ep,040 別れの日
ロウレンの遺体が発見された場所には、すでにかなりの人だかりが出来ていた。
無惨な遺体と血塗れの石像は善意の市民が布で隠したが、騎士団が駆けつけた時にはもうこの件に関する噂は市民の間にはかなり広まってしまっていた。
騎士団員が野次馬を追い払いながら、その後ろでは薬師術師や魔導師達が現場を詳しく調査していた。指揮を執っているのは総団長グローリアだ。
そこへ連絡を受けて、急ぎ駆け付けたレウスが到着した。
「兄上……!」
レウスはまず兄の元に駆け寄り、事の真偽を確かめようとする。
「……別れを済ませておけ」
グローリアは目を閉じて、ひっそりとそう言った。
「……では、……本当、なのですか」
「……早くしろ」
グローリアは苦々しい顔付きで、弟を急かす。
レウスは足取りのおぼつかない様子で、騎士達が集まっている所へ向かう。
「……どうぞ」
レウスに気付いたその内の1人がそこを退いた。
苦悶の表情で血に塗れた、敬愛する師匠の変わり果てた姿がそこにあった。
「……あ」
それを見て、堰を切ったようにレウスの両目から涙が溢れていく。
浅黒く染まりつつあるその肌は、触れればきっと冷たく固いのだろう。
……その様に、父の葬儀の日を思い出してしまう。
冷たくなった父の体を見つめて涙していた自分を、この人が優しく肩を叩いてくれたことも。
この人がいてくれたから、自分は立ち直れたのに。
「うあああああ……!!」
ああ。
この人は、死んでしまったんだ。
ずっと年上の人なんだから、いつかはそんな日が来るって、覚悟していたつもりだったのに。
そんなもの、これっぽっちも出来ていなかった。
ひとしきり涙を流したら、兄に伝えなければいけないことがあったことを思い出し、気丈に立ち上がる。
「……兄上、お伝えしなければならないことが」
「……見せろ」
レウスが手紙を差し出し、グローリアはそっと受け取る。
書面に纏めておいて良かったとレウスは思う。こんな心境で、過不足無く正確に伝えられる自信は無かった。
グローリアは持ち前の速読術で素早く目を通し、昨夜ブロウブ邸で起こった事態とそれに関わる全てが書かれたそれを頭に入れた。
「……アーシュテンなる男と、その『種』とやらについては了解した。その被害者の女性に対する施設はこちらで用意させよう。……それ以外のことはお前に任せる」
「……あ、はい」
フェニアスとフュリエスのことや、ステアのことにグローリアは言及しなかった。任せる。とも言った。
「……ロウレン殿からは、いかなる残存魔導反応も未だ出てはいない」
「……え?」
グローリアの言葉にレウスは静かに衝撃を受ける。
自ら命を断つなんて、とてもロウレンのするようなこととは思えない。ならばやはりリノンのように、あの『種』か、もしくは他の何らかの催眠魔法か何かにより、心を操られたのではないかとレウスは考えていた。しかし、そのような反応は無かったと言う。
植え付けられた人物が死亡すると『種』は痕跡も残さず消滅するのだろうか。魔族が死亡して魔導エネルギーが消え去るように。
……そう、思いたかった。あのロウレンが、操られたわけでもなく自らの意思で、そんな不忠な真似をしたとは考えたくなかった。
「そろそろ訓練所へ向かえ。今日も訓練は行われる予定のはずだ」
「……はい。失礼します。……総団長殿」
「うむ。……折れるなよ。レウス。お前は……、私の弟なのだからな」
「……はい!」
※
離れて待っていた小隊の仲間達の元に、レウスが戻ってくる。誰でもロウレンの側に近寄らせてくれるほど騎士団も甘くは無いのだ。
レウスはロウレンの弟子の1人であり、彼の人となりをよく知っている人物だから特別に会わせて貰えただけだ。少なからずは兄の配慮もあったが。
「……本当、だったんだな」
いち早くデュランが確認をする。1度だけとは言え、デュランもロウレンの指導を受けた身だし、強さの象徴として強く意識していた人物だ。その死には驚きを隠せない。
「ああ。……それから、彼の遺体からは今の所、何らかの魔導反応があった形跡は見られていないそうだ」
「魔族に操られたというわけでは無いってこと?」
「おそらくはね」
「くそッ……!」
デュランは苛立ち地面を蹴る。
「……市民の間でも下らない噂が広がっているようだ。……臆病風に吹かれたのでは無いか、とさ」
バムスは周囲を通り過ぎる人々に聞き耳を立てていた。
