ep,021 戦いの夜が明けてからのこと
昨晩のリヨール市街における魔族と騎士団の戦闘について。
ブロウブ大隊長は、数日前より通常の警備部隊に加え、25の小隊を城門周辺に展開させ、警備を強化していた。
そして魔族は、展開を開始してから9日目の夜に出現。
魔族の種族は熊、猪、狼、鳥等。未確認ではあるが、人狼が出現したという情報もあったとのこと。
騎士団は即座に迎撃行動を開始したが、敵魔族は騎士団の包囲網を巧みに掻い潜り、地上からは合わせて約20体の魔族が市内に侵入。上空からは矢や魔法の迎撃が届かない高高度から、約15体が侵入した。
市内に待機していた騎士団全部隊が即座に展開したが、一部の建物と、市民8名に軽傷者が出た。騎士団員にも戦闘によっての重傷者、軽傷者が合わせて21名出た。
魔族は全て討伐したと騎士団は公表したが、現在も市内全域において部隊が展開しており、市民の緊張は続いている。
結果的に死者こそ無かったが、直接的な被害規模は、小さいながらも確かにあった。特に市街に魔族が侵入したこと、そして市民に被害者が出たことなどから鑑みるに、今回の事件は騎士団の大きな失態と言える。ブロウブ大隊長の今後の進退に影響する可能性もある。
※ ※ ※
「やれやれ」
ブレアスは昨晩の戦闘結果を新聞社に報告し、それに基づいて書かれた朝刊の記事を読んでため息を吐いた。
「……教会騎士の存在については何も書かれていませんね」
ブレアスの放り捨てた記事に目を通したルーシェは疑問を口にする。教会騎士の存在は報告せずにいたが、新聞社の独自調査も載る場合があるので、そこは懸案事項だったのだが。どうやらその存在に気付くことは無かったらしい。
「よほど慎重に動いていたようだな。弟が出くわしたのも、単なる偶然では無いのかもしれん」
「何か他の理由が……。ショーマ・ウォーズカでしょうか?」
「さあ、どうだろうな」
「……。ところで、私を呼んだのは朝刊の配達をさせたかったわけでは無いですよね?」
「ああ、もちろん。……お前にとっては、良い話かもしれないな」
「はい?」
※
間抜け面で寝入っているショーマの肩を揺さぶる者がいた。
「ショーマさん、朝ですよ。起きてください」
「んあ……?」
白いエプロンが目に入る。メイドさんのようだがいちいち起こしに来てくれる人など覚えが無い。ベッドの脇に置いた眼鏡をかけてその顔をじっくり見る。
「おわっ」
学生寮、一号宿舎の管理人カターマの一人娘リノンがそこにいた。
メイド服で。
「おはようございます。ショーマさん」
「あ……、はい」
一号宿舎は昨晩の魔族の襲撃によって、居住は困難な状態になった。そこで働くリノンは、レウスのはからいによってこのブロウブの別宅にて住み込みで働くこととなったのだ。……夢では無かったらしい。
……愛らしいメイドさんに毎朝優しく起こされる生活。
「……良い」
「はい?」
「あ、いえ、なんでも」
「……。朝御飯、もうすぐ出来ますよ」
「はい。着替えたらすぐ行きます」
「では、私はこれで」
リノンは行儀良く頭を下げると、部屋を出ようとする。
「あ、あの」
「はい?」
ショーマはその背中に声をかけて呼び止める。
白いブラウスに濃紺のワンピース、同じく清潔そうなエプロンに、これまた白いメイドカチューシャ。どこからどう見ても隙1つ無いメイドの格好である。
「そ、その格好……、良く、似合ってます」
リノンはきょとんとした顔になり、照れたように顔を赤くし、そして最後に優しい笑顔になった。
「ありがとうございます」
……なるほど。確かにこの笑顔。今なら腕の1本ぐらい差し出しても良いような気分になる。
(最高の目覚めだった……)
リノンが退室すると、ショーマは上機嫌で着替えを始めた。
(ここのメイドさんは失礼ながらおばさんばっかりだったからな……)
食事を運ぶメイドと、横でその様子を見学しているリノンを見比べながら、本当に失礼なことを頭に浮かべる。
この屋敷は執事が1人、メイドは4人であったがどの人物も中年から初老の人ばかりであった。仕事の腕前は本当に熟練という感じで、まったく不満は無かったのだが。
とはいえやっぱりせっかくのメイドさんなので、若くて美人のメイドさんが居ても良いじゃないかと、こっそり思っていたショーマである。目の保養というやつだ。
