ep,012 また次の始まりへ。
君のことを、支えてあげたい。
彼は、そう言った。
メリルは自分の弱さを見透かされたことを、しかし不思議と情けないとは思わなかった。
……この人だから、だろうか。
彼は自分の言葉に興味を持ってくれた。自分もこうなりたいと言ってくれた。
だが、彼以外にも自分のことを肯定してくれる人はいた。自分のようになりたいと言ってくれた人もいた。
別に、彼もその中の1人というだけだ。
ショーマという人の、どこが特別なのだろう。
……良くわからない。どうしてこんなに彼のことが気になるのだろう。
魔族から体を張って庇ってくれたから? 落ち込んでいた時、叱責してくれたから? それだけ?
そういう良い所も確かにあるけれど、まだまだ全然頼りになるとは言えないし、頑張らせようとしたら泣き言を言うし、能天気だし、すぐ他の女の子に良い顔しようとするし……。
頑張っている癖に、情けない所も多いから、ということだろうか。
目指すべき道を知らなくて、ふらふらと真っ直ぐ前だけを見れていないから、それが危なっかしくて、しょうがないから。
……そうなのかな。
……それなら。私は……。
「一丁前なこと言って……。生意気」
「……そう、かな」
ずいぶん恥ずかしい発言への返答に、彼は照れ臭そうに笑った。
「……そうよ。……でも」
「ん?」
「私も、そんな貴方のことを、……支えてあげたい」
※
その頃、リヨール士官学校、槍術科の訓練室では、槍を手に鍛練に励むデュランと、その様子を黙って見ているバムスの姿があった。
「……用があるなら言え」
じっと見ているだけのバムスがいい加減鬱陶しくなり、デュランは自分から声をかける。
「ん? お前の方こそ俺に話すことは無いのか?」
「…………」
いちいち嫌味な物言いをする奴だと思う。
「……昨日は、迷惑をかけたな」
「違う。それはただの事実だ。他に言うことがあるだろう」
「…………」
謝罪でないなら、俺はもっと強くなる、とか、そういう決意表明でも聞きたいとかだろうか。それはそれで腹が立つが。
「お前はなぜ強くなろうとするんだ?」
沈黙するデュランに、バムスは言葉を誘う。
「俺は、……弱いからだ」
デュランは昨日の戦いで、自分の弱さを認めた。
恐ろしい敵を前に震え、後先も考えずに突っ込み、ひどい怪我を負った。力も弱いし、心も弱い。
「お前は当たり前のことしか喋られんのか? そうじゃない。強くなって何がしたいのか聞いているんだ」
「……俺は」
「無いんだろう」
「……ッ」
デュランは言葉に詰まる。
「精々生意気な貴族の鼻を明かしてやりたいとか、そんな所だろ?」
「そんなんじゃ……!」
「何が違う。お前はしがない平民で、貴族には誰彼構わず敵愾心を見せて、そしてその癖騎士やら将軍やらを目指している。これで違うなら何だと言うんだ。何か? 貴族に家族でも殺されたか? フ、そんなわけ無いよな。
お前の父は先の戦争で平民から徴兵され、功績を上げ、どこぞのブロウブ家の騎士とは身分や年の差を越え『親友』とまで呼ばれていたそうではないか」
「……なぜ知っている」
「お前の嫌う貴族というステータスを活かした情報網だよ。
フン。……そんな父を持ちながら何が気に入らんというのだお前は。名のある騎士と『親友』と呼ばれるほどであっても、結局平民のままで終わったことか? 騎士になれるかも知れなかったのにならなかった父が憎たらしいのか?」
「親父は……、悪くない」
「だろうよ。あの騎士と『親友』などと呼ばれる男だ。さぞかし立派な傑物であろうさ。息子が尊敬してやまないくらいにはな。
ではお前は何を原動力にして、この険しい騎士への道を進む? 下らない嫉妬か? それすらももう無さそうだな。あんな戦いの後では」
次々と自分の心をさらけ出していくバムスに、デュランは我慢の限界であった。
「いい加減にしろ! お前は俺に何を言わせたいってんだ!」
「フン。気が短いヤツだ。まあ良い。なら俺の方から言ってやる。お前の方から頼み込んでくるのが理想だったのだがな」
しかして、バムスの口から出た言葉は、デュランにとってはなはだ意外な物だった。
「俺の下に付け。デュラン」
「……!?」
「俺がお前に『目標』を与えてやる。お前はそれを持っていない。だから強くなれない。進む方角がわからないからフラフラして前へ進めない。
