ep,003 始まりの1日 (3)
メリル・ドラニクス。『竜操術』と名付けられた新しい魔法の体系の開祖、ドラニクス家の長女である。
騎士としての有名を馳せ続けるブロウブ家とはまた別方向の名家で、戦場での活躍に加え、魔法の研究者としても一家言を持ち、その資産を増やした。
そんな安定した一族と、優秀な兄達の庇護の下、これでもかと甘やかされて育った彼女だが、持ち前の意思の強さで自ら騎士の士官学校への入学を志願したのだった――。
※ ※ ※
「竜操術とは竜と心を交わし力を借り受けることで、既存の魔法を凌駕する新たな高位魔法技術。ご存じですね?」
「ええ、もちろん」
「そのためにはまず心を通じあわすことの出来る『竜』を見付けることが必要です。例え術そのものを修得したところで竜がいなければ、何の意味もありません」
「私には既に10年を共にする『友』がおります。それについても問題はありません」
「よろしい。
……この調子ではもう教えることなんて全然無さそうだね」
「そんなこと言われても困るんですけど」
ここは竜操術科目の教室。そして今のが担当教員アウディと注目の新入生メリルのやりとりである。
すでに入学前から、独自に竜操術への修練に励んでいたメリルにとっては、ここで行われる授業で得られる物など正直な所、少ないのだ。
「まあ、こちらに注力する必要が無いのなら、同時に別の科目を受けてみるのも良いと思いますよ」
「ええ、最初からそのつもりです」
アウディ教員の薦めに凛と答えるメリル。
「やはり……、騎士を目指されるので? 竜操術以外にも得手があるとなれば、まさに引く手数多でしょう」
「そこまでは考えていませんが、ドラニクスの名に恥じない人間でありたいとは考えています」
「ご立派です」
※
竜操術科目を後にしたショーマ達は、続いて黒魔法科目の教室に向かっていた。
「教員の方がぺこぺこ頭下げて来るなんて、やっぱりすごいんだな」
ショーマはメリルの見えざる実力の片鱗を感じ、素直に感心するばかりであった。
「……貴方ほどじゃないわよ、きっとね」
「俺のとは事情が違うよ」
ショーマの能力は、彼自身が修練の末勝ち得た物ではない。少なくとも記憶の無い今のショーマの物では。
メリルの『今』は、恵まれた環境があったのは確かだろうが、勝ち得たのは彼女自身の努力の結果に違いないのだから。
力はあれど、過去の無いショーマにはそれが羨ましくも思える。
「本当に、すごいな。って思うよ」
「……ふん」
誉められると、メリルは怒っているような、照れ臭そうな、複雑な顔をしてそっぽを向いてしまった。
※
黒魔法科目は、今まで回った科目に比べ、かなり多くの人が集まっていた。
「盛況だな」
「人気あるからね、黒魔法は。戦場でも多くの戦果を上げやすいし、後衛だと危険が少ないって考える人も多いらしい」
「なるほどね」
「最初は混みそうだったから後に回したけど……。どっちにしろ窮屈な思いをしそうだね」
ふとメリルの様子を伺うとなにやら仏頂面になっていた。
「嫌だな……」
「メリルさんは……、人混み苦手なのか」
「うん……」
さっきまでは誉められて上機嫌だったようだが、今はダウナーな雰囲気だ。
「しょうがないよ。我慢しよう」
「はあ……」
レウスは笑いながら彼女の肩を叩いて言った。
なんとか教室に入ると、教員の案内で空いている座席に着くよう指示がされた。込み合っているため3人並ぶことの出来る席は無く、ショーマはレウスとメリルからは離れた席に着かされてしまった。
(まあここにいる間だけだし我慢するか……)
せめて目立たないようにしようと思ったが、しかしそうもいかないようだった。
「ねえねえねえ、あなた、噂になってる彼よね」
隣の席にいた女子生徒から声をかけられてしまったためだ。
「何の、ことかな……」
「またまた~。ブロウブ家とドラニクス家の人間を侍らせてる異国人がいる、ってすっかり話題だよ?」
試しにシラを切ってみようかと思ったが無駄だったようである。
「実はどこかの王子様? なんて言われてるけど……、実際の所どうなの?」
興味津々で仕方が無いようだ。観念して彼女の方を向く。
