単なる死では無いだろう。
死んだ者は鳳凰神の焔によってその肉体を焼かれ、魂を解放し天へと還っていく。
それがこの国で行われる死者の弔い、焔葬というものだ。
だが国民の誰もがその話を信じきっていると言うわけではない。死を表現する言葉は他にも多数ある。
とは言え、ただ命を奪っただけならばこんな気味の悪い表現は普通しないだろう。
彼らは何かもっと別の、おぞましい末路を与えたのではないか。
そして彼らは、自らに押した裏切り者の烙印を胸の内に抱え続けたまま、王になり、名家の主になり、人々の心の支えになって生きていったのだ。
「なんで、そんなことを……」
そこまで考えたレウスの胸に込み上げてくるものがあった。
それは、悔しさ、だろうか。
平和のために力を合わせ戦った彼らは、きっと気の置けない間柄だっただろう。命を預け合う仲間とは、どこかしらそういうものを持っているはずだ。
なのに、裏切ってしまった。
その強さを恐れ、いつかその強さが自分達に向いたりしないか、恐ろしくなったのだろう。
その恐怖に、彼らは屈してしまった。
そしてその後悔を抱えたまま、死を迎えるまでの長い生を続けなければならなかった。
それは尋常なことでは無かったはずだ。でなければこうして、遺してはならないはずの物を遺したりはしない。
和解することも出来ず、真実を誰かに知ってもらうことも出来ず、しかし英雄として讃えられ、名家を興した者として、多くの人々に囲まれ惜しまれながら、……死んでいった。
その死はきっと、孤独だったに違いない。
誰にも理解されることなく、罪を背負っていることを隠しながら、称賛されて死ぬ。
とても、苦しかっただろう。
……そんなこと知ってしまったら、
「もう知らなかったとは言えなくなるじゃないか……!」
悔しい。
彼らが生きている時に、この真実を分かち合えなかったことが。
ならば、知ってしまった自分は、もう、
「……誰かいるの?」
「!」
その時、扉の向こうから声が聞こえた。この声は、レイナだ。
普段はグローリアと共に王城でほとんどの時間を過ごしているが、名家の避難民達がこの屋敷を間借りしている今は、その管理を請け負うために帰ってきている。
……これを見られるのは、まずい。
レウスは素早くそれらを金庫に戻し、扉を閉める。閉めれば錠は自動でかかるため、これで見られることはもう無い。
だが金庫の扉を閉めるとほぼ同時に、部屋の扉も開かれた。
「レウス君……、だったの」
「…………」
レイナは夫の私室にいたのが身内である弟であったことに安心する。しかし同時に、彼がちょうど金庫を閉じた所であることにも気が付いていた。
そう。閉じたということは、開けることが出来たということである。
「……ねえ」
「……ッ」
レウスもすぐに、彼女が開かれてしまった金庫の中身に興味を持ったことを悟る。
「……教えてくれない? 中に、何があったの? あの人は教えてくれないのよ」
「……言えません」
レウスは弱々しくかぶりを振る。
「そんなこと言わないで。教えてくれたらこの事は黙っておいてあげるから」
レイナはゆっくりと歩み寄り、そっとレウスの肩に優しく手を添えた。一瞬だけその肩がびくりと揺れる。
「あなたもこんなこと、お兄様には知られたくないでしょう?」
「それでも、駄目です。……すいません」
レウスは力無くその手を振りほどいて、レイナの脇を早足で通り抜ける。
……彼女にこういう態度を取られると、どうにもいけない。断るのが難しくなる。
知っているのだ。こうすれば義理の弟は言うことを聞いてしまうと。
「…………ふ」
そんな去り際、薄く笑うレイナの声がレウスの耳に届いていた。
※
それからレウスは朝まで誰とも顔を会わせること無く、じっと自室にこもってしまっていた。
「何やってるんだろうな、あいつ」
「1人で集中したいのかもね」
事情を知らないショーマは、たまたますれ違った湯上がり姿のメリルと言葉を交わす。
「明日は任務あるんだから、貴方も早く休んでおいた方が良いわよ」
「そうかな。楽そうな任務だし別に……。ああいや、うん。そうしておくよ」
「ふふ。わかってるなら良いのよ」
物言わぬ視線に気圧されてショーマはつい頷いてしまう。メリルはそれを見ていたずらっぽく笑った。
頬が上気しているのは、あくまで風呂上がりだからのはずだと、ショーマは無理矢理思い込もうとするのだった。
そして夜が明けて、また1日が始まる。
ショーマにとっては何でもない、騎士見習いとして過ごす残り僅かな日々の1つになるはずだった。
だがレウスにとっては、運命を大きく変える日となるのだった。
※
護衛の騎士達と共に市街へ出たフェニアスを見送り、グローリアは城内の警備兵の配置を確認する。
空間転移による直接侵入を許して以来、隙の無い配置に意味は無い。十分な戦力を要所へと的確に配することが重視されていた。
今も玉座の間には精鋭と名高いレーデル大隊長を始めとする実力者を配置しており、王の警護は万全を期している。
王を殺害したいのならば、彼らを越えていかなければならない。
直接アーシュテンらと剣を交えたグローリアの経験から察するに、それは不可能な話と言えた。
そう。結局グローリアは魔族に王を殺害させることを許しはしなかった。
ただ、もし……。
奴等がその実力者達の全てを叩き伏せることが出来るというのなら。
その時は。