「ショーマくん目付きがやらしい」
メイド姿のリノンををじろじろ眺めているショーマに、セリアがジト目で突っ込みを入れた。
「や、やらしくねーし!」
「嫌よねえ、男の子ってみんなこうなのかしら」
「ショーマ、彼女は仕事でここにいるんだよ? 客人である君によからぬことをされると、屋敷を預かる僕の責任問題になってしまう。頼むからいつもの誠実な君であっておくれよ」
「散々な言われようだぞ俺」
とはいえ、あの寮で囁かれていた『メイドはいないがリノンさんがいる』というアホ話が今ではどうだ。ここにはメイドさんもいるしリノンさんもいる。否、その2つが合わさった、メイドさんをしているリノンさんもがいる。そう、理想郷はここにあったのだ。
いや待て。しかしこの状況は彼女の家が失われたり、大切な父親が怪我をしてしまったことで発生した……、つまりは彼女が辛い目に遭った結果発生してしまった状況なのだ。本人の気持ちを察すれば、こんな風に喜んでいるのは失礼なことなのだ。
人が不幸に陥ったことで発生した幸福を甘受しても良いものなのか? いや、違うはずだ。では、一体どうすれば良いのだろうか。悩ましい。
「なんかさっきから表情がころころ変わって、……言いたくないけど、気持ち悪いね」
「見なかったことにしましょう……。それが誰にとっても良いことなのよ。たぶん」
※
準備を済ませて、学校へ向かう。昨晩の戦闘で学校にも被害が出た。授業が行われるかはさておき、学校側から今後の方針が示されることだろう。ちゃんと行く必要があった。
昨晩は避難所として開放され人が集まっていた校庭だが、今は学生達がいるだけだ。
そこから見える校舎の一部には白い布が被せられており、被害を受けた箇所を隠していた。
「結構派手にやられたなあ……」
「2ヶ所の資材庫の1つと竜操術科と薬師術科の教室がほとんど、あと黒魔法科の教室が半分ほどやられたらしいよ」
「結構ひどいな」
「そうだね。……おや、学生は講堂に集合せよ、だってさ」
玄関前の掲示板に告知があったのを見て、ショーマ達はそれに従う。
講堂も同じく昨晩は避難所として使われていたが、やはり今は学生がいるだけだ。今は在籍している生徒のほとんどが集まっているはずだ。
「はあ……」
人込みが苦手なメリルはダウナーな調子である。
しばらく待っていると、指導教員のボンボーラが現れる。
「えーどうも。皆さんも昨晩の騒動は知っての通りだとは思いますが、改めて本校所属学生である諸君らへ、特に重要な点を中心に、被害状況等の報告と今後の案内をいたします」
被害はレウスの言っていた通り資材庫の1つと教室2つと半分。襲撃してきた敵は教員と学生らで駆逐済み。その際の負傷者は4名。この辺はショーマ達もすでに知っていることだった。重要なのはこの先だった。
「えー昨日発表しました第3から第6小隊。それからすでに編成済みの第1、第2小隊の計48名の学生達は、えー7日後より、3ヶ月間に渡って王都パラドラの騎士訓練所へと出向し、訓練を受けてもらうことを決定しました。
えー王都の騎士訓練所は皆さんもご存知でしょうが、正規の騎士団員が訓練を行っている場所です。実際の騎士団員と共に、同じ訓練を経験することで皆さんの力にして頂きます。
この出向は以前より企画されていたものでしたが、今回の被害を受けて、通常通りの授業を再開させられるまで時間がかかると判断し、えー急遽開始時期を15日ほど前倒し、出向期間も1ヶ月半を想定していたものを3ヶ月に延長することとなりました。
具体的な細かい話はこの後に、えー出向する48名の学生達に集まってもらってから行います。では出向までの7日間と、それ以降、ここに残る学生達への授業形式はですね。えー……」
※
その後、第6小隊までのメンバーが集まり、今後の詳しい話を聞かされた。それが終わるとショーマ達は第1小隊の8名でまた再集合した。
「王都の騎士訓練所は、僕達のような候補生では無く、正規の騎士団が訓練を行っている場所だ。そこでは基本的に、朝から晩まで小隊メンバーは常に一緒になって行動するんだ。小隊行動の訓練だけでなく、食事や睡眠もね。別々なのはクラス別の訓練、つまりこの学校でやってきた授業のようなものだね。もちろん寝る部屋やお風呂にトイレもだが。まあ、それくらいだ」