……お前は進むべき道を知れば、強くなれるんだ」
「何を……、言っている?」
狼狽するデュランに、バムスは言う。
「お前の『貴さ』を、俺に見せてくれ」
※
翌朝。
ショーマの目覚めが健やかだったのは、昨夜美味しい料理をたらふく頂いたからというだけでは無かっただろう。
やっと、自分にも目指す物が出来たような気がした。
自分の力を誰かのために役立てる。その相手がまずは1人、見つかった。
頑張る理由がある。それだけで随分と1日の目覚めが違った。
出掛ける準備を始める。鞄から例の紅茶が入った水筒を取り出す。フィオンに調べてもらうよう約束した物だ。
フィオンといえばふと、あることを思い出す。そう言えば彼女からハンカチを借りたままだった。川で水を汲んだ時、足を拭くのに使った物だった。
(洗って返した方が良いよな……)
とはいえ今から洗っても乾くまでは時間がかかる。仕方無い。そこは素直に詫びて明日渡すことにする。
取り急ぎハンカチの洗濯は今の内に済ませて、部屋を後にする。
「あ、おはようございます、リノンさん」
「おはようございますショーマさん。昨日は楽しめました?」
昨日帰ってきた時はまた彼女の父が鍵の受付に立っていたので、話をすることは無かったのだ。
「ええ。すごい美味しい物ご馳走になっちゃって」
今まで食べたことの無いような物ばかりだった。たぶんしばらくありつけない物だろうから、舌が忘れないようにしたいところだ。
「そうなんですか。羨ましいですね。……つかぬことをお伺いしますが、お帰りは何時頃でした?」
「確か20時くらいでしたけど、それがどうかしました?」
「……。いえ、別に」
「はあ」
何かあったのだろうか。まあ深くは聞くまい。
「あ、これ鍵です」
「はい、お預かりしますね」
「お願いします。……あの、リノンさん」
出来るだけ何気無い風を心がけて言う。
「俺、ちゃんとあなたのこと守れるように、頑張ります。……それじゃ」
そして言うだけ言ったら逃げるように立ち去る。やっぱり少し恥ずかしい。
「あ……」
何か言いかけたその言葉も、聞かないでおく。
リノンが『2人目』に出来たら。
そう思って、今日の1日に取り組んでいこう。
※
まずは薬師術科のフィオンの所に向かう。
「フィオン、おはよう」
「あ、おはよう、ございます」
「これ、昨日話した紅茶」
例の透明な水筒を渡す。
「はい。あの、すぐに、とは行かないですけど……」
「ああ、そんな急ぐことでも無いから」
「はい、じゃあ……、お預かりします。……変わった素材の水筒ですね」
透明で、厚みの無い容器を不思議そうに眺めているフィオン。
「そうなんだよ。そっちの方が手がかりとしては重要そうだけど、……調べられないよな」
「ええ、これはちょっと、専門外です」
くるくると蓋を開けて中の臭いを嗅ぐ。
「……う」
「あ」
「ちょっと、その、ちょっとですけど、……腐ってますね」
しかめっ面になるフィオン。
「ごめん……」
「いえ……、ほんのちょっとですし」
「あ、ごめんと言えば、ハンカチ、借りたままでごめんな。明日には返すから」
どさくさ紛れみたいで何だが、ここで謝っておく。
「え、あ、ハンカチ、ですか……。それは、別に良いですけど」
「ちゃんと洗って返すから」
「あ、そんな、お構い無く」
「良いから良いから。それじゃ、俺はそろそろ。それ、よろしくね」
「あ、はい」
「そのうち、何かお礼するから。じゃ」
「え? えっと……」
お互いに譲り合っていては進まないので、適当な所で強引に切り上げることにした。
※
「あら、ショーマ様。ごきげんよう」
「あ、どうも」
廊下を歩いていると、ローゼとすれ違う。
「先日はお疲れ様でした」
「ああ、いえ、こちらこそ」
彼女とは同じ小隊で2日を過ごしたが、直接話をすることは無かった。誰にでも様付けで呼んだりと、随分と丁寧な物腰が印象的である。
「そう言えば、あのゴーレムに最後止めを刺したのはローゼさんだったよね」
戦闘では結局傷1つ負わずに事を進めていたし、結構な実力者なのかもしれない。
「ええ、そうですね。でも、まだまだですよ」
「そうかな」
「そうですよ。私も、ショーマ様も、他の皆様も。もっともっと成長できるはずです」
「……うん、そうだね。もっと頑張らないと」