女子生徒は先程の口調から想像した通り、快活そうな表情と瞳をしており、胸元まで伸ばした赤みの強い茶髪と、その髪が乗るほど自己主張の激しい胸が目を引く。
(どこ見てるんだ俺は……)
総合的には、メリルとはまた違った印象の美少女と言えた。
「う、うん。実はちょっと、記憶が、無くてね……。彼らには良くしてもらってはいるけど、王子とかでは無いし、侍らせてるとかでも、無くてね。うん」
変な事を意識してしまい、しどろもどろになってしまう。
「記憶、喪失……? なんだか思いの外やんごとない事情だったのね……」
ぶしつけな物言いだったことを彼女は恥じいているようだった。
「いやそんな、深刻にならなくても良いよ」
「そう? ごめんね」
謝られると逆に申し訳無くなってくる。
しかし彼女はすぐに立ち直ると、
「あ、私、セリア。よろしくね!」
また明るい笑顔で自己紹介と共に右手を差し出した。
「ああ。ショーマ・ウォーズカです。こちらこそよろしく」
ショーマも右手を差し出し握手をかわした。見た目の快活さとは裏腹に繊細で儚げな指先のように感じられた。
※
ショーマとは離れた席になってしまったレウスは彼の心配をしていた。隣の席についているメリルはその様子にまたため息を吐く。
「いちいち気にしすぎでしょ……」
「そうかも知れないけどさ」
メリルにもその気持ちはわからないでもないのだ。しかし今日は入学初日であり、この教室は人の目も多い。
「確かにあの能力に目をつける誰かがいないとも限らないけど。今はまだ大丈夫でしょう」
ショーマ本人がこの場にいないのを良いことに、メリルは気になっていたことを確認しようとする。もちろん声は潜めて。
……教本さえあればいかなる魔法も修得できるというならば、目をつける輩も遠からず出てくるだろう。その上で記憶喪失であるというなら、何かと御しやすいことだろう。あること無いこと吹聴すれば、信じる根っこを持たない人間は簡単に騙せるものだ。
つまるところ、誘拐してくれと言わんばかりの存在なのだ。ショーマ・ウォーズカは。
特に戦争が終わってまだ3年。敗戦したイーグリス国騎士団の残党が良からぬことを考えている可能性は高い。
だが、それを見越した上でのブロウブ家だろう。彼らが背後に付き、見習いとはいえ直系の血を引くレウス自身が護衛に付くとあれば、賊もそう易々とは手を出せまい。
「……彼、本当の所、何者なの?」
「まだ何もわからないよ。……ただ彼の保護を兄さんに頼んだのは、かのオードラン伯だ」
「……ぇえ?」
あらゆる意味で思いもかけなかった名前に、メリルは眉を寄せる。
「彼の正体は我々の想像以上に大きな物をもたらすかもしれない、って……、グローリア兄さんは言っていた」
「貴方の大お兄様が?」
「うん。オードラン伯に会いに行ったのはブレアス兄さんだけど、伯からの話をブレアス兄さんに伝えられて、そう思ったそうだ」
「そうなんだ……。あの人が言うなら本当なのかもね……」
2人の、含むところの多い会話はそこで終わりとなった。
「はー……、人多いな……」
後は独り言のみとなった。
※
黒魔法科目担当の教員、インギスが教壇に立った。
「あ、ショーマくん、あれがインギス先生だよ。現役の黒魔導師の8割はあの人の指導を受けたんだって。すごいねー」
「へえ……」
あの後延々喋り続けるセリアの勢いに辟易しつつあったショーマは、教員の登場でやっと黙ってもらえそうだと安堵した。
「本年も積極的な志望者が多くて結構です。しかし」
恰幅の良い体格をしたインギス教員は一旦言葉を区切り、息を吸い直した。
「1ヶ月もすれば半分も残らないでしょう。そして、1年で学科を全て修了出来るのは10人もいないでしょう。私はそれが実に悲しい。………君達には期待しています。どうか私を悲しませないで欲しい」
(脅しかい……)
「黒魔法とは『破壊』の力です。ただ壊すだけです。黒魔法とはそれしかできない。
……今この国は戦争の『破壊』から立ち直ろうとしている。君達も辛い想いをしたことがあるでしょう。しかし君達は、その力をこれから学ぼうとしています。どういうことかわかるでしょうか」
(残念ながらあんまりわかって無いやつもいます……)
「力の使い方を知る者は、自然と力の抑え方も知るのです。君達ならきっとわかってくれると信じています。