「あれ、寝るのもか?」
レウスの説明に、ショーマは疑問を抱いた。昨晩のブレアスの話ではブロウブの本宅に移れと言う話だったが、この口振りでは訓練所に寝泊まりするように聞こえる。
レウスはショーマ以外のメンバーにも伝える口調で話す。
「ああ。ただし今回僕達は訓練所の宿泊施設では無く、ブロウブの本宅で寝泊まりしてもらいたい。8人全員ね」
「ほう?」
バムスがにやりと不敵に笑った。
「理由をお聞かせ願えますか? まさか隊長職にかこつけて実家で豪勢な暮らしがしたい等とはおっしゃいませんよね」
ローゼは丁寧ながらどこか咎める口調で聞いた。
「ああ。よその名家の者が大した理由も無くは泊まれやしないね。わかっているよ」
バムスとローゼはブロウブの家で寝泊まりするということに、何か家の事情か……、面倒な理由でもあるのだろうか。
「ショーマ、話すけど良いよね」
「え、話すって……。ああ、うん。わかった。頼むよ」
ショーマがレウス達と現在一緒に暮らしている理由。それを話すことで彼等を納得させるつもりのようだ。
ショーマとしても、同じ小隊の仲間なのに隠し事をしているみたいで良い気分では無かったから、さっさと話せるものなら話しておきたかった。
ショーマは王女フェニアスによって異世界から召喚された存在で、魔族の脅威から、この世界を救うことが出来るかもしれない力の持ち主であること。召喚の儀を妨害し、ショーマが記憶喪失になった原因を作った何者かが、いずれ再びショーマを狙って接近してくるかもしれないこと。騎士団は動かせないので、それに対抗するため今は4人でブロウブの別宅で暮らしていること。
そして王都に移ってもそれを継続したいため、皆にもブロウブの本宅で生活することを承諾してほしいということ。
レウスはまとめて一気に話した。
「……なるほどな。そこまで大事になっていたとは。正直想像以上だよ」
「ええ。それほどのこととあっては、家柄の問題など些末な物と言えましょうね」
「うむ。良いだろう。父上は俺が何とかして黙らせるさ」
「ええ。私も同意を取りましょう。さほど難しくは無いと思います」
バムスとローゼは思いの外あっさりと承諾してくれた。
「デュランとフィオンはどうだい?」
「あ、わ、私は、全然構わないです!」
「うん。ありがとう」
フィオンは即答だった。
「俺は単なる平民だぞ。むしろお前らの方から門前払いされる立場だと思うが?」
「そうだね。……まあ、君ならそんなことされないと思うが。……いや失礼」
「……ふん」
そして、デュランからも同意を得た。
「8人みんなで一緒かあ」
「ああ。本宅は他に人も住んでいるが、別宅よりずっと広いから余裕だよ」
「別宅でも余裕だろ……」
「フン。しかし救世主とはな」
バムスは少し不機嫌そうにしている。
「まだ特別何かをした訳じゃないし、今後どうなるかもわかんないけどな」
「それでも極上だな。お前がそれを成し遂げるまでの旅路をそばで見られるかもしれんと思うと、楽しみな反面、もっと早くに聞いておきたかったとも思うな」
「悪かったね」
そこにメリルが口をはさんだ。
「随分と彼に興味津々なのね貴方」
「お前も似たようなものではないのか? ドラニクスの娘」
「ふん。一緒にしないでくれる?」
「おいおい。別に俺は本人の同意無しで持っていったりなんかはしないぞ。そんなに吠えるな」
「はあ? 何を言ってるのかさっぱりわからないわね」
何やら自分のことで揉めているらしいメリルに、ショーマは口をはさむ。
「なに怒ってるんだよ」
「お、怒ってないわよ。……まったくもう」
怒っているというより……、なんだろう。飼い犬が飼い主より他の人に懐いててちょっとムカつく、的な? いやなんだそれ。
「フフン。まあ良いさ。
……おいデュラン、随分な上玉がかなり近くにいたものだが、お前また変な気を起こすなよ」
「起こすか」
そういえば、努力家のデュランにはショーマのような、最初から力を持っているようなのは、気に障るものかもしれない。と思ったが、
「フ。そうだな。もう今までのお前では無いのだものな」
バムスの口調からどうやらそうでも無かったらしいと感じる。
「俺はお前のそういういちいち恩着せがましい所が本当に嫌いだ」
