ep,005 目指すべき道 (2)
朝。いつもと変わらぬ笑顔でリノンはショーマを見ていた。
「おはようございます。今日も頑張ってくださいね」
「おはようございます……。えっと……、その」
昨日かけられた言葉が気になってしまう。どう相対したものか。
しかしリノンはまるで変わることの無い様子で、やっぱり自分の考えすぎなのだと思ってしまった。
「あ……、鍵です……。はいこれ」
結局そんな事務的な会話しか出来なかった。
「はい。お預かりします」
「そ、それじゃ」
「はい。お気をつけて」
かくして、なんとなく逃げるようにショーマは寮を出てしまった。
※
黒魔法科。
今日は実践ではなく、教本を読んでまた新しい魔法を修得する日だ。
黒魔法科の授業内容は、教員の解説を聞きながら、配布されたり室内に蔵書されている教本を自分で解読しながら読み込み、それぞれ自分のペースで修得していく。出来たと判断したなら教員にその結果を試験してもらい、合格を貰えれば定期的に行われる実践訓練を受けられる。そこで実際にその魔法を発動し、成功できれば正式にその魔法の修得が認定される。
それとは別に戦術、戦略考察を主とした講義もあり、そこでは修練の手を止め戦場での立ち回り等を指導してもらう。
最終的に規定以上の魔法を修得し、魔導師としての知識が十分にあるかを確認する筆記試験をパスすれば、黒魔法科は修了とされる。
ちなみにこの辺りは白魔法科もほぼ同じである。
ショーマはまず知り合いの姿を探す。すぐにセリアが見つかったが、どうやら別の生徒と話している様子であった。
どうしたものかと迷っていると、向こうの方から見つけられてしまった。ショーマの気をよそに、早く来いと手を振っている。
「……おはよう」
「おはよっ。……ねえねえねえ、この人がほら例の」
挨拶をすると早々、セリアは一緒にいた女子生徒達にショーマのことを紹介しようとする。
「れ、例の王子様ですね!」
「だから違うって!」
「あ、ごめんごめん。彼が例のショーマ君」
「どうも」
「で、この2人はミモットとコニー」
「ショーマさん……、ですよね。私はミモット。セリアちゃんから聞いてます」
「コ、コニーって言います。ど、どうも……。へへ」
セリアから紹介された2人は挨拶する。
「ショーマ・ウォーズカです」
倣ってショーマも挨拶を返す。
「昨日あの後色々考えてね、この際集まって一緒に読んでみようか、ってことになったの」
セリアが現在の様子を語る。
「首尾は?」
「まあまあ……、ってとこ?」
「まあまあか……」
曖昧な表現だった。今日も四苦八苦は続きそうである。
ショーマも一緒になって悪戦苦闘していると、
「おはよう」
いつの間にか隣の席にメリルが座っていた。
「うわ、びっくりした」
セリア達も驚いていたようだ。もっとも彼女らは、かのドラニクス家の人間が、という点に驚いたのだが。
「……随分と仲が良さそうね」
「え、あ、いやこれは……」
どこか不機嫌そうな声音に若干顔がひきつる。何か嫌なことでもあったのだろうか。
「あ、この子達、教本が難しくて悩んでてさ、手伝ってやれないかと」
「ふうん……?」
セリア達に目を向けるメリル。
「あー、あ、あの、その」
つい気圧されるセリア達。
「何かしら?」
言いたいことがあるなら言ってみろとばかりに、メリルは挑むような視線をセリアに突き刺す。間の席にショーマを挟んで。
一方でセリアはいつものはつらつさはどこへやら、思いっきり目が泳いでいる。
(何この状況……)
ミモットとコニーは声も出ないようであった。これではいじめのようではないか。
だが均衡を破ったのはセリアの方であった。
「あああ、あの! わた私達だけじゃ、あの、これ、魔法教本、その、ちんぷんかんぷんで!」
「…………」
「あ、でも全く手がつけられないほどでは無いんですけど、この調子じゃ初級魔法にどれだけ時間かかるか知れたものじゃないなーって、ああああのその」
「……それで?」
「おおお、……お力を、ドラニクスさんの、お力を貸して貰え、い、頂けたらなんとか、なるかも知れないかなって!」
「私の力を? 貸してほしい?」
「は、はい! 貸してほしいです!」
「あ、お、お願いします!」
「お願いします!」
