ep,052 魔獣シャドウファンガーとの戦い
王都市街上空を飛行する無数の魔族、『シャドウファンガー』は宙を駆ける竜騎兵達の砲撃によって凪ぎ払われていく。地上からも魔法や弓による攻撃が行われ、その数は次々に減らされていく。
だが王都に配属された騎士達の多くが力を存分に振るってもなお、まるで減っているようは感じられなかった。それほどに、敵の数は多すぎた。
「うおおおっ!!」
アダマンティスナイツの1人が複数の『シャドウファンガー』に襲われる。槍を振るい必死で振り払うも、竜の翼や脚に噛み付かれやがてバランスを崩す。その隙を狙い敵は更に群がっていき、やがて耐えきれなくなる。
騎士の喉笛に鋭い牙が突き立てられる。
「ルドルフッ!」
救援に飛来した騎士が彼の名を叫び上げた。しかし時既に遅し、絶命した騎士は手綱を握る手の力を失い、竜の鞍からずり落ち地上に落下していった。
主を喪った竜はせめて亡骸だけでもと、体中を噛みつかれながらも強引に急降下してそれを追う。
その竜もまた大量の出血をしている。恐らくは主の亡骸を掴まえた所で、再び飛び上がることは叶わずにそのまま地面に激突することだろう。
「……くっそおぉッ!!」
せめてその心意気に報いんと、騎士と竜は眼前を覆う黒い影の魔獣へと魔力の奔流を叩き付けた。
※
そこからまた少し離れた空域。
「ここが市街でさえ無ければな……!」
アッサーは無数の魔族を凪ぎ払いながら、共に愛竜ラフィースラに跨がるグランディスに声を投げた。
「出来ないことを期待するな。口より手を動かせ」
「ふっ、まったく。……承知だよ!」
グランディスの契約した竜の力ならば、こんな数だけが取り柄の魔族などは容易く一網打尽に出来るだろう。だが周囲への被害を考慮しなければならないとなると、それは無茶な相談であった。
グランディスは無駄なことを考えるのは好きではない。今はただ魔法を放ちながら、この状況を打破する最適解だけを考える。
否。答えは既に出ている。こうして空を飛べる自分達が率先して、1体でも多く撃破していく。それが一番確実だ。
……恐らく敵には撤退の考えはあるまい。
市街の人間が殺され尽くすか、魔族の方が全滅するか、2つに1つなのだ。
「やれやれ。終わったらお前ん家に高い酒を頂きに行くからな?」
「……いくらでもくれてやるさ!」
グランディスとアッサー、そしてラフィースラはそれぞれの術式を組み上げ、3つのそれを1つの術式として合成していく。
三角陣術式と呼ばれるそれは、術式の始点と終点が繋がることで魔力の流れが術式内に留まり凝縮され、通常よりも遥かに高い威力の魔法を放つことが出来る高等な魔法の行使法の1つだ。
魔力が発散されないことで扱いは難しくなり、暴発の危険は加速度的に高まるが、この2人と1体ならば問題なく可能であった。
「行くぞッ!」
グランディスの掛け声と共に放たれた、螺旋状に交わる3つの魔力の奔流。竜魔法『ドラゴニックスパイラルブラスト』が魔族の群れを一直線に蒸発させていった。
※
レーデル大隊長の率いる大隊は、地上へ降りてきた『シャドウファンガー』の迎撃に全力を上げていた。
市街に襲撃が開始されてからもう大分経つ。殆どの市民は指定の避難区画に集まられていたが、全てではない。逃げ遅れた者、強情に家の中に閉じ籠ったままの者。まあ色々だ。
レーデルの部隊はそんな市民がまだ残っていないか探し回る。レーデル自身も隊員と共に市街を駆け回っていた。
「……!」
そして路地裏に隠れていた1人の子供を発見した。体を小さく丸め、涙を流して震えている。
「大丈夫だ、こちらへ……」
ぼろぼろで薄い生地の衣服を纏い、身体中埃と痣にまみれた子供だった。
どこぞの貴族に違法な奴隷として買い付けられ乱暴をされていた子が、この騒動に乗じて逃げ出してきたと言った所だろうか。
この手の業者はかなりの数が既に摘発されたはずだが、いる所にはいるものだった。
怯える瞳を向けるその子供に、レーデルは優しく手を差し伸べる。
「! ……くっ!」
その時、路地裏の影に紛れて『シャドウファンガー』が現れ飛び掛かってきた。子供を庇いながら、レーデルは剣を振るって素早く始末する。
