ep,055 昔日のふたり
「騎士団総動員で国内全土を捜索か。また大胆なことを考えるものだね、うちの兄さんは」
「ローラー作戦ってやつだな」
「ローラ?」
「ああいや。……でもそんなことしたら市街の警備とかどうするんだろうな。総動員、なんだろ? 流石に最低限は残すよな」
「そりゃあね。まあ、多少の危険は承知の上ってことだろう。それにあんなことがあったばかりだから、民間から警備の協力を申し出てくれる人もいるんじゃないかな。それに騎士団で作戦を立てるに当たっては軍師団の支援もあるし、そういうことに考えが至らないってことは無いよ」
「ふうん……」
「僕達はその間に下準備を整える必要がある。敵の本拠地に乗り込むとなれば、あの3体の魔人と交戦する危険も大きいからね」
「……弱気なことは言いたくないけど、俺達で勝てるかな」
「必ずしも奴らを討伐する必要は無いだろう。まずはフュリエス氏を救出することが最優先だ。……君自らあいつを討ち取りたい気持ちはわかるが、いっぺんに全てを行うのは無謀というものだよ」
「……そう、だな。まあ出来るにこしたことは無いし、また今から特訓とかしておきたいな」
「うん。僕も付き合うよ」
「そりゃあ頼もしいね」
グローリアと会った後、ショーマ達は崩れた瓦礫の片付け作業の手伝った。崩落の激しい部分は相応の救難訓練を積んだ者から優先して行っていたため、ショーマ達は単純な片付け作業ばかりだ。
要するに、大怪我を負った人や、瓦礫に埋もれて息絶えた人など、そういう惨状を直視させられるような事態が少なくなるよう配慮されていたということだ。騎士として戦う以上、死がすぐそばにある現実から目を背けることは出来ないが、かといってそう簡単に受け入れられるものでもない。少しずつ慣れさせていこうという方針なのだ。
そんな配慮の中ショーマ達は、布をかけられた遺体が次々と運ばれていく様や、瓦礫と一緒に掘り出される生活用品等から、『ここには昨日まで人が住んでいた』という事実を思い知らされたりと、死というものを少しの距離を置いて見ることになった。
ショーマも自分なりに、辛い想いをした人がたくさんいることは感じたつもりではある。
(早く、なんとかしなきゃいけないよな)
世界を救って欲しい。なんて頼みは、正直な所未だに実感があまり伴わない。それでも眼前に広がる光景に憤る気持ちはあるし、なんとか出来るならしてやりたい気持ちもある。……何より、大切な人への想いもある。
そんな思いを抱き、決意と共にぐっと力強く拳を握り締めた。
※
日が暮れだして帰宅を許可されると屋敷に戻る。
出掛けている間に、避難してきた客人達の部屋割り等はもう割り振り終えられていたようで、数多くある客間の扉には家名を記したネームプレートが掛けられていた。
大体の人は部屋にこもっているようだが、そうでない人達もそれなりに居て、廊下やロビーなどでその姿を見かけられる。
「あ」
「……あ」
ショーマ達は自室に戻る途中、そんな客人の1人であるジェシカに出くわした。
メリルに対して強気な視線を向けるジェシカの姿に、一行は何となく立ち止まってしまう。
「……じゃあな」
が、バムスはひとり素知らぬ態度で素通りして自室に向かっていった。
「……俺も」
「失礼します」
「あ、えっと……」
さりげなくデュラン、ローゼ、フィオンも続く。一瞬気圧されてしまったが、別に彼女に因縁をつけられる謂れがあるのはメリルくらいだ。律儀に付き合う道理は無かった。フィオンだけはせっかく貰ったクロスボウを勝手に改造したことで後ろめたさがあったのだが、特に気付かれることも無かった。当然ではあるが。
「じゃあ僕も……」
続けて退散しようとするレウスを、ショーマがさっと腕を掴んで止めた。
「…………」
恨めしそうに半目を返すレウス。ショーマもなぜ掴んでしまったのか、はっきりとした理由は自分でもわからない。のだが、何と言うか、……逃げられない。そう、感じてしまったのだ。
前の4人がさっさと逃げてしまったこともあり、助けが欲しかったのだと思う。
「……まだこの屋敷に居座るおつもりなのかしら?」
膠着状態はメリルの言葉によって動き始めた。