「鵜呑みにする奴も多くは無いだろうが……、魔族の連中はこれが狙いなのかもな。筆頭騎士の1人の名誉を汚し、我らの士気を下げる。市民には不安を蔓延させる。といった具合にな」
「そんなの……、上手く行くわけないだろ」
「この1回だけならな」
「……あ。そう、か……」
「現に形は違えどレウス、ショーマ。お前達の心をえぐる真似はしてきているだろう」
「……今後もこういうことを仕掛けてくるかもしれないってことか……」
「気をしっかり持てよ。貴様ら」
バムスはショーマとレウスだけでなく他のメンバーにもけしかけた。
「ふん。貴方にいちいち言われるまでも無いわよ」
「まあ……、覚悟は決めておけよ」
それは自分自身にも言い聞かせているようだった。
訓練所に到着した一行。小隊長であるレウスは今後の方針に関しての報告のため召集される。その間に他のメンバーは朝食の準備だ。
ちょうど準備を終えた頃にレウスが戻ってくると、食事をしながら説明をされる。
「基本的には市街の警備任務が多くなる予定だそうだ。大時計塔から現れる魔族の撃退だね。戦闘になる可能性は通常の警備任務より段違いに高いから覚悟しておくように」
警備担当地区はローテーションで決められ、大時計塔に近い日もあれば遠い日もある。第1小隊は早速明日、大時計塔のすぐそばを担当する。そこは特に精鋭の騎士が配されており、彼らと共に戦うことになる。……可能性がある。
腕利きの騎士を間近に見て力を付けろ、という意味もあった。
「後で対策講義を受ける。それが終わったら装備の確認と戦闘のシミュレートだ。出てくる魔族は一定のようだし、それ専用の対策訓練をするよ」
……『シャドウファンガー』。影の牙と言うだけあって行動は隠密、攻撃は必殺。的確にその動きを察知出来なければ即、死に繋がる。逆に言えば、敵の姿を捉えられれば普通の狼類とさほど変わらない。狼類が脅威では無いかと言うと、決してそうでは無いのだが。
翼を有しているが飛行能力は低い。高位置に出現した際、地上に降りるまで滑空してくるくらいで、地上から飛び上がることはまず無い。滑空中は、魔導師や弓術師が優先的に叩くことになる。今の所確認出来る限りではあるが、飛び道具を有していないためだ。攻撃される前に叩けるのは大きい。とは言え、飛行能力ゆえ行動可能範囲は広い。素早い迎撃が必要だ。
と言うわけで、魔導技術部が動作プログラムを徹夜で改造した疑似ゴーレム相手に、戦闘訓練を行う。
市街戦になるため、魔法班は大規模魔法は使えないのがネックになる。ちょうど良い威力の魔法で正確に狙い打つ必要があるわけだ。
ショーマはそんなちょうど良い魔法は無いかと考え、中級魔法、『チェインサンダー』を放ってみる。電撃の性質を敢えて制御しきらず、1度命中させたらエネルギーが尽きるまで近くにいる別の対象に電撃が連鎖していく魔法だ。
連鎖対象は最も近くにある物になってしまうため、敵だけを狙えるわけでは無いのがネックの魔法だ。市街の建造物や、建物の上から攻撃する味方に当てないよう気を使う必要があるが、空中で群れる敵にはちょうど良いだろう。
※
ショーマ達が訓練を受けている間のこと。
グローリアは国王ユスティカ11世の自室に召集されていた。専用の謁見室を使わないのは、話したいことが極秘かつ非公式の内容であるためだ。
「陛下、参りました」
グローリアは恭しく頭を下げる。
「おお、グローリア……。ロウレン殿は、どうであった」
王の耳にもロウレンの死に関しては耳に届いていた。
双子の娘の片割れであるフュリエスを預けたが、後にそれは失踪。そして昨日になって、その名は魔族の女王として民衆の耳に知れ渡った。
その事実はロウレンにどんな想いを抱かせたのか。王にはもう理解する機会は失われていた。
「かのグロリアスキャリバーにて、自らの喉を一突きに貫いておりました」
グローリアは端的に事実を述べた。
「……そうか」
「……あまりお怒りにならないのですね」
グローリアは今度はわざとらしく問いかける。
グロリアスキャリバーは数々の栄誉を打ち立てた証の剣であり、王自ら賜った剣は、王への忠誠の証でもある。
そんな剣で自ら命を断つなど、王に対する最大限の侮辱だ。しかし王は怒る気配もなく、ただ1人の愛すべき騎士を失った悲しみ、そしてどこか恐怖を感じている風にグローリアには見えた。
……そこには何か裏がある。彼の自殺に納得出来る理由がある。それをグローリアは見抜いていた。