「大丈夫だ、必ず守る……!」
レーデルは腕に抱えた子供に強く呼び掛ける。例えどんな出自であろうと、この子もまた等しく守るべき民であった。
そう、この子供の管理者も探し出して保護しなければ。どんな外道であるにせよ、正しく罪を認めさせ罰を与えるにはまず、生きていなければならないのだから。
※
そしてレウス達やステアを捜して市街を行くショーマ達。
襲い掛かる『シャドウファンガー』の対処もしながらなので、ろくに進めない。くどいようだがとにかく数が多い。周囲を見れば視界に入らないことは無いほどだし、上空を見れば所々陽光が遮られているほどだ。こんな状況なら適当に魔法を撃っても確実にどれかには命中するだろう。
そんな中をショーマはセリア、フィオン、ローゼらとの4人で背中合わせになり敵の迎撃をしながら仲間の姿を捜す。メリルはサフィードに乗って上からの敵を抑えていた。
「ああもう、くっそ……」
しかしショーマは絶え間無く周囲に現れる『シャドウファンガー』に舌打ちをする。正直な所、敵の対処だけで手一杯であった。
5人全員が同じだけの戦力を持っている訳でもない。必然的に強力な魔法の使えるショーマが負う負担も多くなる。
「ショーマくん、大丈夫……?」
「大丈夫だよ……!」
隣で魔法を放つセリアが心配して声をかけた。
数は多いが単体はさほど強くない。対応は難しい訳ではないのだ。ないが、こうも忙しなく襲われては仲間を捜す余裕も無いし、ちょっとしたミスでやられる可能性だって出てくる。
そこへ、
「あ」
「じゃららーん! ステアちゃん登場ですよ!」
馬鹿っぽい擬音を発して大剣を振り回すステアが戻ってきた。
「どこ行ってたんだお前! ……大丈夫、だったか?」
「いやまあちょっと野暮用で。大丈夫かと言われると大丈夫かどうか微妙な所ですけどまあ大丈夫じゃないですかね? ……おっと」
ステアはのらりくらりと誤魔化すと、後ろに迫っていた魔族に大剣を振るって両断した。
「……怪我とかしてないのか?」
「ちょっと転んだりはしましたけど問題無いですよ。これ終わっておうちに帰れたらおにいさんに手ずからお薬塗ってもらえばすぐ治っちゃいそうな程度ですって」
「……そうか、わかったよ」
ショーマにはそう言うステアが何となく弱々しくて、どこか強がっているようにも見えた。だが確かに急を要する感じでは無さそうだ。今は素直にその言葉を受け止めることにする。
「……ここに来るまでレウス達は見なかったか?」
「見てないですよ」
「そっか……」
ステアも加わり6人で迎撃を再開する。少しは楽になったが、結局事態は動かないままである。
そのまましばらく戦い続け、他のメンバーの体力が不安になってきた頃。
騎士団の部隊、十数名ほどが魔族を蹴散らしながらショーマ達の元に向かってきた。
「おい! 君達大丈夫か!」
隊長らしき人物が駆け寄って来て声をかける。他の隊員達は迅速に展開し、ショーマ達を庇うように立った。
「俺達は大丈夫ですけど、仲間とはぐれてしまったんです。捜さないと……!」
「何? そうか……。よし。君達だけでは危険だろう。我々と合流して捜索を行おう。……それで、君達の所属は?」
「あ、俺達は……、ってうわっ!」
ショーマは自分の肩に痛みが走ったかと思うと、突然その体が浮かび上がって思わず驚きの声をあげる。
サフィードの脚がショーマを掴んで浮かび上がったのだ。
「すみません、その子達お願いします!」
素早く飛び上がったサフィードの背から、メリルが叫んだ。
「お、おい何やってんだ!」
肩を掴まれ宙吊りにされたままのショーマは説明を要求した。
「……あいつら蹴散らすのに貴方の魔法は勝手が良いでしょ!」
「はあ!? あ、いや、だからって……!」
「あの子達を置いていくわけにもいかないからさっきまでは駄目だったけど、騎士の人達が来たから大丈夫でしょ!」
「いや、まあ、うん? そうなのか……? あ、だからって掴むこと無いだろ!」
「……む」
メリルは少し黙ったかと思うと、サフィードに何事か囁く。するとサフィードはその脚を器用に動かしてショーマを背中に乗せた。
「うわ、お、うお」