「ええ。それでは私は授業を受けに行きますので、これで」
「ああ、それじゃ」
「またお会いしましょう。では」
物腰は優しいが、話している内容は自分にも他人にも厳しい、といった感じである。
まだまだ知らない所のあるローゼだが、彼女とはまたいずれ話す機会もあるだろう。
※
白魔法科の教室を前にしたところで、レウスと出会った。
「あ、ショーマ。授業が始まるところで悪いけど、僕達に召集がかかったそうだよ」
「召集? また作戦?」
「いや、僕と君の2人だけらしい」
「2人だけ?」
「ああ。……君に関することかもしれないよ」
確かに。ショーマ本人のことなら彼のサポート担当のレウスも呼ばれるのはありえる話だ。
能力のことか、記憶喪失のことだろうか。
「……まあ、行ってみればわかるか」
廊下を歩きながら、ショーマはレウスに問いかける。
「レウスは、騎士になるつもりなんだよな」
「ああ。そうだよ。ブロウブ家は代々騎士の家系として、王国に仕えてきた。僕もそうなるつもりだ」
ショーマの知るレウスと言えば、気さくで良いやつで、自分のような面倒な経歴の持ち主にも文句1つ言わず力になってくれて、貴族の身でありながら誰にでも分け隔てなく接し、剣を振るえばその腕はかなりの物、隊長になれば積極的に仲間を率いていく。
要するにまあ、隙の無い好人物。といった具合であった。
「家の決まりに従って、騎士になれば国に仕えて……、って。何て言うか、自分のやってみたいこと、とかそういうのは考えたりしないのか?」
「うーん。僕なりに考えた結果でもあるよ。国に仕えることは民に仕えるとも言えるし、民が平和なら国は栄える。巡り巡って民でもある僕自身にも恩恵があることになる。そうだろ?」
「そういう物、かな? ……いや、ほら何て言うか、もうちょっとこう、具体的な物とか、無いのかなって」
レウスの言うことはまあわかるが、どことなく話のスケールを大きくして誤魔化されたような気もしていた。ショーマが聞いてみたかったのはもっとこう、個人的なことだった。
「中々痛いところを突くね、君は……。恥ずかしい話だが、そういう具体的なことと聞かれると、正直答えにくい。確かに僕はそう言った物を、持ち合わせていないんだよ」
「……そうなのか」
「ああ。でもいつか持てる日が来るかもしれない。だからそのいつかに備えて、日々の努力は重ねていたいと思っている」
「目標が無いのに頑張れるのか?」
それで悩んでいたショーマには気になる話であった。
「……目標と言うのでもないけど。亡くなった父に聞かされた言葉を、大事にしているよ。……『勇気ある者であれ』。父はいつもそう言っていた」
「勇気……」
「そう。意味は僕なりに考えた物でしかないけどね。……先が見えない物にはどんな物にも多かれ少なかれ『恐怖』がある。戦いなら命を失うかもしれない恐怖。商売なら資産を失うかもしれない恐怖。人との付き合いなら、嫌われてしまうかもしれない恐怖。……自分の苦労は、結局何の結果ももたらさないかもしれないという恐怖。
……恐怖にも大小色々あるだろうけど、恐れずに、自分を信じて進もうとする心。それが勇気だ。って、僕はそう思う。そして、どんなことにも勇気を持って恐怖に立ち向かえる。そういう人物になれ。……父はそう言いたかったのかな。って思っている」
勇気があるから、レウスは誰とでもすぐ仲良くなろうとするし、戦いにおいても積極的に前に出る。自分を信じて、突き進める。そういうことだろうか。
「……やろうと思ってそう簡単に出来ることでも無いと思うな、それは」
口にするのは簡単だろう。なんとなく思い当たる節もある。だが実際に行うとなると、そうも行くまい。
「……それなら僕は、勇気ある人間だと胸を張って良い。と言うこと、かな?」
「……ああ、俺で良ければ、保証するよ」
「ありがとう。君にそう言ってもらえると、誇らしいよ」
「そんな大した物か? 俺の評価って」
「君は人のことを深く知ろうとしてくれるからね。偏見や思い込みが少ない」
「よく見てるな……。俺は、ただ……、自分の記憶が無いから。人のを知って穴埋めしたいって、思ってるだけなんだと思う」
「それでも君の真摯さは本物だよ。……記憶喪失と言えば、最近はどうなんだい? 何か思い出せているかな」