デュランもはっきりと言うが、口調はどこか穏やかで別に怒っているようには見えなかった。デュランもバムスの傍にいて、色々心境の変化があったようだ。
「さて、何か質問はあるかな」
「あ、あの……」
フィオンがおずおずと手を挙げる。
「なんだい?」
「その、今後のことじゃ無いんですけど……、あと、気に障ったら申し訳無いんですけど、」
「うん?」
「4人で、一緒にくらしてた、んですよね。隊長さんと、ショーマさんと、メリルさんと、セリアさんで」
「そうだけど」
「あ……。いえ、それを確認したかっただけ、です……」
「……そうかい?」
何が知りたかったのかよくわからないが、追求されるのも嫌がりそうだ。なにやらうつむいてぶつぶつ言っているが放っておいてあげるとする。
「……じゃあ、そろそろ解散としようか」
そうして、程好い所でレウスは解散宣言をした。
※
……士官学校に通うようになって、もうすぐ2ヶ月といった所だった。
最初は自分の持つ力が恐ろしくて、せめて正しく制御出来るようになりたいとだけ思っていただけのショーマも、今はこの力を有効に使えるようになりたいと思うようになった。力を持つ者として、立派な志を抱いていたいと思った。
ここで出会えた仲間達のおかげである。
……この世界を救ってほしい。そんなことも言われた。それ自体はまあ、強くは言い切れないものの、この世界で自分に出来る限りのことは、していきたいと思っている。
ただ、こうして今までのことを振り返っていると、以前はあまり気にならないでいた、忘れてしまった自分の過去が少しだけ気になってくる。
前の世界にいた自分はどんな生活をしていたのだろう。家族や、友人や、他に関わってきた人達。それら全てを放り捨てて来て、本当に良かったのか。急にいなくなって、心配されていたりするだろうか。困っていたりしていないだろうか。……記憶が無いから、想像もつかない。けれど、記憶が無いからこそ、忘れたからこそ、まるで無かったことのように気にもしないで、こちらでの生活にだけ意識を向けられるとも言えた。
……記憶を失って異世界へやってくる。言い方次第ではそれは、生まれ変わったようなものとも言えるのでは無いだろうか。
そう考えていっそ前の世界のことなど、本当に気にすることすら忘れて、この世界で最期の時を迎えるまで生きるということを考えるのも、ありなんじゃないだろうか。
……こう思ってしまうのは、自分が覚えていないだけで、前の世界に何か嫌な思い出でもあったのだろうか。無意識のうちに、前の世界のことから目を逸らしてしまうような理由が。
……何にせよ、少なくとも今のショーマは、大切な仲間達と別れてまで、前の世界に戻りたいという気持ちはもう、ほとんど無かった。
※
帰宅後。ショーマ達はリノンと話をしていた。
「今日、皆さんが学校に行っている間に父の了解を取ってきましたよ」
「そうですか。怪我の具合はどうでした?」
「まだ、ちょっと歩く時に足を動かすと痛みが残っている感じがするみたいです。お医者様が言うには、怪我は完治したんですけど、怪我をした時のショックで無意識に抵抗があるとか」
「そういうのはよくあることです。時間が経てば自然に治っていくそうですよ」
「ええ。そう聞かされました。それから、住む場所とお仕事も知り合いに用意してもらえたそうです」
「そうですか。良かった」
とりあえずはリノンも王都へ引っ越しても、憂いは無さそうだ。
その時、屋敷の玄関の扉を激しく叩く音がした。
「なんだ?」
「出てくるよ」
レウスが立ち上がり、玄関に向かっていく。
「嫌な予感がするわ……」
メリルが苦々しい顔つきで呟いた。
「何? 何かまずいの?」
「まずいって言うか……」
扉を開く音がすると、すぐに大音声が響いてくる。
「私はグルアー・ドラニクスである! レウス君はいるかね!」
長身痩躯に金色の癖毛、碧眼に眼鏡、そして見覚えのあるコートを着た美男子が立っていた。
「目の前にいますが……」
「うむ、そうだったか。 失礼した!」
声のでかい男グルアー。ドラニクス家の次男であり、メリルの兄だった。そんな彼がこの屋敷に夜中に突然やって来た理由。それは。
「妹のことで、大事な話がある!」
2012年 03月01日
話数表記追加