物凄くしどろもどろになりながらも、セリアはなんとか力を貸して欲しい。その言葉を口にした。その様子に驚くばかりだったミモットとコニーも、最後には一緒に頭を下げた。
対するメリルは悠然と構え、実に落ち着いた様子だった。
さすがに異様さを感じたショーマだったが、メリルにはそうでも無かったようだ。鋭い視線のままセリアの頼みの言葉を、時折誘いながらじっと聞いていた。
しかしてその返答は、
「良いわよ」
えらくあっさりしたものだった。
「え、良いの?」
驚いたのはショーマもであった。
「自分達では手に余るかもしれない、と、ちゃんと認めた上で私に頼ったのでしょう? ならば責任を持って手を差し出すのが上に立つ者の務めです」
「上って……」
確かにメリルの家は上等な名家らしいが、同じ学生だろうにそこまで態度がでかくて良いのかとショーマは思ってしまう。
「あ、ありがとうございます……」
だが当のセリア達は安堵して、すっかりおとなしくなってしまっていた。
「本当は最初の1冊目は自分の力で読み取ってほしかったけど、まあ良いわ。
……じゃさっそく始めましょう。まずは文字に込められた魔力の属性を把握することから始めるのが良いわね。『アイスストーン』は教本も含めて初心者向けとして作られているから、使われている属性も分かりやすくただ1つよ。何か分かる?」
さっそくメリルはヒントを与え始めた。
「えっと……、なんだろ」
「青、でしょうか」
セリアにはわからなかったようだが、ミモットが答えた。
「そう。正解。自分の属性に近いと分かりやすいと言うけど、慣れればその辺はあまり問題は無いわ。
属性が分かったらそれに対応する方法で、今度は自分の魔力を流し込むの。同じ属性なら文字の魔力を濃くするように、半属性なら割り込んで押し出すように、といった具合ね。ぼんやりとした状態の魔力を感じられやすくするのが目的。やってみて」
「あ、はい! ……んん、ちょっと、難しいですね」
「最初の内はゆっくり丁寧にを心がけると良いわ。何度もやっていくうちに慣れてくるから諦めないで。
……よく言われる、修得に2週間前後かかる。というのはね。この事に気付くまでに1週間。そして後の1週間で全文を読み取るから、と言われてるわ」
「じゃあ私達は……」
「まだ1週間かけて、焦らずじっくり頑張る必要があるわね」
「おお……!」
メリルの指導を受け、セリア達3人は感銘を受けているようだった。1ヶ月かかるかも、なんて弱気だったのを思えば、それも当然だろうか。
「良かった……。正直絶対断られると思ってました……。これで何とかなりそうです」
「貴方達のその姿勢が良かったから、応えたの。調子に乗っちゃだめよ」
「……あ、はい! ありがとうございます! もうちょっと頑張ってみますね!」
「『もうちょっと』じゃなくて『最後まで』」
「はい!」
「正直俺も意外だったよ」
せっせと教本を読み解いている3人を横目に、ショーマはメリルに話しかける。ひょっとして教えたくてしょうがなかったのでは? とすら思った。
「上に立つ者の務め、って言ったでしょ」
「そこが良くわからないんだけど」
「ああ……」
メリルはそういえばショーマが一部の常識も忘れていることを思い出した。
「この国では、貴族と平民の差が強いってのは、分かる?」
「平民は本当は士官学校にも入れてもらえないし、寮も分けられるんだろう?」
「そんな程度じゃ無いわよ。もっと過激な考えをする人もいるし。平民を人間扱いすらしないという貴族も珍しく無いわ」
「そんなに……?」
「その辺の考え方はまあいくらか違いがあるけど、少なくとも到底埋められない貧富の差なら、確実にあるわね。
……私は生まれつき何でも持ってる富裕層の側で、貴族も平民も平等であるべき。なんてまったく思わないくらい、身も心も貴族であるつもりだけれど、だからこそ貴族は……、『力』を持っている者は、持っていない者に『責任』を負うべきだと考えるわ」
「責任?」
「例えば武力であるとか、権力であるとか。財力等も。使いようによっては人の命くらいなら簡単に左右できてしまう。そういう『力』を正しいことに使うという、『責任』。
ただ無闇矢鱈に施しを与えれば良いって訳でも無いわ。力を持つ『強い者』は力を持たない『弱い者』をただ無条件に守るため、その力を行使すれば良いのではない。それは結局『弱い者』による立場を利用した『強い者』の支配と言う、逆転構造なだけ。