「まだまだだよ。でも、何となくだけどさ、記憶喪失でも、何かするたびに、これは始めてすることだ、とか、これは前にもやったことがあるな、とか。そういうのはわかる気がするんだ」
昨夜もそうだった。以前にも街を歩いていた時、誰かにジャケットを薦められたことがあった気がしたし、綺麗な街灯に照らされた夜景を見たことがあった。気がした。
「魔法とか戦いとかは、初めてのことだな。って感じてたし」
「へえ、中々良い兆候なんじゃないかな、それは。故郷の景色や、以前からの知り合いに出会えれば、もっと思い出せるかも知れないよ」
「そう、なのかな」
「そうだよ。僕も手伝えることがあるなら協力するし、頑張ってみようよ」
「ああ……、うん、そうだな」
そうして、また新たに決意を固めたところで丁度良く、召集をかけられた部屋の前にたどり着く。
「ああ、ここだよ」
第3応接室。外来の客人をもてなす部屋だ。ショーマに会いに来る人物の候補など、多くは無い。
レウスは扉をノックし、中からの返事を待って、扉を開く。
「レウス・ブロウブ、ショーマ・ウォーズカ、参りました」
「入りなさい」
「失礼します」
※
第3応接室は比較的手狭で質素な部屋で、あまり重要ではない客人をもてなすのに使われる部屋だった。だが稀にそうでない場合もある。
「お待ちしてましたよ。……粗相の無いようにお願いしますね」
扉を開けてすぐそこにいたボンボーラ教員が、ショーマとレウスを呼び出した人物を紹介する。
「第1王女、フェニアス様です」
「!?」
上座のソファに座っていた、フェニアスと呼ばれた同年代くらいの少女が立ち上がり、頭を下げた。
あまりにも予想外な人物に驚きを受けるレウス。すぐさまその場に跪く。
「ほら、君もとりあえず真似してくれ」
「え? あ、えっと……」
その少女が何者かも知らないし、どう対応すれば良いのかもショーマにはわからなかった。……王女?
地味な茶色のローブに身を包み、腰まで届こうかというほど長く、そして美しい金髪を肩の辺りで結わたその少女は、海のように深く透き通る蒼い瞳でこちらを見つめていた。
「はじめまして。今回は内密の用向きで来ましたので、そのようなことはおよしください」
「……はっ」
「どうぞ、お掛けになってください」
レウスは立ち上がり、薦められるままソファに座る。ショーマもその後に続いた。
「王女がどういう存在かはわかるよね」
レウスが耳打ちする。
「それはわかるよ。でもこの人のことは……」
「とりあえず失礼の無いように」
珍しく焦っている様子のレウスであった。
「申し遅れました。レウス・ブロウブと申します。……君も」
「あ、ショーマ・ウォーズカです」
「ブランジア王女フェニアスです。あなた方のことは、すでにうかがっております。……今日は、ショーマ様。貴方とお話がしたくて参りました」
ブランジア王国第1王女フェニアス。現国王のただ1人の娘で、いずれは王位を継ぐことになるであろう少女だ。国民の前に出ることはまだ少ない。
「俺……、じゃない、わ、私に、ですか?」
意外に思ったが、落ち着いて考えれば、まあ思い当たることは少なくない。学校も国が運営している物だし、どこかでショーマのことが王女の耳に入るのは不思議では無い。
「はい。ショーマ・ウォーズカ様。……いえ、オオツカ・ショウマ様とお呼びすべきでしょうか」
「……は?」
その呼び方にレウスは首をかしげる。だがショーマには、なんだかとても慣れ親しく感じられた。
自分は普段そういう風に、名前と名字を逆に呼ばれていた気がする。
「……単刀直入に申し上げさせていただきます。
ショウマ様、……貴方は私が召喚し、時空を越えこの世界に来訪した、異なる世界の住人なのです」
その言葉には正直な所、ちっとも驚けなかった。
……周囲と全然違う見た目。この国には無い持ち物やお金。変わった名前。
……別の世界から来た。なるほど。ばっちり説明が通るじゃないか。
どちらかと言うと、今までみんなが頭を悩ませてくれたことや、フィオンに頼んだ調査が無駄になってしまって申し訳無いな、なんてことの方が、よほど気になっていた。
「あー……。そういう……」
そんな、間の抜けた声しか出なかった。
※ ※ ※
かくして、『始まり』は終わりを迎える――。
そして物語は、次なる局面へと続いていく。
2012年 03月01日
話数表記追加、誤字等修正