……それでは、明日からの授業でまた会いましょう」
※
「記憶喪失の人間には色々刺さる物のある演説だったね……」
インギス教員の話を聞き、ショーマの笑みは少しひきつっていた。
「あ、そっか……。ショーマくん、戦争の記憶も無いんだ……」
セリアは同情的な視線を向ける。
「でも嫌なことも忘れてるってのは……、ちょっと羨ましいかも」
「……君にも、何か嫌な思い出が?」
セリアの明るさからは、とてもそういった物は感じられなかったショーマはなんだか意外に思う。
「お父さんが戦場でね……。命こそは拾ったけど、脚をやられちゃったの」
「そうなんだ……」
「少し移動するだけでも一苦労でね。……もし私が一緒に戦えてたら、きっとお父さんを守ったのにって。無茶苦茶な話だけど、やっぱり気持ちを抑えきれなくてさ」
「その気持ちひとつでここまで来たんだろ? ならすごいことじゃないか」
「へへ、そうかな。当のお父さんには反対されたんだけどね」
「はは……」
彼女と話しているうちに、教室から人は退出し始めていた。
その人の流れを遡って、レウスがショーマのもとへやってきた。
「おーい、ショーマ。早く出よう。人が多いから入れ替わりで次の見学希望者が入るみたいだ」
「ああ、そうなんだ」
「あ、あ、あじゃあ私はこれでっ!」
「え、ああ、どっか行く場所でもあるのか?」
そそくさと席を立つセリア。
「うん、まあ、ね。それじゃっ」
レウスはまた一緒に行かないかと誘ってきそうだし、そうなる前に素直に見送ることにした。
「ああ、それじゃあ」
去っていくセリアを二人で見送りながら、レウスが尋ねる。
「……今の子は?」
「ああ、ちょっと仲良くなったんだ」
「へえ……。可愛い子を捕まえるもんだね」
「そういうのじゃ無いって……」
こういう冗談も言うんだな、とショーマは素直にレウスの人物像に1つ要素を追加した。
※
最後に薬師術科目を軽く見学し、志望科目書を提出すると、今日はもうやることが無くなった。
3人は揃って、朝、ショーマとレウスが出会った門の前で別れの言葉を交わす。
「今日はありがとう。君達に出会えて本当に良かったよ。1人じゃ色々と不安も多かっただろうし」
「ああ、こちらこそ。……何なら寮まで付き合おうか?」
「そこまではいいよ……。そういえば、レウスはどこの寮なんだ?」
「僕は寮じゃ無いんだ」
「そうなのか?」
リヨール士官学校の入学生は、基本的に全て寮生活だったはずだ。
「ああ。ブロウブ家の別宅があるんだ。この街にいる間はそこに住むことになってるんだ」
「別宅って……」
「私もね。一部の名家は寮生活しなくても良いことになってるの」
レウスの説明にメリルが補足をした。
「……やっぱお金の力?」
「そういうのもまあ、無い訳じゃないけど。それなりの地位を持つならそれなりの場所で『保護』される必要があるってことよ」
「僕個人としては寮生活でも良いんだけど、周りが認めてくれないってのもあるね」
「ふうん……」
どうやら名家にも色々と面倒な事情があるようだった。ショーマはあまり深くは気にしないでおくことにした。
「まあいいや。それじゃあ、また明日」
時はすでに夕陽が差し出す頃であった。
「ああ、また明日」
「ごきげんよう」
そしてショーマは2人に背を向けて歩きだした。
「……良いの?」
「彼の寮はカターマさんの所だからね」
「ああ……、ちゃんと対策済みってわけ」
※
学生寮といっても1つの建物ではなく、いくつかに別れており、学生達はそれぞれ振り分けられて寮生活を行っている。
レウスの言う『カターマさんの所』というのもその1つで、リヨール市内に別宅を持たない一部の名家が暮らす、比較的豪華で警備も厳重な寮のひとつだ。学校の敷地に隣接しており、校門から寮まで警備兵が常に配置されている徹底ぶりだ。
「お疲れ様です」
「ああ、お帰り」
警備兵にもいちいち挨拶をしながらショーマは寮へ向かう。
ホテルのような佇まいの、この『一号宿舎』は名家出身の学生が多いが、あくまで学生のための寮であり、『自分のことは自分で』がモットーである。メイドなどいるわけないし、食事も自分で用意する必要がある。
