ep,096 竜の谷(2)
竜神の少女と二人だけで谷の最下層を目指したショーマを見送ったメリル達。
「どうしていよっか……」
ただ待っているだけ、というのも手持無沙汰というものである。
「じゃあ暇つぶしにあの人の嫌いな所でも皆さんで上げていきませんか」
そこへステアが下らない提案をするのだった。
「え」
「それは……」
メリルとセリアはその提案につい表情をぎこちなくさせてしまう。
「冗談ですよ」
「…………」
「今ちょっと想像したでしょう」
「してません!」
とは言え三人ともショーマとの関係性があまり常識的なものとは言えない自覚はあるし、少なからず不満が無いわけでは無い。
出来ることならば自分のことだけを特別に思っていて欲しいとは考えている。けれどそういう選択が出来る人ではないし、そういう人だからこそショーマのことを好きになったという向きもあり、大変複雑な心境であった。となると隙あらば悪口の一つくらい言いたくなった所で責められる謂れは無いだろう。
何となく考えないでおこうとしたことを考えてしまい、少しだけ気まずい空気が広がっていく。
三人は適度に気を張って周囲を警戒しつつも、しかしその緊張が緩み始めた頃。セリアの耳に響く音があった。
「ねえ……何か聞こえなかった?」
「いいえ、私には」
セリアの問いをステアが否定する。人一倍警戒心が強く五感も鋭いステアがそう言うならばと、セリアは気のせいだったのかと納得しそうになる。
しかしそこへメリルが聞き返す。
「聞こえたって……例えば、竜の鳴き声みたいな?」
ここは野生の竜が多数生息する地域だ。声がしたとすればその可能性が高い。
「うん……そうかも。でも何か、鳴き声じゃなくてちゃんとした言葉のように聞こえた……ような」
「ステア、貴女には聞こえなかったのよね?」
「ええ」
メリルはセリアとステア、双方に確認を取り何かを確信したような表情を見せた。
「それはきっと竜による念話ね。セリア、貴女に向かって話しかけているのよ」
「私に?」
「ええ、もうちょっと耳を澄ませて、声を聞いてあげて」
「う、うん……」
突然のことに動揺しつつも、セリアはメリルに言われた通りにする。
何故自分に竜が語りかけてくるというのか。そして一体何を伝えたいというのか。疑問以上に不安や恐れがあったが、竜に関してメリルは専門家と言っていい。下手に考えるよりは素直に従うべきと考える。
「えっと……私のこと、呼んでいる……みたい」
「呼んでいる……やっぱり」
メリルにも心当たりはあった。特定の誰か一人にだけ聴こえてくる竜の呼び声。そういう状況というのは大抵、竜の方から人間に交流を求める意思がある場合だ。そしてそんな状況は滅多にあるものではない。
脆弱な人間は屈強な竜の力を借り受けることで多くの利点を生み出すことが出来るが、逆に竜は人間と関わった所で大した利点は無い。それ故竜操術士と呼ばれる人々は、あの手この手で竜の助力を得るために苦労するのだ。竜の方から声を掛けてくれるというのは、竜の側に何か特別な事情があるか、よほどの物好きな竜でもなければほぼ有り得ない状況である。
「その呼びかけ、応えてみる? どうせただ待ってるだけというのも意義が薄いし」
「え? えっと……」
メリルの提案に困惑するセリア。
「でも、急にそんな」
「悪いことにはならないだろうから」
セリアはつい脇腹に手を添えてしまう。竜と言えば、結構なトラウマのある存在だ。
本気で死すら実感したあの時の記憶は、なんだかんだ言って思い出しただけでも寒気がしてくる。今だってメリルの相棒サフィードに時々恐怖を抱いてしまうくらいだというのに。
それでも、
「……わかった」
セリアは大切な友人の言葉を信じて提案を受け入れた。
いつまでも心に嫌なものを抱えておくべきではない。乗り越えられる機会があるなら掴まなければ。……あの人の隣に居続けるためにも。
そう思ったから。
※
声の聞こえた方向に、セリアの案内で三人は進む。そして出会った。
『来てくれたか』
「!」
一瞬大きな岩壁かと見まがうそれは、巨大な竜であった。