「フュリエス、という名前……」
「……!」
「私にも少しばかり耳に覚えがございますな」
「……っ、それは、だな」
「私を信頼していただけるというのなら……、全てお話しいただけますね?」
「……ああ。……私にはもう、お前しか信用できる騎士はおらぬのだからな……」
ユスティカ王は語りだした。
フュリエスのことを知る者は少ない。元々その存在自体が秘匿されていたし、知っていた者の多くは呪いか偶然かはたまた、次々と死に絶えた。
密かにロウレンの元で育てられていたなんてことを知る者はさらに少ない。ロウレンもその妻も死に、今知っているのは王と、フュリエスの双子の姉フェニアスだけった。
「なるほど、概ね事情は把握いたしました」
「なあ、グローリアよ。……私はどうすれば良い? あの子は私に復讐をするつもりだ。ロウレン殿をあんな目立つように殺害したのは、きっと私への脅迫なのだ。
……私はあの子に殺されても仕方の無いことをした。……だが、私には守るべき民がいる。殺されるわけにはいかない……!」
王は迫る死への恐怖に怯えながらも、自らの使命を果たすため生にしがみつこうとする。たとえそれで臆病だの無能だの思われたとしても、民のためならその程度構いはしない。
「陛下をそんな者に殺させはしませぬ。……しかし相手は御息女。出来ることならば、ちゃんと互いに腹を割って話し合い、和解する機会を作りたいところですな」
「あ、あの子は、私を許してくれると思うか?」
「ええ。きっと。……私の親友が言うには、人は本当に真摯に語り合えば、必ずいつかお互いを信じあえるとのことですよ。きっと陛下の贖罪の気持ちも、信じてもらえるのではありませぬか?」
「そうだと、信じたいな……」
「ええ。陛下の御息女への、命さえ賭けられそうな程の愛は私にも感じられますとも」
グローリアは気落ちする王からその言葉を誘う。
「命……、か。そうかもな。……あの子のためなら私は命をなげうっても良い。ロウレン殿もそうだったのかもしれん。命をもってして愛する娘への贖罪とした……。
だが、私には使命がある。この命はまだ捨てるわけにはゆかぬ」
「御立派です陛下。まずは我々騎士団が総力を上げて魔族の女王を探し当てて見せましょう。然る後、その者が本当に陛下の御息女と確認出来たなら、必ずや陛下と相まみえる機会をお作りいたします」
「うむ……。よろしく頼むぞグローリア。我が忠実なる騎士よ」
「はっ」
ここに来て王からの確かな信頼を得たこと。その事実にグローリアは密かに笑みを浮かべていた。
※
夜。ショーマ達はブロウブ邸へ帰宅する。
訓練所はやはりどこかばたついており、正規の騎士達も訓練には参加したりしなかったりであった。いつも騒々しいヴォルガム将軍もどこかへ出払っていた。
屋敷には騎士団からの使者が来ていた。話を聞くと、リノンに関することだった。グローリアが手配した魔導研究施設の受け入れ準備が整ったそうだ。
レウスが言うにはちゃんと信頼出来る場所らしい。技術的にも、もちろん人道的にも。ショーマもひと安心する。
明朝にはリノンはそこへ移送されることになるらしい。だから、今夜で彼女とはしばらく離れ離れになってしまうわけだ。
「…………」
ショーマは考える。それまでに何をするべきなのか。
自室に戻っても考える。
まず思い付くのは、あのペンダントだ。あれを触媒にショーマの行動を監視していたのなら、今後もこれを持ち続けるのは良くない。返すのも気が引けるが、ずっとこの屋敷に置きっぱなしというのもどうだろう。というか、これも研究施設とやらに渡した方が良いのではないだろうか。
……しかしそうすると、リノンとの繋がりが無くなってしまう気分になるかもしれない。なんだかんだ言ってずっとこのペンダントを持っていたから、彼女のためにも無事に帰ろうとずっと思えていたのだ。
……ではいっそ逆に考えてみるとしようか。
ショーマは勇気を出して、リノンの自室の前にやって来る。
今の彼女にはだいたい常に誰かが一緒にいる。メイドさんか、メリル達かはわからないが、もしリノンと直接話せなかったなら、彼女らに頼もうと思う。
ドアのノックに応え、扉を開けたのはメリルであった。
「……あ。……えっと、話し、したいの?」
別れの前に会いに来た。そういう事情を察してメリルは手短に聞いた。
「うん」
ショーマもはっきりと答える。
「……。ちょっと待ってて」