よりによって開口一番それかと、ショーマとレウスは頬をひきつらせた。
「……ふん。私としても、一刻も早く本社に戻りたいのですけれどね。空手で帰るわけにもいかないでしょう?」
「あら、それで名家のブロウブ家でタダ飯でも頂いていこうって?」
「そんなんじゃっ……!」
「……む」
「……ぁ、……ない、です、わ」
突然怒鳴り声を上げたジェシカ。そしてつい言い過ぎたとわずかにメリルは狼狽を見せる。
……早くも嫌な空気になってきた。
ショーマは肌で感じる。なんとか穏便に場を納めたいが、生憎とそういう経験には覚えが無かった。どうしたものか思い悩む。
「……ああ、ガゼットさん?」
そこへ見かねたレウスが声をかけた。内心ガッツポーズのショーマ。やはり頼りになる男だと、ろくでもない所で感心する。
ジェシカはレウスに向き直って頭を下げる。
「……この度は誠にありがとうございます。荷物をまとめたら明日にでも発たせていただきますので。お礼はまたいずれ」
「いや、そうではなく」
メリルに当て付けるような、礼儀正しいお辞儀を返したジェシカに、しかしレウスはまた別の提案をした。
「少し、お茶でもしませんかね」
「……は?」
応接室のひとつを使い、ジェシカと卓を囲む。対するは誘った当人のレウスと、こうなった原因のメリル。それから流れでショーマとセリア。そしていつからいたのか、主人であるジェシカの傍らに立つ執事の男性。以上6人である。
レウスは彼女をメリルと仲直りさせたいから誘ったのかとショーマは思っていたが、どうもそうでは無いらしい。
「これを」
「?」
レウスが紅茶と一緒に別室から用意してきた数冊の本を差し出すと、ジェシカはいくつもの付箋が貼られたその1冊を受け取る。
「……このことですか」
ぱらぱらと目を通し、何となくの事情は察したらしい。
かつて、300年程前。建国の伝承において、この地を魔族から救った伝説の勇者と共に戦ったと伝えられている英雄達。その1人がガゼット家の祖先であった。
ブロウブ家の祖先もその1人であるが、長い歴史の果て、かつての盟友も今はほとんど交流が無くなっていた。レウスとジェシカが今こうして相対することは、言うなればかつての仲間が時を越えて再会したようなものである。少なくともレウスは概ねそのように考えていた。
「ご存知でしたか。それならば話は早い」
「……所詮、昔のことですわ」
だが、ジェシカにとってはそうでは無かった。
そう、それは昔のこと。偉大な英雄の名を継いでいることなど、今のジェシカ・ガゼットにとってはもう恥でしかなかった。その名を貶めるようなことをしてきたのだ。
「……しかし今、かつて一緒だった仲間がこうして再会しているわけです。これは何かの縁だとは思いませんか?」
「かつての縁で、……施しでもしてくださいますのかしら?」
「そうではありませんよ。ただ、何と申しますか。……仲良くしたいのです。僕は」
「……仲良く?」
「ええ。あなたと、仲良く」
それは他意の無い友好の気持ちだった。もちろんレウスの立場からジェシカと親しい間柄になれれば都合の良いことは多い。それも承知しているし、出来たら良いとも考える。
しかしあくまでそういう下心は抜きで、レウスはただジェシカがメリルの友人であり、そしてブロウブとガゼットにかつて繋がりがあった。という理由で友好を求めていた。
レウスらしい、邪気の無い気持ちだった。
「ふうん……」
それを聞いたジェシカは目を細めながら何か考えを巡らす。そして順番にセリアからショーマへと視線を移した。
「……ああ、彼もそうなんですよ」
ショーマをじっと見つめるジェシカに、レウスはさらっとそのことを告げた。ジェシカはいぶかしむ。
「と言っても血縁というわけではなく、そうですね……。立ち位置が同じなんです」
「立ち位置?」
「……おーい」
ぺらぺらと喋り始めたレウスをショーマは咎める。
「教えるのは嫌かい? 別に吹聴して回るような方では無いと思うけど」
「いや、でもさ……」
「……?」
ジェシカはどういう意味か、色々考えてみるも理解が及ばない。
まさか目の前の珍しい髪色の男が異世界人で、300年前の英雄もそうだったとはとても思わない。