そして見上げたその頭部には、誇り高き威容を発する一本の角がそそり立つ。
竜の中でも特に強大な力を持つという、一角竜だ。
「あらら」
一角竜と言えば、セリアに重傷を与えた竜と同じ種族である。よりにもよってと言いたくなる相手と遭遇したことで、ステアも困った声を出さずにはいられなかった。そしてセリアの顔をちらりと見る。
「あ……」
案の定、表情は引きつっていた。じわりと大粒の汗も浮かんでいる。どう見ても良くない感じだ。
『害意は無い……どうか落ち着いて我らの話を聞いてもらいたい』
一角竜もまたセリアの様子を察し言葉をかける。その言葉は今はセリアだけでなくメリルとステアにも届いていた。
「偉大なる竜よ、お聞かせください。彼女に一体……何を伝えたいのですか」
言葉に詰まっている様子のセリアに代わり、メリルが一角竜へ問いかける。
『謝罪だ』
「謝罪……!?」
その返答にメリルは驚くしかない。気位の高い竜の、その中でも特に高位に属する一角竜が人間を相手に謝罪をするなどよほどの事態だ。
「もしや貴方は……」
メリルも何となく予感はしていたが、それがかなり正解に近かったことを察する。
セリアも魔法の素質は高い方だが、竜の方から目をかける程ではなかった。それなのにわざわざ呼びかけてくるということは、何かしらの縁があるということ。そしてセリアに縁のある竜と言えば、以前交戦したあの一角竜が真っ先に浮かんでくる。
あの一角竜と目の前の一角竜は同一の個体では無さそうだが、何かしらの関係があるのだろう。
『そなたを傷付けた竜は……我が子なのだ』
「……なるほど」
そしてその予想は当たった。目の前の一角竜は、セリアに重傷を負わせた一角竜の親だという。
『我が子は……魔族を名乗る者の奸計に嵌りその魂を歪めさせられた。……その結果無用な暴虐を撒き散らすこととなったのだ。止めきれなかった我にも責任の一端はある。故にこうして……謝罪をさせてもらおうと考えたのだ』
「…………」
竜の暴虐は珍しいことではあるが、しかしそれはわざわざ謝罪するほどのことではない。
人は強大な力を持つ竜を時に畏怖し、時に敬い、そして時に力を借り受ける。そうやって共存しているのだ。それは対等な関係とは言えないものではあるが、決して悪い関係ではない。
人間の力は日々進歩しているが、それは竜と言う強大な存在に憧れることが原動力の一つとなっている。しかし同時に強すぎる力を持つことは竜の怒りに触れるため、行き過ぎた進歩への歯止めとなってくれてもいるのだ。
そういった関係があるから、竜は力を、威容を誇示しているのだ。だからこそ人に謝罪するという、ともすれば下に見られるようなことをしないのが普通だ。
それでも謝罪をしたのは……魔族に屈しかけ、力の誇示に失敗してしまったから。そしてその結果としてセリアに傷を負わせてしまったからだろう。
過ちを犯したならば素直にそれを認め謝罪する……それもまた力を示す者としてあるべき姿だ。
『命を繋いでいてくれたことは幸いである。どうかこれからの生も健やかであれ』
「は、い……」
セリアは想像もしていなかったこの状況に圧倒されてろくに言葉も発せられないでいた。
しかし同時に、ある疑問が浮かび上がってもいた。それを聞いても良いものだろうかと不安に駆られつつも、ここで聞いておかなければもう機会は無いだろうという思いが何とか口を開かせる。
「あ、あの……! あなたのお子様は今……どうされて、いますか……?」
それはセリアに傷を負わせた当の一角竜の行方だ。親竜が代理して謝意を示しているということは、何か出てこられない理由があるということなのだろうか。
例えば、その一角竜はもう生きてはいないのではないか……と、セリアはそう考えたのだ。
不要な暴虐を撒き散らしてしまうようになった竜は、人間からはもちろん同族の竜からも疎まれるだろう。暴虐を沈めるため、裁きを兼ねてその命を奪ってしまっていたとしてもなんらおかしくない。