寮生はまずロビーで番をしている女性、リノンから部屋の鍵を受け取る。外出の際は鍵を預けるのもここのルールだ。
「ただいま戻りました」
「あ、お帰りなさい。ショーマさん。すぐに鍵用意しますね」
リノン・カターマ。寮の総管理者の一人娘である。肩口で切り揃えられたショートカットの茶髪をした、落ち着いた物腰の女性である。今年20になったばかりだそうだが、見た目のわりに大人びているし、最近美人に磨きがかかってきたと、毎日彼女と顔を会わせる警備兵達も話題にしているらしい。
――メイドはいないがリノンさんがいる。
何の話をしているんだか。
「あ、名前……、もう覚えてくれたんですか」
「ふふ。大事な寮生さんですから。特にショーマさんは印象的な方ですし」
「はは……」
つい髪を押さえてしまう。美人に名前を覚えてもらえるのは気恥ずかしさもあるが、悪くない気分だ。
「……見た目だけじゃないですよ。なんだか、独特の雰囲気を感じます。……はい、どうぞ」
鍵をそっと手渡される。わずかに触れた指に、少しどきどきしてしまう。
(指くらいでなんだよ……)
「そ、それじゃあ」
「はい」
独特の雰囲気……。いまいち実感は無かったがそういうことを言われると鼻がむずがゆくなるのだった。
※
広すぎず狭すぎずの部屋には、しっかりとしたベッドに机にランプと、この街に来る際持ってきた手荷物の入った鞄があるくらいだった。
名家のための寮にしては質素が過ぎるかもしれないが、ショーマにはいちいちそんなことを感じる記憶は無かった。
トイレは各フロアで共有とはいえ、個別の風呂場とキッチンがあるのは贅沢な方だろう。
とりあえずは上着を脱いでベッドに横になる。思った以上に疲れがあったようだ。すぐに眠くなってしまう。
(いかん……、これは寝る……)
ゆるゆると立ち上がると、部屋に起きっぱなしにしておいた鞄に手を伸ばす。
記憶を失ったショーマが、その時持っていた持ち物の全てだった。彼の身柄に関わるかもしれない物だ。とはいえ、大した物は入っていない。
財布……。いくらかの硬貨や紙幣が入っていたが、このブランジア王国の物ではないし、もちろん近隣国の物でも無い。そしてブランジアのお金は全く入っていない。ショーマが別の国の出身という証ともいえる。
水筒……。この国では見ない透明な薄い素材で作られた物だった。ガラス製ではない。蓋もネジのように回転させて開閉する仕組みであり、この国ではこのような構造の水筒は使われていない。
中の水は紅茶のようである。半分ほど残っているが、成分を解析すれば何かわかるかもしれないと、オードラン老人に言われたので残したままだ。腐らないと良いけど。
耳当て……のような物。今一つ用途がわからない物だ。左右をつなぐバンドからさらに別の糸が垂れているが、どこかに結ぶのだろうか。
鞄の中の物では無いが、今身に付けている眼鏡。それ自体はあまり珍しく無い物だが、レンズの度に対する薄さや軽さなどの精度がかなり高いらしく、高級品であることが予想される。
今着ている服も、この街で買いそろえた物だが、目を覚ました時に着ていた服はやはり見ない素材であったという。
……それから最後に、手のひらに収まるサイズの黒くて四角い板、というか、薄い箱。
あちこちに突起があったり、文字のようなものが書かれているが、記憶に無いためこれが何を意味するかわからない。
何か重要な物だったような気がするのだが、どうにも思い出せない。自分はこれを大切にしていたような気がするのだが。
恐らくショーマの正体を教えてくれる物だという予感があった。
……何なんだろう、これは。
結局分かることは、相当遠くの、知っている人がほとんどいないような国から、たった1人でやって来たのかも知れない、ということ。 そんなこと、有り得るのだろうか。
結局今日も何かを思い出すことは無く、そのまま遅い来る睡魔に身を委ねてしまった。
明日からは本格的に騎士としての修練が始まる。
……今日出会えた人達。レウス、メリル、セリア。教員の先生達。それから、直接会話はしなかった、デュラン。
……彼らとは仲良くやれるだろうか。
少しずつ、ショーマの新しい生活は動き出していた。
2012年 03月01日
話数表記追加、誤字等修正