「……落ちないでよ?」
「お、おう……」
メリルとは背中を合わせた形でショーマはサフィードの背に跨がる。竜の背に乗って空を飛ぶというのは初めての経験だが、結構危ういバランスなようで、意外と不安を感じない。何とも不思議な感覚だ。
「うおっ」
サフィードは上昇を続け、間も無く『シャドウファンガー』が舞い飛ぶ高さにまで到達する。
「じゃあいくわよ。……魔法、地上や他の竜騎兵にぶつけないでね」
「……ああ、わかってる」
地上を見下ろすと、セリア達はもうかなり小さくなっていた。ステアが何か叫んでいるように見えるが、声までは届かない。
……竜は誇り高い生き物。主以外のために力を貸すようなことはしない。
そんなことを聞かされた覚えがある。ならば今はよっぽど特殊な状況で、名誉なことでもあるのだと、こんな時ながら気を引き締める。
そしてすぐにサフィードは滑空を開始した。ここは大人しくメリルに従い、大量に飛び交う魔族へ向けて思いっきり魔法をぶちこんでやることにする。
「『バーニングブレイド』……!」
素早く魔力を込め術式を組み上げると、炎で作られた巨大な剣が浮かび上がる。そして更にその左右に、同じ物が2つ。
上級魔法の3重詠唱。メリルや訓練所の魔導師からみっちり鍛えられて会得した技術だ。広範囲に及ぶ破壊力があるため中々使う機会が無かったが、この状況なら何も問題あるまい。
「いけえッ!」
3方向に射出された炎の巨大剣はこちらに向かってくる敵を焼き尽くしながら飛翔し、ある程度飛んだ所で大爆発を起こし、更に無数の魔族を消滅させていった。
同じくメリルも魔法を放ち、魔族を消滅させていく。
前方はメリル、後方はショーマ。2人は協力して次々と魔族の群れを消滅させていった。
「…………」
メリルはちらりと後ろを見る。
言われたことを素直に受け止め、そしてその通りに戦っているショーマ。つまらない言い訳を、まるで疑いもせずに。
「違う……」
言い訳ではない。魔族を討伐しなければいけないのは当然だ。こんな状況ならば、戦力になる自分達が積極的に戦うべきなのも当然だ。
メリルは必死にそう思い込む。
「私は何も間違ってない……」
誰にも聞こえないよう自分に言い訳しながら、メリルは八つ当たりのように目の前を飛んでいく魔族を撃ち落としていく。
この人をあの子達から引き離したかっただけ。
そんなこと、考えてなんかいない。
誰にも聞こえない小さな呟きは、ただ心を交わした竜にだけ届いていた。
※
一方レウス達はワグマン邸に到着する。
この辺りは被害が大きかったようだが、屋敷はガラスが数枚割れている程度の被害しかぱっと見ではわからない。レウスは何らかの防御結界を展開していたのだと予想した。
「父上!」
バムスが玄関先に立っていた父、グラムスに駆け寄った。
腕を組んで足を広げ、顔付きも険しく隙無く佇んでいた。
「ご無事でしたか」
「ああ、お前の危惧するようなことは何も無い」
「そうでしたか。……それでは」
バムスは数度父と会話を交わしただけで、すぐにこの場を立ち去ろうとする。
「お、おい、もう良いのかよ」
デュランが引き留めようとする。
「俺達は急いでいるんだ」
「それは、そうだが……」
屋敷を見上げるデュラン。すると丁度ガラスの割れた窓枠から、バムスの妹のベルナデンが、兄の声を聞きつけて顔を覗かせた。
「危険だぞ、ちゃんと隠れていなさい」
グラムスが叱責する。バムスはさっと背を向けて、妹に顔を見せようとしないでいた。
「お兄様……!」
バムスは厳しい口調で答える。
「この屋敷は父上が守ってくださる。安心しろ。……俺は見習いと言えど騎士として、民を守りにいかねばならん」
「でも……」
「良いから隠れていないか……!」
「……っ!」
怯えたように肩をすくめたベルナデンが、ゆるゆると部屋の奥に消えていく。それを見送ったデュランは、バムスにどう言ったものかと口を開いたが、結局何も言えなかった。
バムスがここに残りたい、残って愛する妹を自分の腕で守ってやりたい。そう思う気持ちを察したからだ。顔を見てしまったら、もうその気持ちを抑えられないだろうということも。