しかしそれでは、あまりにも憐れだとセリアは感じる。自分に酷い大怪我を負わせた存在ではあるが、そうなってしまった原因は魔族にあるのだ。第三者の介入によって過ちを犯し、その結果裁きを受けるなどそれは理不尽な話である。
『案ずるな。命は繋いでいる』
「!」
しかしその心配は杞憂であった。
『優しい心を持つ少女よ。望むならば、そなた自身で我が子の姿を目にするが良い』
「これって……」
親竜に案内されセリア達は、子竜がその体を休めている『陣地』へとやって来た。
「物凄い量のマナエネルギーが満ちている……確かにここがあの一角竜の陣地みたいね」
地面からマナエネルギーの白い光が溢れるその陣地の中央で、眠るようにその大きな体を丸めて休んでいる一角竜。それは確かにあの時一行が出くわしたそれと同一の個体の様であった。
陣地とはその竜に最も適合したマナエネルギーが満ちている場所のことなのである。
「私があの時つけた傷も残っていますね」
交戦した際、ステアの剣は一角竜の片目を斬り裂いていた。その傷跡は今もしっかり残っている。それが目印にもなってくれた。
『……肉体の傷は些細なものだ』
再び三人の頭の中に声が響いた。親竜のものではない、目の前にいる隻眼の一角竜の声だ。
『今は体内に残留した悪しきマナを全て放出し、新しく清廉なものへと入れ替えているのだ』
あの戦いの後姿をくらました一角竜は、後に親竜に捕捉され交戦し、戦闘不能へと追い込まれた。そしてこの陣地へと強制的に連れ込まれ、ひたすら体内のマナエネルギーを清浄化し続けていたのだ。
魔族の手によって汚染されたマナエネルギーを取り除くためには、一度体内からそのマナエネルギーを全て放出し尽くしてから新たに清浄なマナエネルギーを補充する必要があった。しかし汚染されているとは言え体内から全てのマナエネルギーを放出しきってしまうことは命に関わる危険な行為だ。安全を保証するためには、自分に合ったマナエネルギーを急速に補充出来る陣地が必要となるのだ。
ショーマがメリルに行ったような、汚染されたマナエネルギー自体を直接清浄化させる行為はたとえ竜であっても出来るような芸当ではないため、こうする必要があった。
「大丈夫……何ですか?」
完全回復にどれだけの時間がかかるのか、セリアには見当もつかないことであった。つい心配になって声を掛けてしまう。
『人間の感覚からすれば長い時間はかかるだろうが、竜の感覚からすればそれほどでもない。案ずるな』
「本当にそうなのですか……?」
安心させようと言葉を返す一角竜に、メリルは反論する。竜の中でも特に強大な力を持つ一角竜が、その体内に宿すマナエネルギー全てを再充填するとなれば、恐らく生涯寿命の三、四割の時間は必要になるだろう。そんなに持っていかれたら、残りの命はもう決して長いものとは言えなくなる。
『案ずるな、と言っている。か弱き人間達よ』
「……!」
追及に、少しばかり怒気の込められた言葉が返ってくる。それは竜にとっては少ないものであっても、人間にとっては軽い衝撃波という実体を持って襲い掛かってくる程のものだった。
三人はその気迫に圧倒されそうになりながらも、それに耐えもう一度一角竜に向き直る。はいそうですかと言われるままに立ち去る気は無い。今この場に居ない男ならきっとそうするだろうから。
そして、
「……セリア、貴女はどうしたい?」
「え……?」
メリルはセリアに問い掛ける。
「貴女にひどい傷を負わせたこの竜を、どうしてやりたいのか聞いているのよ」
今この一角竜は明らかに弱っていた。体内のマナエネルギーも殆ど無くなっているし、肉体の傷も少なくない。陣地に身を置いているとは言え、その命を奪うことは難しいことではないだろう。
殺されかけた相手に報復をする、絶好の機会だった。
「……出来ることなら、手を貸してあげたいです」
しかしセリアは、そんな悪意を示すつもりは欠片も持っていなかった。
その言葉を聞いて、メリルはふっと笑みを浮かべる。
「……だそうです、竜よ。貴方に贖罪の意思があるというならば。こちらの少女セリアと力の共有を行う契約を結んではいただけませんか?」
「え!?」
そしてメリルは、大胆な提案をしてみせるのであった。