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こてつ会長は由美から借りた携帯で、通話を終えたところだった。自分の携帯は細工や盗聴されていると思っている。ついで内線で田中を部屋に呼びつける。
「西岡が真柴組にちょっかいを出している。今も組長の養女を呼び出したらしい。お前、西岡に伝えに行け。ただでは済まんとな」会長が表情を動かさずに言った。
「西岡、ですか? 何故私に?」田中は真底意外そうな顔をした。
「理由はない。大谷では今の西岡は言う事を聞かない。お前が行け」問答無用の口調で言う。
「分かりました」田中は頭を下げると、速やかに部屋を出ていった。
会長は田中が組を出るのを窓から確認すると、内線で緊急に幹部達を集めるように指示を出した。ただし、田中を除いてだが。
田中は組を出てしばらくしてから、西岡に電話をかけた。西岡との連絡は可能な限り避けていたが、この際仕方がない。わざわざ俺を指名したと言う事は、すでに会長にはバレているのだろう。
こうなったら真柴の養女を人質にしてでも、強引に事を運ぶ以外に手立てはない。何なら殺してもかまわないだろう。要は会長が動揺すればいいのだ。会長に不満を持つ者は多いのだから、その隙を突きたい奴はいくらでもいる。事が急にはなったが大谷も後釜を狙っているようだし、俺だって負けやしない。きっと勝機はあるはずだ。
「西岡か? 真柴の養女は呼び出したか? 何かあったと分かれば当然、真柴や、会長、華風も動くだろう。呼べる限りの応援を送るから、必ず真柴の養女を手中にするんだ。俺もすぐそっちに着く。分かったな?」
返事も待たずに通話を切る。これから掛けなければならない先がたくさんあるのだ。田中は次々と電話をする。
だが、何かおかしい。息のかかった街のゴロツキや、舎弟達には連絡がつくが、こてつ組の幹部達とは直接の連絡が取れない。皆、留守電や伝言ばかりだ。いやな予感がして組に電話をかけると、
「大変です! 今、緊急の幹部会議が開かれてます。どうやら田中さんは幹部から外されたようです」 と、組に残した留守番役の男が叫んでいた。
しまった! 会長に先を越されたか。いや、まだ会長を動揺させれば、寝返る奴がいるかもしれない。
田中はどっちにしろ、自分のケツに火が着いてしまった事を痛感させられていた。
ハルオは刀を握り締めたまま、カチカチに固まっていた。まるで今にも刃が逆を向いて、自分を斬り裂きに来るような気さえする。あまりの緊張に震える事さえできないのだ。
しかも、さっき香が稽古場の中に入ってきたのが見て取れた。この情けない姿を見られている。穴があったら入りたいどころではない。自分の存在そのものを消してしまいたいほど恥ずかしい。
土間に二つの選択を迫られた時は、あまり迷うこともなく(全く迷わなかった訳ではないが)刃物を使えるようになる道を選んだ。ハルオにとっての組は、ただの組織ではない。赤ん坊の頃から自分を支え、育て、受け入れてくれた人々が家族同然に暮らしている。まさしく家庭でもあるのだ。だからハルオは自分の家族を守るように組を守りたかった。どんなに向いていなくても、家族の命を守る道しか選ぶ事が出来ない。
そう決心したはずなのに、いざ、刀を抜くと、握っているのは自分だと言うのに、身体のすべてが石のように固まって、ピクリとも動かせなくなってしまっている。身体が心を裏切っている。
おまけにそれを香に見られているのだから、始末が悪かった。
自分の持っている刀の刃先が光る。怖い。脅えるハルオを香が見ている。逃げ出してしまいたい。この刃からも、香の視線からも。さらに土間が自分の刀を抜いた。