「故あって僕達は彼と共に、……魔族と戦っているのですよ。騎士団とはまた別の方向でね」
「……それは、どうしてです?」
ジェシカはまるで値踏みするかのように、ショーマへと問いかけた。
「どうしてだい? ショーマ」
「俺に言わせるのかよ……」
勝手に話し始めて面倒な所は当人から言わせるとは。
「あー……」
さて、今のショーマにどうして戦うのかと聞かれれば、その理由ももう1つではない。
「……魔族のせいで、辛い思いをしている人がいます。その人達を助けたいから、です」
かいつまんで言えばそんな所である。まあ嘘は言っていない。
「どうして騎士団とは別口で戦うのかしら」
「そこは、その。色々と言いにくい事情がですね」
「ふうん……。で、立ち位置、とは?」
「それは、ちょっと」
ジェシカは納得したようなしていないような微妙な顔つきになる。
そして、薄く笑った。
「……ご立派、なんですのね」
「はい?」
「私にはそのようなこと、とても出来ませんもの。おいそれと命を懸けるような真似なんて」
それはどこか、突き放すような物言いだった。
「今の私はただの商人です。……だから、貴方がたに特別な何かをしてあげられるようなことはありません。かの聖剣もまた、今の私、いえ。ガゼットに振るう資格はありません」
「……?」
「……そうですか。……いや、これはお手上げですかね」
ショーマにはそう肩を落とすレウスの考えがいまひとつ読めずにいた。
まさかジェシカにも伝承と同じ様に、魔族討伐に協力しろと言いたかったのだろうか。祖先がどうだろうと本人の言う通り、今のジェシカとは何の関係も無いだろう。
それともまた別の理由でもあるのか。
……聖剣、と言ったよな。
「……紅茶、ご馳走様。それから、ごめんなさい。今の私は自分のことで精一杯ですから、貴方とお友達になっている余裕も無いんです。取引のお話でしたら伺いますけど」
「ああ、いや……」
話を切り上げようとするジェシカ。引き留めようと言葉を探すレウス。
「あ、あの!」
そこへ、ここまでずっと黙っていたセリアが声を上げた。
「……はい?」
「えっと、その……」
口を開いておきながら言い淀むセリア。横から話を聞いていて色々と彼女なりに思う所はあったのだが、どう言葉にして良いのかまとめられずにいた。ああでもない、こうでもないと悩みながら、その頬を汗が伝っていく。
「……ど、どうしてメリルと喧嘩しちゃうんですか!?」
そして結局、最も気になっていたことを、何の遠慮も無くはっきりとぶつけることしか出来なかった。
(言っちゃったよ……)
誰もが気にしつつ、さりとてどう切り出したものかと二の足を踏んでいたその一言が投げられた。ショーマとレウスは情けないと自覚しつつ、セリアの度胸におののいていた。
(こういうのは女の子同士の方が良いってことかな……)
自分に言い訳をするようなことを考える。ここは取り敢えず様子を見守っておくべきだろうか。
「…………」
ジェシカもセリアもメリルも、誰も言葉を発すること無く、沈黙が続く。
「私は……」
やがて、ぽつりとジェシカが口を開いた。
「この子とは、違うもの」
「……違う、って?」
「ごめんなさい。もう話すことはありません」
そう言い放って、ジェシカは逃げるように応接室を後にする。それを見たお付きの執事が恭しく頭を下げ、後に続いていった。
「あ……」
残されたショーマ達は顔を見合わせ、そしてメリルの様子を窺う。
俯き目を伏せるその顔は、ショーマにはとても寂しそうに見えた。結局この部屋で、2人が会話をすることは無かったのだ。
「……聞いちゃまずいこと聞いちゃったかな」
ぽつりとセリアが呟いた。
「貴方が気にすることじゃないわ」
ふっとため息を吐き、優しい声でメリルは答える。
「でも……」
「良いの」
そしてメリルは、ぽつぽつと自分の友人だった少女のことを語り始めた。
「……昔からあの子は、貴族らしくない子だった。
小さい頃にね、たまたま私とあの子の2人で商店街を歩いていたことがあったの。その時同じくらいの歳の子供達が3人、共謀して泥棒を働いている所を見たわ。私達は力を合わせてそいつらを捕まえた。