だから、強い者は『力』を真に必要としている者を見極め、必要な分だけを与え、あとはその者自身の『力』に託すの。さっき私が彼女達にしたようにみたいにね。
弱いことを自覚し、強い者に頼る。強い者は力を無闇に振りかざさず、助けを求める声に応える。助けられた者は、結果を果たすことでその恩に報いる。
当たり前のことを認め、真摯に受け止める。それが『責任』という物。強い者と弱い者のそれぞれにとってね」
「……自分じゃどうしても出来ないことには力を貸すけど、出来ることには貸さないってことか。助けてもらった側は、ちゃんとそれを活かして最後まで目標を達成させる」
「かいつまんで言えば、そういうことね」
少し長い話を聞かされてしまったが、メリルの心根にしているものがどこか見えた気がした。
「貴方はどうなの?」
「え?」
「貴方は自分の『力』を責任持って扱える?」
……その問いかけは、何か大事なことを試されている。そう、感じられた。
考える。
メリルの言うことに賛同するならば、力に責任を持つということは、自分の『能力』をただ制御できれば良い。という考えでは間違いだ。とりあえず誰かに迷惑をかけるようなことが無ければそれで良い。という考えではなく、この『力』を求める者がいた時、それに応えて初めて『責任』を持ったと言えるだろう。
だが、それはショーマが『強い者』であるならの話だ。
そんなことは無い。力なんて欲しくなかった。誰にも迷惑をかけないようしっかり押さえつけて、静かに暮らすならそれで良いだろう。誰かの助けになんて応えられない。自分は『弱い者』なんだ。……そう言って否定の意思を表せば、その意見はきっと認められるだろう。
どちらを選んでも、きっと彼女は受け入れる。
ならば、選ぶのは、ショーマがこの『力』をどうしたいか……。それによる。
それなら……。
「持ちたい。と考えているよ」
選んだのは『強い者になりたい』だった。
「……でも今ははっきり『持っている』とは言えない。今の俺には……、自分を支えられる物が無いから。目指すべき物を、見つけられていないから」
それが偽りの無い今の気持ちだ。他人に迷惑をかけたくないという考えは、結局のところ過去の経験から来るものでは無い。あくまで記憶が無いなりにだが、一般的で常識的な感覚によるものだ。
何より、支えに出来る物を探そうとは、昨日決めたばかりだったのだから。
――私は、ショーマさんに守ってもらえたら、嬉しいです。
あの言葉に応えたいと、思った。
「そう……」
メリルはそれを聞くとしばし黙考し、
「悪くない答えだと思うわ」
優しく微笑んで、ショーマの意見を認めた。
「……ありがとう」
「……そうね。じゃあ、そう思うならさっさと行動しましょうか」
「え?」
「ちゃんと責任、持てるよう。まずは下級魔法から順に使いこなせるようにしていきましょう」
メリルは椅子から立ち上がる。
今は、授業中だった。
「あー、ところでレウスは……?」
「今は剣術科に行ってるわ。ここに来る前会って話したから。何か気になることがあるみたい」
(デュランのことかな……)
「それよりさっさと覚えるだけ覚えて試験受けて実践しに行くわよ」
メリルは本棚から下級魔法の教本を見繕い積み上げていく。
「俺は覚えることより経験を積みたいんだけど」
「覚える物覚え尽くしたら、いくらでも実践させてもらえて経験積めるんじゃない? 下級魔法なんてそんな扱いに困るものでも無いし、それならさっさと済ませて中級上級に時間をかけるべきよ」
「そ、そういうものかな……」
それにしてもなぜこんな協力的というか、強制的なのだろう。そんなにさっきの問答が気に入ったのだろうか。
「それに貴方の言っていた……、不用意に魔法を発動させて迷惑をかけたくない? って言うのも、正直、志が低いと言えるわね」
「う、わかってるよ……。俺も『責任』、てやつを持ちたいし」
「なら口答えしないでさっさと読みなさい」
「はい……」
初級魔法教本、13冊が積み上げられていた。
※
「目が疲れる……」
魔法教本を読み解くという行為自体に苦は無いも同然なのだが、13冊の本を一気に目を通すというのは普通に疲れる行為だった。
――ちゃんとこの後の白魔法科でも下級魔法はさっさと覚えておくのよ。良い?