メリルは少しだけ寂しそうな顔をして、部屋に戻る。リノンにどうするか聞きに行ったのだろう。
少しの間があって、メリルは扉の外に出てくる。
「入って良いって。……私は、ここで待ってるから」
「……うん、ありがとう」
普通の会話程度なら聞こえないが、大きな音を立てればすぐにわかる。そういうことだった。別にそんなことをする気は無かったが。
ショーマはそっと部屋に入り、メリルは扉を背にして話が終わるのを待った。
「……ありがとうじゃ無いわよ」
※
明るめ色を揃えたシンプルな調度品で飾られた部屋であった。2つあるベッドの片方にリノンは座り込み、もう1つは空いている。
「リノン、さん……」
どうしたものかと思いながら、ほどほどに距離を取って彼女に話しかける。うつむいているリノンだが、やはり少しやつれているように見える。
「……私、明日ここを離れるそうです」
ぽつりとリノンが口を開いた。
「ええ。聞きました。……それで、渡したい物が、あるんです」
ショーマはそう言って、2つの物を取り出してリノンが座っていない方のベッドに置いた。
「まずは、預かっていたペンダントです。……俺としてはまだずっと持っていたいけど、そういうわけにもいかないみたいです。ごめんなさい」
「いえ……」
「それから、これ」
ショーマは次に、手のひら大の小さな黒い箱を置く。
「何なのかは、自分でもよくわかんないんですけど。……俺が前いた世界から一緒に持ってきた物です。……あ、俺、この世界の人間じゃないんです」
「…………」
その言葉に少し驚いた様子のリノン。そこで顔を上げられ、ショーマは久しぶりに彼女の顔を見た気がした。
「何となく大事な物だったってのは覚えてるんですけどね。……今度は、俺の大事な物をリノンさんに預かっていて欲しいんです」
「私、に……?」
「これを見て俺のこと思い出して、それで辛くなるかもしれないって思うなら、受け取らないでいいです。
俺はただ、リノンさんに……、その。……元気でいて欲しいんです。……いつもみたいに、優しく笑ってくれるリノンさんが、……好きだから」
リノンはその言葉を聞き、そっと手を伸ばして、差し出されたそれを握りしめた。
「……私、辛くてもショーマさんにはそばにいてほしいです。……だから、預からせてください」
手に取ったそれを、胸元で抱き締めた。
「意外とこれ、見た目の割に重さがあるんですね」
「そうですね……。何が詰まってるんでしょうね」
そしてリノンは顔を上げて、かなり無理をしながらというのがわかってしまうほどだったが、それでも確かに、いつもの優しい笑顔をショーマに向けた。
「ありがとう、……ございます」
「……ッ」
その笑顔を見て、猛烈に彼女を力強く抱き締めたい衝動にかられる。
でも、それは駄目だ。歪められた彼女の気持ちを刺激してしまう。何よりそんなことをしたら、ショーマ自身がリノンから離れられなくなってしまう。彼女を連れて、どこかへ逃げ出してしまうかもしれない。そんな予感がした。
「絶対、元のあなたに戻します。……それまで待っていてください」
ショーマはそう告げて、返事も聞かずにその部屋を後にした。
残されたリノンは、静かに涙を流した。
※
「もう良いの?」
「……うん」
部屋から出てきたショーマにメリルが聞く。
「……あ、あのね、ショーマ」
メリルはショーマの寂しそうな横顔を見て、部屋の前で考えていたことをつい口走ってしまいそうになる。
「……ん?」
「あ、えっと……」
けれど、言えない。
そんなひどいことなんて、言えなかった。
「……その。……み、皆も、貴方のことを心配してるってことを、忘れないでね……」
結局そんな当たり障りの無いことを言ってしまうのだった。
だがショーマにはその気持ちはとても嬉しかった。
「ありがとう、メリル。……俺も君や皆がいなかったら、たぶん駄目になってたと思う。……一緒にいてくれて、ありがとう」
「あ……、うん……」
そんな風に返されて、ますますメリルは辛くなる。
……どうしてあんなことを思ってしまったんだろう。
「それじゃあ、リノンさんのこと、お願いな」
「うん……」
ショーマは立ち去っていく。夜ももう遅い。明日に備えて早く眠るべきだった。
変な考えは蓋をして忘れてしまおう。
……あんなこと、このメリル・ドラニクスが言おうだなんて思うはずが無いのだ。
……あの人のことなんか忘れて、私を――