「父上、それでは今度こそ」
「ああ」
「……行くぞ、2人とも」
「すまないね」
レウスが気持ちを察して苦笑しながら言った。
「フン。お前に詫びられる筋合いは無い」
「そうかい? ……それでは、失礼します。グラムス殿」
「うむ、武運を祈っている」
レウスはグラムスに頭を下げて、門をくぐっていった。バムスもすぐに続く。
「武器庫へ寄っていくぞ。少しは備えがある」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
ベゼーグとの戦闘で武器を失ったレウスは丸腰だった。どこかで補充したかったが、ここまでその機会が無かったのだ。
2人に着いて行こうとしたデュランは、ふともう1度屋敷を見上げる。
何故か、ベルナデンのことがやけに気にかかる。
あの表情。ふと、誰かを思い出しそうになるのだ。
(ああ、そういうことか……)
まだこの国が隣国と戦争中だった頃。デュランの父は騎士でこそ無かったが、兵士として何度も自分を置いて戦場に出ていった。
その度に母から、これが父さんとは最後のお別れになるかもしれない。そう言われ続けてきた。
だから、大切な人が戦場に赴くことの不安というものは、デュランにもよくわかっている。
……今自分は、それと同じ気持ちを抱いている少女を目の当たりにした。
そう。彼女は、昔の自分と同じなんだ。
となるとバムスは……、父と同じ、なのだろうか。
(……父さんも、戦いになんて行きたくなかったのかな)
そうだ。なら……。
……彼女を悲しませないために、バムスを死なせないでやりたい。
残す者と残される者の恐怖。
それを振り払うために、……自分は戦いたい。
何も無かった自分が、ただ無為に磨いてきた体。
その努力を開花させるための、目標。
この時デュランは、それを見付けられた気がした。
※
翼竜サフィードと共に宙を舞い、魔族を撃ち落としていくショーマとメリル。
「おい、あそこ!」
ショーマは市街を見下ろし、『シャドウファンガー』の一群が広い庭を持った建物に向かって降下していくのを発見した。その庭には建物内に逃げ込もうとする大勢の人影も見える。
「教会の支部ね……。避難民の受け入れをしてるみたい」
「早く行かないと!」
「わかってるわよ!」
サフィードは体を傾け降下を始める。
「……騎士団は来てないのか?」
「この辺りは教会の管轄だからだろうけど……、まったくこんな時くらい融通利かせなさいよね!」
メリルは降下しながら『アイススピア』を放つ。『シャドウファンガー』の群れの数体を貫き、更に連鎖して次々と凍りつかせていく。
だがそれを潜り抜けた何体かが、避難民達に向けて降下していった。
「……!」
その1人に爪を向ける『シャドウファンガー』。
しかし横入りした何者かが、それを蹴り飛ばして阻止する。
「行け!」
ワグマン邸から戻る途中、この教会前に通りがかったバムスであった。少し遅れてレウスとデュランも迎撃に参加する。
「あいつら、無事だったか……!」
ショーマは仲間の無事を確認出来て安堵する。
「メリル! 行こう!」
「ええ!」
避難者が建物内に逃げ込む時間を稼ぐため、レウス達は地上、ショーマ達は上空から『シャドウファンガー』げ迎撃する。
周囲からある程度掃討し終えると、ショーマ達も地上に降りてようやっと合流する。
「やあ。他の皆はどうしたんだい?」
「ああ、騎士団の人達に保護して貰って、俺達は今みたいに空飛んで攻撃を……」
「そうか。どこの部隊?」
「え?」
「だから、保護して貰った部隊はどこの所属か、って」
レウスの質問にショーマは疑問符を浮かべる。
どの部隊に助けて貰ったかわからないと、こちらから探して合流も出来ない。
「……どこだっけ」
「……急いでたから、聞きそびれちゃったわ」
「なんだい、君らしくないね」
「…………む」
レウスはショーマだけならともかく、メリルまでそんなことを言うのを不思議そうにした。
「……まあ良い。とにかく今はここをしのぐよ!」
「おう!」
まずは目の前の敵から。レウスは気を引き締めさせた。
敵の数はだいぶ減ってきたが、まだ安心していい程では決してなかった。