白魔法科には参加しないメリルは釘だけ刺して、自分は竜操術科の授業に行ってしまった。
白魔法は人の怪我を癒したり、瘴気を祓ったりと、割と分かりやすく人の役に立つ魔法が多い。『責任』を持つならこちらの方が活躍の機会は多いかもしれない。
「やあ、ショーマ。おはよう」
授業が始まるまで教室で待機していると、レウスに声をかけられた。
「ああ、おはよう。剣術科行ってたんだって?」
ショーマも挨拶を返す。
「ああ。昨日は中々良い経験が出来たからね。体を動かしたくて」
「あ、昨日の……、結局どうなったんだ?」
攻め立てていたのはデュランだったが、結果自体はほとんどレウスによる一方的なものに見えたが。と言うか、良い経験って……。
「結局彼の方がダウンしてしまったよ。回復魔法もかけておいたし、大丈夫だろう。今日は来てくれなかったけど」
「お前が痛め付けすぎて嫌になったんじゃ……」
「そのくらいでへこたれるような人物じゃないさ。剣を交えればそういうのはわかる」
「そういう物か……?」
楽観的な所がありそうなレウスだ。なんでもかんでも好意的に考えているだけじゃないかとも思ってしまう。
「それより君も、何だかお疲れ気味のようだね」
「ああ、まあ……ちょっと積極的になってみようかと」
「へえ……? 聞かせてくれよ」
「ああ……」
※
それからというもの、時間は矢のように過ぎていった。
やりがい、とでも言うのだろうか。これから進みたいと思えることを見つけたショーマは、駆け抜ける様に日々を過ごしていた。
そして入学から約4週間。ショーマは中級魔法のいくつかまでを修得し、一番最初に覚えてしまった上級魔法、『サンダーストーム』を含めた実践訓練を行うため、士官学校から少し遠出した場所にある、廃材置き広場に来ていた。
ちなみについ先日、無事3つ目の初級魔法を修得し、一緒に参加できそうだと喜んでいたセリアは、ショーマとは別の場所で行うことを知り、とても残念がっていた。
今日の実践は広範囲に効果が及ぶ黒魔法を修得した者のためであり、ショーマを含めて4人のみの参加となっていた。他の参加者は双子のリシウス・オーディナ、サーナ・オーディナの兄妹と、竜操術科の合同授業として参加しているメリルである。
指導教員は黒魔法科からラーニャ教員と竜操術科からアウディ教員が参加し、さらには大きな魔法を使うため、補助員として騎士団から派遣されたルーシェ・ヴィアンヌが参加していた。
「騎士の人まで来るのか……」
「失礼の無いようにね」
ショーマはメリルと囁きを交わした。
……思えば不意にこの『サンダーストーム』を放ってしまったことが、今ここにいることの始まりだった。
この力を制御する。それが最初の思いだった。今はもっと、『活かす』ことを考えている。
「それではさっそく始めましょうか。まずはショーマ・ウォーズカ君」
「はい」
上級魔法『サンダーストーム』。暴風を巻き起こし対象を閉じ込め自由を奪い、その中に強烈な雷撃を次々と撃ち込む黒魔法だ。その威力はまさに破壊的。大軍勢を一撃で凪ぎ払うとも言われているほどだ。
ゆっくりと魔力を練り上げる。以前は慌てていて、ほぼ無意識にかつ急速に練り上げてしまっており、精度がかなり雑だったことが今ならわかる。
続けて術式を組み上げる。こちらはそう形が崩れたりもしない。落ち着いて確実に行う。
「うん。出来ましたね。では一発派手にやっちゃっていいですよ」
正直なところまだ怖いという気持ちはある。あの時の失敗。死傷者こそ出なかったものの、ずいぶんと背筋が冷える思いをした。学校の授業が始まってもすぐには積極的になれなかったのもそのせいだ。
でも今は、違う。
「『サンダー……ストーム』!!」
目標と見定めていた廃材の一角を中心に、風が巻き起こる。一瞬にして砂と廃材を巻き上げ、暴風へと成長する。そして激しい雷鳴が数秒間に渡って鳴り響く。
やがて風がかき消えると、その場はまさに焦土。雷撃を受けいくつかの廃材には火が燃え移っていた。
「はい。良く出来ました。もうちょっと強く魔力を込めても良かったですかね」
「あ、はい。ありがとうございます」
「はい、では次はオーディナ兄妹方。……今日は人数が少ないのでたくさん練習出来ると思いますよ」
ショーマの様子に、満足がいっていないことを見抜いたラーニャ教員は助言をする。ショーマとしても、今日はそういう期待をしていた。
「まあ、これからって感じかしらね」
そっけない感じでメリルはショーマの『サンダーストーム』を評価した。
「そうだね。これからだ」
ショーマは軽い言葉でも真摯に受け止める。
その様子にメリルは意外そうな顔をしたが、すぐに少しだけ不機嫌そうな顔になり口を尖らせた。
「……ふんだ」
その様子にショーマは笑みをこぼす。
「ほら、そろそろメリルも準備しなよ」
「わかってるわよ」
……いつの間にか、さん付けやめてるし。
ひっそりと誰にも聞こえないよう、セリアはひとりごちた。
※
若い騎士候補生達を見つめる騎士ルーシェには狙いがあった。
既に抜きん出た才を持つ者を見極める。それこそ将軍級の器の持ち主。はたまたもっと大きな、国を動かしていくことになるであろう、未来の力を探し出す。
騎士団大隊長の1人、ブレアス・ブロウブの命であった。
――せっかくだ。そろそろ戦を経験させて良いと思える者を見繕ってきてくれ。
……まだ学び始めて1ヶ月弱。さすがに時期尚早すぎるとルーシェは考える。だが、将軍級ともなりうる者ならば、たかが中隊長の自分の考えよりずっと上を行くのかもしれない。いや、そうでなくては困るのか。
……慎重に見定める必要がある。ルーシェはまずはこの4人の若者達をくまなく見定めることとした。
2012年 03月01日
話数表記追加、誤字等修正