結構大変だったけど、……まあそれは良いとして。その子供達から事情を問いただしたら、家が貧しくてお腹が空いていたから盗んだ物を売ってお金にするつもりだった。なんて言ったの。
子供の内からろくでもないことして、こいつら騎士団に突き出してやろうかしらと私は考えた。ジェシカもそれに同意してくれそうだったんだけど、途中で子供達の境遇に同情でもしちゃったのかしらね。『今から盗んだ物を返して店主にきちんと謝ってきたら、私が報酬として貴方達にお金をあげるわ』なんて言い出したの。貴族として貧民に『仕事』を与えたつもりだったみたい。これからはまっとうに働いて、社会の一員としてお金を稼いでみなさい、ってね。
子供達は素直にそれを聞き入れて、言われた通り盗んだ物を返してきた。もちろん店主から思い切り怒られていたけれど。そして約束通り、ジェシカは自分のお小遣いから、……まあ結構な額を渡したわ。貴族だろうが貧民だろうが、子供が持つにはちょっと多すぎるくらいの額だったわね。
で、それからその子供達は泥棒はしなくなった。けどその代わりに、何かあったらジェシカに『仕事』を貰いにやって来るようになったわ。貧しい子供達を見捨てられないあの子も結局、仕事とも言えない遊びのような『仕事』を与えては代わりにお金を渡すようになっていった。
それがしばらく続いて、流石に目に余るものがあったから、私は大人に頼んでジェシカと子供達のやってることを止めさせた。大人に告げ口するなんてひどい。って、私はあの子と喧嘩したりもしたけど、まあある程度時間が経って気付いたら仲直りはしていたわ」
「ひどい話だな」
「……事の是非はさておき、それで、続きは?」
「私はその件を通じて困っている人だからといって、誰でも彼でも助けるべきじゃないという、お父様から聞かされてきたことを初めて肌身に感じたわ。でもジェシカはその後もあの子供達、ひいては貧民層の全てをなんとかしてあげたいと言い出すようになったわ。
まっとうに頑張っている人ならともかく、犯罪やたかりをするような連中を助けてあげる道理は無いって私は返したけど、そう言うとあの子は機嫌を悪くして話はすぐに続かなくなったわ。互いの論は平行線のまま交わらないだろうって思ったのかしらね。
それからずっとそんな感じが続いたわ。段々と顔を合わせることも少なくなって、そしていつの間のかガゼット家は資産をすっかり失っていき、今ではああなってしまったわ」
「……それで?」
いまいち何を言いたいのか見えてこないメリルの話に、ショーマは首をかしげる。
「……それだけよ」
「それだけって……。まあいいや。まさかあの子、貧民層に資産を分け与えていったから家が没落したってのか?」
「……そこまで愚かじゃ無いと思うわよ」
「じゃあ、何で……。いや、と言うか何で俺達にそんな話を?」
「さあ……、何でかしらね」
自分でもわかっていなかったらしい。
「知っておいて、欲しかったのかな。……みんなには、あの子のことを」
「…………」
遠い目をするメリルに、他の3人は顔を見合わせた。
それならそれで言いたいことはわからないでもない。
自分でもどうにも出来ないもやもやした気持ちを、不格好でも外に出したかったのだろう。
「さ、これでこの話はおしまい。今は他に気にしなくちゃいけないことあるでしょ?」
椅子から立ち上がって、話を打ち切るメリル。そして気持ち早足で応接室から去っていった。
「……しょうがない奴だな」
「そうだねえ。ま、気に留めておいてあげておくれよ、ショーマ」
「……ああ」
「うん。セリアも協力してあげてほしい」
「あっ、う、うん……。そうだね」
「何も今すぐに解決しろとは言わないからさ。……それじゃ、僕も行くよ」
そう言ってレウスは部屋を出ていった。ショーマとセリアはまた顔を見合わせる。
2人にとってもメリルは単なる友達以上の存在だ。出来ることがあるならしてあげたい。そこははっきりしている。
ただ、このすっきりしない感覚。
それは、2人の知らない彼女達の過去にある。それは簡単には埋まらない。
どうにかしてやりたいけど、今はどうにも出来ない。
もどかしい気持ちを抱えたまま、ショーマはわずかに残っていた紅茶を飲み干した。